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COMMUNITY

環境に配慮したものづくりで紡ぐやわらかな世界 ー生理用ナプキンのリニューアルにかけた想いー

2023年10月、シシフィーユはブランドの代表アイテムであるオーガニックコットンを使用した生理用ナプキンをリニューアルしました。これまでパッケージとして採用していた紙製のスリーブを廃止し、新しいパッケージフィルムにはバイオマス由来の原料を80%配合することで、石油由来のプラスチック使用量を削減。さらにフィルムへの印刷には、植物由来原料を10%以上配合したボタニカルインクを使用するなど、植物由来原料の割合を増やすことで、カーボンオフセットの観点から製造にかかる二酸化炭素の排出量を減らしています。今回企画を担当したMDのMamiとシシフィーユブランドコミュニケーターのcumiが、環境に配慮したものづくりのこと、そしてリニューアルに込めた想いについて語りました。 ―さとうきびの搾りかすと卵殻をアップサイクルしたパッケージフィルムに cumi:2015年にシシフィーユを立ち上げてから、パッケージも環境に配慮されたものにしたいというのはずっと考えてきたことだったけれど、ついにリニューアルを迎えることができました。振り返ると長い道のりでしたね。 Mami:試行錯誤を重ねて、ようやく納得のいく形になりましたね。 cumi:新しいパッケージフィルムには、全体の75%がさとうきびの搾りかす由来のポリエチレン、5%に廃棄予定の卵殻を採用したけれど、卵殻を使ったバイオマスプラスチックは国内ではまだあまり目にしないですよね。 Mami:そうですね。バイオマス由来の製品というと、さとうきびやとうもろこしを使ったものが一般的かと思います。今回私たちが採用したのはさとうきび由来のポリエチレンと卵殻ですが、実は日本は世界で2番目に卵の消費量が多い国で、個数にすると年間約420億個もの卵の殻が国内で産業廃棄物として処理されているそうなんです。 cumi:私も今回、国内でそんなに卵が廃棄されているということを初めて知って、有効活用できるのはすごくいいなと思いました。シシフィーユにとってテクスチャーは大事な要素なので、パッケージの手触りにもこだわりましたよね。バイオマス由来といっても原料や配合量によっても質感が全然違うことに驚きました。 Mami:米ぬかなど、他の素材を配合したサンプルも検討したのですが、どうしても独特の匂いがしたり、触り心地が良くなかったり。一番しっくりきたのが卵殻でした。卵殻5%配合と聞いて「お気持ち程度じゃないか」と思われてしまわないかと不安はあったのですが、それ以上増やすと表面に粉っぽさが残ってしまったりして。テクスチャーにもこだわると5%というのがベストだったんです。シシフィーユの協力工場さんも、バイオマス由来の原料を使った前例がなかったので、やってみないと何が起きるか分からないという中で、みんなが手探りの日々でした。国内生産の生理用品のパッケージでバイオマス由来のプラスチックが使われた例はほぼないんじゃないでしょうか。 (写真)cumi cumi:衛生用品を扱う工場では異物が入らないように安全性を第一優先されているから、バイオマス素材にすることでパッケージとしての耐久性が損なわれてしまうのではないかという懸念がありました。それは今回パッケージを生分解性にしなかった理由の一つ。私が住んでいるサンフランシスコではゴミを焼却するという選択はなくて、コンポストかランドフィル(埋め立てる)かリサイクルで処理されているんです。各家庭でコンポストしているところも多いことから、生分解性プラスチックはすんなりと受け入れられ、どんどん広がってきています。初めはどうにか生分解される資材を選べないだろうかという個人的な思いもあったのですが、それには少しずつ理解を得る必要があるんだということに気がづきました。 Mami:前例がなかったこともあって、開発にはとても時間がかかりましたよね。リニューアルに向けて何年もかけて取り組んできたので、いざ新パッケージが完成して手にとった時は、本当に感慨ひとしおでした。