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COMMUNITY

シシフィーユチームによる本音座談会 ーブラとショーツについて語ろうー

アメリカに暮らすブランドコミュニケーターcumi(クミ)、ニュージーランドを拠点にしている企画担当のMami(マミ)、日本で営業を担当するNatsuki(ナツキ)の3人が本音で語るシシフィーユ座談会。アンダーウエアをテーマに、それぞれ一押しのアイテムや製品企画の裏側について語りました。 (写真)左上から時計回りに、マミ、ナツキ、クミ cumi:今日はスタッフ3人による初めての座談会ですね!まずは、簡単な自己紹介からはじめましょうか。 Mami:私はシシフィーユ(以下SISI)のアンダーウエアシリーズの立ち上げから製品企画に携わっていて、入社して6年目になります。今はニュージーランドに住んでいて、リモートでオンラインストアの運営も担当しています。 Natsuki:私は今年1月に入社して、もうすぐ11ヶ月になります。SISIの営業を担当していて、SISIの製品を取り扱ってくださっている先様とのやりとりのほか、日本各地でのポップアップイベントで店頭に立って直接お客様に商品を紹介させていただいたりもしています。 cumi:私は2015年にSISIの立ち上げを担当して、今はサンフランシスコベイエリアに暮らしながら主にコンテンツ制作やイベント企画などをしています。そんな3拠点でSISIを動かしているわけですが、今回は、改めて私たち3人でSISIのアンダーウェアについて話したいと思います。下着って、体型や好みによって選ぶものがはっきりと分かれるから、みんなで企画する時もそれぞれのこだわりが強く出るアイテムですよね。なので、改めてお互いの好みや、企画チームとしてこだわったポイント、実際に着用してみてどうかなど、リアルな感想をシェアできるといいなと思っています。(写真)ブラ「マヤ」 ―着け心地と、体を美しく見せるライン。どちらも妥協したくなかった cumi:まず初めにそれぞれ一押しのブラトップの話から始めましょうか。私は、マミさんと一緒に企画を担当したマヤが一番好きです。SISIのアンダーウェアがスタートする時に作ったアイテムだから思い入れもあるし、使い心地もすごく気に入ってる。 Mami:クミさんのマヤへの熱は、企画時からひしひしと伝わっていました。アンダーベルトの幅を何ミリにするかとか、細部までかなりこだわりましたよね。 cumi :そうでしたね。ブランドとして、肌ざわりと締めつけのないやわらかな着け心地というのを一番大切にしているけど、それだけじゃなくて、体が美しく見えるラインについても妥協したくなくて。それと、見えても下着っぽくない肩紐にしたかったので、どのカラーも紐は全て黒にして、なるべく細くしつつ、肌に食い込まないようなラインを探りましたよね。 Mami:ブラのストラップには丸い紐が使われていることも多いと思うんですが、私がなで肩なのもあって、ねじれて肩から落ちちゃうんですよね。それが結構ストレスで。だからSISIのブラは、肩から滑り落ちづらいようフラットなものを使いたかったんです。ただ、リボンやテープのように薄すぎるものだと食い込みやすくて跡が残ってしまったりするので、もう少し厚みがあって幅広のものがいいねというところであの紐に落ち着きました。(写真)ブラ「マヤ」とショーツ「フリーダ」 Natsuki:私もなで肩で、ブラ紐を治す仕草をあまりしたくないので、ズレにくいのはすごく嬉しいです。すっきりした形で、薄手の洋服を着ていてもシルエットを綺麗に見せてくれるので、私もマヤが好きですね。 cumi:夜もブラをつけて寝るという友人から、これまでつけて寝る習慣があってもやっぱり少し苦しさというか、締め付け感があったけど、マヤをナイトブラとして使ってみたら全くストレスを感じなくてすごく助かっているという話を聞きました。 Mami:個人的にナイトブラはしない派なんですが、もし胸が垂れないようにすることを目的として使うなら、テレサも良さそうですよね。マヤは私も好きでよく着ていますが、もうちょっとゆったり、でもホールド感もほどよくあるデザインのものがほしいなという個人的な思いで企画を進めたのがテレサで。マヤは、バストが豊かな方にとっては心許ないという声もあったのに対して、テレサはアンダーを太くして、少し脇を高くすることでホールド感をアップさせています。 Natsuki:イベントで販売する時も、お胸がある方は、安心感がある方がいいと言ってテレサを手に取ってくださいますね。あと、私はヨガの時にテレサをつけるんですけど、コットンで汗を吸ってくれて気持ちいいですし、締め付けもそこまでないので、軽い運動する時に良いですよとよくおすすめしています。 (写真)ブラ「テレサ」 ―手前味噌ですけど、生地の気持ち良さでは他には負けないなって cumi:ショーツはどうですか?私は、生理用ショーツのボクサータイプが一押しです。ウエストと足口にゴムが入っていないから、極端に言うと履いてないみたいな感じの着心地。汗をかいて痒くなる部分の締めつけがないのが本当に快適で、他のものを履けなくなりました。サニタリーショーツだけれど、普段履きできるのも良いですし、友人からもすごく好評です。実際リピート率が高いアイテムですよね。 (写真)生理用ショーツ「ボクサー」 Natsuki:ポップアップでも、持っているけどもう1枚ほしいと購入されていく方が多いです。 Mami:私、生理用ショーツの防水布でかぶれちゃうことがよくあったんです。だからSISIでピリオドショーツを作ることになった時に、防水布は使いたくなくて。それでも漏れずに、いかにフィット感を出すかという部分を模索しました。他のブランドさんでもオーガニックコットンを使っていたり、防水布を使っていないタイプのショーツも増えてきましたが、SISIはブランドの運営をしているのが生地メーカーであるという強みもあって、手前味噌ですけど、生地の気持ち良さでは他には負けないなって思います。Natsuki:私はフリーダが好きです。おへそまですっぽり隠れるハイウェストのショーツっておしゃれなものあまりないですよね。デザインより防寒重視みたいなものが多い印象がありますが、フリーダは水着みたいですごくスタイリッシュ。さっき話にでたブラのマヤやテレサと色が一緒なので、セットアップにできるのも良いんですよね。(写真)ブラ「テレサ」とショーツ「フリーダ」 Mami:私、ご飯を食べた後にお腹が出る胃下垂タイプで、ハイエストのショーツは食後ウェスト部分が食い込んだり、縫い目が当たってチクチクしたりするのが気になっていたんです。だからフリーダを作る時は、それを解消したくてサンプル制作を重ねました。フリーダの前側の縫い目は、乳癌の患者さんのように極端に肌が敏感になっている方に向けたブラで採用される仕様にしていて、内側は凸凹のない縫い目にしています。 cumi:オーバーショーツで言うと、ライフスタイルブランド「EMILY WEEK」さんとコラボレーションしたカーキのホールガーメントオーバーショーツも良いですよね。これは、元々メンズのショーツからスタートしていて、私がちょうど妊娠していた時期にこの原型のサンプルを履いていたのですが、お腹が守られている安心感はあるのに、夏でも蒸れなくてすごく快適でした。今も生理の時、お腹冷やしたくないなという時に季節問わず使っています。(写真)「ホールガーメントオーバーショーツ」Natsuki:最近寒くなってきたので、私もちょうど買い足したところです!意外と薄手なので、ごわごわしないのが良いですよね。 Mami:ホールガーメント(無縫製)で作るってすごく難しくて、1からこの形に編んでいくんですよ。そうすると布の無駄な切れ端も出ないので、サステナブルでもあって。私も大好きで、洗濯しすぎてペロペロになっても使い続けています(笑)。私的には、ローザが一押しです。SISIのショーツは共通して鼠蹊部の締めつけが少ないものが多いですが、ローザは足回りにはゴム入っているけど、ぐるりと一周は回ってないんです。後、この形は、足がすごい長く見えると思っていて。cumi:一般的なショーツに一番近い形がローザですよね。平置きで見るのと着用で見るのとで印象が違うアイテムなので、モデルの着用写真を見てもらえると分かりやすいかもしれない。 (写真)ショーツ「ローザ」 ―SISIの気持ちのいい素材に、補正力が加わったら最高かも cumi:改めて話をしてみると、体の悩みや、選ぶポイントがみんなそれぞれ違っていておもしろいですね。今後また新しいプロダクトも企画していきたいですが、 こんなのほしいなっていうのはありますか?...

# BACKGROUND

美味しい記憶がつくる私の料理 ー人を喜ばせることが私の原動力になるー石川早乙美さん

奈良県にある日本料理屋「万惣」の娘として生まれた石川早乙美さん。ミシュランガイドで星を獲得する名店で、幼い頃から働く両親の姿を見て育ちました。それでも料理を仕事にするとは想像もしていなかったという彼女は、30歳を過ぎて料理の道へ。自分らしい料理のあり方とは何だろう。自問自答を繰り返しながらたどり着いた今の形、そしてこれまでの道のりについて話を聞きました。 ー父の味、母の味で育った幼少期 奈良で日本料理屋を営む両親のもとに生まれた私。幼少期は、知らないおじさんとゴミ拾いをしたり、カブトムシのゼリーを食べたりと、周囲からは奇想天外と言われるような子どもだったそうです。父は料理人、当時母は女将としてお店に立っていたので、子どもの頃からお店にいることも多く、父とお弟子さんが料理をする様子や母がお客さんに接する姿なんかをじっと見ていました。お客さんには出せない料理の端っこを食べるのがとても楽しみで。父は家では全く料理をしなかったので、家では母がごはんづくりを担当。おかげで、お店の料理から家庭料理まで幅広い味に親しむことができました。 ー介護職からアパレルに。そしてイタリアへ これまでの道のりを振り返ると、とにかく好奇心が旺盛で、やりたいことがたくさんあるタイプでした。高校卒業後は、子どもが好きだったこともあり短大の保育学科へ。ところが保育と一緒に社会福祉の勉強をしていくうちに、介護の方にはまっていってしまって。おじいちゃん、おばあちゃんたちからもらうエネルギーがすごかったんです。下のお世話も平気でしたし、お年寄りとの関わりから衝撃を色々受けることがたくさんあって。卒業後は介護の仕事に就いたのですが、実家暮らしだったこともあり、自立したいと思うようになりました。母は大反対したものの、奈良を出て東京へ行こうと決意。ファッションも好きだったので、アパレル会社に入り、念願の一人暮らしが始まりました。 働き始めて3年が経った頃、スタイリストさんと話していると、ふいに「本当は何がやりたいの?」と聞かれたことがありました。その方とはその時が初対面だったのですが、私の顔に覇気がなかったみたいで…。そんなふうに言われて考えてみると、海外に行きたいなと思ったんです。そのスタイリストさんは長年暮らしたイタリアから帰国したばかり。イタリアの魅力ある話を聞いて「じゃあ来年から行ってみます」と。すごく唐突なんですけれど(笑)。それからは必死でお金を貯めて、渡伊しました。イタリアでは語学を学び、仕事もしていたのですが、日本で結婚することになり、27歳の時に帰国しました。 ー思いもしなかった料理の道を歩み出した30代  料理を仕事にするなんて想像もしていませんでした。きつい仕事だと身に染みてわかっている父も、勧めてきたことは一度もありません。ところが結婚後、フリーランスのPRとして働いていた時、友人のイラストレーターと話す中で「お弁当をつくってみたい」と気づいたら口走っていました。すると、すぐにイベントでお弁当を出す機会を頂いて。もちろん料理の技術なんてないですし、今思うと本当に怖いもの知らずというか…。でも、小さい時から味わってきた料理を舌が覚えていたんですよね。父の料理の所作を思い出しながら、母が作っていたクリームコロッケも入れたいな、なんて試行錯誤しているうちに、自然と父と母の料理を融合したようなスタイルが出来上がっていきました。 どうしてあの時、料理をやりたいと言ったんだろう。ずいぶん思い切ったなと今でも思います。なんとなく思い当たるのは、まだ奈良に居た頃によく立ち寄っていたカウンターだけの餃子屋さんの存在。朝方に行くと、いつもカウンターの端っこで旦那さんが寝ているんです(笑)。常連もご主人だって分かっているから、風邪ひくよって毛布かけてあげたり、好きなお酒を置いてあげたりして。そのお店のあたたかさが大好きで、いつかこんなお店がやりたいなって漠然と思っていたんです。 ー料理を通して何ができるだろう。自問自答を続けて導きだした答え 2017年、ケータリング事業として「惣々」を立ち上げ、個人で活動を始めましたが、次第にノウハウをちゃんと学びたいと思うようになり、ケータリング事業部がある会社に就職。その頃は子どもが生まれていたので、子育てと仕事の両立を模索していた時期でもあります。その後、飲食店を営む友人に声をかけてもらい、ランチの時間店舗を間借りして定食屋さんを出すことに。メインは、肉吸い定食。私が一番好きな母の料理です。味もしっかり覚えているし、この辺のお店にはない料理だしと肉吸いと日替わりを出す「定食屋惣々」を開店。一年ぐらい続け、お店を閉めてからは知り合いの居酒屋のオーナーに声をかけていただき、そのお店のお惣菜を作らせてもらっていました。 場所を転々としながら考え続けていたのは、料理というツールを使って私は何ができるだろうかということ。私が料理の世界に入ったのは遅かったので、周りの料理人たちはもうすでに一本筋が決まっている人ばかり。そのせいか、すごく焦っていたんです。悩んだ結果、日本料理を一から学ぼうと銀座の高級料亭で修行することに決めました。修行を続ける中で、社長から「将来はどうしたいんだ?」とよく聞かれていました。技術も知識もまだ学ぶことがたくさんある。だけど、本当に私がやりたいのは、高級料理ではなくて、父と母の味、祖母の味、近所のコロッケ屋さんの味、そういう身近な料理だと気づきました。あの味を引き継ぐことが今の私にできることなんじゃないだろうか。立ち返ることができる料理、そういう存在の大切さを感じるようになっていたんです。懐かしさや安心感までが、私にとっての“美味しい”ということ。これからは、私の記憶を料理にしていこう。それを食べた人を笑顔にできたら、そんな幸せなことはないなって。 ー人を喜ばせることが一番の原動力。私にしかできない料理をつくりたい そして料亭を辞めて、父親の元で勉強しながら、母の味をたんまり味わおうと実家に1ヶ月帰ることにしました。時間が空いたある日、久々の検診に行ったところ子宮の病気が発覚。今までの人生では、もっとやってみたい、経験したいことがたくさんあった私。でも病気が見つかったことで、本当に好きなことだけを仕事にしたい。料理人という固定概念に囚われずに、私にしかできないことをやりたい。心からそう思うようになりました。今は、「気取らない料理」をテーマにケータリングや出張料理を中心に活動しています。先日は初めて海外へ。旦那が内装・設計デザインした友人の営むオーストラリア・メルボルンのレストランでPOPUPをしました。「どこか懐かしい味。実家を思い出して泣きそう!」「小さな日本を連れてきてくれてありがとう。」と、お土産になる言葉をたくさん頂きました。私の中で、料理と人はセット。私が人に返せるものってやっぱり料理ですし、食べてくれる人がいる限りは、ずっと作り続けたい。お腹が減ったと聞けば、「作るからいっぱい食べな!」という気持ちになります。私の料理が誰かの役に立つならいつでも作るよって。どんなに疲れて帰っても、家族からの「おかわりある?」という言葉がその日の最高のご褒美になり、それがあるからまた次の日も頑張れる。人を喜ばせることが一番の原動力。だから私は料理人っていうより、みんなのお母さんでいたいんですよね(笑)。そしていつか、大好きなあの餃子屋さんみたいな、みんなが集えるあたたかいお店を形にできたらいいなと思うんです。 ■ 石川 早乙美 / 料理人、「惣々(そうそう)」主宰 奈良県生まれ。父が日本料理屋「万惣」の料理人であることから、幼少期から食に親しむ環境で育った。介護職、フリーランスPRを経て、料理の世界へ。2017年にケータリング事業「惣々(そうそう)」を始動。定食屋の開業、おばんざい・お惣菜屋の料理長、懐石・割烹料亭での修行などを経て、おもてなしの心を忘れずに、日本食の素晴らしさを伝えていきたいという想いを強くした。現在は出張料理人、ケータリング事業を中心に活動中。 instagram: @soso_souzai Photo : Nishitani KumiText&Edit : Nao KatagiriInterview&Direction : cumi...

