暮らしの風景を創造できるような麦酒をつくりたい ー里山の原風景を紡ぐ夫婦の物語ー中村レイコさん
長野県・青木村の里山で「麦酒(ビール)」の醸造を行う「Nobara Homestead Brewery(ノバラ・ホームステッド・ブリュワリー)」の中村レイコさん・圭佑さんご夫婦。家族の住居と醸造所を兼ねた4000坪ものフィールドで「暮らしに根ざした酒文化の創造」をテーマに、自然の恵みを活かした麦酒づくりをしています。二人の子どもを育てながら醸造所の運営、フィールドの整備を担うレイコさんに、これまでの歩みと麦酒に込めた思いを聞きました。 (写真)デザイン、広報も自ら一貫して担う ーデザインバックグラウンドを持つふたりの出会い もともと、都内でデザイナーとして活動していた夫と、同じく東京でデザインを基軸とした職場で働いていた私。がむしゃらに目の前のことをこなしていた20代、私の転機になったのは東日本大震災でした。震災後の社会への違和感や働き詰めの日々に疑問を感じて、日本を飛び出し単身スコットランドへ。このままではただ流されて生きていくことになるような気がして、リセットしたいと思ったのです。スコットランドでは、自分と向き合い、デザインというものを改めて捉え直したり、この先どうやって生きていこうかと人生を立ち返ったりすることができました。将来的に自分のブランドを作りたいと思うようになり、ブランドの立ち上げから学ぼうと、2013年の帰国後はブランディング業界で働きました。 夫と出会った時、お互いデザインを職業としていて、同じ関東圏の出身だったり、お酒が大好きだったりと共通点がたくさんありました。また、お互い若い時から順風満帆な道を歩んできたわけではなく、デザインに関しても現場での叩き上げでやってきた、みたいなところにすごく仲間意識を感じたのです。やがて、私のブランドを作りたいという思いや彼のモノづくりに挑戦したいという気持ちが合致して、一緒に麦酒を作ろうという話に。私たちが携わってきたデザインにまつわるあれこれを集結させたらきっと叶えられるだろう。そして、麦酒を作ることは私たちふたりの夢になりました。 (写真)念願の助産院で長女を出産 ー家の道しるべとなったパーマカルチャー 結婚後、2018年に第一子を出産。産後、体重の減少や手の震えなど体調が優れない日々が続き、その後の健康診断でバセドウ病を患っていることが判明。この頃、病気による感情の起伏の激しさや身体の不調、初めての子育て、コロナなど多くのことが重なり、私も夫もお互いにストレスを抱え、夫婦の関係性も悪化していました。お医者さんからは、病気を治すにはストレスをなくすことと言われ、生き方を見直すことを考え始めました。そんな中、神奈川県藤野町にあるパーマカルチャー・センター・ジャパンのデザインコースのことを知り、これで人生が変わるのではないかと直感的に感じました。ここに行けば、病気も家族の関係性も良くなるかもしれない。まだ娘が小さく不安もありましたが、夫と相談し、思い切って月に一度、泊まりがけのプログラムに参加することにしました。(写真)パーマカルチャー・センター・ジャパンでの講義風景 パーマカルチャーとの出合いは、本当に人生を変える出来事でした。私が生きたい世界はこれだ、これなんだ、と心が震えたことを覚えています。1年間受講した後、次は夫にバトンタッチ。夫婦共に学んだことで、これからの暮らし方、麦酒作りへのビジョンを明確に描くことができるようになりました。パーマカルチャーの考えに沿った自然と共にある暮らしを実現することで、これまでうまく運んでいなかった全てのことが解決するだろう。そう確信し、東京ではない場所を探し始め、巡り合ったのがこの地です。大正時代から受け継がれてきた住居と自然豊かなフィールドを抱えたこの場所を初めて訪れた時、幼少期の原風景がふと思い出され、ここで生きていることを感じられるような暮らしをしたいと強く思いました。そして、2021年に移住。居を改修し、フィールドを整備しながら醸造所を作り始めたのです。(写真)既存厩舎を生かし取りして組み上げた客席部の建前(写真)醸造を担当する夫の圭佑さん ー暮らしに寄り添い、命を感じられるような麦酒を作りたい “生きること”をするために何をしていこうか、と考えた時、私たちの答えは“人の身体に入れて出せるものを作る”ということでした。