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COMMUNITY

自然界に存在するわたし達が豊かに生かし合える世界 / ウィーバー佳奈さん

家族で暮らすカリフォルニア州ベイエリアを拠点に、地球上に存在する、多様な植物の種を未来に継いでいくための研究・活動をしているウィーバー佳奈さん。“人間は自然の一部であり、自然自体だ”という感覚を大事にしているという佳奈さんが、自身の出産を通じて思いを強くしたのは、自分が元気でいないと人を幸せにすることはできないということ。“私たちが自分をどう扱うかが世界をどう扱うかに繋がるし、世界をどう扱うかが自分をどう扱うかにもつながる”と語る佳奈さんに、人と自然が支えあって生きること、そして自分を大切するということについて聞きました。 ―五感で自然と世界を体感した子ども時代 幼少期を振り返ると、今の私につながる種があちこちに撒かれていたのだなと感じます。都心に生まれ育ったのですが、都会の中にいながらミクロな世界で自然に触れる機会がたくさんありました。通っていた幼稚園には田んぼや畑があって、みんなでお米や野菜を育てていて。田んぼを裸足で歩くと、足の指の間から土がニュルっと出てくる感覚や土の中からウワっと立ち込める生命の匂いを今でも思い出します。五感に染み付いているんですよね。その幼稚園では、カンボジアで地雷の被害を受けた子どもの支援というような社会活動もしていて、同じ地球の上で私とは全く違う暮らしをしている同い年の子どもがいるということを知り、なんでこんな状況が生まれるのだろうと強い衝撃を受けました。その頃から環境問題や社会問題に関心を持ち始めて、幼いながらに“人間という生き物として、この地球でどう生きていくか“という問いがいつも頭にありました。 ―種というのは、人と大地が紡いできた関係性の結晶なのだ 父の仕事の都合で7歳から10歳までをアメリカで過ごし、その後帰国。中学生の時は学校に馴染めず不登校だった中、9.11が起きたんです。色々調べていくうちに、地球が大変なことになっていることを感じて、“家の中でゴロゴロしている場合じゃない!”と奮起。環境問題に足を踏み入れたいという気持ちが高まり、その後の進路の方向性が定まっていきました。大学では、環境にやさしい農業と食のシステムの在り方を研究テーマとし、アフリカのモザンピークの農業開発調査をするように。現地で伝統的な農業や地域の在来作物の種を守っている女性たちの話を聞くうちに、種というのは、人と大地が紡いできた関係性の結晶なのだと感じました。何世代もの人たちが、その土地で自然と対話しながら、今の形に至るまで紡いできた長い道のりに気づいたとき、それまで個体として見ていた植物や種に対する見方がガラッと変わったんです。そうして、情報や可能性がぎゅっと詰まったカプセルのような種という存在にどんどん惹かれていきました。一方、ここ100年ぐらいの間に地球上の7~9割もの種が絶滅したと言われています。自然の中で生かし合う多様な種子を未来に継いでいきたい。この時に感じたことが今の活動の原点となっています。(写真)佳奈さんの種コレクション(ライ豆, にんじん、ポピー、ホワイトセージ、ジャカランダ等) ―産後の経験から自分を大切にする方法を学んだ、セルフケアの第一歩は耳を傾けること オランダの大学院の研究室で出会ったパートナーと結婚し、妊娠。今後どこに暮らそうかと話し合い、妊娠中に彼の出身地であるカリフォルニアへ引っ越しました。産後、すぐ研究に戻りたい気持ちとは裏腹に、体は思うように動かず…。私は、自分を犠牲にして活動するのではなく、自分を大切にしながら自然界や他の全ての存在を大切にするというのが一番持続的な活動方法だと考えているので、まずは自分の体を最優先させることにしました。ところが、私自身が自分を大切にする方法を知らないことに気がついたんです。私たちの世代は特にかもしれませんが、学校でも社会でもどちらかというと協調性が重んじられて、自分を大切にするということをあまりやってこなかったと思うんです。誰からも強いられていないのに無意識に自分のニーズを我慢して、相手や子供のニーズに応えるという癖がついていたんですね。産後は、それに一つ一つ気づいて、自分に意識を向け直すという作業の繰り返し。そうやって、自分を大切にするということを少しずつ学んでいきました。(写真)アーバンパーマカルチャー実践者でもあるパートナーのアントニオさんと息子のリオ君 自分を大切にすること、自分を愛するということ。言葉で理解しつつも、いざ行動に移すとなるとどういうことなのだろうと戸惑ってしまう人も多いのではないでしょうか。私にとって、セルフケアの第一歩とは、耳を傾けることです。自分自身との関係、人との関係、植物との関係、どれもそうですが、まずはそこにいる相手に耳を傾けて話を聞いてみる。植物だったら、感じてみる。そうした時にどういう感覚が湧き上がってくるのか、自分の内に耳を澄ましてみる。スマホやパソコンから情報が溢れ出てくる現代の暮らしでは、自分以外のことに意識を向けながら一日を過ごしがちです。だけど、これまで聞く習慣のなかった自分の声を拾い上げて、そういう声があるんだということを受け止めてあげる。地味かもしれませんが、そこがセルフケアの入り口です。たとえば、今コーヒーを飲んでいるけれど、本当はチャイが飲みたかったかもしれないというような内なる小さな声。些細なことだけれど、そういう心の声を意図的に丁寧に感じてあげること。自分に対してそれができないと、人や自然の声にも耳を傾けることができないと思うのです。 ―自分を大事にしながら地球と調和した暮らしをしていきたい 産後の体にパソコン作業が負担に感じたので、種や植物に関する講演会を開くなど、できることから少しずつ仕事を再開しました。ずっと学者の道に行くというビジョンを持って、昨年までカリフォルニア大学サンタクルーズ校の環境学部に在学していたのですが、去年大学を辞めました。きっかけとなったのは、パートナーのおばあちゃんが亡くなったこと。90歳を超えて大往生だったのですが、死を受け入れて過ごすという最期の日々を一緒に過ごさせてもらったんです。自然の死のプロセスを目の当たりにして、残りの人生何かできるかな、もし数年後に死ぬとしたら今何がしたいかなということをすごく考えました。そして出た答えが、自分という素材を使って世界に貢献したいということ。大学は素晴らしい環境だったし、研究も楽しかったけれど、知識がパブリックに広がっていかないということがフラストレーションでもありました。私がこれまでいただいてきた貴重な体験や知識をもっともっと広くシェアしたい。残りの人生で今が一番若いのだから、やりたいことをしようと思うようになったんです。(写真)まだ未熟な花豆 今は種子の保全活動、人同士をつなげる活動や研究をしながら、植物とセルフケアの教室やオンラインスクールを立ち上げてやっています。今アメリカに地域の在来種を集めて、コミュニティで保存していくという取り組みがあるのですが、日本でも同じようなことができたらと考えています。今、自然の循環の中で生きることを体現してきた先人たちが高齢化し、すぐに受け継がないと残せなくなってしまう声がたくさんあります。これからの地球の在り方の一番ヒントになると思うのが、植物や大地と密接に関わって関係を紡いできた人たちの軌跡。アメリカでもネイティブアメリカンの方から生きる知恵を学び直そうというムーブメントがありますが、同じことが世界中で起きています。私たちが今方向転換して、人と大地、自然が互いを生かしあう関係を再構築し、健康な未来を次世代につないでいきたいんです。 ■  Koa Weaver 佳奈 (ウィーバー佳奈)  民族植物学者、薬草専門家、自然療法ウェルネスコーチ。一児の母。世界を旅しながら、各地の植物の美しさ、薬草学、種の多様性、植物にまつわる文化の多様性を次世代に手渡す方法について探究。東京大学大学院修士、オランダエラスムス大学社会科学研究所修士。カリフォルニア大学サンタクルーズ校環境学博士課程単位取得退学。国際民俗生物学会所属。米国自然療法ウェルネスコーチ資格。植物とのつながりを通じて、自分のことも地球のことも大切にする暮らしを実現することに関心がある。植物、ハーブ・薬草、セルフケア、生物文化多様性保全の分野で講座、コンサルティング、執筆、通訳などを行う。米国カリフォルニア州バークレー在住。好きな食べ物はパイナップルグァバ。 instagram: @seedfromearthYoutube: たねチャンネルHP:Seed from Earth公式サイト Text&Edit : Nao KatagiriPhoto : From Koa Weaver KanaInterview:cumi

# HEALTH# 自分らしく生きる#SUSTAINABLE#パーマカルチャー#ライフステージ

マグカップで育まれるつながり ーコミュニティーを生み出すハンドメイドの力ー rieさん

サンフランシスコ・ベイエリアでパートナーのジェイさんと共に陶芸アトリエ「DION CERAMICS」を営むリエさん。2011年に前進となるマグブランド「Atelier Dion」が生まれてから、制作にかかる全てのプロセスを自分たちの手で行っています。シンプルながら温もりのあるマグ(マグカップ)は、地域のいくつものレストランやコーヒーショップで使われ、ローカルの人々を中心に愛されてきました。「マグこそが私たちのコミュニティー」と語るリエさんの言葉通り、ふたりの生み出す作品がハブとなって人と人がつながり、コミュニティーとして豊かに育まれてきました。「ずっと自分が心地良いと感じる場所を探して動いてきた」というリエさんが今に辿り着くまでの軌跡とは。私は、愛媛県伊予市で生まれ育ちました。海と山が近い、今住んでいるベイエリアにも似た雰囲気のある場所です。私の陶芸の原点は、愛媛の砥部焼にあります。実家で使われていた食器は、母が砥部焼の陶器市で買ってきたものでした。うちは、お客さん用と日常使い用の食器が分かれていたのですが、子どもの頃はそれがすごく不思議だったんです。母と陶器市に行くとB級品の器が売られていて「これはここに傷が入っているから安いのよ」なんて教えてくれて。一方、お客さん用として大事にされている器は作家ものだということが分かり、同じ食器でもこんなに違いが生まれるんだというのが面白くて、自然と陶芸に興味を持つようになりました。大学生の時に「アメリカで陶芸をやりたい」と両親を説得し、日本の大学を中退して渡米しました。カリフォルニア州オレンジカウンティーにある大学の陶芸科に入り、卒業後はCalifornia College of Art(以下CCA)の大学院へ進学しました。作ることが中心だった大学の授業に比べて、CCAはもっとコンセプチュアル。手先が器用だったこともありそれまでトントン拍子できた私でしたが、ここに来て自分が無知だということに気づかされることになります。そこからは、陶芸のコンセプトやフィロソフィー、セオリーを学びながら、ひたすら思考を突き詰める作業を繰り返しました。CCAで過ごした時間は、人生で一番挫折し、一番勉強し、そして一番学校というものを好きになることができたひととき。この時期にとことん陶芸と自分自身を追求したことが、後に大きな糧となりました。(写真)パートナーのジェイさんと共にアトリエで作業をするリエさん(写真)型から抜いた制作過程にあるマグ。型と、型をとるための型も2人のハンドメイド。 ―サードウェーブコーヒーと地産地消の波に乗って。地域で愛される存在になったマグ CCAを卒業した2010年のアメリカは経済の見通しが悪く、就職氷河期の真っ只中。アートの分野での就職は特に厳しいものでした。ですが、まだ若かったこともあって楽観的で、アートセンターで陶芸の講師をしたりレストランで働いたりしながら、CCAの同級生だったパートナーのジェイと自宅アパートメントのガレージを拠点に創作活動を続けていました。そのうちにCCA時代の教授が陶器制作の仕事を紹介してくれるようになり、そこからさらにつながりが生まれて仕事の依頼が少しずつ増えていったんです。今でこそ陶芸家が自分でオンラインショップなどを営んでスモールビジネスを手掛ける人も多いですが、当時はほとんどいませんでした。むしろ陶芸をやっている人自体がとても少なくて。だからこそ、カスタムやファブリケーションの仕事をいただくことができたんです。 時期を同じくして、ベイエリアではサードウェーブコーヒーや地産地消など、飲食文化を中心に新しい波が盛り上がり始めた頃でした。現在のベイエリアではローカルのものを愛し、ローカルで生まれるものをみんなで応援していこうという考え方が当たり前のように根付いていますが、当時はまだそういう空気感はありませんでした。次第に、レストランやカフェで使用される食器も地元の陶芸家のものを起用しようという動きが出てきて、サードウェーブの先駆けだった「Four Barrel Coffee」や「Sightglass Coffee」のマグカップやソーサーを手がけていた私たちは、意図せずともその波に乗ることとなりました。たくさんの地域の飲食店やセレクトショップなどで取り扱っていただくようになり、自然な流れでマグブランド「Atelier Dion」が誕生しました。これまでずっと地域で人とつながり、顔が分かる人たちと仕事をしてこられているのは本当にありがたい事だなとつくづく感じています。 ―手作りのものが持つ力を借りてコミュニティーを作っていきたい 私たちの作品はシンプルに見えてものすごく手間と時間がかかります。ジェイと私の2人だけでブランドを運営しているため、子どもが生まれてからはだんだんと子育てと制作活動を両立する事の難しさを感じるようになっていきました。そのため体制を変えようと「Atelier Dion」を一旦お休みし、カリフォルニアの陶器ブランド「HEATH CERAMICS」で働きはじめました。それから3年半が経った去年、子どもたちが大きくなってきたこともあり、自分のブランドをまたしっかりやりたいと思うようになり、退社しました。運が良いいことに、今の自宅の大家さんが地下で陶芸がしたいという私たちのお願いを快く受け入れてくださり、子育てと制作、両方が無理なくできる環境を整えることができました。そしてAtelier Dion改め、これからは「DION CERAMICS」という屋号で本格的に再始動します。どんなに日々が忙しくてもジェイと決めているのは、マグの制作は絶対に続けるということ。なぜなら、マグこそが私たちのコミュニティーで、そのコミュニティに助けられたことで今の私たちが在るからです。だから絶対に失くしたくない。その思いを確かなものにした出来事がありました。私たち家族は数年LAに住んでいた期間があり、2年程前に再びベイエリアに戻って来たのですが、なんと引っ越しの翌日に全ての物が入っていたトラックが盗まれてしまったんです。当然、家の中は空っぽ。ありがたいことに友人を始めたくさんの人たちがすぐに必要な物資を届けてくれたり、ドネーション型のクラウドファンディングを通じて支援してくれたり、コミュニティーからの大きなサポートを受けました。 ただ生活をすることはできたのですが、家の中から手作りの物は一切なくなったまま。すると、家の中に人の気配がなくなっていることに気がつきました。でも、友人が作った食器や絵を持ってきてくれるたびに「この人もいるし、この人もいる」というように物がリマインダーになってくれて人の存在を感じ取ることができたんです。手作りのものが増えるごとに、家がどんどん“家(ホーム)”になっていく感覚がありました。手作りのものが持つパワーって本当にすごいんです。 ―今いる環境に寄り添うように、素直に生きていく 私とジェイが大事にしているのは、自分たちがいる環境に沿った正直な陶芸をすること。たとえば、私たちの陶芸は火を使いません。電気釜でも見た目も使い勝手も良いものを作ることはできるし、街に住む私たちの陶芸はこういうものだよっていうことを作品に反映させたいから。もし私たちが違う土地へ行けば自然とスタイルは変わると思いますし、常にその時の自分たちの等身大でいたいんです。大人げがないかもしれませんが、私は自分自身が心地良くいられないと人に優しくすることができません。だから、自分が無理せず自然体でいられるような環境に身を置くことをとても大事にしています。そのために、ずっと心地良い場所を探して動いてきたのだと思います。 私はマグが好きです。誰かの日常生活に入り込んで、日々触れられ、味や時間を感じられるものだから。私たちにとってDION CERAMICSのプロダクトは、お客さんやその先にいる人たちとのとのコンタクトポイントであり、人と人とをつないでくれるものです。そのつながりが生み出す縁や絆をすごく信じているし、それをエネルギーに代えてコミュニティーを育んでいきたいと思っているんです。 ■  rie / セラミックアーティスト・DION CERAMICS主宰 愛媛県出身。2001年に渡米し、大学・大学院で陶芸を専攻。その後大学院で同級生だったパートナーjayと共にセラミックブランド「DION CERAMICS」を始める。サンフランシスコベイエリアのカフェやレストランからの要望を受けてスタートしたマグカップがブランドの原点でありシグネチャーアイテム。常に等身大であることを大切に、現在はUrban Potteryをテーマにマグでつながるコミュニティーを育みながら活動中。instagram: @dion_ceramicsHP:DION CERAMICS公式サイト...