# 自分らしく生きる

自分の感覚に呼応することで見えてきた進むべき道 ―ネイル、アート、そして耳ツボと― 関根祥子さん

ネイリスト歴17年、お客さんとのコミュニケーションを通して創り出す唯一無二のデザインで人気を集めるネイリストの関根祥子さんは、今年の5月、11年間続けてきたご自身主宰のネイルサロン「mojo NAIL(モジョ・ネイル)」を休業しました。日夜、代官山のサロンでお客さまと向き合いながら、その合間を縫って数々の著名な人々との仕事をこなし、精力的に活動してきた中でサロンワークを休止した理由。15年以上ノンストップで駆け抜けてきたこれまでのこと、気持ちの変化と現在地。新たに取り組んでいる「耳ツボ」とこれからについて、お話を聞きました。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 顔の見えるものづくりにこだわる私たちは、オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかな」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 ー美容師を志すも、体調不良からネイルの道へ 子供時代を振り返ると、活発な子だったと思います。覚えているのは折り紙とか、手先を使う作業が得意だったこと。クラスメイトから「折り紙博士」って呼ばれていました。(笑) 自分で何か作ったり、それを教えたりするのも好きな子供でしたね。 そんな子供の頃からなりたいものが美容師。小学校のアルバムに「美容師」と書いて以来その夢が変わることはなく、高校を卒業してそのまま美容専門学校へ進学しました。専門学校卒業後も順調にヘアサロンへ就職してアシスタントから始めたんですが、実は学生時代からとても生理痛が重いことが悩みで...。それが二十歳くらいの時にさらにひどくなり、仕事にならないくらい体調が悪化。 子宮内膜症だったことがわかり、サロンと相談をして治療に専念するために実家へ戻り休養することになりました。そしてその期間にネイルとの出合い、というか再会が。実は、専門学校のカリキュラムでネイルも少しだけ教わっていたんです。当時は美容師になることが目標だったのであまり気に留めてなかったんですけど、割と得意だし、好きでした。地元でネイルサロンをやっていた先輩が「体調が良い時に来たら?」と声をかけてくれて、そこから時々遊びに行ってはネイルチップで作品を作って置いてもらっていました。それがお客さんの目に留まって「このネイルをやりたいと言ってる人がいるよ」と。それをきっかけに友達やそのまた友達にネイルをさせてもらうようになりました。そこで自分のお客さんを持てたことが楽しくて、「ネイルって面白いかも!」と思い、ネイリストとしての道にチャレンジすることに。当時は長時間の立ち仕事が難しかったので、座って仕事ができるところも後押しになりました。 ー「mojo NAIL」の立ち上げからコロナ、そして耳ツボとの出合い 決意してからはまず、ネイルの検定資格を取ってサロンワークをしました。表参道で2年、中目黒で3年ほどサロンワークをした後に、独立して「mojo NAIL」を立ち上げたのが12年前ですね。 そこからはありがたいことに順調にお客さんが増えて、モデルさんや俳優さんとの様々な撮影を始め、サロンワーク以外のお仕事も充実していきました。その合間に定期的にまとまったお休みをとっては大好きな旅に出て、休憩とインプットをする生活を楽しんでいました。 そこから変化があったのが4年前のコロナの頃。コロナがピークの時はお店を閉めていましたが、サロンではマンツーマンでネイルをしていたこともあり、お客さまとの信頼関係によってコロナ前と変わらずサロンワークはしていました。でもステイホームが呼びかけられ、国内外への旅行になかなか行くことが出来なくなっていた時期があり、必然的に仕事と向き合う時間が多くなっていました。そんな日々が続き、2年ほど前にガクッと体調の変化を感じて。手や肌が荒れたり、常に疲れが取れない、思うように身体が動かないなど、今までとは違う感覚に戸惑いながらも、これまで向き合ってこなかった身体のことが気になり始めて。そこからいろんなことを勉強したり、試してみたりとしている時期がありました。試行錯誤しながら、自分のケアと仕事のバランスを探す中で、友達が「耳ツボ、いいよ!」って教えてくれたんです。早速耳ツボをしてもらったら、帰りにびっくりするくらい身体が軽くなったんです。その時に「すぐに学びたい!」と思い、耳ツボセラピーを学びに行きました。耳ツボを知る中で中医学のこと、陰陽五行などの勉強を始め、去年、耳ツボセラピーのディプロマを取得。そこから少しずつ、友達やネイルのお客さんに耳ツボを施術するようになりました。 ー12年目を目前にネイルサロンを休止、その経緯とは? 今年の5月にサロンワークを休業したんですけど、実はそう思い立ったのはそこから3ヶ月前の2月でした。思い返せば10年以上「mojo NAIL」が中心の生活を送っていたんですよね。コロナ禍でさらにそれが加速して、気付けば自分の生活がままならなくなっていました。週に6日から7日、サロンで朝から晩まで働いて、帰ってきたらベッドに倒れ込む。そして朝方4時頃に目を覚ましたら、お風呂に入って少し寝てまた出勤するという日々でした。そんな生活の中で「自分は何をやっているんだろう」と思ってしまって。自分のキャパシティを大きく超えて、心身のバランスが全然取れていない状態でした。そんなある日、夜にボーッとしていたら「辞めてみよう!」って何かが落ちてくるようにストン!!っと思って(笑)。そしたらすごく気持ちが楽になりました。そこからの3ヶ月はよりネイルの楽しさ、サロンワークの楽しさをダイレクトに感じた時間でしたね。 お客さんにそれを伝えた時の反応は「ついにその時が来たか」という感じでした。実は去年、サロンオープン10周年を記念して個展を開催したんです。ネイルをした時に筆を拭いたキッチンペーパーや、ピンときた色合いの廃材、それらと旅先で撮った写真を合わせて作品にしたり、ドローイングしたり、手元だけを映した映像作品を作ったり、ネイルに関する過去のあれこれと何かを合わせて新しいものを作って披露した個展でした。自分にとってはただ節目の年ということを理由に開催したつもりだったんですけど、今思えば変化を求めていたんだろうなと思います。お客さんや友達には「関根さんはいつかサロンワークを辞める時が来るかもしれない」と感じとっていた人もいて。ネイルを通して相手と向き合ってきたからこそ、気づかないうちに私の心の動きも伝わっていたのかもしれないなって思いました。今思い返すと、当時は毎日パンパンに予定を入れて、仕事をこなしていることがステータスだったし、そこに安心感もあった。そうして働いていることが自分の自信になっている自覚もあったし、辞めてしまうと自信まで無くしてしまいそうで怖かったんだと思います。新規のお客さんの受付けをストップしたり、仕事を減らそうとしてみたりしたこともあったんですけど、やっぱりどうしても気持ちが休めなくて…。そうして身体がおかしくなるギリギリのラインに来た時に、自分の意思を超えて「辞めよう!」と思ったんだと思います。辞めてからは、しっかりと休むために1ヶ月くらい海外へ行きました。ヨーロッパ、北欧のエリアをぐるりと。 ー1ヶ月の海外生活、帰ってきた時に感じた東京について 辞めようと決意した後も、海外へ出てからも突発的に不安が込み上げてきたことはありました。これまでは海外で充実した時間を過ごしながら、帰れば仕事があるという安心感があったけど、果たして今回の決断はあっていたのか?みたいな。それでも海外にいる間に少しだけ持っていったネイルの材料を使ってポップアップをやらせてもらったり、気持ちも何段階か経たりしているうちに、不意に「大丈夫、私は間違ってなかった!」って思えるようになりました。ネイルも耳ツボもどこでもできるし、お金がなくなったら働けばいいんだって気楽に考えられるようになった時、一気に不安から抜け出して、自分は進みたい道へ進んでいると感じられたんです。  そんな1ヶ月を過ごした後7月下旬に東京に戻って来て、その時に気づいたのは、私自身が自分の世界観を狭くしていたということ。「mojo NAIL」を自分で始めて、そこには1日にどのくらいお客さんが来て、こんな仕事をして、こういう存在でいなきゃ!って、自分で自分の世界を創り上げていた。でもそれを続けていく中で、いつの間にか東京という場所を窮屈に感じてしまっていたんだと。海外から戻ってきた時、昔なら「世界は広かった、日本は狭い」と感じたと思うんですが、今回は海外も日本も同じというか、どこにいても一緒で世界も日本も東京も広くて自由だと思えたんです。今までは友達に誘われても仕事で予定が埋まっていて動けないことが当たり前だったけど、今は声がかかったらサクッと出かけられるし思いつきで人とも会える。その身軽さ、時には不安とも表裏一体になれる自由を感じられるようになりました。最近では予定を詰め込まず、不意に出かけた時に寄り道したり、自分の気の向くままに移動したりしていると、いろんなものがきちんとフィットしてきて、気づけば1日にすごくいろんなことが起こっていて、良い出会いがあったり、美味しいものが食べられたり、そんな心地よさを味わえるようになりました。今は、予め決めたわけじゃない場所での出合いが私の人生に必要なことだと思える感覚を楽しんでいます。 ー今取り組む耳ツボと、関根さんのこれからのこと 今現在は、ネイルのお仕事を続けながら、耳ツボを通して人間の持つエネルギーや性質のすばらしさについてより深く勉強している最中です。二十歳の時に体調を崩して病院や薬が苦手になり、サプリやマッサージなど健康に関する様々なことを実践してきましたが、耳ツボをすると胸が開いて楽になったり、身体がポカポカしてきたり、すぐにその良さを体感できるんです。心まで楽にしてくれるところも良いなと思っていて。 (写真)左のペン状のものは耳ツボを押す際に使うフェイスポインター。中央上、アーユルヴェーダにヒントを得て作られたという「Daruma」のイアオイルを使った耳のマッサージを毎日欠かさない。右下には、小さく輝く耳ツボシールたち。 今はやりたいことが頭の少し上のあたりでモクモクしている状態。私の中でそれらがまだはっきりとは繋がっていないんですが、それが降りてくるのを待っています。私にとってはネイルも耳ツボも、個展で披露したようなアートもすべて、アウトプットする形が違うだけで同じことをしている気分。人間には、それぞれ様々な出来事や想いがあると思うんですけど、これからもネイルや耳ツボ、アートを通して人に寄り添えるものを提案したい。私は私を存分に楽しみながら、みんなにとって自分自身を楽しませるきっかけ作りができる人になれるといいなと思っています。 ■ 関根祥子 / ネイリスト、「mojo...