「やっとここまで来られた!」って。資材を調達してくださったメーカーさんや工場さん、本当にたくさんの方々にご協力いただきました。私たちだけではとても辿り着けなかったと思います。 ―従来の使用感を残したまま薄型のナプキンに cumi:紙製のスリーブをなくすというのも大きい決断のひとつでしたよね。スリーブがあることでスッキリとした見た目や管理のしやすさが実現できていたということもあるし、あのパッケージがここまでシシフィーユを連れてきてくれたという思いも強かったので。Mami:あのスリーブがシシフィーユのナプキンの良さでもあった一方で、使い終わったらゴミになってしまうということに対してのジレンマがずっとありました。単純にスリーブをなくすことだけでも解決できたと思いますが、今回新しいフィルムにしたことで、シシフィーユのナプキンを進化させることができたと思っています。 (写真)Mamicumi:それから名称もサニタリーパッドからピリオドパッドへと変更して、以前からご要望が多かった23.5cmと29cmのナプキンを薄型に改良しました。薄型と言ってもいわゆる一般的な高分子吸収体をつかった薄型とは違って、ふっくらとしたシシフィーユならではの使用感が損なわれない厚さに調整できたので、より使いやすくなったと感じています。 Mami:1パックあたりの入り数を増やしたことで1枚あたりの単価を下げられたことも良かったですよね。シシフィーユのナプキンは他社製品と比べて高価なので、どうしたらお客様が手に取りやすいようできるかというのも悩みのひとつでした。 cumi:一回の生理で使うナプキンの個数は、約20枚と言われているので、1パックあれば足りるという個数もこだわったポイントのひとつ。1パックごとの入数を増やすことで、ゴミの削減にもなりますしね。 ―私たちもシシフィーユの歩みと共に変化してきた Mami:今回のリニューアルは個人的にもすごく思い入れが強くて。大きく担わせてもらっていたので達成感があったのももちろんですが、シシフィーユの成長を感じると共に、自分自身の変化も実感しました。シシフィーユのチームの一員になって、ブランドの世界観にふれることで、環境問題に対する危機意識をはじめ、物事に対して感じることや、これから自分がどうなりたいのか、どんなことにコミットしていきたいのか、価値観や生活自体もすごく変わりました。シシフィーユが一歩ずつ変わっていくのと一緒に、私自身もアップデートされてきたんだなあ、と。 cumi:Mamiさんの言う通り、みんなの意見を反映しながらシシフィーユは成長してきたし、私たちもシシフィーユの世界から色々学んできましたよね。私はオーガニックコットンに携わりはじめて10年ほどになるけれど、ここで得た経験は衣食住さまざまなものを選択する基準にもすごく影響しています。シシフィーユを立ち上げてから8年の間に自然素材を使った製品が増えてきたのを見てきて、資材もまた同じように環境に配慮されたものになっていくといいなと思います。 Mami:シシフィーユのプロダクトがメッセージとなって、これからどんどん変わっていけばいいですよね。私自身がシシフィーユに出合って変わったように、使ってくださる皆様にとっても何かのきっかけになってもらえればいいな。良いものはみんなでシェアして、より良いものづくりをしていきたいです。 ■ Mami / SISIFILLE MD 美術大学を卒業後、設計会社に勤務。退職し、世界26カ国を周遊、その後カナダで暮らす。帰国後、オーガニックコットンを通じた嘘のないものづくりに感銘を受け、2018年シシフィーユの運営会社であるパノコトレーディングに入社。現在はシシフィーユの商品企画開発、PR、WEBサイト運営等に携わる。 ■ cumi / SISIFILLEブランドコミュニケーター 幼少期をインドネシアで過ごし、大学卒業後はアパレルで販売やPRなどに従事。2015年自身の体験をいかし、オーガニックコットンブランド「SISIFILLE」の立ち上げを担う。現在はサンフランシスコベイエリアを拠点に、シシフィーユWebサイト内のリーディングコンテンツ企画やSNS、製品企画に携わる。 Text&Edit :...