# BACKGROUND# COMMUNITY# 自分らしく生きる

暮らしを真ん中に、寄り添いながら育っていく / 中島デコさん

千葉県いすみ市でブラウンズフィールドを主宰するマクロビオテック料理家の中島デコさん。デコさん一家と寝食を共にするスタッフたちがひとつの大きな家族として、持続可能で、自然に寄り添った暮らしを営んでいます。いつも暮らしを真ん中に置き、人や自然が有機的につながりあって広がってきたブラウンズフィールド。ここに至るまでの道のり、共同生活のこと、これから思い描く未来のことなど、デコさんの思いを語っていただきました。 ―東京を離れ、導かれるようにいすみへ まだ末っ子が歩き始めたばかりの1999年、私と夫は5人の子どもたちと2匹の犬を連れて、東京から千葉県いすみ市に引っ越してきました。何でもお金で解決する都市社会の仕組みに疑問がありましたし、土に触れ、自分たちが育てた季節のものを新鮮なうちにいただくような生活をしたいという思いが強かったんです。私が若い時から実践しているマクロビオティックには、「身土不二」(人間と土は一体で、暮らす土地で採れた旬のものを食べる)という考え方があります。それは、まさに私の思い描いていた形でした。そして、実践できる土地を探し始めたところ、たまたま空き家となっていた古民家を紹介してもらった場所がいすみ市だったんです。本当はもっと水がきれいで、温泉が近くにあるような場所を思い描いていたんですけれどね(笑)。 でも実際にいすみを訪れたら、平地で、海が近くて、日当たりが良くて、すごく気持ちがいい場所で。偶然にも父親のお墓が近くにあったこともあり、なんだか呼ばれているような気がして、すぐに引越しを決めました。あれから24年。東京に帰りたいと思ったことは一度もありません。種を播いて、育て、収穫したものを加工して食べる。そんな暮らしを目指して、子育てと農作業中心の日々が始まりました。私は東京生まれ東京育ちで農の経験はなかったし、まずは小松菜だけでも、大根だけでも採れたらいいな、そんなところからのスタートでした。 (写真)ブラウンズフィールド内にある「ライステラスカフェ」 ―時の流れとともに、少しずつ形を変えてきたブラウンズフィールド 料理研究家としていすみの暮らしを本やメディアで紹介する機会があったことで、いつからかいろんな人が訪ねてくるようになりました。せっかく来てくださっているしと、お話したり、ごはんを出したりしていたんですが、その間作業は止まってしまうわけです。これはなんとかしないとということで、納屋をリフォームして、金土日だけオープンするカフェを開くことにしました。マクロビオティックの教えに基づき、メニューは肉や魚、卵、乳製品、白砂糖、添加物を使用せず、自家製調味料で旬の野菜と穀物を使ったものに。その考えに共感してくださるお客さんがだんだんと増え、手が回らなくなってきたので、今は私の想いを繋いでくれている若いスタッフたちに任せています。 (写真)これまでのデコさんの書籍 さらに、農業体験と交流を目的とする「WWOOF」のメンバーを受け入れたことがきっかけとなり、ここへ学びにくる人、遊びにきた人が宿泊できる施設「慈慈の邸(じじのいえ)」を作りました。「WWOOF」の受け入れをやめた後も、ブラウンズフィールドの一員として私たちと寝食を共にしながら働くという制度は続いています。現在は農、カフェ、宿泊、イベント、物販、母屋など、それぞれの係の分業制になっていて、期間も短期、中期、長期と様々な形態のスタッフがいます。今はこのような形に落ち着いていますけど、その時にいるスタッフによってルールが変わることもあります。引っ越してきた時から、漠然といろんな人が出入りする風通しのいい場所になったらいいなとは考えていたのですが、明確な構想が最初からあったわけではありません。長い年月をかけて、自然と少しずつ今の形になってきたんです。 そうそう、うちのカフェは廃棄が出ないんですよ。もしお客さんが来なかったとしてもスタッフの食事としていただくことができますし、売り切れたとしてもそれはそれで嬉しいこと。料理に使った煮汁、出汁、ドレッシングの余りなんかも全てまかない用にリメイクしています。スタッフがたくさんいてくれるからこそ、廃棄ゼロが実現できる。これって気持ちのいい循環だなと思うんです。(写真)ブラウンズウィールドの農隊が中心になり育てている田んぼ。カフェ、宿泊、賄い、麹の1年分のお米を作っている。 (写真)ワークショップスペース「サグラダコミンカ」にある竈門(かまど)。玄米を1日浸水させてから薪で丁寧に炊いている。 ―笑顔で挨拶ができるように、自分のコンディションは自分で整える 様々なバックグラウンドを持つ人が集った生活ですから、もちろん色々なことがあります。お互いをリスペクトして、労り合わないと共同生活は成り立ちません。すごく基本的なことですが、大事なのは “ほうれんそう”、報告・連絡・相談です。私たちは、毎日ごはんを一緒にいただきながら、「おいしいね」とか「今日どうだった?」とか、お互いの状況を話したり聞いたりしています。人間ですから、落ち込むことがあるのは当然のこと。だけど、誰かひとりでも沈んでいると、全体のエネルギーも下がってしまう。だから、笑顔で挨拶ができるように自分のコンディションを自分で整えるという作業は、共同生活においてとっても必要なことなんです。 たとえば、今みんなの前で笑顔でいられないと思ったらひとりで散歩に行くとか、読書するとか、自分のご機嫌を自分でとって立ち直るためのケアをする。そうすることで、自分だけではなく、みんなが気持ちよく過ごすことができます。つまり、他の人を尊重することにもつながるんですね。もちろん自分だけで抱えずに誰かに話したり、相談したりしてもいい。共に暮らしているとお互い様々な部分が見えますけれど、その分つらいことは分け合えるし、楽しいことは二乗、三乗にもなるのです。(写真)宿泊施設「慈慈の邸」で働くスタッフ ―ブラウンズフィールドの中心にはいつも暮らしがある どうやったら持続可能なコミュニティが作れますか? なんて聞かれたりすることがあるのですが、ブラウンズフィールドの場合はコミュニティにしようとしてコミュニティになっているわけではなくて、家族の生活の続きの場として、みんなで助け合いながら育っていっているという感覚なんです。だから、いつだって中心にあるのは、暮らしのことです。 農的な暮らし、サスティナブルな暮らし、いろいろですが、焦点は常に暮らしにあって、だからこそ続いてきたのかなと思っています。梅の実がなったら収穫して梅干しをつくるとか、かぼすができたら収穫して加工するとか、米が実れば麹にして味噌をつくるとか、大豆を醤油にするとか。何があっても季節は巡ってきて、生活は続いていくものですから。今の季節を謳歌しつつ、来年、再来年でにできるお味噌のこと、それを食べるスタッフや家族、お客様のことまでを考えて、今手を動かしておく。ブラウンズフィールドは、そういうたんたんとした積み重ねの延長線上にあるんです。(写真)ヤギのお絹さんと天日干し中の梅。梅はお庭で採れた無肥料無農薬のもの。 今ブラウンズフィールドに来てくれるのは若い人が多いのですが、ゆくゆくは老若男女、体が不自由な人、どんなバックグランドの人も、みんなが持続可能な形で助け合える場をつくりたいと考えています。もう少し先のことですけれど、自分が入る老人ホームがあって、その隣に保育園があって、そのまた隣に助産所があって、生まれたり死んだりできる場っていうのかな。地域の中で同じ方向を向いている人たちが助け合って生きる、それこそが本当に豊かでサステナブルな暮らしなんじゃないかと思うんです。 パーマカルチャーはオーストラリアで生まれたと言われていますが、昔の日本の村社会はパーマカルチャーそのものだったわけじゃないですか。持ち出しせず、持ち入れもせず、そこで採れるものを循環させて。これからは、私たちなりの新しいパーマカルチャー、持続可能な村社会みたいなのをそれぞれの地域でつくることができたら、その先には豊かな社会が実現できるはずです。誰のことも排除せず、みんながお互いを受け入れて助け合う。それぞれやりがいがあることをして、それがパズルのピースのようにかみ合って全体が豊かになるような、そんな未来をつくれたらいいなと思うんです。 ■  中島デコ / マクロビオティック料理家 16歳でマクロビオティックに出会い、25歳から本格的に学び始める。1999年、千葉県いすみ市に田畑つき古民家スペース「ブラウンズフィールド」を開き、 世界各国から集まる若者たちとともに、持続可能な自給的生活を目指す。サステナブルスクールや各種イベント、ワークショップの企画運営をしつつ、国内外で、講演会やマクロビオティック料理講師として活躍中。2024年1月19日、『中島デコのサステナブルライフ~人も地球も心地よい衣食住・農コミュニティ~』(パルコ)が発売される。instagram: @deco_nakajimaHP:Brown's Field公式サイト Text&Edit : Nao...

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私たちの冬至の迎え方 ーコミュニティーハーバリストPaiさんのハーブティーレシピ公開ー

冬至(とうじ)とは、一年で最も昼の時間が短く、夜が長い日のこと。今年の北半球の冬至は12月22日(金)。自然と調和して暮らしてきた昔の人、ネイティブアメリカンにとって冬至はどのように捉えられてきたのか。彼らから知恵を授かり、今を生きる私たちはどのように迎えるのか。サンフランシスコ・ベイエリアで暮らすコミュニティーハーバリストのPai Miyuki HiraiさんとSISIFILLE(シシフィーユ)ブランドコミュニケーターcumiが、日頃よく訪れているレッドウッドの森の中で、冬至の過ごし方について語り合いました。Paiさんのハーブティーレシピと合わせてお届けします。 ―今在る場所、マザーアースに感謝する Pai:冬至は冬が至る(きわまる)と書いて、「日短きこと至る」と言う意味を持つんよね。  cumi:太陽の光が一番弱まる時期と捉えられているけど、身体はそれを感じとっているような気がする。ゆっくりしたい感じがするし。 Pai:12月はスローダウンよね。外に出て新しいことを始めるというより、一歩下がって、中に入って、自分を見直す時期。ネイティブアメリカンの冬至は、山に入ってその一年のお礼を伝えて過ごすんよね。お家の中に籠って、家族に美味しい料理を振る舞う。家族、コミュニティーに栄養を与える時期。 cumi:1年の締めくくりだし、全てに感謝を伝える時だよね。今日はカリフォルニア・オークランドにあるレッドウッドの森、Joaquin Miller Park(ホアキン・ミラー・パーク)に来ているけど、ここは私たちがこの1年よく訪れてはエネルギーを分けてもらった場所。(写真)カリフォルニア・オークランドのJoaquin Miller Parkのレッドウッド Pai:この1年のありがとうを伝えたくて来たんよね。すごくお世話になったから。冬至というと日本だったら柚子風呂とか冬至カボチャを食べる風習があるけど、柚子は香りが強いから、邪気を払うという意味で取り入れられてきたのは納得よね。 cumi:そうだね。かぼちゃは夏野菜だけど陽の野菜と言われているし、身体を温めて一年の疲れをとるのにもぴったり。これも昔の人の知恵だよね。心を落ち着かせてゆっくり、感謝する時間にもしたい。この時期は人にお礼を伝えることが増えるよね。それはとても良い習わしだけど、人の中だけで忙しくしていると、自分が日々過ごしている場所、マザーアースへの感謝というのが欠けてしまいがちだよね。 Pai:それはさ、現代社会が自然界から切り離されているからなんよね。本当は、場所と自然とコネクトしていなきゃあかんと思うんよ。でもみんな忘れてる。自然に遊びに、癒されに行くけど、自然とつながりに行かなきゃよね。オファリング(お供え物)を持参していくのがいいんよ。私は山に入る時、自然に触れる時に、自分が最近ドライにしたハーブとかティンクチャーを持って行って、その土地にお供えするんよ。私はあなたのことリスペクトしていますよ、ありがとう、という気持ちを自然にわかってもらうための意思表示は大事だよね。今いろんな国、場所で、女性が生理の血を大地に還すという動きが起こっているんだけど、それは大地に感謝の気持ちを伝える行為なんよね。昔は当たり前のように行われていたこと。(写真)レッドウッドにハーブティーをオファリングするPaiさん cumi : 自分自身が自然とつながっていることを実感するためにそうするとも言うよね。私たち人間はもともと土とつながっていて、いずれはこの土に還っていくんだと考えると、血を還すという行為はすごく自然なことだよなぁって思う。つながっていると感じられるから感謝の気持ちが生まれるんだと思うし。 Pai:昔の女性は生理の血を調整できたと言うよね。それも結局自分とつながっていないとできないわけやん。自分を整えるということを現代では忘れがちよね。産婆さんやドゥーラの人たちが昔はその方法を教えていたのに、いつからそれがなくなったんだろうって不思議なんよね。 ― グラウンディングして、自然とつながる時間を持つ cumi : 月経血コントロールのことだよね。骨盤底筋を締めて、経血を溜めて一度にトイレで出すという方法。昔は当たり前にできていたことが生活や環境が変わって出来なくなっていったんだよね。でもここ10年くらいでそういったことが一部では見直されてきて、ヨガや産婦人科医の先生が月経血コントロールや膣トレを広めている動きもあるよね。その中では布ナプキンが勧められていることが多いけど、肌に直接あたる一枚に自然素材を選ぶことにも意味があると思っていて。それも自然とつながるということじゃない。 Pai:女性が土から絶たれているのはよくないし、常に自然に触れておくことは大切よね。だから私たちも頻繁に山に入るようにしてるやん。体がそれを欲しているから。女性がグラウンディングしたら世の中は絶対良くなる。(写真)レッドウッドから生えてきた新芽cumi : 女性はライフステージのどこかで立ち返ったり、気づけるタイミングが多いから、大事な気づきを伝えていく役割を担っていると思うんだよね。それが女性性に紐づく。 冬至はそういうところにフォーカスするのもいいかもね。自分の女性性を見直したり、ちゃんと自然とつながってるかなっていう確認をする。この忙しい時期にあえて自分のために使う時間を持つというのも、自分に対してケアしているよ、いつもありがとね、っていうメッセージになると思う。冬至だからといって大それたことをする必要はないよね。近所とか職場の近くの公園の木の下とかで過ごしてみるだけでもいい。 Pai :...

