日常のふとした瞬間に宿る美しさや、それを美しいと感じる感覚を忘れないように、画家の安藤晶子さんは、日々手を動かし続けていると言います。コラージュをはじめ、偶発的な線と色の出合いから生み出す、輝くような世界。そこには、安藤さんの「好き」や「嬉しい」がたくさん詰まっているのです。切っても切り離せない、日常と制作のこと、ものづくりのインスピレーションや、手作りの溢れる生活、そして愛猫の存在まで、安藤さんのやわらかい眼差しに触れてみたいと思いました。
-「私はこれかも」兄とは違う自分の得意なこと
父はサラリーマン、母は専業主婦というごく普通の家庭で育ちましたが、小さな頃から美術館にはよく連れて行ってもらった記憶があります。兄が一人いるのですが、小さい頃から頭が良く、野球部で部長をやるほど面倒見もよくて、私とは全然違うタイプ。一方の私は友達と遊ぶより、家で絵を描いている方が好きな子でした。
そんな姿を見てか、幼稚園になると兄と一緒に絵画教室に通わせてもらえるように。それまでは、兄に勝てることなんて何一つなかったけれど、自由にのびのび絵を描いていることを褒めてもらえて、初めて「私は、これかも」と思えたんですよね。
芸術系の大学に進学してからは、日々制作に打ち込んでいました。当時は今とは全く作風が違って、ダークな雰囲気の絵を描いていたんです。細いペンでひたすら描き込んでいく、そういうインパクトがあって、ちょっと恐さを感じるような絵を描きたかったんだと思います。
-「楽しい方を選んでいい」色彩とコラージュの作風へ
当時は、絵は、頑張って苦しんで描くものだという思い込みがあったように思います。でも自分にそれは合っていなくて。だから正直、制作に疲れも感じていて、気晴らしに描いていたのがコラージュ作品でした。私はもともと色を使うことに苦手意識があって、モノトーンの暗い世界ばかり描いていたのですが、コラージュとなると、不思議と自由に色を使えるんです。
あるとき、同級生の一人に「そっちを描いているときの方が楽しそう。そっちをやればいいじゃん」と言われ、びっくりしました。「楽しい方を選んでいいの?」って。でも、確かにその通りだと、コラージュをメインにしたら、どんどん描けるようになって。以来、自分の作風の大きな特徴になりました。
-描くことが切実に。絵に救われていると実感する日々
昨年から生活形態が変わり、今はバイトをいくつか掛け持ちしながら生活しています。ご飯を食べることや働くこと、そういう生活の中に絵を描くことがあって、生きていくにはどれもが大切。だけどどうしてもバイトに出る時間が多くなり、「生活」の比重が大きくなると、本来の自分を見失いそうになることもあります。家に帰ってきて、しばらくうずくまって休まないと、動けない日もあるくらい。
愛猫の「点子」ちゃん。
「家に帰って、彼女の顔を見ると疲れが飛んでいきます」と安藤さん
それでも、絵を描いていると、自分にハンドルが戻ってくるというか、自分を取り戻せるような気がするんです。絵に、すごく救われています。
これまでも「自分の内側の声を聞く」ことをテーマに描いてきましたが、生活が変化し、絵を描くことがこれまで以上に切実になったことで、日常の中の「救われる時間」がより輝き出したような感覚があります。1月に開催した個展では、そんな自分の感覚や気づきに重きを置きました。
-「見る」ことの気づき。頭の中より実物の方が面白い
あるとき、道端を歩いていて、ふと見上げた木の葉に陽の光があたって葉脈がきれいに透けていて。その光景に「ああ、救われるなあ」と思ったんです。そして、そう感じている時間こそが、自分と向き合えている時間だと実感しました。
そうした日常の「救われる」瞬間は、花や花瓶など、何気ないものをじっくり見つめることの中にもありました。これまでは花や鳥を描くとき、何も見ずに空想で描くことが多かったのですが、私の所属するギャラリーのオーナーに、「実物を見て描いてみたら?」と言われ、素直にやってみたんです。そうしたら想像以上に面白くて。実物は、頭の中にあるものよりも遥かに奇想天外で、全く思いもよらない形や、曲がり方や、色をしているんですよね。ずっと絵を描いてきたけれど、そういう新しい発見は日々本当にたくさんあります。
-自分の声に耳を澄まして、小さな願いを叶えてあげる