# BACKGROUND# BIORE PROJECT# FAIRTRADE# ORGANIC# ORGANIC COTTON# PERIOD# SOFTNESS#SUSTAINABLE

つながる場所があるということが支えになる / 櫻木直美さん

 広島でオーガニックコットンの肌着を展開する「marru(マアル)」。「まあるくつながろう」という願いが込められた名前の通り、ブランドの、そして櫻木さんの想いに心を寄せる人たちがやさしくつながり合いながら営みを続けてきました。「マアルさんの拡がりこそがコミュニティそのものだと思う」と語るSISIFILLE(シシフィーユ)ブランドコミュニケーターのcumiが、マアルを紡いできた想い、そしてコミュニティについて、代表の櫻木直美さんに話を聞きました。 ―母と娘、アトピー性皮膚炎の発症からすべてが始まった cumi:マアルさんは、立ち上げ当時から私たちのプロダクトを取り扱ってくださっていて、長年に渡ってシシフィーユを見守ってくれています。そもそも櫻木さんがマアルを始めるきっかけは何だったのですか?  櫻木:長女が赤ちゃんの時、重度のアトピー性皮膚炎を発症したんです。その数年後、なんと30歳を過ぎて私もアトピーになってしまって…。治したいという気持ち一心で衣食を見直す中、黄砂や花粉などの環境的な要因にも身体が反応していることに気がつきました。では、なぜ黄砂が飛んでくるのかと調べてみると、森林減少や土地の砂漠化といった人為的な影響があることが分かったんです。つまり、地球への配慮が欠けた私たちの行動が、結果的にアレルギーで苦しむ人たちを生んでいる。これって、因果応報ですよね。でも、子どもたちには何の責任もないじゃないですか。素直に申し訳ないなと思いました。 cumi:環境問題だけでなく、食べものや流通の仕組み、自然療法などに関心を持ったのもこの頃ですか? 櫻木:そうですね。アトピーがきっかけとなって、暮らしの根本を見直そうといろんなことに興味が広がっていき、次の世代に負荷がかからない生き方をしたいという思いで友人と始めたのが「エコママン」です。周りのママ友に布ナプキンを配ったり、マイ箸袋を作ってフリマで販売をしたりということをしていました。趣味の延長のような活動でしたが、徐々に忙しくなってきたこともあり仕事にすることにしたんです。それが「マアル」の始まりです。 (写真)マアルの実店舗「素 sou」 ―どうしたって、マアルを続けたくって仕方なかったそれほどまでに何かをしたいと思ったことは人生で初めてのことでした 櫻木:個人事業としてマアルを開業したものの、利益はほとんどなく、数年は自転車操業でした。実はマアルを立ち上げて一年後に離婚をしたんですよ。子どもをふたり抱えているし、周囲は当然就職先を探すだろうと思ったようですが、私には全くそのイメージが湧かなかった。どうしたって、マアルを続けたくて仕方なかったんですね。それほどまでに何かをしたいと思ったのは人生で初めてのことでした。心配する両親には「三年後に食べていけるようになっていなかったら諦めるから」と伝え、実際にちょうど三年ほど経った頃になんとか法人化することができたんです。 cumi:立ち上げ当初からある体を締め付けないマアルのオリジナルショーツは今では看板商品となっていますが、当時はまだ目新しいものでしたよね。なぜショーツをつくろうと思ったのですか? 櫻木:私はかゆみ対策として蒸れないショーツがほしかったし、足の浮腫みに悩んでいたママ友は、ふんどしパンツという締め付けのないものを履くとすごく楽になると言っていて。そういう鼠蹊部やお腹周りを締め付けないパンツがほしいねということでつくったのが、新月ショーツと満月パンツでした。 (写真)マアルの代表的アイテム「新月ショーツ」 cumi:マアルさんのオリジナルプロダクトは、糸に至るまで全て厳選されたオーガニックコットンでつくられているのも特徴ですね。 櫻木:そうなんです。アトピーになって衣類は綿素材のものを選ぶようになりましたが、一口に綿といってもかゆみがでるものがあれば、でないものもあるんです。たとえオーガニックのコットンであっても、生産の過程で化学薬品を使うことがあって、それがかゆみの原因となってしまうことがあるんですね。