# HEALTH# ORGANIC# PERIOD#SUSTAINABLE

環境に配慮したものづくりで紡ぐやわらかな世界 ー生理用ナプキンのリニューアルにかけた想いー

2023年10月、シシフィーユはブランドの代表アイテムであるオーガニックコットンを使用した生理用ナプキンをリニューアルしました。これまでパッケージとして採用していた紙製のスリーブを廃止し、新しいパッケージフィルムにはバイオマス由来の原料を80%配合することで、石油由来のプラスチック使用量を削減。さらにフィルムへの印刷には、植物由来原料を10%以上配合したボタニカルインクを使用するなど、植物由来原料の割合を増やすことで、カーボンオフセットの観点から製造にかかる二酸化炭素の排出量を減らしています。今回企画を担当したMDの道端とシシフィーユブランドコミュニケーターのcumiが、環境に配慮したものづくりのこと、そしてリニューアルに込めた想いについて語りました。 ―さとうきびの搾りかすと卵殻をアップサイクルしたパッケージフィルムに cumi:2015年にシシフィーユを立ち上げてから、パッケージも環境に配慮されたものにしたいというのはずっと考えてきたことだったけれど、ついにリニューアルを迎えることができました。振り返ると長い道のりでしたね。 道端:試行錯誤を重ねて、ようやく納得のいく形になりましたね。 cumi:新しいパッケージフィルムには、全体の75%がさとうきびの搾りかす由来のポリエチレン、5%に廃棄予定の卵殻を採用したけれど、卵殻を使ったバイオマスプラスチックは国内ではまだあまり目にしないですよね。 道端:そうですね。バイオマス由来の製品というと、さとうきびやとうもろこしを使ったものが一般的かと思います。今回私たちが採用したのはさとうきび由来のポリエチレンと卵殻ですが、実は日本は世界で2番目に卵の消費量が多い国で、個数にすると年間約420億個もの卵の殻が国内で産業廃棄物として処理されているそうなんです。 cumi:私も今回、国内でそんなに卵が廃棄されているということを初めて知って、有効活用できるのはすごくいいなと思いました。シシフィーユにとってテクスチャーは大事な要素なので、パッケージの手触りにもこだわりましたよね。バイオマス由来といっても原料や配合量によっても質感が全然違うことに驚きました。 道端:米ぬかなど、他の素材を配合したサンプルも検討したのですが、どうしても独特の匂いがしたり、触り心地が良くなかったり。一番しっくりきたのが卵殻でした。卵殻5%配合と聞いて「お気持ち程度じゃないか」と思われてしまわないかと不安はあったのですが、それ以上増やすと表面に粉っぽさが残ってしまったりして。テクスチャーにもこだわると5%というのがベストだったんです。シシフィーユの協力工場さんも、バイオマス由来の原料を使った前例がなかったので、やってみないと何が起きるか分からないという中で、みんなが手探りの日々でした。国内生産の生理用品のパッケージでバイオマス由来のプラスチックが使われた例はほぼないんじゃないでしょうか。 (写真)cumi cumi:衛生用品を扱う工場では異物が入らないように安全性を第一優先されているから、バイオマス素材にすることでパッケージとしての耐久性が損なわれてしまうのではないかという懸念がありました。それは今回パッケージを生分解性にしなかった理由の一つ。私が住んでいるサンフランシスコではゴミを焼却するという選択はなくて、コンポストかランドフィル(埋め立てる)かリサイクルで処理されているんです。各家庭でコンポストしているところも多いことから、生分解性プラスチックはすんなりと受け入れられ、どんどん広がってきています。初めはどうにか生分解される資材を選べないだろうかという個人的な思いもあったのですが、それには少しずつ理解を得る必要があるんだということに気がづきました。 道端:前例がなかったこともあって、開発にはとても時間がかかりましたよね。リニューアルに向けて何年もかけて取り組んできたので、いざ新パッケージが完成して手にとった時は、本当に感慨ひとしおでした。「やっとここまで来られた!」って。資材を調達してくださったメーカーさんや工場さん、本当にたくさんの方々にご協力いただきました。私たちだけではとても辿り着けなかったと思います。 ―従来の使用感を残したまま薄型のナプキンに cumi:紙製のスリーブをなくすというのも大きい決断のひとつでしたよね。スリーブがあることでスッキリとした見た目や管理のしやすさが実現できていたということもあるし、あのパッケージがここまでシシフィーユを連れてきてくれたという思いも強かったので。道端:あのスリーブがシシフィーユのナプキンの良さでもあった一方で、使い終わったらゴミになってしまうということに対してのジレンマがずっとありました。単純にスリーブをなくすことだけでも解決できたと思いますが、今回新しいフィルムにしたことで、シシフィーユのナプキンを進化させることができたと思っています。 (写真)道端cumi:それから名称もサニタリーパッドからピリオドパッドへと変更して、以前からご要望が多かった23.5cmと29cmのナプキンを薄型に改良しました。薄型と言ってもいわゆる一般的な高分子吸収体をつかった薄型とは違って、ふっくらとしたシシフィーユならではの使用感が損なわれない厚さに調整できたので、より使いやすくなったと感じています。 道端:1パックあたりの入り数を増やしたことで1枚あたりの単価を下げられたことも良かったですよね。シシフィーユのナプキンは他社製品と比べて高価なので、どうしたらお客様が手に取りやすいようできるかというのも悩みのひとつでした。 cumi:一回の生理で使うナプキンの個数は、約20枚と言われているので、1パックあれば足りるという個数もこだわったポイントのひとつ。1パックごとの入数を増やすことで、ゴミの削減にもなりますしね。 ―私たちもシシフィーユの歩みと共に変化してきた 道端:今回のリニューアルは個人的にもすごく思い入れが強くて。大きく担わせてもらっていたので達成感があったのももちろんですが、シシフィーユの成長を感じると共に、自分自身の変化も実感しました。シシフィーユのチームの一員になって、ブランドの世界観にふれることで、環境問題に対する危機意識をはじめ、物事に対して感じることや、これから自分がどうなりたいのか、どんなことにコミットしていきたいのか、価値観や生活自体もすごく変わりました。シシフィーユが一歩ずつ変わっていくのと一緒に、私自身もアップデートされてきたんだなあ、と。 cumi:道端さんの言う通り、みんなの意見を反映しながらシシフィーユは成長してきたし、私たちもシシフィーユの世界から色々学んできましたよね。私はオーガニックコットンに携わりはじめて10年ほどになるけれど、ここで得た経験は衣食住さまざまなものを選択する基準にもすごく影響しています。シシフィーユを立ち上げてから8年の間に自然素材を使った製品が増えてきたのを見てきて、資材もまた同じように環境に配慮されたものになっていくといいなと思います。 道端:シシフィーユのプロダクトがメッセージとなって、これからどんどん変わっていけばいいですよね。私自身がシシフィーユに出合って変わったように、使ってくださる皆様にとっても何かのきっかけになってもらえればいいな。良いものはみんなでシェアして、より良いものづくりをしていきたいです。 ■ 道端真美 / SISIFILLE MD 美術大学を卒業後、設計会社に勤務。退職し、世界26カ国を周遊、その後カナダで暮らす。帰国後、オーガニックコットンを通じた嘘のないものづくりに感銘を受け、2018年シシフィーユの運営会社であるパノコトレーディングに入社。現在はシシフィーユの商品企画開発、PR、WEBサイト運営等に携わる。 ■ cumi / SISIFILLEブランドコミュニケーター 幼少期をインドネシアで過ごす。大学在学中よりアパレルで販売を経験し、卒業後はPR等として働く。2015年自身の体験をいかし、オーガニックコットンブランド「SISIFILLE」の立ち上げを担う。現在はサンフランシスコベイエリアを拠点に、シシフィーユWebサイト内のリーディングコンテンツ企画やSNS、製品企画を担当している。 Text&Edit...

# BACKGROUND# BIORE PROJECT# FAIRTRADE# ORGANIC# ORGANIC COTTON# PERIOD# SOFTNESS#SUSTAINABLE

「well-being(ウェルビーイング)」を体現する / Mao Brazilさん

現在1歳になる男の子を育てながら、ご自身で立ち上げられたヘルスケアブランド『HARVEST SPOON』と、ローカルオーガニックとヴィーガンをコンセプトにした『COSMOS JUICE TOMIGAYA』を営むMaoさん。モデル、ケータリング業を経て、人の身体と心の健康に寄り添う仕事をしている彼女が考えることとは? 後編では運動、食、そしてブランドとお店立ち上げの背景から、Maoさんが日々大切にしていることについて伺いました。気軽な気持ちで始めた運動と食事への気遣いが、その後の10年にもたらしたこと 運動を始めたのは20歳の時、あるランニングチームに誘われたのがきっかけでした。当時はモデルをしていたので、身体づくりと生活リズムを整えるために軽い気持ちで始めたのですが、翌年にはロンドンで10キロのマラソン大会へ出場し、その翌年には名古屋ウィメンズマラソンでフルマラソンを完走しました。大会へ出場するたびに仲間と一緒に走る楽しさを感じつつ、後半はもう自分との戦い(笑)。根性で走りきることもありましたが、完走した時の達成感はたまらないものがあります。その後も定期的に大会へ出ながら、ランニングは妊娠するまで続けていました。身体を動かすことは自分にとって不可欠だと自覚しているので、妊娠中から産後も自宅でYouTubeを見てヨガやトレーニングをするなど、無理せず自分のペースで運動を続ける日々です。一方食に関しても、東京へ来た頃から体調を優先してできるだけオーガニックの野菜を食べたり、食材はファーマーズマーケットで買うようにしたりしてきました。そこで出会う農家の方々や、自然と調和して暮らす人たちの話を聞くと環境問題への関心の高さに共感できたり、私自身のマインドとも近いものを感じられたり、とても心地が良かったんです。 そして、食へのこだわりがより強くなったきっかけは妊娠でした。身体が添加物を受け付けなくなったことや、出産のためにハワイ島の大自然の中で暮らした経験から、それまで以上に食べる物の持つ力を強く感じることが増えたんです。さらに、地元で採れたフレッシュな物をいただく美味しさを体感し、それを作る方々の想いが直に聞ける安心感を得られたことで、「いただきます」や「ごちそうさま」と言う時の感謝の気持ちがより深まりました。今では、野菜はできるだけ各地の農家さんから直接オンラインで取り寄せたり、遠出した時は道の駅で買ったりしています。私が運動と食事両方において大切にしていることは、それをストレスにしないということ。例えば運動を始めた当初は「モデルとして理想的な身体にしたい」という目的もありましたが、そうすると「ここがダメだ、ここが引き締まっていない」とか、見た目ばかりを意識してしまって辛くなってくるんですよね。でも私は、運動をすることで身体だけでなく、心まで健康になるのを感じたんです。日々の生活に追われて行き詰まったりイライラしたりする時、身体を動かすことで無になれて、心に余白ができる感覚。それは自然に触れることにも似ているんですけど、運動をして身体と心の両方を健康に保つことで、本来の自分を取り戻せるのを感じています。 パンデミックの最中、健康と幸せについて考える中で生まれた『HARVEST SPOON』 そうした中で、パンデミックが到来したのが2020年。家にいながらゆっくり考える時間ができ、健康で幸せであることの大切さについて考え、再認識できた時期でした。そして自分が感じていることを反映させたものを作りたいという想いから、それまで私が飲み続けてきた酵素を使ってサプリメントブランドをスタートしました。それが『HARVEST SPOON)』です。それまでも、その酵素を飲むことで腸内環境が整えられたり、お酒を飲んだ後も調子が良いのを感じ、私自身手放せないものになっていました。そんなお守りのような存在だった酵素でサプリを作るため、大学のチームと一緒に研究するところからスタートしました。私たちが作るサプリには、耐熱性で、生きて身体の中に働きかけるバクテリア由来の酵素を使っているのですが、緑茶に含まれるカテキンと一緒に摂ることでその効果がより高まることがわかったんです。そこから緑茶を育てている農家さんを探し、50年以上前からお茶を有機栽培されている伊勢のお茶屋さんに巡り会いました。また錠剤のサプリメントには粘着剤にパーム油が使われていることが多いのですが、インドネシアではその原料となるアブラヤシが伐採され、オラウータンの住処が破壊されていることが社会問題になっているのを知っていたので、パーム油は使いたくなかったんです。そのために高圧プレスができる日本の工場を探し回りました。資材も環境に配慮したものにこだわりました。容器はリユース、リサイクルできるもの、緩衝材と梱包材にはプラスチックを使わない、そしてラベルやテープは植物性の粘着剤が使われているものを選ぶようにしています。こうして自分のやりたいことを実現していたら結局1年という期間がかってしまいました。それでも気持ちがブレずに形にすることができて良かったと思いますし、資材については環境に優しいことを優先してこれからもどんどんアップデートしていくつもりです。出産のために滞在したハワイでの日々と、私の思いをつめ込んだ『COSMOS JUICE TOMIGAYA』 この考えは、今年の5月にオープンしたジューススタンド『COSMOS JUICE TOMIGAYA』でも同様に取り入れています。ショップの立ち上げは、出産のために滞在したハワイ島での日々がきっかけでした。 ハワイでは毎週、ファーマーズマーケットへ出かけ、地元で採れた新鮮でエネルギーの詰まった野菜を調達していました。その野菜がとにかく美味しかったのと、生産者さんとのコミュニケーションが本当に楽しかったこと。美味しさと楽しさが相まって、気分も体調もとても良かったんです。結果として4ヶ月間、私たち夫婦は毎朝ジュースを飲んで過ごし、最後にはジューサーが壊れたほど(笑)。 そして日本に帰っても同じことができたらなと思い、このジュースバーを立ち上げました。今回は、夫もそうですが、家族や友人、仲間たちと一緒になって1からお店作りをしたんです。カウンターを設置したり、壁にやすりをかけてパテやペンキを塗ったり。息子を抱っこしながら、できることは何でも自分たちでやりました。その地域にいる人々にも受け入れてもらえるよう、ナチュラルでカジュアルで、手作り感のあるお店を目指して。おかげで私自身も行くたびに元気になれる空間になったと思います。お店で出すメニューやレシピについても、サプリと同じく細部までこだわりました。メインはコールドプレストジュースとスムージーで、コールドプレストジュースは全て国産の無農薬野菜、果物を使っています。スムージーに入れるものは海外からのものもありますが、全てオーガニックで作られている野菜や果物で作っています。取引先の農家さんとも直接やりとりをしていて、畑を見に行ったり話を聞いたりして、作物が作られる背景が信頼できるものを選んでいます。その時旬の食材を使って作っているので、メニューも頻繁に変わりますが、その分いつ来ていただいても飽きずに楽しんでもらえると思います。 あとは、看板メニューでもある「ショット」がおすすめです。オーガニックの生姜と沖縄のウコンをメインに、旬のフルーツや野菜を入れて飲みやすくしていますが、これが本当に元気になる! 私はお店へ行くたびにそのまま飲んだり、他のドリンクにショットを追加して飲んだりしているのですが、もう欠かせません。 また、ドリンクを提供する時に使っている瓶はリユース・リサイクルができるものにしていて、カップはコンポスタブル(生分解性)のものを使っています。「HARVEST SPOON」を始めた頃から実施してきた、ゴミになるものはできるだけ使わないということ、これはジュースバーでも引き続き妥協せずに続けていこうと思っています。人と自然に魅了されながら今、自分ができる「well-being(ウェルビーイング)」を体現するこうして振り返ると、運動と食事がもたらす私の心地よさ、快適さの延長線上に『HARVEST SPOON』と『COSMOS JUICE TOMIGAYA』があるのは必然だと思います。どちらも人と人であり、人と自然の結びつき。運動するのも人がきっかけだったし、食に関しても自分と同じマインドの人々が作る食材を手にとるようになりました。そして健康にいい物を作りたくてサプリを作っては、必要としてくれる人へ届けている。日々、お店へ行ってスタッフと一緒にメニューを考えたり、お客さんとコミュニケーションをとることもとても楽しいんです。だから今はこうして、私なりに自分に対しても、家族に対しても、周りに対しても、「well-being(ウェルビーイング)」を感じられる場所やものを作ることを大切にしていきたいと思います。 今後の願望? そうですね、やっぱり私は自然に助けられていると思うから、またいつか自然の中で暮らしたいです。ハワイ島では海に浮いているだけで本当に幸せで楽しかったんです。大人でも子供に戻って過ごせる場所へ、感性豊かな息子にはできるだけ早いうちから自然に触れさせたい。息子には、暮らす環境、自然に敬意を持ち、植物や動物をはじめ全ての命を大事にして欲しいなと思います。■ Mao Brazil/『HARVEST SPOON』Founder、『COSMOS JUCE...