生活に追われ、自分を見失いそうになったときには、小さな自分の願いを叶えてあげるようにしています。例えば、私はコンビニのカフェラテが大好きなのですが、それを買って少し散歩しようとか、あの曲をかけて一人で踊ろう、とか、そんな小さなことでいいんです。自分のやりたいことをちゃんと実現してあげると、自分の好きなものや楽しい気持ちをまた思い出せるようになります。
それから、ジャーナリング。私は、ちょっとモヤっとしたことや、ちくっと傷ついたことなどを“流せない”ところがあって。そんなとき、ノートに全部を吐き出すんです。自分の情けないところや汚い部分、醜い部分を文字にして吐き出すことで、心を落ち着かせ、そしてそんな自分がいることを認めてあげる。そうすると、だんだん他人に対しても「そういう感情、あるよね」「そんな態度とってしまうときもあるよね」と、許せるようになりました。
3年分のジャーナリングノート
-許しながら重ねていく。間違いも、魅力に変わる
コラージュは、色や柄の調和を意識しながら、パズルのように仕上げていきます。例え間違って線を入れてしまったとか、違う色を入れてしまったとか、そんな失敗があっても、その上からまた色を重ねたり、紙や布を貼り付けたりしていくことで、思いもよらない景色に出会えることもあります。重ねるほどに、それが深みや味になって、一層魅力的になる。だから失敗なんかないんです。
人生も同じで、日々生活の中にはいろいろあるけれど、点子と遊んだり、嬉しいとかきれいとか感じたりしながら、「楽しくていいんだ」「幸せでいいんだ」と、どんどん自分を許していいんじゃないかなと思うんです。そういう世界はやわらかいと思うし、みんなが幸せになれるような気がします。
ー好きなものほど永く一緒にいたいから、手をかけて大切に
身につけるものを買うとき大切にしているのは、鏡に映る自分を見て嬉しいかどうか、それからずっと一緒にいたいと思えるか。おばあちゃんになってもそれを着ている自分が想像できるかどうか。
新しいものを買うのももちろん好きだけど、やっぱり気に入ったものと永くいたい、という思いが強くあります。お気に入りのものほど早く傷んでしまうので、自分で繕ったり、リメイクしたりしながら使うのですが、どんどん唯一無二のものになっていくのも魅力だと思っています。
部屋のカーテンや座布団、大切にしているポーチなど全て安藤さんの手作り
私にとっては、裁縫と絵を描くことは似ていて、手を動かしていると、なんだか地に足がついている気持ちになるんです。人間関係もそうだけど、好きでいるほどずっと一緒にいたいけど、時間を経ていけば何か欠けてくるものがある。でも、それを自分が手を動かすことで補えるっていうのが、私にとっての癒しにもなっているような気がします。
それから着心地も重要です。絵を描くときはそれだけに集中したいので、肌あたりがチクチクするとか、肩紐が当たるとか、そういったノイズはできるだけ無くしたくて。だから下着やタイツなど肌に触れるものはコットンを選ぶことが多いんです。SISIFILLEのキャミソールは、肌触りがふわふわでやわらか。すごく気持ちいいですね。
ブラキャミソール「サリー」を見て、「刺繍を入れてもかわいいかも」と安藤さん。新しい洋服を自分だけの一着に仕立てていくことも楽しみの一つ
直感で色に惹かれることもあって、だから持っているお洋服の色はバラバラ。でも、自分が好きな色同士ならどれと合わせても調和するから不思議です。このキャミソールなら、シースルーのロンTを重ねてうっすら色を見せてもかわいいし、夏はタンクトップと重ねて、肩紐をアクセントにしてもいいですよね。こんなふうに色の見せ方や組み合わせを考えるのは、コラージュみたいな感覚。絵を描いているときのように、ワクワクします。
ー安藤晶子さんにお試しいただいたアイテム
■ 安藤 晶子 / アーティスト
1987年茨城県生まれ。東京工芸大学デザイン学科卒業後、イラストレーターとしてショーウインドウ制作や、本の装画、CDのアートワークなど、数多くの作品を手がける。主な制作方法は自身が描いた絵を切り貼りし、画面を構成するコラージュによるものが多く、偶発的な線や形、色の重なりから、時間や記憶の奥行きを感じられるような作品を生み出している。近年ではキャンバスや板絵など、さまざまな素材を使い表現の幅を広げている。
tumblr: akiko ando
instagram: @akiko__ando
Photo:Nishitani Kumi
Interview, Text&Edit:Renna Hata