たくさんの生地を試す中で出合ったのが、製造過程で有害な化学物質を使用していないオーガニックコットンでした。 cumi:櫻木さんご自身の体験や身近な方の声が、気持ちのいいショーツの形や素材選びにつながっているのですね。 櫻木:そうですね。また、気持ちいいパンツであるためには、フェアトレードのコットンであることも大切な要素だと考えています。子どもたちに産地やその背景について聞かれた時に、胸を張って説明できるものでありたい。心地いい生地、心地いい肌着を選ぶことは、原材料を栽培する人々の暮らしともつながっていると思うんです。 (写真)マアルのオリジナル布ナプキン ―そこには心が通う人たちがいるということそういう存在があると知っているだけで支えになる  cumi:マアルさんは、プロダクトだけでなく、人とのつながりが豊かですよね。エコママンでのママたちのコミュニティがマアルにつながり、今もマアルが人と人をつないで拡がっていて。 櫻木:下着を使う人、原料を育てる人、生地を作る人、販売する人…、いろんな人たちの輪の中にマアルはあると考えています。創業から13年が経ちますが、つながっているという実感が伴っていて、マアルという名前にして本当に良かったと思っています。 cumi:私生活で落ち込む時期があっても、ずっとマアルに没頭することができたのはその実感があったからなのでしょうか? 櫻木:その通りだと思います。私はエコママンの時からずっとメルマガを配信しているのですが、たくさんの反応をいただくんですね。私のメルマガは想いが溢れすぎていて少々暑苦しいのですが(笑)、それを受け取ってくださる人たちがいる。お店ではお客さまからリアルなお声をいただきますし、ネットショップでは納品書に書くメッセージに対して、メールでお返事が返ってくることもあります。ネット上のつながりは希薄と言われることもありますが、全くそんなことはない。更年期に突入している同世代の方と励まし合ったり、ママ同士で共感し合ったり、お客さんであってもそういう関係性ができていることはすごくありがたいですよね。だからこそ、今まで続けてこられたんだろうなと思います。  cumi:そのつながりこそが「コミュニティ」ですよね。コミュニティって、一方的な押しつけじゃないというのがいいなと思うんです。売り手、買い手の関係を超えて、共通の価値観でつながることができる。対等になれるんですよね。肌や生理の悩みを持つ人がマアルさんのプロダクトを手にし、その魅力をまた別の人に伝えて、とじわじわとコミュニティの輪が拡がっていく。悩みや想いを共有できるからこそ、強いつながりが生まれるのでしょうね。 櫻木:マアルを始める前、子育ての価値観が近しい人を身近に見つけるのが難しかったんですが、天然のものを大事にしていたり、自然に沿った子育てをしているママたちのコミュニティがあって、そこへ行くとすごく気持ちが楽になりました。離婚やアトピーに苦しんだ時は周りの人たちに支えられたし、共に支え合えるという関係性が楽しかったんです。私はひとりでいることも好きなタイプなので、いつもそこにいたいというわけではないのですが、ふと気が向いて行くとそこには心が通う人たちがいるということ。そういう存在があると知っているだけで支えになるんですよね。 cumi:よく分かります。そのコミュニティの存在があるからこそ、ひとりを楽しむことができる。私もひとりでいることも集うことも好きですが、その心地よいバランスはみんなそれぞれ違うものですよね。リアルな場でもオンラインでも自分のタイミングでふらっと立ち寄る場所があることはすごくありがたいことだなと思います。  櫻木:そうですよね。今、月に一度助産師さんに来ていただいて、「添うの場」という無料個人相談会をやっているのですが、これが最高なんですよ。妊娠、出産のことに限らず、更年期や不正出血などどんな悩みを話してもいいし、どんな世代でもウェルカムな場所。みんなとシェアしたい映画を上映する「マアルシネマ」もそうですが、これからもそういう場所作りを続けていきたいなと思っています。滞在型でリトリートできるような場所をつくれたらいいな、とぼんやり想像してみたり。私、女の人たちがリラックスして楽しそうにしているのを見ることが大好きなんです。みんながほぐれて、元気でいる姿をずっと見ていきたいですね。  ■ 櫻木直美 / マアル代表取締役...