# HEALTH# ORGANIC# 自分らしく生きる#ライフステージ

持続可能な暮らしをデザインする / ソーヤー海さん

千葉県いすみ市でパーマカルチャーや非暴力コミュニケーション(NVC)、禅などのキーワードを通じて、本質的に豊かな暮らしを実現させるための活動を行っているソーヤー海さん。2016年には「パーマカルチャーと平和道場」として、自然とつながり、自分の手で暮らしをつくるための学びの場を立ち上げました。パーマカルチャーが実現された先には、どんな世界が待っているのでしょうか。後編では、ソーヤー海さんにパーマカルチャーの考えに基づいたハッピーな暮らしのつくり方について聞きました。 ―クリエイティブで自由な暮らしを手に入れよう 「楽しい、美味しい、美しい、自分らしい」― これは、活動仲間のフィルとカイルが、パーマカルチャーの原則をシンプルに表したものだ。この4つのキーワードを暮らしの中に取り入れるために、どんな暮らしをデザインしていこうか? そう考えただけで僕はワクワクしてくる。千葉県いすみ市で僕が主宰している「パーマカルチャーと平和道場」は、その実験と実践の場だ。この場所で家族と暮らしながら、日々トライアンドエラーを繰り返している。僕が道場で最初にみんなに教えたいのは、「食べ物を作ること、家を作ること、いい人間関係を作ること」。まずはその3つができれば、安心して自由に暮らすことができる。だって、それより大事なものはないでしょう? ―食べものを作る コスタリカのジャングルで生活をした体験を通して、いつか自分でも食べ物がそこら中になっているような楽園を作りたいと思い描いていた。食べ物はお店で買うものじゃなくて地球の恵みだということを子どもたちにも教えてあげられるしね。そして、当初荒地のようだったこの場所に、今ではパパイヤ、アボカド、レモングラス 、バナナなどが実っている。だけど、僕が目指しているのは100%自給することではない。大事なのは、どうやったら楽しく持続できるかということ。だから「地球って楽しいな!」とワクワクするようなセンスオブワンダーを散りばめたいと考えている。例えば、キッチンのすぐ側にハーブガーデンを作り、バジル、ミント、ニラ、山椒などを育てて、料理中に使いたいものがすぐに手に入るデザインにした。でも効率がいいだけじゃつまらないから、心が喜ぶような花を合間に植えている。人は生産性と効率化を追い求めても幸せにはなれない。だけど、そうやって小さなワクワクを増やしながら続けていくことができれば、いつのまにか循環する暮らしが無理なく実現していくと思うんだ。 (写真)上はバナナの木。下はキッチン横のハーブガーデン。 ―家を作る コロナ禍で時間があるからやってみようと思い立って、家族が暮らすための小屋を作った。かかった金額は、40万円弱。現代の暮らしでは、人は大金を出して家を買うけれど、その他の動物はみんな自分で家を作っているよね。人間だって、誰でも自分で家を建てることができるんだ。一回やってみると構造が分かるし、自信がつくから楽しくなって他にも作ってみたくなる。道具の使い方を覚えて、意識をそこに向けることができれば何だって手作りできるようになっていく。暮らしの技術を学ぶことで、お金に依存せず自由に暮らすことが可能になるんだ。失敗したっていいからまずは一歩踏み出してみよう。   (写真)上の小屋が海さんとパートナーの美紗子さんが初めてセルフビルドしたもの。下はワークショップで20人以上の参加者が建てた小屋。 ―人間をデザインする 僕たちは、一年中外でご飯を食べている。料理を作るのも外だ。そしてアウトドアキッチンには意外な利点がある。室内できれいなキッチンを保つのってすごくエネルギーがかかるよね。ここにはいろんな人が泊まりにくるし、求める清潔さの度合いは人によって違うから、それが時に対立の火種になってしまうことがある。だけど、アウトドアキッチンは動物が来たり、ダストが飛んできたりするから、そもそもきれいに保つことは難しい。そうすると「仕方ないね」ってみんなが納得して対立が起きにくくなるんだ。求める基準値を下げるだけで、グッとみんなのストレスが少なくなる。価値観があわない人を排除するのではなく、どうやったらみんなが心地よく過ごしていけるかを考えること。これが人間関係をデザインするということなんだ。 (写真)手作りの薪ストーブで料理をする美紗子さん ―循環を暮らしに取り入れる 循環しない暮らしには、マイナスの要素が増えていくものだ。例えば、ゴミ。人間以外の動物はゴミを出さないでしょう。自然界にゴミが存在しないのは、全てのものが自然の一部としてサイクルしているからだ。そういう生態系を理解して暮らしに取り入れることができれば、マイナスの要素をプラスに変えることができるようになる。生ゴミはコンポストで堆肥になり、その堆肥を使って作物を育てることができるし、地域で伐採された木や竹、廃材を使って調理した後、炭を使って土壌改良をすることもできる。また、太陽光を使ったソーラーオーブンで調理するとか、身の回りにある資源を使って自らエネルギーを生み出すことができれば、消費を減らすことだってできる。そうやって小さな循環が巡りはじめたら、暮らしは安心感に満たされて、どんどん豊かになっていく。そして、自分自身のパワーを感じるようになる。 ―重要機能をバックアップする パーマカルチャーには重要機能のバックアップという原則がある。何かあったときのために、生活に必要なものの予備を確保しておくということだ。雨水タンクはそのひとつ。天からの恵である雨水を溜めておけば、生活に必要な水を自給することができる。雨水タンクには、ファーストフレッシュフィルターをつけていて、埃や花粉など屋根の汚れがついた最初の汚い雨水をカットしてくれる仕組みになっている。消費生活では全てがブラックボックス化していて、自分の命のベースになっているインフラや食べ物がどういう仕組みで成り立っているのか分からない。だから何かトラブルが起きたら、専門家にお金を払って解決するしかない。生活コストが上がり、お金はもっと必要になる。これが消費者の残念なところだよね。誰も目で見てなんとなく理解して再現ができたり、何か起これば問題が特定できて解決ができたり、そういうシンプルで機能的なシステムがパーマカルチャーなんだ。自分の目の前で、自分が責任をもてるレベルの豊かな循環をつくりたいよね。  ―地球の恵みとつながりながら生きていく 意識が暮らしを変え、暮らしが意識を変える。意識と暮らしはセットで、どちらかだけを変えることはできない。僕たちはみんな自然の一部で、全てはつながっているシステムだと考えるのがパーマカルチャーだ。だからひとつ変えると全部が変わっていく。まずは、自然と自然の神秘を自分の暮らしに合うように少しずつ取り入れてみよう。この“少しずつ”というのが大事なんだ。やっているうちに、だんだんと自然の方から「あれやってみなよ、これもやってみなよ」って誘導してくれるようになる。そうすると自然と豊かな世界ができてくる。ドアを開けて目の前がコンビニだったら、お金がないと生きていけないでしょう。でも僕の世界では、ドアを開けると森なんだよ。だから「地球で生きている!」って感じなの。自然も人間もみんながお互いを生かし合って、地球で生きているんだ。井戸水や天水を飲む。そこにあるフルーツを食べる。そして、僕たちの命は、森に、地球に支えられているということが分かる。そうして僕らはハッピーになっていくんだ。 ■ ソーヤー海 / 共生革命家 東京アーバンパーマカルチャー創始者。1983年東京生まれ、新潟、ハワイ、大阪、カリフォルニア育ち。カリフォルニア州立大学サンタクルーズ校で心理学専攻、有機農法を実践的に学ぶ。2004年よりサステナビリティーの研究と活動を始め、同大学で「持続可能な生活の教育法」のコースを主催、講師を務める。元東京大学大学院生。国内外でパーマカルチャー、非暴力コミュニケーション、禅/マインドフルネス、ギフトエコノミーなど、さまざまな活動を行っている。いすみ市に「パーマカルチャーと平和道場」を立ち上げ、共生社会のための実験やトレーニングの場として展開している。二児の父。。。。著書 『Urban Permaculture Guide 都会からはじまる新しい生き方のデザイン』、『みんなのちきゅうカタログ』(英語版...

# COMMUNITY# SOFTNESS#パーマカルチャー

パーマカルチャーで実現するハッピーな暮らし / ソーヤー海さん

千葉県いすみ市に暮らし、パーマカルチャーや非暴力コミュニケーション(NVC)、禅などのキーワードを通じて、本質的に豊かな暮らしを実現させるための活動を行っているソーヤー海さん。2016年には「パーマカルチャーと平和道場」として、自然とつながり、自分の手で暮らしをつくるための学びの場を立ち上げました。パーマカルチャーが実現された先には、どんな世界が待っているのでしょうか。前編では、パーマカルチャーとの出合い、そしてソーヤー海さんが描く豊かな世界についてお話していただきました。 ―僕は、コスタリカのジャングルで初めて地球と出合った 東京に生まれ、日本とアメリカを行き来しながら育った僕の人生を大きく変えたのは、9.11だ。それはちょうどカリフォルニア州サンタクルーズの大学に入学する直前の出来事だった。平和だと信じていた日々に、急に戦争というものが身近になってやってきた。と同時に、それまで漠然と思い描いていた、大学でいい成績を取って、いい会社に入って…といった未来図がガラガラと崩れていった。この現実を見ないふりなんてできないし、とにかくなんとかしないと。その一心で、反戦運動に加わった。 でもね、反戦運動って文字通り、反対する運動だからエネルギーがものすごく必要なんだ。圧力はかかるし、対立構造になりやすいからね。ピリピリとした活動を6年ほど続けたけれど、どこかでこれは持続可能じゃないぞと感じていた。そんな中で有機農業や自然農と出合って、そのポジティブなエネルギーに惹かれるようになった。そして、一度先進国を離れて生き方を見直したい、地球がどんな場所なのかちゃんと知りたいと思うようになって、コスタリカのジャングルに移住することに決めたんだ。ジャングルの生活は、ココナッツ、バナナやマンゴーが食べ放題。電気も水道もなくて、自分たちが生きるための食べ物を得ることが中心の日々だ。動物ってさ、みんな自然の中で「ただ食い」しているんだよ。お金を払って食べ物を得ているのは人間だけ。ここでの暮らしを通して、僕は初めて「地球と出合った!」と感じたよ。そして僕は生態系の一部なんだということも。だけど現実は、人間だけが自然と切り離された生き方をしている。人間ってなんだろう、生きるってどういうことだろう。そんなことを考えている時に出合ったのが、パーマカルチャーだった。パーマカルチャーとは、ものすごく簡単に言うと、自然の循環を取り入れて、人が豊かに生きていくための暮らしや社会をデザインすること。 その世界観にどっぷりはまった僕は、ジャングルを出てパーマカルチャーの実践地を訪ね歩いた。ニカラグア、キューバ、グアテマラ。各国のお百姓さんから学んだ後、ワシントン州オーカス島にあるフォレストガーデン「ブロックス・パーマカルチャー・ホームステッド」の研修生として2年間を過ごした。ここでは食べ物、水、エネルギーのことなど、暮らしにまつわることは何でも学ぶことができた。とにかく自由で、創造的で、まるで楽園のよう。なんてったってそこらじゅうに食べ物が実っていて、フルーツが降ってくるような場所だからね。この暮らしを実践できれば、お金に依存することなくみんながハッピーになれるじゃん。This is it. 僕の探していた豊かな世界がそこにあった。 ―パーマカルチャーによって実現する豊かな世界は、決してファンタジーなんかじゃない その頃、日本で3.11が起きた。原発事故があり、僕はこのことにどう応えるのか、自問自答した。僕も電力の恩恵を受けて生きているけれど、だからってこの問題を放置することは嫌だ。そして僕の答えは、権力が集中する都会にこそパーマカルチャーの価値を広げるべきだ、ということ。そうでなければ、この大きな問題を解決することは到底できない。そうして日本に帰国することを決めて、2011年に「東京アーバンパーマカルチャー(TUP)」を立ち上げた。屋上菜園を作ったり、空き地や河川敷に種を撒いたり、ワークショップを開いたり、メディアに取り上げてもらったりして、いい活動はできていたのだけど、だんだんと自分自身が都会のパワーに飲み込まれていくのを感じた。 いつの間にか発信することが活動の中心となっていき、パーマカルチャーを体現した生活からは遠ざかってしまっていたのだ。このままでは僕もピラミッドゲームの一部になってしまう。そうではなくて、僕自身がより健全で、自分らしい暮らしをしながら、日本だからこそできる素晴らしいパーマカルチャーの世界を作っていけばいいんじゃないか。パーマカルチャーによって実現する豊かな世界は、決してファンタジーなんかじゃない。そうやって僕が実践する世界をいろんな人に見に来てもらい、リアリティを体感してもらえたら、その波紋はあちこちに広がっていくだろう。そう考えて、2016年に千葉県いすみ市へ移住を決めた。そして、活動の場となる築150年以上の古民家のある2700坪の土地に出合い、グリーンズの鈴木菜央さんと共に、全ての命が大事にされる社会のための実験と実践の場である「パーマカルチャーと平和道場」を立ち上げた。そして実際に本当に多くの人がここへ訪れてくれるようになったのだ。 ―目指すのは、消費者から創造者になるということ 「ヒューマニティを取り戻そう」というのが、平和道場のミッションのひとつだ。それは、人間の本質に添うような文化や暮らしを取り戻していくということ。目指すのは、消費者から創造者になるということだ。僕らが今生きる世界は、何も考えなければ消費者になっていくシステムになっている。子どもの時から学校でそう教育されているからね。消費者というのは、誰かがつくったものを選ぶしかない上に、その何かを手に入れるにはお金が必要になる。今の社会ではより効率化して、より生産性をあげて、より多くのお金を得ることに価値が見出されているよね。だけど、人はその価値では幸せにはなれないんだ。いくら生産性が上がろうと余裕が増えることはないし、さらに余裕がなければ豊かな暮らしを味わうことはできないから。これが今の人類が抱えている残念なパラドックスだと思う。比べて、自然の循環というのは、人間が関わっても関わらなかったとしても勝手に生物多様性が生まれ、勝手に再生され、勝手に循環していく。このサイクルをうまく暮らしに取り入れることができれば、余裕のある時間はどんどん増え、心身もどんどん健康になって、本当に自分がやりたいこと――例えば、家族と過ごしたり、世の中に貢献したり、そういうことに費やせるハッピーなエネルギーと時間が増えていく。この暮らしの循環をデザインすることがパーマカルチャーなんだ。僕は誰もが創造者になることができると信じている。みんなそのパワーを持っているのに、それを表現する時間や心の余裕が今はないだけだ。でもさ、とにかくやってみようよ。何から始めてもいい。暮らしを変えて、意識を変えて、やがては社会を変える。誰かが始めれば勝手に広がっていくんだよ。そして循環し、ハッピーが増えていく。それが僕がワクワクする未来の世界なんだ。 ■ ソーヤー海 / 共生革命家 東京アーバンパーマカルチャー創始者。1983年東京生まれ、新潟、ハワイ、大阪、カリフォルニア育ち。カリフォルニア州立大学サンタクルーズ校で心理学専攻、有機農法を実践的に学ぶ。2004年よりサステナビリティーの研究と活動を始め、同大学で「持続可能な生活の教育法」のコースを主催、講師を務める。元東京大学大学院生。国内外でパーマカルチャー、非暴力コミュニケーション、禅/マインドフルネス、ギフトエコノミーなど、さまざまな活動を行っている。いすみ市に「パーマカルチャーと平和道場」を立ち上げ、共生社会のための実験やトレーニングの場として展開している。二児の父。。。。著書 『Urban Permaculture Guide 都会からはじまる新しい生き方のデザイン』、『みんなのちきゅうカタログ』(英語版 Our Earth Our Home)YouTube:TUPチャンネルHP:東京アーバンパーマカルチャー         パーマカルチャーと平和道場 Text&Edit...