# HEALTH# 自分らしく生きる

暮らしの風景を創造できるような麦酒をつくりたい ー里山の原風景を紡ぐ夫婦の物語ー中村レイコさん

長野県・青木村の里山で「麦酒(ビール)」の醸造を行う「Nobara Homestead Brewery(ノバラ・ホームステッド・ブリュワリー)」の中村レイコさん・圭佑さんご夫婦。家族の住居と醸造所を兼ねた4000坪ものフィールドで「暮らしに根ざした酒文化の創造」をテーマに、自然の恵みを活かした麦酒づくりをしています。二人の子どもを育てながら醸造所の運営、フィールドの整備を担うレイコさんに、これまでの歩みと麦酒に込めた思いを聞きました。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると、私たちは考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかな」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 (写真)デザイン、広報も自ら一貫して担う ーデザインバックグラウンドを持つふたりの出会い もともと、都内でデザイナーとして活動していた夫と、同じく東京でデザインを基軸とした職場で働いていた私。がむしゃらに目の前のことをこなしていた20代、私の転機になったのは東日本大震災でした。震災後の社会への違和感や働き詰めの日々に疑問を感じて、日本を飛び出し単身スコットランドへ。このままではただ流されて生きていくことになるような気がして、リセットしたいと思ったのです。スコットランドでは、自分と向き合い、デザインというものを改めて捉え直したり、この先どうやって生きていこうかと人生を立ち返ったりすることができました。将来的に自分のブランドを作りたいと思うようになり、ブランドの立ち上げから学ぼうと、2013年の帰国後はブランディング業界で働きました。 夫と出会った時、お互いデザインを職業としていて、同じ関東圏の出身だったり、お酒が大好きだったりと共通点がたくさんありました。また、お互い若い時から順風満帆な道を歩んできたわけではなく、デザインに関しても現場での叩き上げでやってきた、みたいなところにすごく仲間意識を感じたのです。やがて、私のブランドを作りたいという思いや彼のモノづくりに挑戦したいという気持ちが合致して、一緒に麦酒を作ろうという話に。私たちが携わってきたデザインにまつわるあれこれを集結させたらきっと叶えられるだろう。そして、麦酒を作ることは私たちふたりの夢になりました。 (写真)念願の助産院で長女を出産 ー家の道しるべとなったパーマカルチャー 結婚後、2018年に第一子を出産。産後、体重の減少や手の震えなど体調が優れない日々が続き、その後の健康診断でバセドウ病を患っていることが判明。この頃、病気による感情の起伏の激しさや身体の不調、初めての子育て、コロナなど多くのことが重なり、私も夫もお互いにストレスを抱え、夫婦の関係性も悪化していました。お医者さんからは、病気を治すにはストレスをなくすことと言われ、生き方を見直すことを考え始めました。そんな中、神奈川県藤野町にあるパーマカルチャー・センター・ジャパンのデザインコースのことを知り、これで人生が変わるのではないかと直感的に感じました。ここに行けば、病気も家族の関係性も良くなるかもしれない。まだ娘が小さく不安もありましたが、夫と相談し、思い切って月に一度、泊まりがけのプログラムに参加することにしました。(写真)パーマカルチャー・センター・ジャパンでの講義風景 パーマカルチャーとの出合いは、本当に人生を変える出来事でした。私が生きたい世界はこれだ、これなんだ、と心が震えたことを覚えています。1年間受講した後、次は夫にバトンタッチ。夫婦共に学んだことで、これからの暮らし方、麦酒作りへのビジョンを明確に描くことができるようになりました。パーマカルチャーの考えに沿った自然と共にある暮らしを実現することで、これまでうまく運んでいなかった全てのことが解決するだろう。そう確信し、東京ではない場所を探し始め、巡り合ったのがこの地です。大正時代から受け継がれてきた住居と自然豊かなフィールドを抱えたこの場所を初めて訪れた時、幼少期の原風景がふと思い出され、ここで生きていることを感じられるような暮らしをしたいと強く思いました。そして、2021年に移住。居を改修し、フィールドを整備しながら醸造所を作り始めたのです。(写真)既存厩舎を生かし取りして組み上げた客席部の建前(写真)醸造を担当する夫の圭佑さん ー暮らしに寄り添い、命を感じられるような麦酒を作りたい “生きること”をするために何をしていこうか、と考えた時、私たちの答えは“人の身体に入れて出せるものを作る”ということでした。私たちは食を通して命を循環させている生き物です。麦酒は海外で生まれたものですが、原料の麦は、昔から食べ物として日本人の身体に入ってきたもの。私たちは「麦酒」を作っているというより、日本で生まれた「麦酒」という食べ物を作っているという感覚がしっくりきています。食べ物を作っているということは、すなわち命を作っているということ。素材もなるべく自然に寄り添ったもの、この土地にあるもの、季節に寄り添ったものを使い、命を感じられるような麦酒を作っていきたい。美味しいというのはもちろんのこと、飲んでくれた人がここの美しい情景までが浮かぶような麦酒作りを目指して日々真摯に向き合っています。私たち夫婦の幼少期の記憶として、親戚が集まって麦酒を飲んでいた姿が強く印象に残っています。そのせいか、日常にもお祝いの席にもあるお酒というものがすごく好きなんです。麦酒は、人との繋がりを強めてくれるものだと思っていますし、麦酒だけではなく、お酒がつくるコミュニティも醸造していきたいと考えています。人が食と麦酒を囲む暮らしの風景を作っていきたいんです。 ーこの地に生きにきたけれど、死にもきたのだ  移住して初めの年は畑を作って、コンポストを作って、オフグリッドにしてなど、思い描いていたことを様々やってみたのですが、その結果すごく忙しく大変になってしまいました。畑にしても家族だけでは消費できないぐらいの野菜ができてしまって。余剰は分け合うというパーマカルチャーの考えがあるのですが、人に分けてもまだ余るぐらいでした。土に還すこともできるけれど、それもどうだろうとモヤモヤ考えているうちに二人目を妊娠していることがわかり、二年目はお休みしました。すると、地域の方達から家族が生きていけるぐらいの量の野菜が運ばれてきました。野菜はもう十分に地域に循環していたんですね。ということは私たちがこれ以上作る必要はなくて、他にやるべきことがあるんだと考えるようになりました。やがて季節が巡り、庭になった美味しい柿を皆さんに返しました。昔この土地を開拓した人たちが植えた果樹が、今見事に実をつけてくれている。何十年もの月日を経て、今その恵みを私たちがいただいているということ。これこそを循環というのではないだろうか。循環する仕組みというのは、無理をしなくてもアクセスできるものなのかもしれない。これは、この暮らしをもってしか分からないことでした。今も、循環とはどういうことなのか、少しずつ、少しずつ噛み砕いて考えています。(写真)地名に由来する奈良品種の柿が実る  (写真)自生している植物はなるべく使っていきたい 私たち夫婦も人生折り返しに近づき、この地には生きにきたけれど、死にもきたのだということを感じています。生きると死ぬということがグッとつながったのです。生き物と共存した生態系の中では、最期は土に還ります。いつか土に還るために、私たちは何をしていくの?ということを意識するようになりました。近い将来には、敷地内の樹木や、果樹、薬草や穀物といった、生きるために必要な食料の知恵を皆さんに伝えていきたいと思い、ゆくゆくはこの場所をBrew(醸造する)と、Library(図書館)から成り立つ造語「ブリューブラリー」として地域に開き、誰もが立ち入れて学べる場所にしたいと考えています。この暮らしが始まって、まだ三年。やりたいこと、課題は山積みですが、今の私たちの関係性ならば、一緒に思案しながら解決していけると思うんです。 ■ 中村レイコ / Nobara Homestead Brewery フィールド・ファーメンテーション・ディレクター 空間・イベント・グラフィック等、 クリエイティブの分野に広域的に従事。 3.11を機にスコットランド・エディンバラに留学。2021年に長野県青木村へ移住。麦酒醸造所「Nobara Homestead...

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「肌ざわり」がわたしたちにもたらすもの File04 ー人と自然をコネクトする線になれたらー 新美文栄さん

「オーガニックコットンという素材のやわらかさで誰かの心を少しでもやわらかく、軽やかにしたい、もっと言えば、世界をもやわらかくしたい」と考える私たちが、さまざまなフィールドで活躍する人々にフォーカス。独自の感度を持つ人々に日常や身の回りのこだわり、惹かれるものについてお話を聞きながら、肌ざわりと心の関係性を紐解きます。今回は、ジュエリーブランド「LiniE(リニエ)」のデザイナー新美文栄さんにインタビュー。ブランドの歩み、そして宮崎と東京の二拠点暮らしについても伺いました。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 顔の見えるものづくりにこだわる私たちは、オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかな」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 ー身につける人が心地良いものを作りたい --まずはじめに、新美さんがジュエリーの世界と出合ったきっかけを教えてください。 新美:高校を卒業して美大のランドスケープデザイン科に入ったのですが、ある授業で「町を歩いて、町づくりにおける問題点を見つけてリデザインする」という課題がありました。そのフィールドワークで毎日40分ぐらい歩くことになり、その時にふと自分が気になったものを拾ってみようと思い立ったんです。1ヶ月ぐらい続けていると、拾ったものに金属のものが多いことに気がつきました。子供の頃から、鉄屑や錆びたもの、古いものが好きだったんです。ちょうど将来をどうしようかと考えていた最中で、彫金だったら自分で金属の加工ができるし楽しいかもと興味が湧きました。 --それで彫金の道に?新美:いえ、先生に相談すると、もう遅いよって言われてしまって(笑)。もっと早く言えば工芸科に転科できたけど、4年生のこんな時期に言われても無理だよって。その時、なぜか先生が「これやるよ」って、フラックスという溶接するための粉をくれたんです。卒業後、グラフィックデザイナーとして地元の愛知で就職したのですが、辞めて次どうしようかなと考えていた時、家に置いてあったフラックスが目に入って、私彫金をやりたかったんだと思い出しました。それで、ジュエリーの教室に通い始めました。 --ブランドとしてスタートしたのはどんなきっかけだったのですか?新美:その頃、名古屋で弟と一緒にスノーボードとサーフィンのお店をやっていたのですが、ある時に東京の友達から、合同展のブースを取ったから出店しない? と誘われて。それを機に名前を決めて、ラインナップを揃えて出したのが「LiniE(リニエ)」の前身となるブランドの始まりです。そこでいくつかのメーカーさんや洋服屋さんにOEM(※1)やってみない? と声をかけていただいて、オーダーをもらって作るということをやり始めました。シルバーを中心にレザーなどを取り入れたユニセックスなものが中心でしたね。8年程続けて安定はしていたのですが、手作りでやり続けることがすごく大変になってきたこと、また私も年齢を重ねてゴールドもやってみたいなと思うようになり、新しくブランドを立ち上げることにしました。 ※1:OEMメーカーが他企業の依頼を受けて製品を製造すること。  --「LiniE(リニエ)」の立ち上げにつながるのですね。OEMという形で求められたものを作るというところから、等身大の新美さんがほしいものを作ろうと。新美:そうですね。最初のブランドはもう少しアートっぽいというか、自分のクリエイションの表現がしたいという気持ちが強かったのですが、「LiniE(リニエ)」はつけ心地が良く、ずっと末長く使ってもらえるものを作りたかったんです。 --何かマインドが変わるきっかけがあったのですか?新美:ちょうど中目黒の大図実験(DYEZU-EXPERIMENT!)(※2)でアトリエをシェアしていた頃だったのですが、周りは個性の強いアーティストばかりの中、最初コンプレックスみたいなものを感じていました。前身のブランドではOEMをやっていたので、クライアントさんがいての仕事。私って自分の表現ができているのかな、なんて弱気になったりしたんです。でも、みんなと過ごすうちに、強いものばかりがいいわけではないし、ありのままの自分、自然体の自分を受け入れられるようになっていきました。むしろそれが私のスタイルだと。それですごくラクになって、「LiniE(リニエ)」の誕生につながっていきました。 ※2:大図実験(DYEZU-EXPERIMENT!)2001年、中目黒の目黒銀座商店街の一角に誕生したギャラリー兼作業スペース。2005年に建物が取り壊されクローズするまで、国内外の表現者が集い、日々アートが生み出された。 ー転機となった天然石との出合い --「LiniE(リニエ)」としては、これまでどのように変化してきましたか?新美:「LiniE(リニエ)」として7年目を迎えた2012年に、アメリカのアリゾナ州ツーソンで毎年行われている石の展示会で、インクルージョン(内包物)が入り混じった天然石と出合いました。それまで石というとダイヤやルビーのようなイメージしかなく、あまり興味がありませんでした。混じりものがなくて、より大きく、より輝いているものこそ価値が高いという宝飾の世界とは全く違って、長い年月をかけて自然が生み出した表情をありのまま生かすという石の世界を知って衝撃を受けました。一つ一つ違う個性を持つ石の美しさを目の当たりにして、これでジュエリーを作りたいと思ったんです。この出合いは、大きな転機になりました。 --今では「LiniE(リニエ)」のコレクションに石は欠かせない存在ですよね。 そうですね。当時はまだインクルージョンの石は日本で珍しくて、お客さんからは「何これ?樹脂?」なんて聞かれたりしていました。「LiniE(リニエ)」というブランド名はドイツ語でLINE(線)を意味するのですが、人と自然、人と人や、自分自身をコネクトする線になれたらいいなという思いを込めたんです。石を使ったデザインをするときは、石のエネルギーをより感じてほしいので、肌と石が近くなるように作っています。そうすると、身に着ける人の肌の色味が石の色に反映されたりするんです。天然石自体、他に同じものはないし、その人が身に纏うことでさらに唯一無二の存在になると思っています。 ー都会も自然もどちらも欠かせない存在 --宮崎と東京の二拠点生活をされているそうですが、今の暮らしについて聞かせてください。 新美:3.11の震災の後、当時住んでいた神奈川県の秋谷を出て実家のある名古屋に戻り、しばらくしてからは表参道にアトリエを借りて、名古屋と東京を行き来していました。でもある時、ポップアップのために訪れた宮崎の土地にすっかり魅了されました。父親が海好きだったので、子供の頃、お休みの日はヨットで島に行くとか、いつも自然の中で過ごしていたんです。その影響か、海の近くに住みたいという思いがずっとあって。その後、今の旦那さんと出会い、結婚して、宮崎へ引っ越しました。東京のアトリエは継続し、生活のベースは宮崎で、月に1週間ぐらいを東京で過ごすという形で行き来をしています。 --それぞれの拠点は、新美さんにとってそんな存在なのでしょう? 新美:どっちがオンオフというのはあまりないのですが、宮崎はサーフィンをするなど、自然の中にいて自分を整える場所。一方、東京はクリエーションの刺激を受け、発表する場と考えています。どちらも私には必要な場所です。--どんな環境が新美さんにとって心地良いと感じますか? 新美:私の場合、生活の中に海があるというのが大きくて、例えば、夕方、サーフィンで波待ちしている時に、夕陽と自分が一体になった感覚のような、そういう瞬間を得た時にものすごく心地良さを感じます。そういう意味でも、私の暮らしの中でサーフィンは欠かせない要素になっています。 --では最後に新美さんが選ぶ、心地良い「肌ざわり」のアイテムについて聞かせてください。 新美:「unefig. (ユンヌフィグ)」のシルクのパンツです。100%国産のシルクで作られていて、冬は温かく、夏は通気性がいい。シルクの原料である蚕の繭は、蚕の身を守るシェルターのようなものと聞きましたが、このパンツを身に纏っているとなんだか守られている感じがして、とても心地良いんです。 ■ 新美文栄さん...