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受け取ったバトンをつなぐ ー産地の声をユーザーに伝えていくことー 三保真吾さん

オーガニックコットンのリーディングカンパニーであるパノコトレーディングに身を置いて15年以上になる三保さん。オーガニックコットン業界では世代交代の波が訪れ、三保さん自身もその流れのなかにあります。先代からバトンを受け取って走り出そうとする今、そのバトンを未来へどうつないでいくのか。オーガニックコットンの産地であるペルーやタンザニアを実際に訪れて感じた想いを伺いました。 (写真)見渡す限りオーガニックコットンが広がるタンザニアの畑。 ー産地への訪問で、これからの課題や役割がクリアになりました ー オーガニックコットンを取り扱い始めて30年になるパノコトレーディング。これまでどのようなことにこだわって事業を行ってきましたか。 三保:この事業を始めた1990年代初頭は、“オーガニックコットン” という言葉って日本ではまだほとんど認知されていませんでした。生産量も少なく、クオリティもずっと低かった。でも、その頃から辛抱強く続けてきたからこそ、早い段階でいいサプライヤーに出会うことができたんだと思います。ペルーやインド、タンザニアなどの農家さんからオーガニックコットンを買い付けている私たちのパートナー企業は、業界内においてそれなりのポジションにある。世界中に存在する多くのサプライヤーのなかでも、歴史と信頼のある企業だけからオーガニックコットンを仕入れることが私たちのこだわりであり、強みにも直結しています。 ー ペルーやタンザニアを訪問し、実際に現地を見ることで、どのようなことを感じましたか。 三保:これまでも会社としては定期的に産地訪問を行ってきましたが、私自身がペルーとタンザニアを訪れたのはいずれも今回が初めてでした。実際に行ってみると、現地の人たちの情熱や熱量みたいなものをすごく感じましたね。農家の方々はもちろん、我々が直接やりとりをしているパートナーの現地スタッフもしかり。彼らの姿勢を目の当たりにすると、オーガニックコットンの価値をきちんと伝えて広めていかなければという思いがより強くなりました。そして、このつながりを築いてくれた現社長たちに対して、私たち世代に素晴らしいものを残してくれたという感謝の気持ちが深まりました。 (写真)ジニング(綿から種を取り出す作業を行う)工場にある保管庫に原綿が運びこまれる様子 ー 「世代」というワードが出てきましたが、パートナーであるペルーのBERGMAN RIVERA(バーグマンリベラ)社や、スイスのREMEI(リーメイ)社、そしてインドとタンザニアにいるREMEI社の現地責任者たちもちょうど代替わりをしてきているんですよね。三保さんと同じ世代の方々がそれぞれの責任者になっている。 三保:そうですね。パートナー企業も2代目に世代交代していますし、近い将来、私もこの会社のバトンを受け取る立場にあります。それぞれ、受け取ったバトンを丁寧に持って走り出しているのですが、時代の流れに応じて変えていかなければいけないことや、改善していかなければいけないことが当然出てきていて。今回の訪問で、その課題や私たち世代の役割がよりクリアになったと感じています。 ー産地を訪れるというよりは、仲間に会いにいく感覚です ー ペルーには2019年に訪問したそうですが、SISIFILLE(シシフィーユ)とペルーはどのような関係性なのでしょう。 三保:シシフィーユでサニタリーショーツなどに使用している、やわらかく滑らかな肌ざわりの「ピマコットン」というコットンがあります。コットンにもいろいろな種類があるのですが、繊維長の長い「超長綿」のルーツはペルーにあり、なかでもピマコットンは希少価値の高い、世界最高峰の超長綿なんです。そのピマコットンを扱う現地のパートナー、BERGMAN RIVERA社の社長は、2代目のオーランドさん。先代が立ち上げた南米初のオーガニックコットンプロジェクトを引き継いで運営しています。    Your browser does not support our video. (動画)ペルーの畑でピマコットンを収穫する農家の方 ー...

