「肌ざわり」がわたしたちにもたらすもの File04 ー人と自然をコネクトする線になれたらー 新美文栄さん
「オーガニックコットンという素材のやわらかさで誰かの心を少しでもやわらかく、軽やかにしたい、もっと言えば、世界をもやわらかくしたい」と考える私たちが、さまざまなフィールドで活躍する人々にフォーカス。独自の感度を持つ人々に日常や身の回りのこだわり、惹かれるものについてお話を聞きながら、肌ざわりと心の関係性を紐解きます。今回は、ジュエリーブランド「LiniE(リニエ)」のデザイナー新美文栄さんにインタビュー。ブランドの歩み、そして宮崎と東京の二拠点暮らしについても伺いました。 ー身につける人が心地良いものを作りたい --まずはじめに、新美さんがジュエリーの世界と出合ったきっかけを教えてください。 新美:高校を卒業して美大のランドスケープデザイン科に入ったのですが、ある授業で「町を歩いて、町づくりにおける問題点を見つけてリデザインする」という課題がありました。そのフィールドワークで毎日40分ぐらい歩くことになり、その時にふと自分が気になったものを拾ってみようと思い立ったんです。1ヶ月ぐらい続けていると、拾ったものに金属のものが多いことに気がつきました。子供の頃から、鉄屑や錆びたもの、古いものが好きだったんです。ちょうど将来をどうしようかと考えていた最中で、彫金だったら自分で金属の加工ができるし楽しいかもと興味が湧きました。 --それで彫金の道に?新美:いえ、先生に相談すると、もう遅いよって言われてしまって(笑)。もっと早く言えば工芸科に転科できたけど、4年生のこんな時期に言われても無理だよって。その時、なぜか先生が「これやるよ」って、フラックスという溶接するための粉をくれたんです。卒業後、グラフィックデザイナーとして地元の愛知で就職したのですが、辞めて次どうしようかなと考えていた時、家に置いてあったフラックスが目に入って、私彫金をやりたかったんだと思い出しました。それで、ジュエリーの教室に通い始めました。 --ブランドとしてスタートしたのはどんなきっかけだったのですか?新美:その頃、名古屋で弟と一緒にスノーボードとサーフィンのお店をやっていたのですが、ある時に東京の友達から、合同展のブースを取ったから出店しない? と誘われて。それを機に名前を決めて、ラインナップを揃えて出したのが「LiniE(リニエ)」の前身となるブランドの始まりです。そこでいくつかのメーカーさんや洋服屋さんにOEM(※1)やってみない? と声をかけていただいて、オーダーをもらって作るということをやり始めました。シルバーを中心にレザーなどを取り入れたユニセックスなものが中心でしたね。8年程続けて安定はしていたのですが、手作りでやり続けることがすごく大変になってきたこと、また私も年齢を重ねてゴールドもやってみたいなと思うようになり、新しくブランドを立ち上げることにしました。 ※1:OEMメーカーが他企業の依頼を受けて製品を製造すること。 --「LiniE(リニエ)」の立ち上げにつながるのですね。OEMという形で求められたものを作るというところから、等身大の新美さんがほしいものを作ろうと。新美:そうですね。最初のブランドはもう少しアートっぽいというか、自分のクリエイションの表現がしたいという気持ちが強かったのですが、「LiniE(リニエ)」はつけ心地が良く、ずっと末長く使ってもらえるものを作りたかったんです。 --何かマインドが変わるきっかけがあったのですか?新美:ちょうど中目黒の大図実験(DYEZU-EXPERIMENT!)(※2)でアトリエをシェアしていた頃だったのですが、周りは個性の強いアーティストばかりの中、最初コンプレックスみたいなものを感じていました。前身のブランドではOEMをやっていたので、クライアントさんがいての仕事。私って自分の表現ができているのかな、なんて弱気になったりしたんです。でも、みんなと過ごすうちに、強いものばかりがいいわけではないし、ありのままの自分、自然体の自分を受け入れられるようになっていきました。むしろそれが私のスタイルだと。