# SOFTNESS

「肌ざわり」がわたしたちにもたらすもの File03 ー身に纏うもので心も癒されるーMOMO SUZUKIさん

「オーガニックコットンという素材のやわらかさで誰かの心を少しでもやわらかく、軽やかにしたい、もっと言えば、世界をもやわらかくしたい」と考える私たちが、さまざまなフィールドで活躍する人々にフォーカス。独自の感度を持つ人たちに日常や身の回りのこだわり、惹かれるものについてお話を聞きながら、肌ざわりと心の関係性を紐解きます。 今回は、ファッションブランド「BLACK CRANE(ブラック・クレーン)」のデザイナーMOMOさんにインタビュー。肌ざわりや素材へのこだわり、心地よい暮らしについて伺いました。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると、私たちは考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかい」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 ー自然の中で五感を育んだ子ども時代を経て、14歳でアメリカへ --MOMOさんは、どんな子ども時代を過ごされたのですか?アメリカに移住する14歳までは、東京都多摩市で育ちました。自然豊かな心地良い土地で、母と河原で蕗の薹を探したり、里山でキノコやタケノコを採ったり。採れた食材を台所で母が友人たちと賑やかに料理しながら、食す喜びを人とシェアしている姿がとても好きでした。他にも、柿の葉を拾いに行き、柿の葉寿司の色彩を意識しながら大皿に並べるなど、目と心で食す喜びや五感を通じて得る些細な体験が今の自分を形成していると思います。  --自然体験を通じて得た感覚が今のMOMOさんの物づくりにもつながっているのでしょうか。そうですね。両親の様々なジャンルの友人達からもインスピレーションを無意識に受けていたと思います。8歳の頃から母の画家の友人から絵を習っていたのですが、空気の流れを想像し描く抽象画、数分のクロッキーや静物画など、どれも内容がユニークでとても好きでした。先生は生徒が描き終えるまで何も口出しせず、自分で完成したと思ったら先生に見せに行き、絵を遠くに置いて一緒にしばらく眺めながら先生に問われるんです。「どう思う?」って。主観的に描いた後に客観的に作品を観て、自分で答えを見つける最後のステージはいつも緊張しましたが、それは私の今の物づくりにおいても欠かせないプロセスになっています。 --ロスに渡った後は、どんな道を歩まれたのですか?大学では環境アート、インテリアを学び、卒業後はインテリア事務所でしばらく働いていました。とても楽しかったのですが、自分にはスケール感が合っていない気がして悩んでいた事もあり、独自で作れるホームディコアとして皮をモールドした小物をガレージで制作し、日本やロスのインテリアショップで少量ですが販売していただいていました。モールドに使用する型を作るのに必要な木工旋盤がないので、仕事の後にコミュニティーカレッジの夜間クラスで授業の課題と全く関係のない木工型をひたすら木工旋盤で削っていました(笑)。 ―「BLACK CRANE」の誕生。いくつになっても纏いたいシーズンレスの作品を作りたい --その後、「BLACK CRANE」のデザイナーになったのは、どのようなきっかけだったのでしょう?アパレルブランドを経営している夫のアシスタントが日本に帰国し、ちょうどインテリア事務所を辞めた私が彼のアシスタントになったのがアパレルの職に就いたきっかけです。数年後、2009年に夫がレディースブランド「BLACK CRANE」を立ち上げ、自然な流れで私がデザイナーになりました。鶴が象徴する幸運、長寿、平和の意味をブランドに反映したくて「BLACK CRANE」と名付けました。 --「BLACK CRANE」の衣服には自然素材を使われていますが、どのような思いで素材を選んでいるのですか?素材選びに関しては、そのまま寝てしまっても着心地の良い、素肌で安心して着られるものでありながら、再生可能、生分解性があり、長持ちする天然素材を使用しています。環境負担が非常に大きいアパレル産業として自分たちに出来ることを今も模索中ですが、当初から生産における無駄を最小限に抑えるため、在庫を抱えない受注生産方式、1年に2シーズンの生産スタイルにしています。染料には、有害な化学物質や媒染剤を含まず、染色工程で使用する水量を大幅に削減した、低環境負担染料を使用しています。 また、15年以上の付き合いがある地元の製造パートナーの元で生産をしているのですが、互いの価値観を理解するために生産シーズン中は毎朝工場でミィーティングをしています。開発段階においては、無駄を抑えるために生地を最大限に使用するデザインと構成についても何度も工場と話し合います。流行り廃りで有効期限をつける商品ではなく、いくつになっても纏いたいシーズンレスの作品を作りたいと思っています。 ーオン・オフにメリハリをつけ、日々の小さな喜びや幸せを見つける --衣服は生活の道具として、機能的であり、ストレスフリーであるべきだと掲げていらっしゃいますね。肌ざわりへのこだわりについてはいかがですか?皮膚は第三の脳と呼ばれるほど、皮膚と脳は密接な関係にあるそうです。気持ちの良い肌ざわりは心地良さだけではなく、心も癒してくれます。ですから、身に纏うものは大切に選びたいですね。 --MOMOさんにとって心地良い肌ざわりのアイテムについて教えてください。15年以上大切にしているPerry Ellis(ペリー・エリス)のヴィンテージシルクシャツに勝るものはないです。滑らかで軽く、羽織っている事すら忘れてしまうほど。それと、90年代からオーガニックコットンを生産しているアメリカのニット生地を使用したBLACK CRANE ESSENTIAL COLLECTIONのアイテムです。顔を埋めたくなるほどやわらかく滑らかなストレスフリーの部屋着・寝間着でのんびりするのが幸せです。 --他にも、自分らしくいるために暮らしの中で心がけていることはありますか?展示会期間以外の生活では、プライベートも充実出来るようにオン・オフにメリハリをつけています。ストレスを感じにくい環境で効率良く仕事をし、その日の仕事が終われば営業時間内でもスタッフも皆帰ります。帰りには夫と地元のファーマーズマーケットで食材を買い、ゆっくり夕食の準備をし、食後は1時間ほど二人で近所を散歩します。歩きながら自然の繊細な移ろいを感じ、日々の小さな喜びや幸せを見つけ、その瞬間に感謝して1日を終えます。--最後に、MOMOさんにとって心地良い生活とは?時間に囚われず、自然と交感しながらゆっくり生活する事が自分らしく、心地良いです。週末の午前中は猫が庭で昼寝をしている傍で土いじりをしたり、自分たちが住むずっと前からこの地を長年守ってきてくれている大きなユーカリの木の下でお茶を啜ったり。午後は家中の窓を全開にしてお香を焚き、平日のお弁当用の副菜作り置きをしていることが多いですね。時折、サーフィンをする夫と一緒に海に行きますが、早朝4時に出発なので気が乗った時だけついて行きます。無理はせずに、自分自身との関係にバランスを保つことで自分らしくいられるのだと思います。 ■ MOMO SUZUKIさん/BLACK...

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「妹のために」から始まった人と地球に優しいものづくり ―環境活動家が手がけるオーガニックコスメー露木しいなさん

妹の肌荒れがきっかけとなり、高校生の時から肌にやさしいコスメ作りをはじめたという環境活動家の露木しいなさん。昨年には、人と地球に優しいオーガニックコスメブランド『SHIINA organic(シイナ・オーガニック)』を立ち上げ、日本初の国際基準コスモスオーガニック認証を取得したリップをリリースしました。原材料の調達から、使い終わった後まで、すべての工程に配慮されたリップには、環境活動家としての露木さんの想いが込められていました。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 顔の見えるものづくりにこだわる私たちは、オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかな」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 ―幼少期の自然体験が「環境活動家」としての原点に 「環境活動家」としての私の原点は、幼少期の体験にあります。横浜の都会に生まれ育ったのですが、通っていた幼稚園は「トトロ幼稚舎」という野外活動が中心の園でした。日々自然の中に身を置くことで、私はとても自然が好きになりました。遊具のように決まった遊び方をするのではなく、自然の中で自由に遊びを創り出すことがとにかく楽しかったんです。(写真)幼少期を過ごしたトトロ幼稚舎。お鍋のふたをまな板にして料理中 大好きな自然が失われつつあると知ったのは、私が高校の3年間を過ごしたグリーンスクールに入ってからです。インドネシアのバリ島にあるグリーンスクールは、建物が全て竹でできていたり、電気は全て再生可能エネルギーが使われていたりと、 “世界一エコな学校”として知られるインターナショナルスクール。英語を学びたいと考えていた私に、母が見つけてくれた学校でした。調べてみるとおもしろそうな学校だと分かり、迷わずに進学を決めました。環境問題に強い関心があってグリーンスクールバリを選んだわけではありませんでしたが、ここで過ごす中で、地球上で今何が起きているのか、また環境問題というのは自分たちの暮らしと密に関わり合っているということを学びました。(写真)インドネシア・バリ島にあるグリーンスクールバリ。スクールの象徴でもある竹で建てられた校舎(写真)露木さんとクラスメートたち ―行動を起こすのに、大人になるまで待たなくてもいい 卒業後は帰国して日本の大学に入ったのですが「待ったなしの環境問題のことを早く周囲に伝えなくては!」という思いに駆られて休学。まずは知ってもらうことからと、全国の小学校から大学までを訪れ、気候変動など環境に関する講演を始めました。最初は自費で出向いていたこともあったのですが、ちょうど学校教育として、SDGsや環境問題を授業で取り上げるタイミングと重なったこともあり、環境について話してほしいという依頼をよくいただくようになりました。私が日本の若い世代に伝えたいのは「何か行動を起こすのに大人になるまで待たなくてもいい」ということ。私自身、グリーンスクールバリで同級生が環境問題へアクションを起こす姿に刺激を受けてきたこともあり、いつでも行動していいんだよということをこれからの社会を担っていく人たちに伝えたかったんです。その一心で全国を駆け巡り、気がつけば訪れた学校は220校以上にも及んでいました。 ー「SHIINA organic」は肌の弱い妹のためのコスメ作りから始まった 妹が市販の化粧品で肌荒れを起こしてしまったことがきっかけとなり、肌の弱い彼女が安心して使える化粧品を作りたいとグリーンスクールバリ在学中に研究を始めました。そのものづくりが派生していき、去年はクラウドファンディングを活用して100%自然由来のオーガニックリップの開発資金を集め、その後「オーガニック」「サスティナブル」「透明性」を追求したコスメブランド『SHIINA organic』をリリースしました。私の妹に限らず、リップを塗って唇が荒れてしまった経験がある人って結構多いと思うんです。自然派を謳う化粧品はたくさんありますが、自然由来の成分であれば誰でも使えるというわけではありません。むしろ自然界のものだからこそパワーが強すぎてしまうこともあります。特に唇は鼻に近いということもあって、匂いに敏感な人にとって香りはすごく気になるポイント。オーガニックの製品は石油由来の原材料が入っていないため酸化しやすいというデメリットがあり、その酸化特有の匂いを打ち消すために香料を使っていることもあるんです。だから『SHIINA organic』では、できる限り香りが強くない原材料を厳選しました。(写真)グリーンスクールバリ在学中にコスメ作りの研究を始めた(写真)露木さんが手がけるSHIINA organic また、オーガニック化粧品は発色が良くないというイメージを払拭したくて、色にもこだわりました。石油由来の成分を使えばどんな色味でも作ることができますが、100%自然由来ということは自然界に存在する色しか使えません。コスメ業界では、リップをリリースするなら最低でも10色のラインアップを出すのが一般的だと言われましたが、『SHIINA organic』では4色を出すことが精一杯。自然界に存在する色だけを採用して、どこまで使いたいと思ってもらえるような色を作り出せるか。これもものすごく試行錯誤した点です。 ーものづくりをする人の責務は、求められている以上のことをやること コスメって、使い切れないことを前提に買う人が多いですよね? だから使い切ることを前提としたサイズにしたかったんです。化粧品としては規格外の小さな容器になるのでロットが難しいのですが、工場の方々にも応援していただき今の形を実現することができました。また、容器は好きな色を詰め替えできるリフィル仕様にしました。商売として考えると、買い換える時は容器と中身を両方買っていただく方が採算は取りやすいのですが…。 そもそも、オーガニック化粧品って原価率がものすごく高いんです。私は「妹のために」というところからスタートしたこともあって原価率のことなどあまり考えていなかったのですが、実際に自分で作ってみて痛感しました。だから大きい会社はオーガニックコスメに手を出しにくいのだと思います。でも世の中には妹と同じように必要としている人がいる。だったら小さい規模でいいから私自身がやろうと思ったのです。そしてせっかくやるなら、みんながやらないことをやらないと意味がない。だからこそ、社会問題の解決につながるような製品にしたかったし、製造過程の透明性もすごく意識して、パッケージには、製品ができるまでの製造過程が見られる映像へのQRコードを印字しました。でも正直、私と消費者との思いにギャップがあるのでは、と感じることもあります。もしかすると消費者はそこまで詳細に原材料を知ることなど求めていないのかもしれない。だけど、求められている以上のことをやることが、ものづくりをする人の責務だとも思うんです。 ー目指すのは、環境活動家がいらない社会 私は自ら環境活動家になりたいと思ったことは一度もなくて、気がついたら活動家になっていたという感覚なんです。むしろ私が目指しているのは、環境活動家がいらない社会。今は講演活動にも区切りをつけて、次のステージについて考え始めました。ブランドとして商品を販売していますが、私がしたいことは“物を売ること”ではありません。ブランドとしてその先に何ができるのか、悩みの真っ只中にいます。そして、『SHIINA organic』としても私個人としても、まもなく訪れるであろう小さな転換期を楽しみにしているんです。 ■ 露木しいな / 環境活動家・SHIINA organic代表 2001年横浜生まれ、中華街育ち。「世界一エコな学校」と言われるインドネシアの「Green...