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関係する全ては有機的なつながりでできている ーコットンペーパーブランド「HATAGUCHI COLLECTIVE」ー 加藤寛子さん

ゆったりと穏やかな口調で話し、柔らかな雰囲気を纏う加藤寛子さん。現在アメリカ・サンフランシスコベイエリアに暮らす彼女は、その雰囲気からは想像もできないほど行動派で積極的。20歳で進学の為サンフランシスコ州に渡航し、そこからバーモンド州、ニューヨーク州、日本、シンガポールと「やりたい」と思った事を実現する為に、様々なフィールドに飛びました。そんな彼女が興味本位で行った旅行先のインドで出会ったのは、「HATAGUCHI COLLECTIVE(ハタグチ・コレクティブ)」というステーショナリーブランドを立ち上げる大きなきっかけとなる、昔ながらの手法で作られたコットンペーパー。繊維工業で廃棄されるコットンをリサイクルして作られるその紙がもたらす有機的なつながりとは、一体どんなものだったのでしょう。 ー運命の地、インドに足を踏み込むまで 初めてアメリカへ渡航したのはサンフランシスコ・ベイエリアの短期大学に入学した20歳の時です。卒業後はバーモンド州の4年制大学に編入し『環境化学』を学んでいました。大学院でサイエンスを極めようとも考えたのですが、『働きたい!世界を見たい!』という漠然とした気持ちが強く、そのまま卒業しました。卒業後はニューヨークに移り、アパレルで販売員として働いていました。ある日、偶然買い物に来ていた某ハイブランドのクリエイティブディレクターに声をかけられ、それをきっかけにそのブランドで3年間ほどビジュアルマーチャンダイザー(以降VMD)として働くことになりました。別のアパレルブランドへ転職した後もしばらくVMDとしての仕事を続けていました。その後2008年のリーマン・ショックを機にパートナーが「大学院で学び直したい。」と、東京の大学院に行く事になりました。私も一緒に東京に行く事を決め、ニューヨークで勤めていた同じアパレルブランドの日本店舗に勤める事になりました。東京での生活を始めて2年ほどたった2011年に東日本大震災が起こります。外国人である私のパートナーは、外国籍枠のビジネスがすっかりなくなってしまった日本で職に就く事が困難な状況になってしまったのです。そんな時に知人が彼の故郷、シンガポールでの仕事を紹介してくれて、彼は先にシンガポールへ帰国することになりました。私は当時の仕事が好きで、すぐに日本を離れるという決断ができず、結局パートナーとは日本とシンガポールで離れた期間を過ごすことに。そこから一年後、私は意を決して仕事を辞め、彼がいるシンガポールに引っ越しました。 シンガポールに移住後はフリーランスとして働いていました。知人が経営するレストランのフラワーアレンジメントや店内に飾る絵を装飾するなど、インテリアデザイン関係の仕事をしていました。 シンガポールは多民族国家で、多くのカルチャーが共存しています。その中でも私は以前より一度訪れてみたいと思っていた、インドの文化に強い興味を持っていました。インド人が多く住んでおり、インド街もあったので日常的にインドカルチャーに触れる事で、更にインドという未知の国に行ってみたいという気持ちが大きくなりました。大学を卒業してから働きっぱなしだった中、ようやく自由な時間ができた時期だったので、2週間ほど北インドへ旅行に行く事を決意。そこで伝統的な手法で紙を作る、インドの職人達に出会ったのです。 ーラフさがある伝統的な紙製品をもっとおもしろく 彼らは衣料品から出た綿の廃棄物を原料に、昔ながらの手法で紙を作っていました。私は彼らのプロダクトを見てすぐに「一緒に物づくりをしたら面白いだろうな。」と思い、その場で彼らにこのプロダクトに携わりたい気持ちを強く伝えました。彼らは私を温かく迎え入れてくれました。その瞬間はとても胸が躍りましたね。物づくりに対して同じ情熱をもつ人達なので、「きっと何をしても上手くいく!」という直感がありました。ただ今ならわかるのですが、インドの方は頼み事に対して「N O」というこたえを持っていない人が多いように思うんです。基本は全部「Y E S」(笑)。でもあの時の「Y E S」は本当に嬉しかったし、紙づくりの経験がない私に一から色々な事を教えてくれるインドの職人の皆さんにはとても感謝しています。 多種多様な紙文化を形成してきた日本に比べ、アメリカの紙文化はそれほど深くありません。インドで彼らが作る紙を見た時、アメリカ暮らしが長い私の心に忘れていた日本の素晴らしい紙文化がわっと一気に思い起こされました。