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SISIFILLEコミュニティーイベント開催レポート

先日、東京・代々木上原でSISIFILLEコミュニティーイベントを開催しました。ブランドのはじまりから8年、リニューアルから1年が経った今、私たちのものづくりとその背景を紹介し、私たちが追求する「やわらかさ」を改めて皆さんと共有させていただきました。会場1階でプロダクトの展示とインスタライブ、2階でトークショーと上映会を行いました。 ―イベントの概要と当日の様子 ーSpecial contents 01ーインスタライブ COMMUNITY CONVERSATION with cumiテーマ:「自分自身を大切に。ーわたしたちが心身ともにやわらかくあるためにはー」 ゲスト:  森田敦子さん (植物療法士/サンルイ・インターナッショナル代表)大学を卒業して、航空会社の客室乗務員の仕事に就くも、ダストアレルギー性気管支端息を発病。その治療として植物療法に出会い、驚くほどの効果を実感。本場のフランスで学びたいと、航空会社を退職し渡仏。フランス国立パリ13大学で植物薬理学を本格的に学び、帰国後、植物療法に基づいた商品とサービスを社会に提供するため、1998年1月、会社を設立しコスメ開発やスクール(ルボア フィトテラピースクール)を主宰。著書に「成分表示でわかる化粧品の中身」(2001)、「自然ぐすり」(2016)、「潤うからだ」(2017)がある。 SISIFILLEのインスタグラムアカウントで定期的に行なっているインスタライブ。今回はゲストの森田さんにイベント会場にお越しいただき、森田さんの主宰するWOMB LABOさんとのコラボ配信でお送りしました。周りをやわらかくするためにも、まずは自分自身を大切にしてあげることが必要。森田さんが様々な経験を経て得られた心や体をケアすることの大切さ、植物療法という視点でのケア方法についてなど、いろいろとお話しいただきました。「まずは自分だよ。誰かのためにっていうのは一旦やめよう。」という森田さんの言葉はとてもシンプルですが、現代に生きる私たちが疎かにしてしまっていること。自分自身を大切にする、ケアする、それが基本。その先に誰かのためという行動が生まれ、やわらかい世界につながる。私たちのブランド理念にも紐づく、心に残るお話でした。 アーカイブはこちらからご覧ください。 ーSpecial contents 02ートークショー 共生革命家ソーヤー海さん × SISIFILLEブランドコミュニケーター本田テーマ:  SOFTEN THE WORLD. SISIFILLEとパーマカルチャー、それぞれが目指す未来にあるやわらかい世界とは?」ゲスト: ソーヤー海さん東京アーバンパーマカルチャー創始者。1983年東京生まれ、新潟、ハワイ、大阪、カリフォルニア育ち。カリフォルニア州立大学サンタクルーズ校で心理学専攻、有機農法を実践的に学ぶ。2004年よりサステナビリティーの研究と活動を始め、同大学で「持続可能な生活の教育法」のコースを主催、講師を務める。元東京大学大学院生。国内外でパーマカルチャー、非暴力コミュニケーション、禅/マインドフルネス、ギフトエコノミーなど、さまざまな活動を行っている。いすみ市に「パーマカルチャーと平和道場」を立ち上げ、共生社会のための実験やトレーニングの場として展開している。二児の父。。。。著書 『Urban Permaculture Guide 都会からはじまる新しい生き方のデザイン』、『みんなのちきゅうカタログ』(英語版 Our Earth...

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選択肢が広がる妊娠期、出産こそ自分らしく ー水中出産を通して感じたことー Mao Brazilさん

モデルとして活躍する傍ら、食に対する関心からケータリングサービスを始動。現在は、ヘルスケアブランド「HARVEST SPOON」を運営しながら、ローカルオーガニックとヴィーガンをコンセプトにしたジュースバー「COSMOS JUICE TOMIGAYA」を立ち上げるなど、一貫して心と身体の「well-being(ウェルビーイング)」を追求するMaoさん。そんなMaoさんは、昨年の10月にハワイ島にて水中出産し、現在一児の母でもあります。前編の今回は、自身の生い立ちからパートナーとの出会い、妊娠、そしてハワイでの水中出産について。これらの体験とMaoさん自身の向き合い方について伺いました。 ー大阪で天真爛漫に育ったMaoさんがスポーツを通してパートナーと出会うまで 自分の子供時代を振り返ると、屋内で遊ぶより、外へ出かけて男の子と一緒になって遊ぶような活発なタイプでした。大阪で生まれ、中学時代からモデル業を始めましたが、ベースは粉もの文化の根強い大阪で、3人兄弟の長女として天真爛漫に育った女の子という感じ。一方で、小学生の時に「にがり」が健康に良いというテレビ番組を見たら、お小遣いを貯めて豆腐屋さんへにがりを買いに行ったり、両親の影響で酵素を飲むようになったり、そんな一面もありました。 20歳の時に拠点を東京に移し、モデル業を本格的にスタート。交友関係が広がっていた頃、あるランニングチームとの出会いがターニングポイントのひとつでした。自分としても身体の変化を見つめ直し何か運動をやりたいと思っていたタイミングで、走ることを始めました。そしてそのランニングチームが縁となり、もともと顔見知りだった夫との交際をスタート。それが2018年の話です。彼と出会った時、ルールや形式に囚われずに自分の好きなことを貫いている姿を見て、この人と一緒にいたら人生がもっと楽しく、自由で無限の可能性があるように感じられるだろうなって思いました。マインドやライフスタイルも同じ方向を向いていて、それから3年後の2021年に結婚したのはとても自然な流れでした。 ー2022年、ハワイでの水中出産を決断献身的、手厚くサポートしてくれるミッドワイフとの運命的な出会い そして昨年の10月に男の子をハワイ島で出産。妊娠する前から漠然と水中出産をしたいという思いがありました。水中出産は、赤ちゃんが羊水から水に出てくる時に抵抗なくスムースに出てくることや、赤ちゃんも母体もリラックスして分娩できるということを聞いて、ミッドワイフ(助産師)と家族とのプライベートな空間でより自然にお産ができることに惹かれました。夫もあっさり「いいね」と共感してくれて。 妊娠初期、身体や心の変化について振り返ると、まずは悪阻がキツかったことを思い出します。妊娠が分かってから3ヶ月くらいは何もできず寝たきり。眠いし辛いしでずっと家にいて、卵やお肉を身体が拒絶するようになり食べられる物もフルーツだけでした。同時に添加物の入った食べ物に反応するようにもなってしまい、そういったものを摂った翌日は1日寝込んでしまうこともありました。大変な中でも自分の身体について気づきや発見のある3ヶ月間でしたね。 悪阻が少し楽になってからは産む場所とあわせて、出産を全面的に手助けしてくれるミッドワイフ探しを開始。夫の名前「LONO(ロノ)」はハワイにルーツがあり、平和の神様の名前と同じなんです。子供も彼の名前を継ぐので、それならハワイで出産をして縁を紡ぐのもいいなって。ちょうど同時期にハワイ島で住む場所を貸してくださる方と出会えたこともあり、引き寄せられるように話が進みました。  出産予定月の3ヶ月前にあたる7月に、生活する環境の下見と、ミッドワイフとの顔合わせを兼ねてハワイ島を訪れました。私たち夫婦は共にこの時が初めてのハワイ島だったのですが、ミッドワイフとの出会いは特に印象的でした。 彼女にぎゅーっと強くて温かいハグをしてもらい、一気に信頼感が増しました。そして彼女の妊婦さんと出産に対する愛情深さ。どんなことでも細かくメモを取ってくれたり、パーソナルに接してくれる姿勢も誠実に感じました。実はその時お腹の子が逆子だったんです。でも「全然問題ない。命が生まれる時は生まれるから。」と言ってくれたこの人なら、大丈夫だって確信したのを覚えています。 そして一旦帰国して再度9月にハワイ島へ渡りました。ミッドワイフには日本からも赤ちゃんの状態を伝えていましたが、ハワイ島へ行ってから出産までは週1回、2時間くらいいろんな話をしてくれました。場所は家だったり、彼女のオフィスだったり、ビーチや行きつけのカフェだったり。そこで普通の会話をしながら、生まれてくる赤ちゃんの状態や母体の話、実際に陣痛が来た時やその後どうなるかなども、夫を交えて分かりやすく話してくれました。その時間があったことで、ママだけが頑張って産むのが出産という感覚ではなくなっていけたのはとてもよかったです。あとはハーバリストでもある彼女お手製のプレグナンシーティー(ハーブは主に自家製のもの)やバーム、エッセンシャルオイルを使ってケアしてくれていたのもとても心地よくて。産後は、赤ちゃんに対しても同じようにケアしてくれました。 ー出産目前には、イルカと一緒に泳ぐハッピーな体験も 予定日の1週間ほど前、もういつ生まれてもおかしくないということで、自宅のリビングにプールを準備していました。そんな状況の中、やりたいことの一つだった、妊娠中にイルカと泳ぎたいという想いを抱えていました。妊娠しているとイルカが寄ってきてくれるという話を聞いたことがあったからです。それをミッドワイフに話すと「○○なら、イルカと泳げると思う」と教えてくれて、早速その場所へ行ってみたんです。時刻は早朝5時ごろ、ビーチへ行くと遠く沖の方にイルカたちがジャンプしているのが見えて。そこにはマイクさんというおじいさんが1人いて、私を見て「妊婦さんだ!」と喜んでいて(笑)。彼が「今日は、ドルフィンベイビーが見れるかも!」ってどんどん沖まで泳いでいくので、夫と私も着いて行ったんです。そしたら子供のイルカも含めて40頭くらい、たくさんのイルカが私たちの近くまで来てくれて。そうなると鳴き声も歌っているように聞こえるんですよ。まるで祝福されているかのようで、とてもハッピーなひと時でした。 ーとても穏やかな水中出産と、不便だからこそよかったハワイ島での日々 予定日の朝、生理痛のようなお腹の痛みを経て陣痛が来て、その日の夜に息子を出産しました。陣痛が1分間隔になってからミッドワイフが来てくれたのですが、部屋では夫がこの日のために作ってくれたプレイリストがずっと流れていました。私はというと、ずっと裸でうろうろしていました。辛くなったらシャワーで腰を温めたり、楽な姿勢で寝転んだり、太陽の光を浴びたり。その間、栄養補給のために夫やミッドワイフがフルーツを切ってくれたり、ココナッツウォーターを飲ませてくれたり、一番落ち着く空間で家族とリラックスして過ごしながらその時を迎えました。 生まれる時は、プールの水中に自分で腰を落として、私が自分の手で子供を水の中から引き上げました。胎盤が出てからもすぐにへその緒を切らず、1時間ほど初乳を飲ませながらベッドで横たわって過ごしました。へその緒はその後、夫とミッドワイフがろうそくの火で切ってくれて、その炎を私が吹き消して「ハッピーバースデー!」となる。やっと会えたという感慨深さ、赤ちゃんの柔らかさに驚き、終始感動しながら、たくさんの感情が込み上げて来ましたね。 (写真)へその緒をロウソクで切る瞬間 胎盤は、母体と赤ちゃん両方の身体と心に有効な栄養があるそうで、後にミッドワイフがラボに持ち込みサプリにしてくれました。産後もミッドワイフは頻繁に検診に来てくれて、食材や日用品の買出しや私と赤ちゃんの心身のケアなど、常にサポートしてくれて家族のように過ごせたのは心強かったです。 その他にもいろいろと振り返ってみると、産後ハワイ島で過ごした3ヶ月間は本当に貴重な時間でした。家族だけで大自然の中で子育てに向き合って過ごせたのもとてもよかったです。便利なものはなく、買い物もローカルのスーパーで手に入る限られたものだけ。ただ、外へ出かければ人々が優しくて、地元コミュニティーから分け与えてもらうご飯は温かい。そんな環境がストレスフリーで過ごせた理由の一つだと思っています。 (写真:左から)ミッドワイフがブレンドしてくれたハーブティーと瓶詰めされた胎盤サプリ、イルカと泳ぐ際に導いてくれたマイクさんからもらったイルカのクリスタル、ハーブオイル屋さんが「パートナーにお腹に話しかけてもらいながら塗ってもらってね」と言って突然くれたというオイル。全てハワイでの思い出や時間が凝縮されたMaoさんのお守り。 ー帰国した今、考える子供との未来や命の迎え方について 帰国後はジュースバー「COSMOS JUICE TOMIGAYA」の立ち上げ準備などで忙しく過ごしていて、気づけばもうすぐ息子が1歳になります。今の時点で子供に対して、ああしたい、こうしたいという具体的なことはありませんが、小さなうちから自然と触れさせたいと思っています。そして息子が生まれたハワイ島とのつながりも親として大切にしていきたい。私が水中出産を選択したのは、できるだけ自由でナチュラルな形で、出産までの過程も含めてより自分が責任を持てる形で子どもを産みたかったというのがあります。息子には、いつか出産に立ち合いサポートしていく側になるかもしれないことを考えると、命が生まれることの深さやそれが奇跡であることをちゃんと感じられる人になって欲しいなとも思います。 そして産前から産後まで、ずっと見守っていてくれたミッドワイフが私に対して、アドバイスやサポートをしながらも、絶対に何かを決めつけたり、誘導したり、こうすべきとは言わなかったんです。あくまで私自身が道筋を作って、私がやりたいようにやってくれた。日本ではまだまだポピュラーではない水中出産や自宅出産ですが、妊娠・出産・子育てに関する考え方や選択肢、どうしたいかは人それぞれであり、自分自身で選べるんです。私自身がとても奇跡的でいい時間を過ごせたので、そんな方法もあるということはをいろんな人に知って欲しいなと思います。 ■ Mao Brazil/『HARVEST...