# ORGANIC# TRACEABILITY

中医学で考える月経との付き合い方 ー体質に沿った養生法と薬膳食材ー 藤井愛さん

自らの不調をきっかけに中医学と出合い、現在は中医薬膳営養師として活動する藤井愛さん。ワークショップや講座を通じて季節や体調に合わせた養生法を伝え、女性の心身を暮らしの中の身近なところからサポートしている藤井さんに、身体が変化しやすい30~40代をすこやかに過ごす秘訣を教えていただきました。月経の症状を4つのタイプに分けて考える、体質ごとの養生法とおすすめの薬膳食材もご紹介します。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 顔の見えるものづくりにこだわる私たちは、オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかな」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 ―中医学ってどんなもの? 中国の思想や哲学をもとに古代から発展してきた中医学を簡潔に説明することはとても難しいのですが、あえて一言で表すなら「バランスの医学」だと思います。例えば、私たちの身体は、五臓(肝・心・脾・肺・腎)と六腑(小腸・大腸・胃・胆・膀胱・三焦)が互いにバランスをとることで成り立っています。そして、そのバランスが良く働いている状態を“健康”と捉えます。ですが、そのバランスを取り続けることは簡単ではありません。イメージするなら、ロープの上をずっと綱渡りで歩いていくようなもの。健康な状態を保つには日々心身の声を聞き、ケアすることが必要です。汗をかいたら水分を補う必要があるように、今身体に何が足りていないのか、逆に何が足り過ぎているのか。そのバランスを考えて、補ったり、排出したりしながら身体を整えることが中医学の基本となります。 ―不調を持ち物にしない 30〜40代の女性と話をしていると、頭痛や不眠といった小さな不調を当たり前のように抱えている人がとても多いことに気がつきます。今はやり過ごすことができる不調でも、それが10年積み重なれば大きな病となってしまうことも。プチ不調は放置せずに、すぐにケアするようにしましょう。女性特有の悩みは、冷えと運動不足からきていることも多いです。日光を浴びること、しっかり体を動かすことを基本とし、漢方やお灸、食養生などのセルフケアも取り入れてみてください。面倒に感じることもありますが、どんどん試して自分に合うものを知ることが不調を手放す一番の近道になります。 ―あなたの月経はどのタイプ? 症状別月経タイプを知ろう 中医学では、女性は35歳を過ぎると、五臓の「腎」の機能が徐々に衰え始めると考えられています。中医学でいう「腎」とは、簡単に言うとエネルギーを蓄える場所。プレ更年期と言われる30代後半から40代前半は「腎」が弱ることでさまざまな不調を起こしやすく、身体の変化に悩む声を多く聞きます。月経時の不調もよくある相談のひとつです。中医学的には、「滞ることは、すなわち痛む」と言われ、生理痛は、「血」のめぐりが滞っている証拠(瘀血・オケツ)と考えられています。「血(けつ)」のめぐりが滞ると、痛みがでたり、経血にレバーのような塊が混じったり、子宮筋腫や子宮内膜症を引き起こす可能性がでてきます。そのほかにも身体の冷えや、体質的にパワーのないタイプ、ストレスタイプなど、さまざまなタイプに分類することができます。今回は、主に月経を4つのタイプに分けて紹介しました。どの症状が自分に当てはまるかをチェックして、体質ごとの養生法とおすすめの薬膳食材を暮らしに取り入れてみてください。自分の体質や状態を知ることで、月経の不調を取り除いていきましょう。 瘀血(おけつ)タイプ体内の血の巡りが悪い (症状)生理痛の痛みが強く、刺すような痛みがあり、出血量が多いです。レバー状の塊が経血に混じっていて、くすんだ赤黒い色。 (養生法)子宮筋腫や卵巣嚢腫になりやすいタイプなので、適度な運動を心がけ、血を巡らせる食べ物を取り入れると良い。 (おすすめ薬膳食材)玉ねぎ、らっきょう、酢、黒キクラゲ、秋刀魚、イワシ、ブルーベリー、納豆、甘酒、当帰 (写真)婦宝当帰膠:補血と言って女性にとって大切な血(けつ)を補う「当帰(とうき)」を中心に、元気を補い潤いを与えてくれる生薬が配合されたシロップタイプの漢方薬。生理中、その前後はもちろん、冷え性の人にもおすすめ。 陽虚(ようきょ)タイプ 身体全体や子宮がとにかく冷えている (症状)経血に塊が出ることもある。冷えると生理痛が悪化し、温めると楽になる。生理痛では締め付けられるような痛みがある。生理の周期は遅れやすく、日数は長め、顔色が青白い特徴。 (養生法)冷えることで血流が悪くなるので体を温めて血行を促すようにする。三陰交にお灸をするなどし、夏の暑い間でも冷房に当たり過ぎないようにし、腰回りを冷やさないような服装を心がける。 (おすすめ薬膳食材)生姜、シナモン、胡椒、にら、玉ねぎ、胡桃、えび、羊肉、龍眼肉 気血両虚(きけつりょうきょ)タイプ普段から疲れやすくパワーが足りない (症状)気や血が不足していたり、腎のパワーが落ちていたりすると、子宮に充分な栄養を送れなくて痛む。痛み自体はそれほどひどくはないが、身体が重だるく、疲れると生理痛が悪化します。経血は色が薄くて水っぽいことが多いです。生理後半や生理後に痛みを感じる事が多い。 (養生法)生理中は特に、無理をせず、過密スケジュールにならないように気をつける。疲れて夕食抜きで寝てしまうと益々悪化するため、手軽に食べられるお粥や、うどんなど消化のよいものを摂るなどする。 (おすすめ薬膳食材)生姜、はと麦、山芋、大豆、骨付き鶏肉、ブロッコリー、キャベツ、豆乳、枸杞、棗 (写真)柘榴de檸檬:女性ホルモンを整え、老化に関わる五臓の腎の働きをよくしてくれる柘榴。野草の酵素もたっぷり含まれていて、甘酸っぱさが身体を潤してくれます。 気滞(きたい)タイプ気の巡りが滞り、月経前からイライラや鬱症状になりやすい (症状)生理前からお腹や腰が張って痛み、緊張やストレスなど、環境の変化で自律神経が乱れると、気の巡りや血流が悪化し痛みが増す。生理前に頭痛や腹部など痛み出して、生理が始まると楽になる。 (養生法)生理前は特にストレスの影響を受けやすい時期なので、生理1週間前からは特にリラックスして過ごせるように意識しましょう。マッサージやエステ、鍼治療を生理前に受けるのもおすすめです。自分なりのストレス解消法で気を巡らせると良い。不規則な生活が原因の事も多いです。 (おすすめ薬膳食材)三つ葉、香菜、パセリ、春菊、セロリ、柚子、グレープフルーツ、ジャスミン、玫瑰花...

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「肌ざわり」がわたしたちにもたらすもの File02 ー日常に意識的に余白を持つことで心のバランスを整えるー 林真理子さん

「オーガニックコットンという素材のやわらかさで誰かの心を少しでもやわらかく、軽やかにしたい、もっと言えば、世界をもやわらかくしたい」と考える私たちが、さまざまなフィールドで活躍する人々にフォーカス。独自の感度を持つ人々に日常や身の回りのこだわり、惹かれるものについてお話を聞きながら、肌ざわりと心の関係性を紐解きます。今回は、ファッションブランド「jonnlynx(ジョンリンクス)」のデザイナー/ディレクターとして活躍する林真理子さんにインタビュー。ファッションが好きでスタートしたキャリア、「jonnlynx(ジョンリンクス)」のはじまり。現在のライフワークと仕事のバランス、心落ち着ける愛用品について伺いました。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 顔の見えるものづくりにこだわる私たちは、オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかな」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 ー絵を描くのが好きだった子供時代陶芸などを経てファッションの業界へ --まずはじめに、林さんの子供時代について聞かせてください。林:子供の頃はとにかく絵を描くのが好きでした。新聞に入っている広告やカレンダーの裏面が真っ白なものを見つけてはそこに必ず絵を描く、そんな子供でした。仕事でデザイン画を描く感じとはまた違う感覚で、空想したり独り言を言いながら黙々と描いていましたね。最近は息子と一緒にお絵描きをして遊びますが、思いつきで手を動かすことが、今では私にとって一種のメディテーションのような役割にもなっている気がします。--どのような経緯でファッション業界へ入られたのですか?林:アートが好きだったので、18歳のときに東京の美術系の短大へ進みました。そこで絵を描きながらさまざまな芸術に触れているうちに、陶芸など立体物に興味が湧いてきて。卒業してからは陶芸教室のアシスタントをしていました。でも現実問題、それだけでは食べていけない。そんな時、ファッション業界に友達がたくさんいたこともあり、セレクトショップの仕事に応募したんです。 --そこからデザイナー業へ?林:そうなんです。服のデザイン経験もないのに、なぜか当時は強気に希望職種のところに「デザイナー」って書いて、社長から「デザインできるのか?」って聞かれた時も「できます」って(笑)。そこから誰に頼まれるでもなく、勝手に靴やベルトなど小物のデザイン画を描いて、社長に見せに行ったら「これ、作ってみろ」って言われて、最終的にはそこのオリジナルブランドのデザイナーをやっていました。当時はそういう無知ゆえの強さがあったんですよね。そこでデザイナーをやりつつ、途中からはPR業も兼任して、結局10年くらいお世話になりましたね。あの頃がなければ今はないです。 ー当時、一歩先を行くオンラインストアで『jonnlynx(ジョンリンクス)』を始動 --その後、『jonnlynx』を立ち上げられたんですね?林:そう、2008年ですね。セレクトショップ時代から長年一緒に仕事をしてきた、コレクションブランドで働いた経験もある友人と「自分たちで何かやりたいね」ってことで始めました。 セレクトショップで働いていた頃、雑誌に掲載してもらうことで受ける影響とか、そこに翻弄されることが嫌になってしまって。自分のスタイルや感性をブログで見て共感してくれる人たちがいることを実感していたし、もっと自分たちの世界観を直接共有できるひとたちに向けてやっていけばいいんじゃないかって思ったんです。当時はまだ、服は実店舗で買うのが当たり前だったんですけど、私自身海外のオンラインショップで買い物をしていたこともあり、どこか自信があったんですよね。それで、今ほど主流ではなかったオンライン販売でスタートしました。 「jonnlynx」って、実はPR機能を持っていないんですよ。友人のスタイリストや編集の人からリクエストがあった時は貸し出したりしつつも、根本的には自分たちが直接発信するものを理解して選んでくれる人たちに直接届けたいというのが今もあります。--今まさに、時代がそういうムードですよね。 林:そうですね。でも、元々はそうしてやってきたブランドだったのに、しばらくしてブログをお休みしてしまったんです。でもこれでは自分の世界観を閉ざしてしまっているなと思って、パンデミックの時にインスタをやらないとって気づいて始めました。そこで改めて、自分たちの表現するものに共感してもらえる人たちの大切さに気づかされました。そんな感じで「jonnlynx」は今年、16年目に突入します。 ー子育て、多忙な時期、コロナを経てライフワークと仕事のバランスを見直す --価値観や環境はどのように変化していきましたか?  林:パンデミック前に息子を出産したんですが、その直後は自分史上一番、仕事が忙しい時期で。出産前後でも特に休みを取らなかったのもありますが、それにしても本当に忙しかった。自分のブランドと同時進行で他企業のブランドディレクションも担当していて、今振り返ると当時はアイデアを出すために頭がパンク状態でした。一つ一つに全力を注ぐことができていなかったし、イライラしていることも多かったなって思います。その後にコロナの影響で仕事が少しずつ減り、やっと落ち着きを取り戻していったという感じです。--忙しい時期を経て、どのようなリズムが林さんにとって心地良いと思いますか? 林:もともと私自身、予定を詰め込むのが苦手なタイプなんです。だから、展示会とかの繁忙期以外はできるだけ予定を入れない日を多くするようにしています。何もない日を増やして、日常に意識的に余白を作ることで自分の中でバランスを保てるんですよね。ライフワークである子育てやデザインにも没頭できるし。服をつくることも子育ても同じクリエイティブ軸の上にあるように感じていて。私の場合、サーフィンやスノボーの時間は予定として捉えていなくて、そういう好きな時間を自由に持つことが心地良いんだと思います。それが結果的に仕事である服作りにも影響しています。 --好きなものやインスピレーションを受けるものに変化はありましたか? 林:好きなものはあまり変わってないですね。ただ細いヒールだけは履かなくなったかな(笑)。無理せず、自分の気分が良くなるものを選ぶことの方が重要になってきている感じがします。 昔はよく海外の雑誌や写真集を見ながらデザインをしていましたが、今はそういったインプットをせずに感覚的につくることが多いように思います。海や山、自然の中で過ごす時間を持っているので、自分の気持ち良い感覚とそうではない感覚が鋭くなってきていると思うんですよね。逆に情報に触れすぎると頭がパンクしてしまって、デザインできなくなっちゃう。だからそこは距離を取りながら、常にフラットでいたいと思っています。 ー日々に寄り添うウール、カシミヤ、コットンの天然素材アイテムたち --そんな林さんが選ぶ、心地よい「肌ざわり」のアイテムについて聞かせてください。 林:1つ目は、「jonnlynx」で10年以上作っているウールのインナー。ウールは動物の毛なので、汗を吸収してくれるし、速乾性にも優れているんです。ウール=温かいという印象が強いと思うんですけど、消臭効果も高いんですよね。だから、冬だけでなく夏こそ着ると快適なことを提唱したくてインナーを出しているんですが、これが本当に好評で。決して買いやすい金額ではないのですが、リピートしてくださる方が多く私は破けても、お直しを重ねて10年以上着続けています。軽くてとにかく気持ちがいいので、パジャマもこれ。これまでいろいろなものを試してきたけど、寝る時は薄手のウールが一番。手持ちの服の中で最も手放せないアイテムです。あとはロサンゼルスのブランド「The Elder Statesman(ジ・エルダー・ステイツマン)」のソックス。友人から誕生日プレゼントにもらったのがきっかけなんですが、カシミヤがとても柔らかくて、暖かい。肌ざわりもとても優しくて気に入っています。これも穴が空いても補修しながら何年も履き続けています。あと、ショーツはコットンが好きです。ブラは胸が目立たないようなデザインを重視してフィット感を求めてしてしまうのですが、ショーツはソフトで苦しくないもの、さらに蒸れないものが良いので綿を選ぶようにしています。--お子さんが着るものについても聞かせてください。 林:「jonnlynx」のキッズラインでもウールのインナーを出していて。息子にもそれをインナーとパジャマにして着せています。子供はラグランスリーブで作っているので、成長しても袖丈が短くなるだけで長く着られるように作っているんです。子どもってすごく敏感で、チクチクにうるさいんですよね(笑)。そんな子どもでも、うちのウールは気に入って着てくれています。キッズの服も妥協せずに大人と同じ素材を使うようにしています。 ■ 林真理子さん/jonnlynx(ジョンリンクス)デザイナー、ディレクター セレクトショップでデザイナー、プレスを兼任。2008年に自身のブランド『jonnlynx(ジョンリンクス)』を始動。サーフィンとスノーボードを嗜み、自然の中で過ごすことが趣味。 HP:jonnlynx公式サイト/オンラインストアinstagram:@jonnlynx     ...