私たちは食を通して命を循環させている生き物です。麦酒は海外で生まれたものですが、原料の麦は、昔から食べ物として日本人の身体に入ってきたもの。私たちは「麦酒」を作っているというより、日本で生まれた「麦酒」という食べ物を作っているという感覚がしっくりきています。食べ物を作っているということは、すなわち命を作っているということ。素材もなるべく自然に寄り添ったもの、この土地にあるもの、季節に寄り添ったものを使い、命を感じられるような麦酒を作っていきたい。美味しいというのはもちろんのこと、飲んでくれた人がここの美しい情景までが浮かぶような麦酒作りを目指して日々真摯に向き合っています。私たち夫婦の幼少期の記憶として、親戚が集まって麦酒を飲んでいた姿が強く印象に残っています。そのせいか、日常にもお祝いの席にもあるお酒というものがすごく好きなんです。麦酒は、人との繋がりを強めてくれるものだと思っていますし、麦酒だけではなく、お酒がつくるコミュニティも醸造していきたいと考えています。人が食と麦酒を囲む暮らしの風景を作っていきたいんです。 ーこの地に生きにきたけれど、死にもきたのだ 移住して初めの年は畑を作って、コンポストを作って、オフグリッドにしてなど、思い描いていたことを様々やってみたのですが、その結果すごく忙しく大変になってしまいました。畑にしても家族だけでは消費できないぐらいの野菜ができてしまって。余剰は分け合うというパーマカルチャーの考えがあるのですが、人に分けてもまだ余るぐらいでした。土に還すこともできるけれど、それもどうだろうとモヤモヤ考えているうちに二人目を妊娠していることがわかり、二年目はお休みしました。すると、地域の方達から家族が生きていけるぐらいの量の野菜が運ばれてきました。野菜はもう十分に地域に循環していたんですね。ということは私たちがこれ以上作る必要はなくて、他にやるべきことがあるんだと考えるようになりました。やがて季節が巡り、庭になった美味しい柿を皆さんに返しました。昔この土地を開拓した人たちが植えた果樹が、今見事に実をつけてくれている。何十年もの月日を経て、今その恵みを私たちがいただいているということ。これこそを循環というのではないだろうか。循環する仕組みというのは、無理をしなくてもアクセスできるものなのかもしれない。これは、この暮らしをもってしか分からないことでした。今も、循環とはどういうことなのか、少しずつ、少しずつ噛み砕いて考えています。(写真)地名に由来する奈良品種の柿が実る (写真)自生している植物はなるべく使っていきたい 私たち夫婦も人生折り返しに近づき、この地には生きにきたけれど、死にもきたのだということを感じています。生きると死ぬということがグッとつながったのです。生き物と共存した生態系の中では、最期は土に還ります。いつか土に還るために、私たちは何をしていくの?ということを意識するようになりました。近い将来には、敷地内の樹木や、果樹、薬草や穀物といった、生きるために必要な食料の知恵を皆さんに伝えていきたいと思い、ゆくゆくはこの場所をBrew(醸造する)と、Library(図書館)から成り立つ造語「ブリューブラリー」として地域に開き、誰もが立ち入れて学べる場所にしたいと考えています。この暮らしが始まって、まだ三年。やりたいこと、課題は山積みですが、今の私たちの関係性ならば、一緒に思案しながら解決していけると思うんです。 ■ 中村レイコ / Nobara Homestead Brewery フィールド・ファーメンテーション・ディレクター 空間・イベント・グラフィック等、 クリエイティブの分野に広域的に従事。 3.11を機にスコットランド・エディンバラに留学。2021年に長野県青木村へ移住。麦酒醸造所「Nobara Homestead Brewery」を夫とともに営み、パーマカルチャーの概念を基軸としたサスティナブルな麦酒づくりを行う。 2023年4月に実施したクラウドファンディングで資金調達を達成し、来春テイスティングルームのオープン予定。フィールドワークを加えたエクスペリエンスプログラムを準備中。健やかな「食」としての麦酒文化を定着することで、日常にあたりまえの美学を実装するための模索・研究をしている。 HP:...