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私らしくあるための居場所づくり / 灰色ハイジさん

サンフランシスコで家族と暮らすデジタルプロダクトデザイナーの灰色ハイジさんには、周囲になじめずひきこもりになった中学生時代があります。そして、当時のハイジさんが自分の居場所を見出したのはインターネットの世界でした。その経験がデザイナーとしての今の自分につながったという彼女の半生には、自分らしい居場所づくりのヒントがありました。 ーインターネットを通じて見つけた”私の居場所“ 私の故郷は、新潟県の小さな村です。小学生の頃からなんとなく周囲と馴染めないなという感覚はあったのですが、だからといってそれが苦なわけでもありませんでした。漫画が大好きで、ファンタジーの世界に夢中だったんです。小学校を卒業すると、片道一時間半かかる県内の中高一貫の女子校に進学しました。すると、学校は都会的な雰囲気で溢れていて、周りの子たちはブランドの話なんかをしているんですね。村で育った私には、すごくカルチャーギャップでした。初めて触れる世界に戸惑い、数日欠席したらなんだか行きづらくなってしまって。そのまま不登校になり、丸2年半ほどひきこもりの生活が続きました。 そんな私を見かねたのか、ある日、父親が自分の友人の家に私を連れて行き、そこでインターネットというものを見せてくれたんです。ちょうど一般家庭にもネットが普及し始めた2000年頃のことでした。チャットの画面をバンと見せられて「これを使えば、日本全国の人と話せるんだぞ」と。それからまもなくして自宅にもネット回線が通ると、どんどんインターネットの世界にのめり込んでいきました。ネットの中だと趣味の合う人に会える確率が高かったし、彼らと自分の好きな話ができるというのがすごく楽しくて。それに自分のペースでタイピングできるテキスト会話というコミュニケーションにも心地良さを感じました。気づけば日本全国の人とチャットを通じてコミュニケーションを取り、たくさんの友達ができていました。 ひきこもりという一方で、中2の頃にはオフ会に参加するために一人で東京へ出かけるほどのバイタリティを持つ側面も持ちあせていました。ひきこもりとはいえ、一人きりでいたいとか、世間全体から隠れたいということではなかったんですね。村や中学校の中に居場所を見つけることはできなかったけれど、ネットのような全く違うコミュニティに触れたら心地の良い場所と出合うことができたんです。子どもが自分の力で住む場所や環境を変えることは難しいですよね。でも、インターネットの世界では自分が物理的に置かれている場所や環境に依存することなく別のコミュニティにつながることができます。子どもの私にとって、違う世界を見せてくれるインターネットとの出合いはとても大きいものでしたし、高校に入ってまた環境が変わると、学校へも行けるようになりました。 ー14歳の私の “好き”が仕事になるまで 中学生でチャットに熱中する一方で、クリスマスに買ってもらったペンタブレットで絵を描くことも好きでした。描いた絵はネットで公開していたのですが、次第に自分の絵だけではなく、他の人たちからも絵を募集し、イラスト展覧会を企画して運営することも始めていました。今思うと、当時から広い意味でデザインという行為をしていたなと思うのですが、その頃からこういうことを仕事にしたいな、デザイナーっていいなと漠然と思い描いていました。「灰色ハイジ」というハンドルネームをつけたのもこの頃です。新潟の雪って白じゃないんですよ。日本海側の冬は空も地面も全部灰色。だから灰色というのは、私が見ていた景色の色なんです。それでかわいい名前をつけたいなといろいろ組み合わせてみて良かったのが「灰色ハイジ」。14歳のときにつけたその名前を今もずっと使い続けています。 (写真)ハイジさんが住んでいるサンフランシスコの空も、取材日は霧がかっていて灰色に。 高校卒業後は京都造形芸術大学(現 京都芸術大学)に進学し、その後東京でウェブデザイナーとして就職しました。それからいくつかの転職を経て、今はアメリカの会社でブランド&プロダクトデザイナーとしてアプリなどデジタルプロダクトのデザインをしています。アメリカに引っ越したのは結婚がきっかけです。その頃私は日本で転職したばかり、彼はサンフランシスコで働いていたので、自然と遠距離結婚になりました。そもそも日本とアメリカで離れている状態でリレーションシップが始まったので、離れて住むことに抵抗はありませんでした。お互いに好きな仕事ややりたいことをできるのはいいよねという感じで。ところが、1年半ほど経った頃、彼ともう少し一緒にいたいという気持ちが強くなってきたんです。それで移住を決めました。 (写真)2020年に出版されたハイジさんの書籍「デザイナーの英語帳」。日本語版と韓国語版 移住後に娘が生まれ、今は家族3人暮らしになりました。私も夫もリモートワークで自宅を職場にしているのですが、週に1回、子どもをデイケアに預けている間に一緒にランチやお茶をしながらチェックインする時間を作っていて、今週はお互いどんな家事をしたのか、今何が大変でどれぐらい辛いのか、みたいなことをシェアしています。この時間は子どものことではなく、夫婦のことにフォーカスしています。長く一緒にいればいるほど、「こう思ってるんだろうな」とか「言わなくても分かるでしょ」となりがちですが、あえて口に出すことってすごく大事だと思うんです。夫婦関係ってどうしても波があって、良い時もあれば険悪な時もある。でも、私たちにとっては状況や感情をシェアできる関係にしておくことが、夫婦関係を良好に保つ秘訣になっているのだと思います。 子育ては楽しいですが、自分の時間が欲しいと思ったときに仕事の存在は欠かせません。もともと好きなことを仕事にしているので本当に楽しいんです。一方で、最近は趣味が欲しいなと思っていて。育児と仕事の両立がうまくいかないと、心がすさんでしまうことがあるじゃないですか。だから第三の何かがあることで、もしかしたら生活のバランスがより良くなるかもしれないって。どんな趣味でもいいのですが、逆にどんなことを選んでもデザインとつながっていく気がするんです。どこまでいっても最後はデザインのことが頭に浮かぶんですね。中学生でデザインというものに出合い、そこからずっと一筋。最近、もし今の職業じゃなかったら何をするかなと考えてみたのですが、全く想像がつきませんでした。早くから好きなことに出合い、迷いなく突き進んでこれたのはラッキーだったなと思います。紆余曲折の中で自分の居場所を模索し続けたからこそなのかもしれません。 ■ 灰色ハイジ / デジタルプロダクトデザイナー 新潟県出身。サンフランシスコ在住。プロダクトスタジオ All Turtles のブランド&プロダクトデザイナー。著書に『デザイナーの英語帳』(ビー・エヌ・エヌ新社)がある。現在、ニュースレター版のデザイナーの英語帳も配信中。HP: デザイナーの英語帳 (https://eigo.substack.com/)Instagram: @haiji505 Text&Edit : Nao KatagiriInterview:cumi

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更年期に取り入れたい植物療法「フラワーエッセンス」

誰しもが通るライフステージでありながら、これまであまりオープンに語られてこなかったメノポーズ(更年期)のこと。健やかに更年期を乗り越えるには、正しい知識や心構えを身につけておくことが大切です。今回は、ご自身もメノポーズと向き合っている最中だというコミュニティハーバリストのPai Miyuki Hiraiさんに、メノポーズとの付き合い方、そして症状を和らげてくれるフラワーエッセンスについてお話ししていただきました。 ―フラワーエッセンスを通じて自然とコネクトする メノポーズは「ゆらぎ期」とも言われるように、女性ホルモンのバランスが崩れることで敏感になったり、不安定になったりと心身のバランスを崩しやすい時期です。不安定さを感じる時は、自然とつながることで心身のバランスを整える「グラウンディング」が有効。山に入ったり、土に触れたり、植物と話したり、自然とコネクトすることで人間本来の力を取り戻すことができます。そして、自分も自然の一部であることを感じることで、今起きている変化を素直に受け入れることができるかもしれません。また、今自分はどんな状態にあるかなと観察したり、心の声に耳を傾けたりすることも大切です。更年期症状の代名詞であるホットフラッシュはイライラしている時に出やすくなるなど、更年期の症状は精神状態と密接に関わっています。 更年期のイライラや不安を緩和させるケアとしてオススメなのが、フラワーエッセンス。フラワーエッセンスとは植物が持つエネルギーを水に転写したもの。植物のエネルギーを利用して精神や心に働きかけてくれるフラワーエッセンスはメノポーズととても相性が良く、また手軽に自然とつながれるツールでもあります。 私がフラワーエッセンスを作るときは、水を入れたグラスを持ってコネクトしたいと感じたお花の側に座って目を瞑り、30分から1時間ほどかけてお花からのメッセージを受けとります。植物の有効成分を抽出させるティンクチャー(チンキ)とは違い、媒介者(作る人)を通じて植物から受け取ったメッセージが転写されるのです。そう聞くと、スピリチュアルだとか、なんだかあやしいと感じる人もいるでしょう。もし肯定的に受け取ることができないのであれば、今のあなたはフラワーエッセンスを必要としていないということ。無理強いする必要はなく、必要だと感じるタイミングに取り入れてほしいなと思います。 (写真右から)Dessert Alchemyのオレゴングレープ、Mighty Thoughtful Medicineのレッドウッド、ALASKAN essencesのジェダイトジェイド(全てPaiさん私物のフラワーエッセンス) ―メノポーズに取り入れたいPaiさんオススメのフラワーエッセンス -オレゴングレープ 恐怖心や不安感などからリリースし、バリアを解いて自分や人を信じることを思い出させてくれる。ホルモンのバランスを保ち、女性性を取り戻すサポートをしてくれる。 -レッドウッドグラウディングするのを助けてくれる。 -ジェダイトジェイド平和・バランスを保ち、イライラしたり、揉め事やトラブルなどに巻き込まれたときに乗り越えるのを助けてくれる。現状を受け入れ、本当の自分の良さを引き出す。 -フラワーエッセンスの取り方-1日3〜4回、1回に3〜4滴を目安に、直接口に滴らすか、飲み水などに入れて摂ります。1ヶ月を目安に続けてみてください。  ―更年期とポジティブに付き合うには メノポーズという言葉を聞いてみなさんはどんな印象を持つでしょうか? 世の中には、歳を重ねることをネガティブに捉える人は少なくありません。そのせいか、更年期に起きる心身の変化を受け入れることができない人も多いように感じます。例えば、閉経を迎え、「女性性が失われるのでは」と不安になる人もいるかもしれません。私は自分自身のペリメノポーズ(プレ更年期)からメノポーズを通して、女性性の終わりではなく、むしろ「ここからが新しいはじまりだ」と感じました。社会的な立場として定義付けられた“女”や“男”ではない、ジェンダーを超えた存在に近づくような感覚。それはもしかすると人間の一番美しい形なのかもしれないと思ったんです。 更年期は誰にでも訪れるものなのに、世の中では“隠すべきもの”として扱う風潮がまだまだあります。一方、私の住むサンフランシスコのベイエリアでは、「もっとオープンに話をしようよ」という空気感がどんどん広がってきています。私が参加している40~50歳の女性が集うコミュニティでは、月に1度集まってお互いの状況をシェアしていて、そこでは自分自身や家族、暮らしのことなど何でも話をします。アメリカでは自分の考えていることを人前で話す機会がたくさんありますが、私は日本で育ちそういう環境に慣れていなかったこともあり、最初は個人的な話をすることに戸惑いがありました。でも、いざ心の声を口にしてみると、その行為自体がヒーリングにつながるということに気づいたんです。 メノポーズのことも決して不幸自慢ではなく「私は今こうなの」とオープンに話したり、また他の人たちの話を聞いて「私だけじゃないんだ」と力をもらったり。私がメノポーズやエイジングをポジティブに受け入れることができたのは、そういう場所があったからこそ。更年期に限らず生理や性の悩みもそうですが、女性が心を閉ざさずにもっとオープンになっていくには、安心して話をすることができる人たちがいて、お互いに助け合っていけるコミュニティが必要です。そしてそういう場が増えていくことは、女性が前に出ることや意見を言うことを嫌うこれまでの封建的な社会をも変える力になると信じています。 ■ Pai Miyuki Hirai / コミュニティーハーバリスト 1997年渡米。ニューヨークを拠点にフォトグラファーとしての活動を始める。2001年に帰国し、中目黒にあった「gas-experiment!(後の大図実験)」を拠点に写真家として活動。その後自らもメッセンジャーとして働きながら仲間たちの写真をドキュメントする。2012年に再渡米。現在は母であり、サンフランシスコにて植物と宇宙のエネルギーとつながりながら、コミュニティーハーバリストという肩書きでみんながより良い生活を送るお手伝いをしている。 instagram: @mighty_thoughtful_medicine...