# SOFTNESS

不調から学んだ養生のある暮らし ー女性の心と身体を整える中医学ー 藤井愛さん

神奈川県葉山町に暮らし、中医薬膳営養師として活動する藤井愛さん。以前はアパレルのプレスとして働いていた藤井さんが中医学と出合ったのは、身体の不調に悩んでいた時でした。中医学を学び、薬膳や漢方などを通して実践していくと、身体が変わることを真に実感したといいます。そして今は、自らの体験を通して、変化しやすい女性の心身を暮らしの中の身近なところからサポートしたいとFIVE TASTES OF STUDYを主宰。ワークショップや講座では、季節や体調に合わせた養生法について伝えています。そんな藤井さんにこれまでの道のりや中医学について話をお聞きしました。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 顔の見えるものづくりにこだわる私たちは、オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかな」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 ―「陰」と「陽」。そんな相反するものに惹かれた子ども時代 古代中国から伝わる陰陽論では、自然界にある全てのものには対立する2つの面が存在していると考えられています。天と地、昼と夜、夏と冬、上と下…。世の森羅万象は全て「陰」と「陽」に分けることができ、これらは互いにバランスをとりながら存在しているのです。 今振り返ると、子どもの頃から相反するものが混ざり合う様子が好きでした。たとえば、修学旅行で訪れた長崎の日中の文化とカトリックの宗教観が混ざり合った街並みや、陰と陽のような両極端な表現がされているファッションショーといったものに妙に惹かれたのです。小さい頃から宗教観について考えたりすることも好きでしたし、高校生の時には手塚治虫が描く哲学に夢中になりました。カトリックの家庭に育ったことも私の根っこの部分に大きな影響を与えていたのだと思います。 高校卒業後は野生動物の保護活動がしたいと、ケニアへ留学しました。語学を学びながらナイロビに1年ほど滞在したのですが、現実は私の想像を遥かに超えた厳しい環境でした。18歳の私が容易に手を差し伸べることができる世界ではないことを思い知り帰国。ファッションが好きで、高校生の頃からアパレル業界の大人たちにお世話になっていたこともあり、ファッションの世界に飛び込んでみることに。そして都内のアパレルブランドで働き始めました。 ―産後、突然襲った不調。つらい日々から救ってくれた鍼灸、そして中医学との出合い 最初に身体に異変が起きたのは、20歳の時。耐えられない程の腹痛で病院へ駆け込むと、卵巣嚢腫がお腹の中で破裂していたことが分かりました。子宮中で内出血してしまい、緊急手術という事態に。思い返せば、中学生の頃から鎮痛剤が手放せないほど生理痛がひどく、出血量も異常に多いなど、身体からのサインが出ていたことに気がつきました。今なら体質改善できることが分かりますが、当時は知識がないし、不調は仕方がないものとして諦めていたんですよね。そして大きな転機となったのが、娘二人の子育て真っ只中だった32歳の時。動悸やめまいがひどく、夜は眠れず朝は起き上がれないといった不調が突然私を襲ってきたのです。次第に子どもが学校から持ち帰ってくるプリントの文章が読めなくなってしまい、これは脳に問題があるかもしれないと、病院で検査してもらっても原因が分からない。苦しい日々が2ヶ月ほど続いた時、友人の勧めで近所の鍼灸整骨院にかかりました。すると、中医学でいう「肝」が弱っていることが分かりました。いわゆる自律神経失調症だったんですね。体調は鍼治療を受ける毎にみるみる回復していき、そんな身体の変化が嬉しくて、通院の度に先生からいろいろな話を聞くうちに、中医学というものにどんどん惹かれていきました。 ―中医学によって満たされた心と身体 都心から自然豊かな葉山に越したのを機に薬膳の学校に通い始めました。そこで私は自分が「気」が足りていない「気虚」という体質であることが分かりました。そこからは漢方を飲んだり、お灸をしたりと、学んだ養生法をひたすら試すということの繰り返し。幸い私は身体の反応が出やすい体質なので、すごく試しやすかったんです。先生からナツメ、ハトムギ、金針菜、竜眼肉、クコ、生姜、骨つきの鶏肉が入ったスープを毎日飲むといいよと教えていただいて、大量に作って冷凍しておき、大根を入れたり、山芋を入れたりとアレンジを加えながら毎朝飲み続けました。すると、それまでいつも疲れやすかった身体がびっくりするぐらい元気になり、食で身体や体質を変えることができると身をもって実感することができました。また自然に恵まれた葉山に引っ越したことで、その土地で採れた旬なものを取り入れやすくなったことも良かったと思います。今では、体調や季節の変化を感じながら、お灸や漢方、お香、中国茶を取り入れることが日々のルーティーンになっています。 中医学を学び始めて、陰陽と五行という考えを知ったことも私の人生において大きな出来事になりました。自然界のあらゆるものは「陰」と「陽」から成り立つと考え、自然の変化や関係性を「木」「火」「土」「金」「水」の5つの要素に分類する理論を学んだ時、私が小さい頃から不思議に思っていた哲学的な問いが全て解決されたような感覚がありました。そして、なぜあの時身体を壊したのかということを始め、私の人生に起こった様々なことの要因が紐解かれ、次から次へと腑に落ちていったのです。陰陽と五行という軸で物事を見るようになった今は精神的にもすごく安定していると感じています。 ―ファッションも中医学も自分をいい気分に整えるためのもの 中医学って堅苦しく思われがちなのですが、実はすごく自由なもの。理論はありますが、自分の感覚や解釈という部分も大事な要素なのです。人が100人いれば100通りの人生があって、それぞれが違う体質を持っています。だから、一口にこれを食べた方がいいよと言っても、100人全員には当てはまらないのです。体質によって、その人にとっての「いいもの」は違うからです。だから一人ひとりを診て、この人は元々虚弱体質だなとか、この人は足りすぎているからデトックスした方が良いなとか、その人の背景を想像しながら人間観察をします。理論に基づいた上で自由に解釈しながら、答えを導き出していくのです。だから、1+1が2ではなく、5にも6にもなるのが中医学。難しいですが、そこがすごく楽しい。私に取ってファッションと中医学は通じるものがあって、どちらもセンスや感覚的な部分を楽しむことができるし、自分をいい気分に整えるためのものなんです。 ―いつか、お茶を飲みながら話を聞くような小さな場を持つことができたら 今は、中医学の考え方や薬膳などを必要な人に伝えたいと、植物療法士の風間ゆみえさんが主宰しているオンラインコミュニティROOMYSで中医学講座を行なったり、FIVE TASTES OF STUDYを通じて体質や季節に合わせた養生法や暮らしに取り入れやすい薬膳の講座やワークショップを行なったりしています。先日、講座で平均寿命40歳だった清時代の中国で74歳まで健康に生きたという西太后(せいたいこう)の養生法を取り上げたのですが、彼女はファッショニストでもあったそうで、写真を見るとすごくおしゃれなんですよ。そうやって敷居が高く思われがちな中医学をいろんな視点で伝えて、身近に捉えてもらえたらいいですね。どういう形になるかは分からないですが、いつかお茶を飲みながら話を聞くような小さな場ができたらいいなと想像しています。中医学って知れば知るほど奥が深いんです。だから学びをやめずに、ずっと挑戦していきたいと思っています。 ■  藤井愛 / 中医薬膳営養師ワークショップなどを通して、漢方や薬膳などを取り入れた女性の心や身体との付き合い方や、養生の世界を初心者にもわかりやすく提案している。風間ゆみえさんが主宰するオンラインウェルネスコミュニティ『ROOMYS』にて中医学の講師も担当。 instagram: @aiai_fjiHP:Five Tastes of Study...

# HEALTH# セルフケア

身体を温めることで、ニュートラルな状態に導かれていく ー私の人生を変えた「HIETORI / ひえとり」ー峰田朝恵さん

ニューヨークを拠点に「neutral lab(ニュートラル・ラボ)/中庸研究所」を主宰する峰田朝恵(ともえ)さん。自然素材で作られたニュートラルラボの衣服には、どんな状態であっても、ありのままの今を祝福したいという願いが込められています。心身を緩ませ、整えることを研究する朝恵さんの人生を大きく変えていったのは「ひえとり」との出合いでした。パンデミックを機に、ニューヨークでお話会などを通じて伝えることを始めた朝恵さんに、「ひえとり」のこと、そしてニュートラルラボを通じて伝えたい想いを聞きました。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 顔の見えるものづくりにこだわる私たちは、オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかな」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 ―自然の恩恵を暮らしの中に取り入れる豊かさを教えてくれた母の存在 「neutral lab/中庸研究所」という屋号で衣服を作り始め、ちょうど10年が経ちました。紆余曲折を経て、ようやく「ニュートラルラボ」の意味が腑に落ちてきたような気がします。年齢、性別、サイズ、人種、季節、流行…、あらゆる枠を超え、着る人があるがままの今に安心できるような、自由で心地よい服を作りたい。自由自在に何通りにも着回せる服を通して、みなさまにそれぞれの“今”を表現していただけたらと思っています。 北アルプスの麓、自然豊かな長野県安曇野で育ち、長距離を徒歩で通学する子ども時代。主婦であり染織家でもあった母は多趣味で、なんでも手作り。安曇野の自然をこよなく愛し、育てたお蚕さんや綿から糸を紡いで織ったり、スケッチした野草などを布にデザインしては草木で染めたりと、自分の“好き”に夢中な姿を今も思い出すことができます。 自然からの恵を手仕事として大切に伝えてくれた母の存在はとても大きかったと思います。 (写真)2016年初夏に旅立たれた最愛のお母様(右)と朝恵さん ーアメリカで“好き”を仕事に。そしてその先に訪れた転機 小さい頃から手芸やものを作ることが好きで、ビンテージの古着や着物を集めたり、自己流で服を作ったりしていたので、服の作り方が学べるなら楽しいかも!と、語学の勉強も兼ね、パターンメイキングのクラスが取れるカリフォルニア州のコミュニティーカレッジに入学しました。 そのうちにもっと本格的に学びたいと思うようになり、ロサンゼルスのファッション専門学校に編入。幸運にもインターン中、パタンナーの師匠と出会い、いくつかの有名ファッションブランドで経験を積む機会に恵まれました。そしてキャリアも熟してきた頃、知人とブランドを立ち上げると、PRの力もあって、あっという間にたくさんのオーダーをいただくようになりました。軌道に乗っていたのも束の間、ビジネスパートナーとのすれ違いやリーマンショックの不況の波と共に解散。人生を注いで育ててきたものがあっという間になくなってしまい、さらに金銭のトラブルもあって不安定な時期でした。その後はロサンゼルスのファッションブランドで働いていたのですが、休暇前になんとか仕事を終わらせて、明日から日本!!というタイミングで、経営不振を理由に解雇のお知らせが…。突然の出来事に、驚きや、怒り、不安など、さまざまな感情が渦を巻いたまま日本へ。それが2010年のことでした。 ―「ひえとり」との出合い その時日本での滞在中、母の紹介で出合ったのが「ひえとり」でした。「ひえとり」とは、上半身と下半身の温度差を“冷え”と捉え、下半身を温めることで血流=氣を巡らせ、温度差を緩和し、自然治癒力を蘇らせることで臓器の機能を正常化し、心身の陰陽を統合するという、医師であった進藤義晴さんが提唱したホリスティックな生活様式です。基本は半身浴なのですが、一日中お風呂に入る代わりに、絹とウール/綿など自然素材の靴下、下衣を交互に重ねることで下半身を温め、半身浴に近い状態を保つことができます。 最初、「ひえとり」を教えてくださった方が靴下を20枚も履いているのを見て、当時ハイヒールばかり履いていた私には到底できないと思ったのですが、話を聞くとシンプルで理にかなっていて、「やってみたい!!」と興奮したのを覚えています。まずは、お風呂を半身浴に変え、ハイヒールは履きながらも、靴下を1枚、2枚と重ねることから始めました。とにかく温かくて心地よくて、『瞑眩(めんげん)』という身体に起こる様々な解毒の好転反応を人体実験として楽しみながら、どんどん夢中になっていきました。心地よさと好奇心に包まれながら日本で過ごしていると、突然ニューヨークに来ないかというお仕事のお誘いが舞い込んできました。それがきっかけで13年過ごしたカリフォルニアを離れ、不安や期待の中、単身でニューヨークへ渡ることになったのです。 ―心から着たいと思える服を作ってみたい。ニュートラルラボのはじまり ニューヨークでのファッションの仕事はとても刺激的でやり甲斐がありましたが、次から次へと新しい服を作り出していくファッション業界のサイクルに疲弊を感じるようになっていきました。半身浴の時間や、重ねる靴下の枚数が増えると、地下足袋や足元が安定する靴を履くようになり、不思議と白などのニュートラルな色を好むようになっていったのです。また「ひえとり」に対応できる上に、自分自身が着たいと思える服にはなかなか出合えず、「ファッションの概念を超えて、ただ自分が着たい服を作ることは可能だろうか」と考えるように。働き方をフリーランスに変えると、定期的に帰省する時間も増え、故郷、家族、自分の根源と改めて深くつながることができました。滞在中、大好きな北アルプスを毎日眺めているうちに、ある日、ふと雪形がプリーツとして浮き上がり、お山の服のアイデアが閃きました。上半身は軽く、足元はどっしり末広がりというお山の形はまさに「ひえとり」の基本。気がつけば名字も「峰田」…。私の中ですべてがつながり、自然の恵をいただきながら本来の自分に還れるような衣服を作ろうと決意。最愛の母に草木染めや織りを教えてもらいながら、心から着たいものや、心地良さを追求する実験の場として、「neutral lab/中庸研究所」を立ち上げました。(写真)螺旋状に縛りあげ、草木で束染めされたウェディングドレス(写真)暮らしの中にある植物を使ったワークショップ「瞑想のように草木染め」の時の様子 ーパンデミックを機に「ひえとり」を「HIETORI」としてアメリカの地で伝えたいと思うように  当初、ニュートラルラボを通して「冷えとり」を紹介するつもりはありませんでした。靴下など下半身に重ね着するので、独特なシルエットになってしまうことからニュートラルと謳いながらも人との間に垣根をつくってしまうのではと思っていたからです。ところがパンデミックが起き、ロックダウンの最中「私ができることは何だろう」と考えた時に、「ひえとり」を「HIETORI」としてニューヨークで紹介することを思いつきました。そして、私の経験や情報をシェアすることで、誰でも簡単に免疫力を上げられる事を知ってもらい、みんな平等に備わっている自然治癒力を目覚めさせる方法を、ニュートラルラボとして初めて発信しました。 今は必要な人に届いてくれたらいいなという気持ちで、ニューヨークで展示や体験型のお話会をやらせていただいています。やってみて分かったことは、人種にかかわらず、多くの方が「冷え」を感じ、不調を抱えていらっしゃるということ。そしてホリスティックに心身を整えることへの関心が高いことでした。後日「睡眠の質が上がった!」などの報告をいただいて、とても嬉しく感じています。 ーありのまま、不完全な自分を隅々まで愛したい 人生が行き詰まった先で「ひえとり」と出合い、結局は起きていることすべて最善だということを身体で感じ、少しずつ安心できるようになりました。それでも現実に翻弄され、心身を緩ませる研究をしながらも、焦ったり、緊張したりすることがまだまだあります。ただ、そんな私だからこそ、心地よいというだけで「ひえとり」を続けてこられたのだと思うのです。不完全な自分を隅々まで愛し、ありのまま表現し続けることで、一度しかない人生を楽しみ、それが全体の調和に繋がることを願っています。 ■ 峰田朝恵/ neutral lab :: 中庸研究所...