彼らの作る紙は伝統的に引き継がれてきたハンディクラフトではあるものの、日本の伝統文化継承のような『普遍的なきちんとさ』はなく、いい意味で生活に溶け込んでいる「ラフさ」があります。一般的なインドっぽさを連想させるモチーフをプリントしてあるのも素晴らしいのですが、私はそれらをモダンなデザインで展開していったらおもしろいのではないかと思いました。そうしてできたのが「HATAGUCHI COLLECTIVE」です。 ー「HATAGUCHI COLLECTIV」が生み出すサステナブルなコットンペーパー インド北西部にあるラジャスタン地方・ジャイプールでは昔からハンディクラフトが盛んです。代表的なものの一つとして、衣料品メーカーから出る裁断された布の切れ端を原料にして作られた、コットンペーパーがあります。まずは布の切れ端を細かくし水に溶かしてパルプにします。それを擦って乾かし、乾いたものの表面をローラーで滑らかに仕上げていきます。一枚一枚全ての工程を手作業で行なっているのです。色出しについては、細かい色の調整は染色しているのですが、青色の紙を作る時は青い布を選ぶなどして基本はパルプの色を活かしています。柄はスクリーンプリントで刷ってプリントしています。もちろんこれも手作業です。 大きな工場で製造するのではなく手作業が中心なので、モンスーンや雨が続くと紙やプリントの乾きが悪くなり、作業が滞ってしまいます。天候に左右されやすく、納品に遅れがでてしまう事があるのが悩みですね。でも手に取る人たちに、そんな自然環境が関係している事も含めて、一つのプロダクトとして受け入れてもらえると嬉しいです。アパレルの世界にいた時は、そのシーズンに出ているものは数ヶ月後にはセールで扱われる事は当たり前で、すごいスピードで多くの廃棄物が出るのを目にしてきました。今はその廃棄物で新しいものを生み出し、シーズン関係なく長く大事にしてもらえるという事は、「HATAGUCHI COLLECTIVE」で紙を作り続ける理由の一つであり、コンセプトそのものです。 ーパートナーである職人達の人生を抱える覚悟 当初「ブランドを立ち上げよう!」という思いはなくて、気づいたらブランドになっていたといった感覚なんです。でもインドで出会った職人さんたちと一緒にプロダクトを作るビジネスパートナーとしての責任はずっと感じていました。趣味のように始めてしまった「HATAGUCHI COLLECTIVE」ですが、『私の裁量で彼らの仕事量が増え、生活が潤うんだ。』という考えは私の中で強く、仕事への責任感は年々増しますね。 初めてやり取りをした生産パートナーは、発注して仕上がった商品を私の手元に届けてくれるまでに半年以上かかる……なんて事もあり、安定しているとはとても言えない状態でした。アメリカの見本市などにも参加した事があったのですが、納期が不安定な状態だったので、発注を頂いても在庫が確保できずに注文をキャンセルされてしまうといった事が続きました。ブランドを立ち上げて5年ぐらいは存続危機の連続でした!もう「HATAGUCHI COLLECTIVE」を畳んでしまおうかと考えた時もありましたね。 もう一度インドに足を運ぶ事を決めた時、知り合いが「インドを周る時に一度詳しい人に頼ってみては?」とガイドさんを紹介してくれました。ガイドさんは紙を制作する工房、スクリーン印刷版を作る工房、印刷工房が集まった、ペーパービレッジのような場所を案内してくれました。そこで目にしたのは、紙工房で紙を制作後、向かいにある工房で版を作り、その向かいの工房で印刷するという、スピーディに仕事をする職人達でした。私はこの場所で、「HATAGUCHI COLLECTIVE」のプロダクトチームを作ろうと決心しました。職人達の人生を抱える覚悟を再び決めた時でもあります。 ーブランドで人の感情を揺さぶり、地球に有益な立場でありたい  新しいものを見た時に興奮して息が上がったり、わくわくした感情で心揺さぶられたりする様な出会いを、「HATAGUCHI COLLECTIVE」のステーショナリーを手に取った人が感じてもらえたらなと常に思っています。近年紙のリサイクルが増えてきているとはいえ、もっと世界に広まっていく事を願っています。その気持ちはブランドの在り方で変わらないところですね。地球にとって有益な立場でありたいです。また、生産者あってのプロダクトなので、ブランドとしての発信などで気をつけているのは、このブランドは「私自身ではなくWe(私たち)であること」です。私は「HATAGUCHI...