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食でつながるコミュニティーの環 / 八尋永理子さん

アメリカ西海岸のバークレーに店を構えるレストラン「Chez Panisse シェ・パニーズ」は1971年のオープン以来、ローカルの生産者が育てた新鮮でサステナブルなオーガニックの野菜や果物をメインに調理し消費者へ届ける「Farm to table農場から食卓へ」という考え方を世界中へ広めてきました。シェパニーズで働いて8年になるというペイストリーシェフ八尋永理子さんのお話からは、食と人、そして人と人が豊かにつながる“やわらかな世界”が見えてきました。 ースタッフはシェ・パニーズファミリーとしてお互いに支え合う --永理子さんはアメリカに長く暮らしていますよね。どんな流れでペイストリーシェフという職に辿り着いたのでしょうか? 「英語ができたら世界中の人と話せていいな」という単純な理由で留学したんです。最初は2年ぐらいで日本へ帰るつもりでいたのですが、気がつけばもう28年。料理人になる前は、和紙のお店で働いたり、製本やアパレルでの仕事をしたりしていました。出産を機に仕事を辞めたのですが、娘がプリスクールに行くタイミングでシェ・パニーズで働いていた友達が声をかけてくれてインターンとして働き始め、実際にキッチンに入ってすぐに「これだ!」と思いました。 --お菓子作りのどんなところに魅力を感じたのですか? お菓子作りって、工程がすごく細かいですよね。スイーツが大好きで、家でもよく作る…というタイプではないのですが、やってみたら上手にできたんです。元々細かい作業が好きで、手先も器用なので向いているかもしれないなと。それに、お砂糖が足りなかったり、ミックスの順番を間違えたりとその過程が少しでもずれてしまうと良い完成形にならないというところにすごく面白さを感じました。そのサイエンスな感じが自分に合うんですよね。シェ・パニーズでは毎日旬の果物をメインにデザートを決めるので、季節ごとにレシピを考えるのも楽しくて好きです。 --これほど有名なレストランでありながら、未経験でもチャレンジさせてもらえる環境があるということに驚きました。  もちろん料理学校を卒業した熟練のシェフもいますが、私のようにお菓子作りに興味があるとか、とにかく世界中から様々なバックグラウンドの人が集まってきているんです。きっちりとしたルールはないけれど、やりたいことやパッションを持っている人を受け入れてサポートする体制が整っていて。10代から60代までと幅広い年齢のスタッフがいますが、みんなアリス(※)のフィロソフィーに寄り添っていて、価値観や目標が近いので年齢関係なく共感しあえる。だから仲が良いんですよね。シェ・パニーズではスタッフミールの時間がとても大切にされています。座ってあれこれ話しながら食べる時間をみんなが楽しんでいるので、アリスはスタッフにその時間を大事にし続けてほしいと願っているんです。※シェ・パニーズの創始者・オーナーであるアリス・ウォータース。オーガニック、スローフード、地産地消、食育の大切さなどを提唱する食の革命家。(写真)スタッフの休憩用にと設けられた居心地の良いスペース ―今日永理子さんにレストランやオフィスを案内していただいて、働いている人たちがすごくお互いを尊重し合っているなという印象を受けました。  ここでは、一度働いたらファミリーの一員という考え方があります。メンバーや家族として、人としてすごく大切にしてくれるんです。例えば、病気になって暫くの間仕事ができなくなってしまったスタッフがいたら、その人のためにファンドレイズ(※)しようとか、そうやってお互いを気遣うということがごく普通のこととしてありますね。※活動を支える資金を募ること (写真)オフィスの入り口に飾られたシェ・パニーズファミリーの写真 (写真)レストラン2階から見える景色 ーシェフはファーマーとその作物を惹き立たせるためのヘルパーのような存在  --パンデミックのときには、いち早くテイクアウトを始めて、専属ファーマーたちの暮らしを守っていましたね。 パンデミックになってアリスが一番気にしたのはファーマーたちのことでした。レストランが開かないということは、彼らの収入もゼロになってしまうということ。それで彼らの収入源を絶たないために始めたのがテイクアウトと野菜や果物の詰め合わせボックスの販売です。ボックスは何が入っていても一箱あたりの価格は一定にして、ファームの収入が安定するようにしました。シェ・パニーズは、ファーマーたちがいてこそ成り立っている。そのことはスタッフの共通認識として強くあるので、生産者とのつながりはものすごく深いものがあります。 --レストランで提供される料理からも、ファームへのリスペクトをすごく感じます。 私たちシェフはファームから届いたその日の食材を見てメニューを考えます。いかに食材に手を加えず、どう味を引き出そうか。この食材はどう調理すると一番おいしい形でお客さんに出せるのか。それは私たちの永遠のテーマでもあります。 --シンプルな料理だからこそ、素材そのものの味を楽しむことができて、さらにシェフたちが出し合ったアイディアが引き立っているんですね。  フレンチを基本としていますが、素材にたくさん手を加える料理はほとんどないですね。カリフォルニアの食材はそのものの味がすごく良くて、そのまま食べれるほど美味しいんです。一方、シンプルな料理だからこそ、素材選びには命をかけています。それはシェ・パニーズに入って誰もが一番初めに習うことです。例えばイチゴが100個ある中で、おいしいものをひたすら選ぶというような仕事であるとか。でもそれを続けているとだんだん食材から語りかけてくるようになるんです。 --オーガニック野菜を使ったシンプルな料理や、地産地消の考え方がこのエリアに強く根付いているのを見ると、シェ・パニーズがこれまで地域で実践してきたことの大きさを感じます。 お客さんから料理について「これどうやって作るの?」とか「この食材はどこの?」なんて聞かれることもあるのですが、シェ・パニーズはすごくオープンなので、「塩茹でしただけだよ」とか、「そこのファーマーズマーケットで買えるよ」とか気軽に答えるんですね。そうすると次に来てくれたときに「あれ、やってみたよ」と教えてくれたりして、レストランでの体験が家庭の料理や地域の生産者に還元されていることを実感できて嬉しくなります。また、近隣の人が収穫された野菜などを私たちが料理にして「これはあなたが持ってきてくれたレモンで作ったタルトよ」みたいなこともよくあって、本当にいいコミュニティだなと思います。 ー大好きな人たちと、美味しい食べ物を囲んで、楽しい時間を過ごすことが幸せ --永理子さんは家ではどんな料理を作るのですか? シェ・パニーズで作る料理よりもさらにシンプルです。トマトを輪切りにして塩かけるだけとか、お豆腐にお醤油かけるだけとか。だからこそ旬なもの、素材そのものの味を大事にしています。でも一番ホッとするのは、やっぱりお味噌汁とご飯なんですよね。そんなに頑張って手をかけなくても、そういう安心できるようなご飯を作れたらいいんじゃないかなって思います。 --作物を育て、そのものの味を楽しむということは、アリスさんがエディブルスクールヤード(※)を通じて伝えようとしていることでもありますよね。 そうですね。子どもの頃、鳥取に住む祖母を毎年訪ねていたのですが、つくしや野草を摘んで調理していたんです。今考えるとすごくスペシャルだったなと思うのですが、そこではそれが日常の風景だったんですよね。祖母は野菜もお米も自分で作っていて、彼女の育てていたスイカの味は今でも忘れられません。今ファームで同じような安心感を感じるのは、そういうルーツがあるからなのかなぁ、なんて思ったりもします。※アリス・ウォータースが立ち上げた、校庭の一部を菜園にし、畑から食卓まで繋がるいのちの学びとして、子どもたちが土に触れ、育て、収穫し、料理して、共に食べる場をつくるプロジェクト...

# COMMUNITY# ORGANIC# SOFTNESS#SUSTAINABLE

優しさの連鎖が叶えるポジティブな循環 / 木津明子さん

自身のライフステージの変化をきっかけに、こどもの未来を明るく照らすようなコミュニティーを作りたいと一念発起し、地元である横浜市に「こども食堂 レインボー」をオープンしたスタイリストの木津さん。仕事に育児に、こども食堂の運営にと忙しい日々を送りながらも、彼女の周りはいつも明るくてハッピーなムードで溢れている。そんな木津さんが思い描く地域を巻き込んだ新しい取り組みと、そこで生まれたポジティブな循環の可能性について話をお聞きました。 ー「自分の不安=世の中の不安」と思ったことが行動の始まり --「こども食堂レインボー」を始めたのは、木津さんがシングルマザーになったことがきっかけだとお聞きしました。 木津:はい。区役所で児童手当など子ども関連の説明を受けたとき、なんとなく分かってはいたんですけど、改めてひとり親の過酷な状況を知ってショックを受けたんです。子どものためにも仕事は頑張りたいけれども、頑張るほど負担が大きくなるのが現実なんですよね。あまりにもびっくりし過ぎて「本当にみなさんそれでやっているんですか……!? 」と聞き返してしまったほどです(笑)。それで、その帰り道に「なにか自分にできることはないかな」と思って、こども食堂(※)をやることを決意しました。 ※こども食堂とは、子どもやその保護者、地域の住民に対して無料または低価格で栄養のある食事や温かな団欒の場を提供するために生まれた社会活動。 --自分の生活に不安を感じたタイミングで、逆に視野が広がったという部分が興味深いです。 木津:その時に自分が感じた不安から、子ども達の未来、日々の食事など、今までずっと気になっていたことに向き合う時が来たんだなと思いました。周りからの影響も大きかったですね。今はレギュラースタッフとしてこども食堂の活動を支えてくれているメンバーの話なんですけど、「+IPPO PROJECT」(※)という活動をやっている友達がいて。私はそのプロジェクトの「一歩踏み出す」という姿勢にすごく感化されたんです。昔の自分は怖かったり、悲しかったりするニュースがあると、つい目を逸らしたくなってしまうようなところがあったんですよね。でも「ちゃんと自分の目で見て、進んで行かないといけないよね」と改めて思わせてもらったし、背中を押してもらいました。  ※ファッション業界をベースに活動する女性3人が始めたプロジェクト。児童養護施設などを巣立った人たちのその後を支えるアフターケア相談所と手をとり合い、ファッションの持つポジティブな力をもとに、さまざまな形で社会問題につなげる活動をする。  --様々な選択がある中で、こども食堂を選んだ理由はありますか?木津:私自身、元々料理をしたら多めに作って「食べに来る?」と周りの人に声をかけるようなタイプで。今でも近所に住む両親にはよくご飯を作って持って行きます。私の母はすごく褒め上手で「あっこ(木津)は仕事もこんなに頑張っているのにちゃんと育児もして、ご飯まで作って偉過ぎる〜!」とか、こっちが嬉しくなる言葉をかけてくれるんですよ(笑)。料理も好きだし、人に喜んでもらえるのも好きなので、自然とたどりついた形なのかなと思います。 --ゼロの状態からこども食堂をオープンするまでにはいろいろとあったと思いますが、どのように体制を整えていったのか教えてください。 木津:場所が決まってからは色々と早かったです。私はあまり建設的に物事を考えるタイプではないので、周りの人に助けてもらいつつ、準備を進めていきました。とにかく初めてのことだらけだったので、まずは体当たりじゃないですけど、場所を探すところから始めました。その結果、洋光台の町の窓口「マチマド」さんにレンタルスペースを借りることになり、そこでのやり取りをきっかけに現在のスペースを紹介してくれたUR新都市機構の方ともつながることができました。そして地域ケアプラザの方もこども食堂ができるのを喜んでくれて、近隣の学校に代理で手紙を出してくださったり、いろいろサポート体制を整えてくれましたね。地域の協力体制があったのは大きかったです。あとは友人達の心強い協力に支えてもらいました。みんなそれぞれに仕事や家族のこともあるのに、事前の準備からお店の運営まで喜んで力になってくれて本当にありがたかったです。最初は「全部一人でやるぞ!」と意気込んでいたんですけど、それは到底無理な話でした。 (写真)こども食堂レインボーの様子 --準備期間とオープンしてからで心境の変化などはありましたか? 木津:実際に始めてからの方がいろいろ感じること、分かることが多かったです。初日を終えて、まずは自分の意識をガラッと変えていかないとだめだと痛感しました。最初は「救ってあげたい」という気持ちから始まったんですけど、その考え方自体が大きな間違いでした。本当に必要な人に食べに来てもらいたいという思いがあったので事前にあまりアナウンスをしていなくて、初日はお客さんが少なかったんですよね。チラシを駅前に配りに行った時に感じたことは、楽しくて明るくて、ポジティブな循環が生まれる場所づくりをしていかないと本当に届けたい子どもたちにまで届かないなということ。それに食堂と名前がついているからには活気も必要だなって。今振り返ると、その時の気づきはとても重要でしたね。そこからみんなで方向性をしっかり意識して軌道修正できたことが今のこども食堂に紐づいているんじゃないかと思います。 ー間口を広げることで、あらゆる人につながる場所を作りたい --その意識の部分についてもう少し詳しくお話していただけますか? 木津:こども食堂に対して“後ろめたい”というイメージを持つ人って多いと思うんです。ビラ配りをしている時にもそれをすごく感じました。好意的に受け取ってくれる人ほど「素敵なことですね。でも、うちは大丈夫です」って言うんですよ。「だって、困っている人が利用する場所なんでしょ?」と。そのたびに、きちんと私たちが考えるこども食堂の話をするようにしています。人からちゃんとしているように見られたい、という気持ちは私にもあるし、すごく理解できるんです。でも、ひとり親に限らず、子育てをしている人って毎日すごく大変じゃないですか。だから子どもたちだけではなく育児に関わる全ての人たちにこども食堂に来て少し楽をして笑顔になって欲しいんです。そこで心に余裕が生まれたら周りにも優しくなれるかもしれない。そうやって優しさの循環を作るきっかけになりたいんです。まずは子ども達にお腹いっぱいになって幸せになってもらうのが第一ですが、それに限らずいろんな人が普通に利用して、明るくて楽しい場所として定着していって欲しい。間口が広がることで、少しでも多くの人の気持ちを補うことができればという思いでいます。  --仕事や家庭があっての活動ということで体力面でもかなりハードかと思いますが、原動力はなんですか? 木津:体力の話だけでいったら結構ハードです(笑)。でも、なんか毎回終わった後にすごく元気になっているんですよね。これは私だけではなくスタッフ全員が共通して感じていることみたいです。とにかく終始みんながよく笑っているんですよ。子どもたちからもらうエネルギーは本当にすごくて、どんどん元気になる!慌ただしい日々ですが、みんなそれぞれ意欲的に楽しんでやっています。 --「こども食堂レインボー」はInstagramでの発信も積極的に行なっていますが、反応はどうですか? 木津:発信はできるだけこまめにしようと頑張っていて、その手応えも感じています。私たちはオンラインショップでの支援チケット販売と銀行振込を通じて支援金を集めているんですけど、「SNSで様子を見ていると何をしているか明確に分かるから、支援したくなる」というような声をもらうことが結構あります。なので、引き続き発信することも頑張っていきたいです。ただ、ファッション業界は福祉に対してまだまだ消極的なところが多いなとも感じます。だからこそ両方の立場が分かる自分ができること、ファッションと福祉という一見異なるものを組み合わせることで生み出される新しい可能性についてこれからも考えていきたいです。 --今後の目標はありますか? 木津:近い目標としてあるのは、定期賃貸できるスペースを確保することです。拠点を確保することで食べること以外のコミュニケーションの場が作れるかもしれないし、もっといろんな可能性が広がると思うんです。食事と教育が一緒にできる寺子屋のような場所にすることが理想です。あとは永く続けていきたい。でもこれらを実現するためには、何よりも安定した資金の調達が一番の課題です。急にすごく現実的な話になってしまうんですけど(笑)、これが本当に大真面目な話で! 来てくれる人、手伝ってくれる人、支援する人、みんながもっとフェアになるためにはやっぱり避けては通れない問題だと思います。以前仕事で関わるモデルさんや女優さん、ブランドさんに売上の一部を寄付して頂いたことがあるのですが、もっとこういったタッグをいろんな企業に呼びかけてやっていきたいです。 地域密着型で、こども食堂を中心に地域のコミュニティーみたいなものを作ることができたら、子供を守りながら雇用も生み出せるんじゃないかって思うんです。そんな理想的な循環を可能にするビジネスモデルを作ることができれたら、全国展開だって夢じゃないですよね。そんな未来に備えて組織も法人化しています。夢は大きく!でもまずは今できる目の前のことに向き合って、地元の洋光台で頑張りたいです。  ■ 木津明子 / スタイリスト...