# HEALTH# ORGANIC COTTON# セルフケア

自然とつながり自身との関係性を癒す時間を ー女性たちが残した言葉とカモミールで国際女性デーをお祝いー

3月8日は「国際女性デー」。女性の存在、権利があらゆる場面で認められ、性別にとらわれないジェンダーニュートラルな思想が広がることを求め、SISIFILLEもこの日を大切にしています。今年は、私たちが共感する女性たちの言葉をカモミールのシードペーパーにのせて、オンラインストアでお買い物いただいた方に先着順でお配りします。そして今回は、植物学者・ハーブ専門家として活動されているウィーバー佳奈さんによる「女性性のケアとカモミールの楽しみ方」についての記事をお届けします。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 顔の見えるものづくりにこだわる私たちは、オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると考えています。 やわらかく、包み込むようなやさしさのエネルギーを持つ「カモミール」は、世界各地で大切な薬草として愛されてきました。初夏に甘い香りの白い花を咲かせるカモミール。さまざま不調や不安をやわらげ、ハートも身体もあたたかく抱きしめてくれる、陽だまりのような植物です。この国際女性デーは、あらためて自分の中の女性性に向き合うための素敵なタイミングです。カモミールの穏やかな安心感の中で、自分の中の女性性に向き合い、抱きしめると、新しい景色が見えてくるかもしれません。ここでは、カモミールの育て方、性質、日々の心身のケアに役立つレシピや活用方法をご紹介します。育てて、食べて、ふれあいながら、カモミールのやわらかなエネルギーを感じてみてください。 ―シードペーパーのジャーマンカモミールの育て方 「German Chamomile / ジャーマンカモミール」学名:Matricaria chamomilla  (―年草)  <準備するもの>・土・大きめの植木鉢(直播でもOK)・シードペーパー ※・水※シードペーパーとは、再生紙にさまざまな植物の種が漉き込まれているものです。一晩水につけてから土に埋めるだけで、植物を育てることができます。紙は自然に分解されて土に還ります。 初心者でも育てやすいカモミール(一年草)。3-5月頃(※)、春のあたたかさが感じられるようになってき頃に種を蒔きます。気温は15~20度くらいが理想です。日当たりと水はけがよく、風通しの良い場所で育ててあげましょう。庭の生態系を支えるコンパニオンプランツとしても優秀なカモミールは、家庭菜園のお供にもおすすめです。※秋蒔きも可能です。その場合は9~10月が敵期です。  <手順>1. シードペーパーを一晩、水に浸します。2. できれば大きめの植木鉢を用意し、園芸用の土を詰めます。種を蒔く前に土を十分に湿らせておきます。3. シードペーパーを置き、上に5mmほど土をかぶせます。再度軽く全体に水をあげます。4. 発芽するまでは土が乾かないように気をつけながら水やりを続けます。5. 7~10日で発芽します。混み合ってきたら間引きしましょう。発芽してからは、水やりの頻度を少し落とし、乾燥気味の状態で育てます。日当たりを好みますが、高温に弱いので真夏は半日蔭に移動します。2~3ヶ月後の5月~7月頃に開花します。※成長や開花のタイミングは環境によって異なります。 <収穫と保存の仕方>カモミールは、初夏に甘い香りの可愛らしい花を咲かせます。花の部分は、ハーブとしてさまざまな方法で活用できます。開花後3~4日経って、花の中心の黄色い部分が丸く膨らんできた頃が収穫のタイミングです。午前中の朝露が乾いた頃に、一輪ずつ花の部分を手で摘んで収穫します。花をこまめに収穫すると、長い期間にわたって花を咲かせ続けます。 フレッシュな状態で使用する場合はそのまま、乾燥させると1年ほど保存できます。乾燥させる場合は、ざる・網・ペーパータオルなどに載せ、花が重なり合わないように広げ、数日間風通しの良い場所に置きます。時折手で軽く混ぜて、まんべんなく乾くようにします。 しっかりと乾燥していることを確認してから、瓶などの密閉容器に入れ、直射日光を避けて保管します。乾燥剤を入れたり、冷蔵庫で保管してもよいでしょう。水分が残っていると、カビが生えることもあるので注意します。保存の目安は1年ですが、早めに使ったほうが良い香りを楽しめます。 <種とり>特に美しく、元気な株は種とり用にとっておきます。とった種や、こぼれ種からまた翌年も美しい花を咲かせます。 ―カモミールの性質  カモミールは人類の長い歴史を通して、癒しをもたらす植物として大切にされてきました。記録によると、紀元前1550年にはすでに薬草として用いられていたようです。ヨーロッパやアジアが原産とされ、北米や南米など各地に栽培が広まっています。花の持つ甘い香りから、ギリシャ語で「大地のリンゴ」という意味合いの名前が付けられました。また、聖なる植物として、世界各地の太陽神や精霊と結びつけられてきました。夏の太陽の季節に花を咲かせ、心身の癒しをもたらしてきたカモミールが、人々によって大切にされてきたことがうかがえます。 カモミールの香りは不安や緊張から心をやわらげ、落ち着いた気持ちを思い出させてくれます。カモミールの持つエネルギーはやさしく、やわらかですが、それは決して「効能が弱い」というわけではありません。近年の研究で、カモミールがさまざまな心身の不調の改善に役立つことが再確認されています。広く知られているだけでも、不眠症、不安、ストレス、アレルギー、抗炎症、美容、頭痛、消化器官、PMSほか女性のホルモンバランスの崩れに由来する症状、抗炎症、リラックス、鎮静作用など、多くの場面でサポートする力があります。子供が使用しても安心で、赤ちゃんの夜泣き改善、子供のストレス緩和や消化機能のサポートにも向いています。ぜひ、自分で育てたカモミールを収穫して、日々の暮らしの中に取り入れてみてくださいね。 ―カモミールのレシピ フレッシュなカモミールの花にそのままお湯を注いでハーブティーにしたり、エディブルフラワーとしてサラダの飾りにもできます。また、乾燥させて、お茶、シロップ、ポプリ、クリーム、オイル、バスソルト、ティンクチャーなど、さまざまな楽しみ方ができます。今回は自分をケアする時間のお供にぴったりなカモミールのレシピをご紹介します。 ※キク科の植物にアレルギーがある方は、使用の際にご注意ください。※妊娠中・授乳中・お薬を服用中の方は事前にお医者さまにご相談の上お召し上がりください...

# HEALTH# セルフケア#エンパワーメント

「肌ざわり」がわたしたちにもたらすもの File01 ー自然に浸かることでニュートラルにー 大野京子さん

「オーガニックコットンという素材のやわらかさで誰かの心を少しでもやわらかく、軽やかにしたい、もっと言えば、世界をもやわらかくしたい」と考える私たちが、さまざまなフィールドで活躍する人々にフォーカス。独自の感度を持つ人たちに日常や身の回りのこだわり、惹かれるものについてお話を聞きながら、肌ざわりと心の関係性を紐解きます。今回は、ファッションブランド「pelleq(ぺレック)」のデザイナー大野京子さんにインタビュー。自然との関わり方やそこから受ける影響、ターニングポイントを迎えるブランドについても伺いました。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 顔の見えるものづくりにこだわる私たちは、オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかな」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 ー都会で過ごす平日と自然に浸る休日を行き来して、バランスをとる日々 --最近の生活リズムについて聞かせてください。大野:うちには2人の息子がいますが、大きくなってすでに手が離れているので、ここ最近は大人だけの日常という感じです。朝はゆっくりとコーヒーを淹れて、朝食を食べる。平日は都内のオフィスで仕事をして、都合が合えばお友達とご飯に行ったり。週末は海か山で過ごすことが多いですね。--大野さんというと大自然の中にいるイメージがあります。 大野:まだ子供たちが小さかった頃、「柔軟に、しなやかであって欲しい」と思い、自然へ連れ出したのがきっかけでした。天候や環境に左右される自然の中で過ごすことで、人間がいかに小さな存在であるかを感じたり、そこで遊ばせてもらうことで自然からもたらされる贅沢な体験をして欲しくて。それが今では私の方が夢中になっています(笑)。--都会での日々の暮らしと自然の中での時間、どのようにバランスをとられていますか? 大野:オンとオフがはっきりしているタイプなので、仕事では自分の感覚を突き詰めて、インプットし続けながら物づくりをしています。その分、自然の中でそれらを放出している感覚です。日常に自然のエネルギーがないとバランスが取りにくいと感じるので、定期的に自然に浸かって自分自身をニュートラルな状態に整える、そんなインプットとアウトプットのリズムを意識しています。海に浸かっているのが好きなので、夏は良い波に乗れたらいいというくらいでサーフィンをして、夕暮れ時の空と海の色が変わっていく中、メロウな時間を過ごすのを楽しんでいます。冬は雪山でスノーボードやハイクを本格的にやっています。 --自然は大野さんの物づくりにどのように影響していると思いますか? 大野:具体的に言うと、必要なルーティーンですね。自然の中、例えば海の中にいると全身を使って遊ぶじゃないですか、その心地よさやエッジは、普段の生活ではここまで作動しない五感をフル稼働させ、飽和状態になった頭をリラックスさせると同時に刺激を与えてくれるんです。この両極端なバランスが、デザインやコンセプトに影響していると思います。ー肌ざわりにこだわりながら、国産の技術や物づくりの背景も大切に--では次に、お仕事のこと、「pelleq(ぺレック)」について聞かせてください。 大野:ブランドを始めて10年以上になりますが、ここに来て今一人で「pelleq」をやることになり、ブランドにとって変化の時期を迎えていると思います。洋服が好きで、好きなことを仕事にしてきましたが、同じことを繰り返していると自分でもわからなくなってきたり、甘えが出てきてしまう。その一方で、時代の流れの中で、今まで気づかなかったことに気づけることもある。だから無理はせずとも、ブランドも私自身も一緒にアップデートしていきたい。今は全ての仕事の流れを改めて把握する事で、気づきと初心のような楽しさを感じながら、今後どう展開していくかを模索しています。--素材はどのような視点で選ばれていますか? 大野:素材に関しては私自身、肌が弱いこともありコットンやシルク、秋冬ならカシミヤやウールなど、天然繊維を取り入れて肌ざわりの良いものを心掛けています。そのほかにも今注目しているのは、再生できる素材や土に還るもの。アウトドアアイテムのアウターにはナイロン、ポリエステルを使いますが、撥水加工にフッ素を使用していないなど、今ある技術を活かしながらも、環境などに対して意味があるものを選んでいます。 それから、日本国内の機屋、縫製工場が減っている現状も気にかけています。物づくりをしていると、日本の技術の素晴らしさを目の当たりにしますし、とても素晴らしい技術があるのに技術者が減ってきていることで稼働させられない状況があることにも、もどかしさを感じます。だからこそ一緒に作り上げる楽しさ、これを日本で続けていきたい。もちろん馴れ合いは良くないですが、お互いに支え合っていきたいという気持ちでいます。(写真)大野さんが身につけているのは、pelleq定番アイテムのカシミアのスヌード。  --関わる人やバックグラウンドも大切にされているんですね。 大野:そうしていきたいですね。例えばオーガニックコットンの良いところって、それが育つ過程であり、土から始まっていますよね。健康な土壌から栄養を得て成長して、丁寧に摘まれることで、触れるとやわらかく、あたたかいと感じるものができるのかなって。背景のことを考えると環境を守るのは当然ですし、その後に使う染料などもきちんと環境に配慮したいと思うようになる。天然素材の良さを最大限に引き出せる方法などにすごく悩みながら物づくりをしています。 ー素肌に触れるものはできるだけ天然素材、心地いいと思うものを --大野さんが求める「肌ざわり」について、どんなものがお好きですか?  大野:アンダーウェアは動きやすいもの、ヘルシーなデザイン、女性らしいものも好きです。素材はできるだけ化学繊維を避け、触れた時に心地よいと感じるもの。縫い目などの縫製が丁寧に作られているかどうかも吟味します。コットンはもちろん、肌に柔らかくフィットして優しく感じるシルクも普段から取り入れています。最近、友人から誕生日プレゼントにいただいたシルクジャージ素材の下着が凄く気持ちよかったです。―最後に、お手元にあるお気に入りのアイテムを教えてください。 大野:よく使うシルクカシミヤのインナーは、10年ほど前の「pelleq(ぺレック)」のもの。今でも冬場はそのセットアップを頻繁に使っています。そのほかにもコットンカシミヤのタンクトップがお気に入りです。 アンダーウェアの他には、カシミヤのスヌードやアルメニアのお土産でいただいた木のリングがあります。スヌードは、柔らかさに包まれることで穏やかな気持ちになり、とてもリラックスできるんですよね。木のリングは、身につけることで暖かなエネルギーを感じます。肌ざわりと言えば、その日のコンディションも観ながら、ニュートラルでフレッシュな気分になりたい時はコットンを選ぶことが多いですね。 ■ 大野京子さん / pelleq(ぺレック)デザイナー イギリス滞在中からTシャツのブランドを立ち上げ、セレクトショップのオリジナルアイテムを手がけるなど、服作りに携わる。2014年から『pelleq(ぺレック)』を始動。“daily wear=second skinシンプルな日常にさりげないスパイスとニュアンスを”をコンセプトに作られるプロダクトが大人の女性を中心に支持される。 HP:pelleq公式サイトinstagram:@pelleq_official         ...