それですごくラクになって、「LiniE(リニエ)」の誕生につながっていきました。 ※2:大図実験(DYEZU-EXPERIMENT!)2001年、中目黒の目黒銀座商店街の一角に誕生したギャラリー兼作業スペース。2005年に建物が取り壊されクローズするまで、国内外の表現者が集い、日々アートが生み出された。 ー転機となった天然石との出合い --「LiniE(リニエ)」としては、これまでどのように変化してきましたか?新美:「LiniE(リニエ)」として7年目を迎えた2012年に、アメリカのアリゾナ州ツーソンで毎年行われている石の展示会で、インクルージョン(内包物)が入り混じった天然石と出合いました。それまで石というとダイヤやルビーのようなイメージしかなく、あまり興味がありませんでした。混じりものがなくて、より大きく、より輝いているものこそ価値が高いという宝飾の世界とは全く違って、長い年月をかけて自然が生み出した表情をありのまま生かすという石の世界を知って衝撃を受けました。一つ一つ違う個性を持つ石の美しさを目の当たりにして、これでジュエリーを作りたいと思ったんです。この出合いは、大きな転機になりました。 --今では「LiniE(リニエ)」のコレクションに石は欠かせない存在ですよね。 そうですね。当時はまだインクルージョンの石は日本で珍しくて、お客さんからは「何これ?樹脂?」なんて聞かれたりしていました。「LiniE(リニエ)」というブランド名はドイツ語でLINE(線)を意味するのですが、人と自然、人と人や、自分自身をコネクトする線になれたらいいなという思いを込めたんです。石を使ったデザインをするときは、石のエネルギーをより感じてほしいので、肌と石が近くなるように作っています。そうすると、身に着ける人の肌の色味が石の色に反映されたりするんです。天然石自体、他に同じものはないし、その人が身に纏うことでさらに唯一無二の存在になると思っています。 ー都会も自然もどちらも欠かせない存在 --宮崎と東京の二拠点生活をされているそうですが、今の暮らしについて聞かせてください。 新美:3.11の震災の後、当時住んでいた神奈川県の秋谷を出て実家のある名古屋に戻り、しばらくしてからは表参道にアトリエを借りて、名古屋と東京を行き来していました。でもある時、ポップアップのために訪れた宮崎の土地にすっかり魅了されました。父親が海好きだったので、子供の頃、お休みの日はヨットで島に行くとか、いつも自然の中で過ごしていたんです。その影響か、海の近くに住みたいという思いがずっとあって。その後、今の旦那さんと出会い、結婚して、宮崎へ引っ越しました。東京のアトリエは継続し、生活のベースは宮崎で、月に1週間ぐらいを東京で過ごすという形で行き来をしています。 --それぞれの拠点は、新美さんにとってそんな存在なのでしょう? 新美:どっちがオンオフというのはあまりないのですが、宮崎はサーフィンをするなど、自然の中にいて自分を整える場所。一方、東京はクリエーションの刺激を受け、発表する場と考えています。どちらも私には必要な場所です。--どんな環境が新美さんにとって心地良いと感じますか? 新美:私の場合、生活の中に海があるというのが大きくて、例えば、夕方、サーフィンで波待ちしている時に、夕陽と自分が一体になった感覚のような、そういう瞬間を得た時にものすごく心地良さを感じます。そういう意味でも、私の暮らしの中でサーフィンは欠かせない要素になっています。 --では最後に新美さんが選ぶ、心地良い「肌ざわり」のアイテムについて聞かせてください。 新美:「unefig. (ユンヌフィグ)」のシルクのパンツです。100%国産のシルクで作られていて、冬は温かく、夏は通気性がいい。シルクの原料である蚕の繭は、蚕の身を守るシェルターのようなものと聞きましたが、このパンツを身に纏っているとなんだか守られている感じがして、とても心地良いんです。 ■ 新美文栄さん / LiniEオーナー・デザイナー 愛知県生まれ。女子美術大学卒業後、グラフィックデザイナーの傍ら独学でジュエリーを学ぶ。2006年...