# COMMUNITY# SOFTNESS# 自分らしく生きる

この地球で持続可能な暮らしをしたい ーパーマカルチャーが僕らに教えてくれたことー 木多伸明さん

岡山県で持続可能な暮らしを営んでいるノブ(木多伸明)さん、ケイさん、3歳のテラくん一家。電気は太陽光発電、ガスは引かずに自家製の炭と薪で調理、雨水をろ過して飲み水を作り、お風呂は薪で沸かし、自宅の敷地にある畑では家族が食べるに十分な野菜を育てています。彼らが実践するパーマカルチャーとは、パーマネント(永続性)、アグリカルチャー(農業)、カルチャー(文化)を組み合わせた、人と自然が共存する持続可能な社会をつくるためのデザイン手法のこと。2023年4月に公開されたばかりの映画「TERRA 〜ぼくらと地球のくらし方〜 」は、ノブさん一家が国内外のパーマカルチャー実践者を訪ねた軌跡を自ら記録したものです。パーマカルチャーの基本倫理は、アースケア(地球に配慮する)、ピープルケア(人に配慮する)、そしてフェアシェア(みんなで分かち合う)。その暮らしの先には、循環する豊かな世界が見えてきました。 ー消費者から生産者へ。人生が変わるほどに魅了されたパーマカルチャーの世界 以下語り手 Nobu:ニュージーランドの北端から南端まで3000km続くトレイル “Te Araroa(テ・アラロア)” をハネムーンとして5ヶ月かけてケイと2人で歩いたのは2017年のこと。その後、ケイはニュージーランドに残り、僕は昔から憧れていたアメリカのトレイル “PCT(パシフィック・クレスト・トレイル)” へ。そして4200kmの道のりを1人で歩いていた時、ケイから「共生革命家のソーヤー海くんの “人生が変わるパーマカルチャーツアー”が近くで開催されるから歩き終わったら参加してみたら?」と連絡がきた。そもそもは彼女が行きたがっていたのだけど叶わないので、代わりに僕へ勧めたのだ。ツアーは、西海岸のパーマカルチャーの聖地と呼ばれる場所を2週間ほどかけて巡るもの。その時は正直あまり興味はなかったけれど、せっかくアメリカにいるのだから、と軽い気持ちで参加することにした。 まず訪れたのは、40年以上パーマカルチャーを実践しているワシントン州のブロックス・パーマカルチャー・ホームステッドだ。ちょうど実りの時期ということもあって、食べ物がそこら中になっていて、ナッツや薬草は生い茂り、果樹からは取りきれない実がボトボトと落ちていた。溢れんばかりの収穫物は乾燥させたり、瓶詰めにしたり、ジャムにしたりと、何でも保存食にするらしいが、それでも食べきれないという。だけど、例え欲しいという人がいても余っているフルーツは売らないと聞いて驚いた。収穫された果物を買う人はただの“消費者”にしかなりえないからだ。彼らはナーサリー(育苗園)を営んでいて、そこでは世界中の様々な種類の苗を購入することができる。苗を買い育てれば、“生産者”になることができるというのが彼らの考え。その視点に感銘を受けたし、目の前に広がる楽園のような世界を見て、「僕もこれをやりたい」と強く思った。  (動画)ブロックス・パーマカルチャー・ホームステッドで撮影されたツアー動画 ートライアンドエラーを繰り返して学んでいく開拓の日々 それまでの僕は東京に住んで、映像カメラマンとして仕事をしていた。2018年に日本へ帰ってくると、パーマカルチャーを実践するために僕らは東京を離れることにした。ケイも旅の中で循環する暮らしを営む人たちと過ごすことで、場を育みたいという気持ちが強くなっていたようだ。移住先はいくつか検討したけれど、岡山で僕の祖父母が住んでいた家が空き家になっていて、手っ取り早く始められそうだったのでここに決めた。家の前には畑があって、周囲は少し小高い丘になり雑木林に囲まれている。長年放置されたままだった土地は藪化し、竹林は暴走していた。そこからはひたすら開拓の日々。僕は子どもの頃からモノを作ることが好きだ。今も基本的に何でも自分で作るが、大体は一度失敗する。僕にはこういう暮らしの経験がないから、全てトライアンドエラーで学びながらやっていくしかない。  (写真)↑ 藪化していた頃の様子。↓現在の様子。 現代の暮らしでは自然と人間は完全に分離されていて、例えばトイレで流したものがどこへ行くのか疑問に持つ人は少ない。そういう感覚的なものが失われた暮らしに、それってどうなっているの?とか、それっておかしくない?とか、考えるきっかけを与えてくれるのがパーマカルチャーなのだと思う。汚水をきれいにしてくれるプロダクトを購入するのではなくて、その仕組みをどうやって作ろうかと考える。そして理論を実践していく。その小さな実践の積み重ねが、自然界と人間のつながりを取り戻してくれるのだ。 (写真)温室とお風呂を兼ね備えるジオデシックドーム (写真)伐採された竹で囲われたコンポストトイレ そもそも、パーマカルチャーを取り入れることは決して難しいことではない。コンポストでも、ベランダ菜園でも、できることから始めればいい。もちろん苦労はそれぞれにあるけれど、それ以上に得られるものは大きいし、実際に僕らの暮らしの豊かさはどんどん上がっている。果樹も少しずつ実りが出てきたし、僕たちの暮らしを見にくる人たちも増えてきて、僕が西海岸で受けた影響を今度は僕が人に与えられるようになってきた。僕は今、西海岸で見たあの憧れの暮らしがここ岡山でできつつあることを実感している。 (写真) 屋根の上に備えつけたタンクに、ポンプで井戸水を引き上げてシャワーが出る仕組み。 ーこの映画が、その土地のパーマカルチャーに興味のある人と実践者とをつなぐきっかけになったら 僕らのように田舎でパーマカルチャー的な豊かな暮らしを実現していたとしても、気候変動やエネルギーなどの大きい問題からは逃げることはできない、というのもこの暮らしを始めて気づいたことの一つだ。いくら目の前の風景を豊かにすることができても、僕らだけでは気候変動をどうにかすることはできない。僕が生きている間には大事にはならないかもしれないけれど、じゃあテラは?他の子どもたちはどうなる? 彼らの未来を守るために、今何かアクションを起こすべきなんじゃないかと考えていた。 そんな中、ソーヤ海くんがパーマカルチャーのことを僕に映像化してほしいと考えているという話を聞いた。僕は宅地と畑の開拓に追われてそれどころじゃなかったけれど、ちょうどテラが産まれた後でどうもケイは旅に出たそうだった。初めての子育て、さらに移住とコロナが重なり、外とのつながりが少なかったこともあって、ここでの生活に少し息苦しさを感じていたのかもしれない。それに、パーマカルチャーをより多くの人が実践してくれたら世の中を変えることができるかもしれないという思いもあった。  (写真)烏骨鶏を愛でる子どもたち ケイはDIYで作ったソーラークッカーでよくクッキーを焼いてくれるのだけど、天気がいいとテラは「今日はクッキー焼けるかなー」と言う。3歳ながら、太陽があればクッキーが焼けるんだということを彼はナチュラルに知っているのだ。もし世界中の子どもが同じように言い出したら、将来エネルギー問題は解決できるんじゃないだろうか。 この暮らしを映画にして、この世界をもっと多くの人に知ってもらいたい。ここの開拓作業を止めてしまうことはとても苦しい決断ではあったけど、やっぱりドキュメンタリー映画を撮ろうと決心した。そして家族3人でアメリカと日本各地のパーマカルチャーの実践者を巡る旅が始まった。 (写真)ソーラークッカーでクッキーが焼く様子。そしてそれをじっと待つテラくん。  (写真)電気は太陽光発電のみのオフグリッド。各小屋にソーラーパネルとパッテリーを設置して電気を賄っている。 僕らが知っている人たちを取材するうちに輪が広がっていき、終わってみれば訪ねた場所は40ヶ所以上にも及ぶ。心配だった編集に関しては、支援してくれる人たちと少しずつ進めて完成することができた。この映画は、各地のパーマカルチャーデザイナーや実践者をハブとして自主上映会を開いてほしいと考えている。映画がきっかけとなって、これまでなんとなくパーマカルチャーやこういう暮らしに興味がある人がその土地の実践者とつながることが何より大事だと思うから。話を聞いて現場を見てみたり、実際に始めたいというときにはデザイナーが助けになってくれるだろう。パーマカルチャーでつくるそれぞれの小さな世界は豊かにしかなっていかない。だから、みんな始めようよ。始めなきゃここにはたどり着けないから。  (動画)映画「TERRA...

# ORGANIC# SOFTNESS# 自分らしく生きる#パーマカルチャー

自分らしく美しく ―からだの中から整える― 新井佑佳さん

自分らしく生きている人を見ると、「美しい」と感じることがあります。美しさの定義は人それぞれに自由であるものですが、“自分らしさ” とはなにかを知ったとき、自分の求める美しさに近づくことができるのかもしれません。セラピスト暦15年目を迎え、食の分野などにも活動の幅を広げられている新井佑佳さんの場合は、身体の内側を整えることがそのきっかけになったと言います。 ―自身の身体の不調から、内側を整えることの大切さを知りました 本田:新井さんは現在、都内でオーガニックサロン「ayuca organic salon」を営んでいらっしゃいますが、どのような想いがあってこのお仕事を選ばれたのですか? 新井:子どもの頃から、美容の仕事についている人は年齢に関係なくずっと美しいと思っていて、その美しさにずっと憧れていたんです。私が通っていた美容学校は、トータルビューティーを学ぶことのできる割と珍しい短期大学。ヘアカットやメイクの授業はもちろん、健康美や精神美、花道や茶道、フィットネスに心理学と幅広い分野に触れる機会がありました。そこで内側まで美しくするセラピストという職業を知ったんです。 本田:当時は身体の外側へのアプローチを目的としたサロンの方が目立っていたような記憶があるのですが、最近では身体の内側、心のケアができる場所も多いですよね。それは世間の関心が身体を中から整えることにも向けられるようになってきたからなのでしょうか? 新井:そうですね。自分がこの仕事に就いているからかもしれませんが、セラピストという言葉を当たり前に聞くようになった実感があります。リラクゼーションサロンの数も増えてきたので、外側だけでなく内側に癒しを求める人が増えているのかなと思いますね。 本田:少し前までは精神的な部分をオープンにすることに対して、ためらいを感じる方も多かったように思うんです。でも今は、いろいろな方法で自分の内側の部分をケアするみたいなことが一般的になりつつありますよね。 新井:私も元々溜め込みやすいタイプで、身体に不調があらわれてしまうことがありました。自律神経が乱れたり、円形脱毛症になったり。一番辛かったのは顔面麻痺になってしまい、薬の副作用で肌もボロボロになってしまったこと。その時に、いくら外側を美しく整えても、身体が元気で健康じゃないと、全部がダメになってしまうんだなと感じたんです。 本田:ご自身の経験が今に大きく関わっているのですね。新井さんはセラピストとして実際にお客様をケアされる時、どのようなことを大切にしていらっしゃいますか? 新井:マッサージに行った時、逆にすごく疲れて帰ってくることってありませんか? 癒しの空間すぎて陰の世界に気持ちが持っていかれてしまうというか。自分のサロンに来ていただいたお客さまには癒しを感じてほしいのはもちろんですが、また頑張ろうと元気になったり、幸せな気分になったり、いい気持ちで帰ってほしいと思っています。サロンの空間を楽しんで欲しいし、特別な空間だと思ってもらいたいので、おもてなしをするように施術することを心がけていますね。 本田:自分にフィットしたサロンかどうかということは重要ですよね。そういった場所や人に出会うことで感じ方や見える景色も変わると思います。自分自身が精神的に癒されると、周りに優しくなれたりも。 新井:そうですね。うちのサロンにはお子さんがいらっしゃるお客さまも多く、子育ても仕事もしていると、みなさんご自身の時間がなくてかなり疲れが溜まっているんです。そんな中サロンに来てくださって、施術を受けると心に余裕が生まれてハッピーになる。家に帰った時に家族にもやさしくなれるから、旦那さんも「行ってよかったね!また行ってきなよ」と言ってくれるみたいで。そういったお話を聞かせてもらうことも多く、とても嬉しく思います。 ―心が求める楽しい方へ向かっていくことが、美しさに繋がっていく 本田:新井さんは畑仕事もされていますよね。そのお話も伺いたいです。新井:以前、体調を崩しやすかった時に2年ほどマクロビオティックを学んでいた時期があって。マクロビ食を取り入れてみたところ、体調だけでなく精神的にもとても安定して驚いたんです。そこから「身土不二(しんどふじ)」とか「一物全体」っていうことばが自分の中でスッと腑に落ちて。私は群馬県の神流町(かんなまち)という、山に囲まれた町で生まれ育ったんですが、地元で父のはじめた畑を手伝うようになったんです。水と緑に恵まれた場所で一から無農薬で作って、野菜や果物の成長する過程を見て学びを受ける。続けていくうちに野菜への愛が膨らんで、月に一度は必ず帰って畑に触れています。 本田:そういった経験を通して、サロンでのお仕事に活かされていることも多いのではないでしょうか。 新井:その通りなんです。自宅ではこういう食事をとった方がいいですよということがアドバイスできるようになったのは大きいですね。より多くの人に食事の大切さや楽しさを広めたくて、田舎暮らしを体験する地元のツアーや料理教室、食に関するセミナーも開催するようになりました。 本田:サロンでは、経営から接客まですべて新井さんお一人でされているのですよね。ご自身のペースで働ける環境があるからこそ、そういった活動にも精力的に取り組めるというところがあるのでしょうか。 新井:そうですね。昨年地元のツアーを開催したときに、自分がやりたかったことが徐々に形になってきていると実感できました。勤めていたころは「次は何時にお客さまが来ちゃう!」とか「施術の時間はオーバーしちゃダメ!」など時間と周りを気にしてしまうところがありましたが、独立して一人で働くようになってからはそういった焦りがなく、お客様一人ひとりにゆっくり寄り添うことができるようになった気がします。お客様が満足して帰ってくれることが一番なので、今の環境やペースは自分に合っているなと感じています。 本田:新井さんのインスタグラムには、おすすめの調味料やおいしそうな料理の数々が並んでいて、とても興味深く拝見しています。サロンでの施術だけでなく「食」に関することも含めてホリスティックにお客さまをケアしていく方向になっていっていますよね。今後はどのようなバランスで活動されていかれるのでしょうか? 新井:基本はセラピストという軸はぶれないようにしたいと思っていますが、色々と挑戦はしていきたいですね。昨年開催した田舎暮らし体験ツアーを通して、地元での活動が仕事につながることが実感できたので、今後はもうちょっと畑に関わる活動も広げていけたらと考えています。東京のカフェに野菜を卸すとか、都内で野菜を販売するとか。そしていずれは地元の群馬と東京でデュアルライフができたらいいなと思っています。 本田:心の声に素直であることは自分をケアすることでもありますよね。そういったことが、自分の「らしさ」や「美しさ」に通じていくのかもしれませんね。 新井:たくさんの情報が溢れている中で、いろいろと試しながら「自分が一番心地良いと思うこと」を選びとっていくことも大切だと思っています。そういったことを積み重ねながら、自分らしさを磨いていくことが一番美しく輝ける秘訣なのかもしれません。これからも内側の幸せや “楽しい、嬉しい” にフォーカスしながら、お客さまや自分も含め、みんなの美しさにつなげていきたいですね。 ■ 新井佑佳 /...

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