# SOFTNESS

自然界に存在するわたし達が豊かに生かし合える世界 / ウィーバー佳奈さん

家族で暮らすカリフォルニア州ベイエリアを拠点に、地球上に存在する、多様な植物の種を未来に継いでいくための研究・活動をしているウィーバー佳奈さん。“人間は自然の一部であり、自然自体だ”という感覚を大事にしているという佳奈さんが、自身の出産を通じて思いを強くしたのは、自分が元気でいないと人を幸せにすることはできないということ。“私たちが自分をどう扱うかが世界をどう扱うかに繋がるし、世界をどう扱うかが自分をどう扱うかにもつながる”と語る佳奈さんに、人と自然が支えあって生きること、そして自分を大切するということについて聞きました。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 顔の見えるものづくりにこだわる私たちは、オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかな」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 ―五感で自然と世界を体感した子ども時代 幼少期を振り返ると、今の私につながる種があちこちに撒かれていたのだなと感じます。都心に生まれ育ったのですが、都会の中にいながらミクロな世界で自然に触れる機会がたくさんありました。通っていた幼稚園には田んぼや畑があって、みんなでお米や野菜を育てていて。田んぼを裸足で歩くと、足の指の間から土がニュルっと出てくる感覚や土の中からウワっと立ち込める生命の匂いを今でも思い出します。五感に染み付いているんですよね。その幼稚園では、カンボジアで地雷の被害を受けた子どもの支援というような社会活動もしていて、同じ地球の上で私とは全く違う暮らしをしている同い年の子どもがいるということを知り、なんでこんな状況が生まれるのだろうと強い衝撃を受けました。その頃から環境問題や社会問題に関心を持ち始めて、幼いながらに“人間という生き物として、この地球でどう生きていくか“という問いがいつも頭にありました。 ―種というのは、人と大地が紡いできた関係性の結晶なのだ 父の仕事の都合で7歳から10歳までをアメリカで過ごし、その後帰国。中学生の時は学校に馴染めず不登校だった中、9.11が起きたんです。色々調べていくうちに、地球が大変なことになっていることを感じて、“家の中でゴロゴロしている場合じゃない!”と奮起。環境問題に足を踏み入れたいという気持ちが高まり、その後の進路の方向性が定まっていきました。大学では、環境にやさしい農業と食のシステムの在り方を研究テーマとし、アフリカのモザンピークの農業開発調査をするように。現地で伝統的な農業や地域の在来作物の種を守っている女性たちの話を聞くうちに、種というのは、人と大地が紡いできた関係性の結晶なのだと感じました。何世代もの人たちが、その土地で自然と対話しながら、今の形に至るまで紡いできた長い道のりに気づいたとき、それまで個体として見ていた植物や種に対する見方がガラッと変わったんです。そうして、情報や可能性がぎゅっと詰まったカプセルのような種という存在にどんどん惹かれていきました。一方、ここ100年ぐらいの間に地球上の7~9割もの種が絶滅したと言われています。自然の中で生かし合う多様な種子を未来に継いでいきたい。この時に感じたことが今の活動の原点となっています。(写真)佳奈さんの種コレクション(ライ豆, にんじん、ポピー、ホワイトセージ、ジャカランダ等) ―産後の経験から自分を大切にする方法を学んだ、セルフケアの第一歩は耳を傾けること オランダの大学院の研究室で出会ったパートナーと結婚し、妊娠。今後どこに暮らそうかと話し合い、妊娠中に彼の出身地であるカリフォルニアへ引っ越しました。産後、すぐ研究に戻りたい気持ちとは裏腹に、体は思うように動かず…。私は、自分を犠牲にして活動するのではなく、自分を大切にしながら自然界や他の全ての存在を大切にするというのが一番持続的な活動方法だと考えているので、まずは自分の体を最優先させることにしました。ところが、私自身が自分を大切にする方法を知らないことに気がついたんです。私たちの世代は特にかもしれませんが、学校でも社会でもどちらかというと協調性が重んじられて、自分を大切にするということをあまりやってこなかったと思うんです。誰からも強いられていないのに無意識に自分のニーズを我慢して、相手や子供のニーズに応えるという癖がついていたんですね。産後は、それに一つ一つ気づいて、自分に意識を向け直すという作業の繰り返し。そうやって、自分を大切にするということを少しずつ学んでいきました。(写真)アーバンパーマカルチャー実践者でもあるパートナーのアントニオさんと息子のリオ君 自分を大切にすること、自分を愛するということ。言葉で理解しつつも、いざ行動に移すとなるとどういうことなのだろうと戸惑ってしまう人も多いのではないでしょうか。私にとって、セルフケアの第一歩とは、耳を傾けることです。自分自身との関係、人との関係、植物との関係、どれもそうですが、まずはそこにいる相手に耳を傾けて話を聞いてみる。植物だったら、感じてみる。そうした時にどういう感覚が湧き上がってくるのか、自分の内に耳を澄ましてみる。スマホやパソコンから情報が溢れ出てくる現代の暮らしでは、自分以外のことに意識を向けながら一日を過ごしがちです。だけど、これまで聞く習慣のなかった自分の声を拾い上げて、そういう声があるんだということを受け止めてあげる。地味かもしれませんが、そこがセルフケアの入り口です。たとえば、今コーヒーを飲んでいるけれど、本当はチャイが飲みたかったかもしれないというような内なる小さな声。些細なことだけれど、そういう心の声を意図的に丁寧に感じてあげること。自分に対してそれができないと、人や自然の声にも耳を傾けることができないと思うのです。 ―自分を大事にしながら地球と調和した暮らしをしていきたい 産後の体にパソコン作業が負担に感じたので、種や植物に関する講演会を開くなど、できることから少しずつ仕事を再開しました。ずっと学者の道に行くというビジョンを持って、昨年までカリフォルニア大学サンタクルーズ校の環境学部に在学していたのですが、去年大学を辞めました。きっかけとなったのは、パートナーのおばあちゃんが亡くなったこと。90歳を超えて大往生だったのですが、死を受け入れて過ごすという最期の日々を一緒に過ごさせてもらったんです。自然の死のプロセスを目の当たりにして、残りの人生何かできるかな、もし数年後に死ぬとしたら今何がしたいかなということをすごく考えました。そして出た答えが、自分という素材を使って世界に貢献したいということ。大学は素晴らしい環境だったし、研究も楽しかったけれど、知識がパブリックに広がっていかないということがフラストレーションでもありました。私がこれまでいただいてきた貴重な体験や知識をもっともっと広くシェアしたい。残りの人生で今が一番若いのだから、やりたいことをしようと思うようになったんです。(写真)まだ未熟な花豆 今は種子の保全活動、人同士をつなげる活動や研究をしながら、植物とセルフケアの教室やオンラインスクールを立ち上げてやっています。今アメリカに地域の在来種を集めて、コミュニティで保存していくという取り組みがあるのですが、日本でも同じようなことができたらと考えています。今、自然の循環の中で生きることを体現してきた先人たちが高齢化し、すぐに受け継がないと残せなくなってしまう声がたくさんあります。これからの地球の在り方の一番ヒントになると思うのが、植物や大地と密接に関わって関係を紡いできた人たちの軌跡。アメリカでもネイティブアメリカンの方から生きる知恵を学び直そうというムーブメントがありますが、同じことが世界中で起きています。私たちが今方向転換して、人と大地、自然が互いを生かしあう関係を再構築し、健康な未来を次世代につないでいきたいんです。 ■  Koa Weaver 佳奈 (ウィーバー佳奈)  民族植物学者、薬草専門家、自然療法ウェルネスコーチ。一児の母。世界を旅しながら、各地の植物の美しさ、薬草学、種の多様性、植物にまつわる文化の多様性を次世代に手渡す方法について探究。東京大学大学院修士、オランダエラスムス大学社会科学研究所修士。カリフォルニア大学サンタクルーズ校環境学博士課程単位取得退学。国際民俗生物学会所属。米国自然療法ウェルネスコーチ資格。植物とのつながりを通じて、自分のことも地球のことも大切にする暮らしを実現することに関心がある。植物、ハーブ・薬草、セルフケア、生物文化多様性保全の分野で講座、コンサルティング、執筆、通訳などを行う。米国カリフォルニア州バークレー在住。好きな食べ物はパイナップルグァバ。 instagram: @seedfromearthYoutube: たねチャンネルHP:Seed from Earth公式サイト Text&Edit : Nao KatagiriPhoto : From Koa...

# HEALTH# 自分らしく生きる#SUSTAINABLE#パーマカルチャー#ライフステージ

マグカップで育まれるつながり ーコミュニティーを生み出すハンドメイドの力ー rieさん

サンフランシスコ・ベイエリアでパートナーのジェイさんと共に陶芸アトリエ「DION CERAMICS(ディオン・セラミックス)」を営むリエさん。2011年に前進となるマグブランド「Atelier Dion(アトリエ・ディオン)」が生まれてから、制作にかかる全てのプロセスを自分たちの手で行っています。シンプルながら温もりのあるマグ(マグカップ)は、地域のいくつものレストランやコーヒーショップで使われ、ローカルの人々を中心に愛されてきました。「マグこそが私たちのコミュニティー」と語るリエさんの言葉通り、ふたりの生み出す作品がハブとなって人と人がつながり、コミュニティーとして豊かに育まれてきました。「ずっと自分が心地良いと感じる場所を探して動いてきた」というリエさんが今に辿り着くまでの軌跡とは。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 顔の見えるものづくりにこだわる私たちは、オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかな」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 私は、愛媛県伊予市で生まれ育ちました。海と山が近い、今住んでいるベイエリアにも似た雰囲気のある場所です。私の陶芸の原点は、愛媛の砥部焼にあります。実家で使われていた食器は、母が砥部焼の陶器市で買ってきたものでした。うちは、お客さん用と日常使い用の食器が分かれていたのですが、子どもの頃はそれがすごく不思議だったんです。母と陶器市に行くとB級品の器が売られていて「これはここに傷が入っているから安いのよ」なんて教えてくれて。一方、お客さん用として大事にされている器は作家ものだということが分かり、同じ食器でもこんなに違いが生まれるんだというのが面白くて、自然と陶芸に興味を持つようになりました。大学生の時に「アメリカで陶芸をやりたい」と両親を説得し、日本の大学を中退して渡米しました。カリフォルニア州オレンジカウンティーにある大学の陶芸科に入り、卒業後はCalifornia College of Art(以下CCA)の大学院へ進学しました。作ることが中心だった大学の授業に比べて、CCAはもっとコンセプチュアル。手先が器用だったこともありそれまでトントン拍子できた私でしたが、ここに来て自分が無知だということに気づかされることになります。そこからは、陶芸のコンセプトやフィロソフィー、セオリーを学びながら、ひたすら思考を突き詰める作業を繰り返しました。CCAで過ごした時間は、人生で一番挫折し、一番勉強し、そして一番学校というものを好きになることができたひととき。この時期にとことん陶芸と自分自身を追求したことが、後に大きな糧となりました。(写真)パートナーのジェイさんと共にアトリエで作業をするリエさん(写真)型から抜いた制作過程にあるマグ。型と、型をとるための型も2人のハンドメイド。 ―サードウェーブコーヒーと地産地消の波に乗って。地域で愛される存在になったマグ CCAを卒業した2010年のアメリカは経済の見通しが悪く、就職氷河期の真っ只中。アートの分野での就職は特に厳しいものでした。ですが、まだ若かったこともあって楽観的で、アートセンターで陶芸の講師をしたりレストランで働いたりしながら、CCAの同級生だったパートナーのジェイと自宅アパートメントのガレージを拠点に創作活動を続けていました。そのうちにCCA時代の教授が陶器制作の仕事を紹介してくれるようになり、そこからさらにつながりが生まれて仕事の依頼が少しずつ増えていったんです。今でこそ陶芸家が自分でオンラインショップなどを営んでスモールビジネスを手掛ける人も多いですが、当時はほとんどいませんでした。むしろ陶芸をやっている人自体がとても少なくて。だからこそ、カスタムやファブリケーションの仕事をいただくことができたんです。 時期を同じくして、ベイエリアではサードウェーブコーヒーや地産地消など、飲食文化を中心に新しい波が盛り上がり始めた頃でした。現在のベイエリアではローカルのものを愛し、ローカルで生まれるものをみんなで応援していこうという考え方が当たり前のように根付いていますが、当時はまだそういう空気感はありませんでした。次第に、レストランやカフェで使用される食器も地元の陶芸家のものを起用しようという動きが出てきて、サードウェーブの先駆けだった「Four Barrel Coffee」や「Sightglass Coffee」のマグカップやソーサーを手がけていた私たちは、意図せずともその波に乗ることとなりました。たくさんの地域の飲食店やセレクトショップなどで取り扱っていただくようになり、自然な流れでマグブランド「Atelier Dion」が誕生しました。これまでずっと地域で人とつながり、顔が分かる人たちと仕事をしてこられているのは本当にありがたい事だなとつくづく感じています。 ―手作りのものが持つ力を借りてコミュニティーを作っていきたい 私たちの作品はシンプルに見えてものすごく手間と時間がかかります。ジェイと私の2人だけでブランドを運営しているため、子どもが生まれてからはだんだんと子育てと制作活動を両立する事の難しさを感じるようになっていきました。そのため体制を変えようと「Atelier Dion」を一旦お休みし、カリフォルニアの陶器ブランド「HEATH CERAMICS」で働きはじめました。それから3年半が経った去年、子どもたちが大きくなってきたこともあり、自分のブランドをまたしっかりやりたいと思うようになり、退社しました。運が良いいことに、今の自宅の大家さんが地下で陶芸がしたいという私たちのお願いを快く受け入れてくださり、子育てと制作、両方が無理なくできる環境を整えることができました。そしてAtelier Dion改め、これからは「DION CERAMICS」という屋号で本格的に再始動します。どんなに日々が忙しくてもジェイと決めているのは、マグの制作は絶対に続けるということ。なぜなら、マグこそが私たちのコミュニティーで、そのコミュニティに助けられたことで今の私たちが在るからです。だから絶対に失くしたくない。その思いを確かなものにした出来事がありました。私たち家族は数年LAに住んでいた期間があり、2年程前に再びベイエリアに戻って来たのですが、なんと引っ越しの翌日に全ての物が入っていたトラックが盗まれてしまったんです。当然、家の中は空っぽ。ありがたいことに友人を始めたくさんの人たちがすぐに必要な物資を届けてくれたり、ドネーション型のクラウドファンディングを通じて支援してくれたり、コミュニティーからの大きなサポートを受けました。 ただ生活をすることはできたのですが、家の中から手作りの物は一切なくなったまま。すると、家の中に人の気配がなくなっていることに気がつきました。でも、友人が作った食器や絵を持ってきてくれるたびに「この人もいるし、この人もいる」というように物がリマインダーになってくれて人の存在を感じ取ることができたんです。手作りのものが増えるごとに、家がどんどん“家(ホーム)”になっていく感覚がありました。手作りのものが持つパワーって本当にすごいんです。 ―今いる環境に寄り添うように、素直に生きていく 私とジェイが大事にしているのは、自分たちがいる環境に沿った正直な陶芸をすること。たとえば、私たちの陶芸は火を使いません。電気釜でも見た目も使い勝手も良いものを作ることはできるし、街に住む私たちの陶芸はこういうものだよっていうことを作品に反映させたいから。もし私たちが違う土地へ行けば自然とスタイルは変わると思いますし、常にその時の自分たちの等身大でいたいんです。大人げがないかもしれませんが、私は自分自身が心地良くいられないと人に優しくすることができません。だから、自分が無理せず自然体でいられるような環境に身を置くことをとても大事にしています。そのために、ずっと心地良い場所を探して動いてきたのだと思います。 私はマグが好きです。誰かの日常生活に入り込んで、日々触れられ、味や時間を感じられるものだから。私たちにとってDION CERAMICSのプロダクトは、お客さんやその先にいる人たちとのとのコンタクトポイントであり、人と人とをつないでくれるものです。そのつながりが生み出す縁や絆をすごく信じているし、それをエネルギーに代えてコミュニティーを育んでいきたいと思っているんです。 ■  rie / セラミックアーティスト・DION CERAMICS主宰...

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