# BACKGROUND# FAIRTRADE# RELATIONSHIP

SOCIAL ACTIVITY

SISIFILLEの「SISI」は、コットン産地のひとつであるタンザニアで使われるスワヒリ語で、「わたしたち」を意味します。「わたし」は、シシフィーユを使ってくださるあなたのことでもあり、遠い異国の地で綿花を摘むひとたちのことでもあります。誰一人なおざりにしないものづくりをすることが、私たちの約束です。 私たちシシフィーユは、オーガニックコットンの栽培と、その産地で暮らす人々の生活を支援する「bioRe(ビオリ)プロジェクト」に参画しています。私たちはこのプロジェクトから生まれたオーガニックコットンを使ってものづくりをしながら、売り上げの一部をこのプロジェクトに寄付しています。   bioReプロジェクトとは bioReプロジェクトは、スイスのREMEI(リーメイ)社が中心となって1991年にインド、1994年にタンザニアでスタートしました。プロジェクトが発足された当時、現地ではオーガニックコットンを栽培する農家はほとんどありませんでしたが、それから30年あまり、今では5000軒近い農家の方々が参加する世界で最も大規模なプロジェクトとして知られるようになりました。そして有機農業を推進する先進的な取り組みとして数々の国際的な賞を受賞しています。 このプロジェクトは、単に農家からオーガニックコットンを買い取るだけでなく、その地域で暮らす全ての人々が自立していくための仕組みをつくっているのが他にはない大きな特徴です。 ― オーガニック農業支援 農薬と化学肥料を使った一般的な農業をしていた農家さんが、有機農業を始めるためには正しい知識と技術の習得が不可欠です。 bioReプロジェクトでは、設備の整ったトレーニングセンターを建設して、有機農法やバイオダイナミック農法(※1)のトレーニングを行なっています。センターから離れた地域では野外学校を開き、派遣した講師によるレクチャーを行なっています。※1バイオダイナミック農法:オーストリアの学者ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)が提唱した有機農法で、農業が天地の動きと密接な関係があることを説いた。 ― 教育支援 農家のある地方の村には学校がないところも多くあります。また、基礎的な教育を受けられない子どもも多く、遠くの町まで学校に通い始めても授業についていけないことが多くあります。そういった実態をふまえ、無償で教育をうけることのできる学校を建設しています。 ― 健康のためのインフラ整備 ① 医療の提供 インドでは、病院のない村がたくさんあります。そこで、「ドクターカー」と呼ばれる医療バスで医者を乗せて地方の農村を回っています。ドクターカーはレントゲンや心電図をとることのできる設備を備えており、薬は一般的なものの半額程度で提供されています。病を患った人が適切な治療を受けられるよう、専門医が地域を訪問する「ヘルスキャンプ」と呼ばれる取り組みも行われています。これにより、これまで医者にかかることが難しかった地方の人々の健康を支えています。 ② 安全な飲み水の確保 タンザニアでは乾季になると川が干上がり、安全な飲み水を手に入れることが困難になる地域が多くあります。水を手に入れるためには、何時間も歩いて水を汲みにいかなければいけません。そこでbioReは各地域に井戸を設置するための支援を行なっています。費用と、建設と維持のノウハウを提供し、建設自体は地域の人々の手によって行われます。学校には雨水を貯めるためのウォータータンクも毎年設置しているため、子どもたちはいつでも安全な水を使うことができます。 ー 就農のための資金援助 コットンの栽培にはさまざまな道具や設備が必要で、就農の準備には多くの費用がかかります。それを補うためにbioReは契約農家に対して3年間無利子で資金を貸し付けており、その返済には生産したコットンを充てることもできるようにしています。   ― バイオガスプラントの設置 bioReでは、家畜の糞を燃料に利用するバイオガスプラントを各家庭に作ることを推進しています。 バイオガスプラントは一般の人でも簡単に作ることができます。タンザニアでは家の中で火を焚いて調理をするのが一般的ですが、これはすすが出ないので健康を害することもなく、薪を集める時間も省けます。薪として使っていた木の伐採を減らし、CO2の削減にも大きく繋がっています。このバイオガスプラントを各家庭に設置する費用も、bioReは無利子で貸し出しています。   ― 女性の自立支援 女性の働く機会や社会への参加を増やしていくために、手紡ぎや手織り、手刺繍などの手工芸で収入を得られるように支援しています。女性グループに布の織り方、縫い方を指導し、出来上がった製品を買い取っています。   すべての“わたし”に平等な “やわらかい世界”...

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