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COMMUNITY

環境に配慮したものづくりで紡ぐやわらかな世界 ー 生理用ナプキンのリニューアルにかけた想いー シシフィーユ MD道端真美 × ブランドコミュニケーター本田久美子

2023年10月、シシフィーユはブランドの代表アイテムであるオーガニックコットンを使用した生理用ナプキンをリニューアルしました。これまでパッケージとして採用していた紙製のスリーブを廃止し、新しいパッケージフィルムにはバイオマス由来の原料を80%配合することで、石油由来のプラスチック使用量を削減。さらにフィルムへの印刷には、植物由来原料を10%以上配合したボタニカルインクを使用するなど、植物由来原料の割合を増やすことで、カーボンオフセットの観点から製造にかかる二酸化炭素の排出量を減らしています。今回企画を担当したMDの道端とシシフィーユブランドコミュニケーターの本田が、環境に配慮したものづくりのこと、そしてリニューアルに込めた想いについて語りました。 ―さとうきびの搾りかすと卵殻をアップサイクルしたパッケージフィルムに 本田:2015年にシシフィーユを立ち上げてから、パッケージも環境に配慮されたものにしたいというのはずっと考えてきたことだったけれど、ついにリニューアルを迎えることができました。振り返ると長い道のりでしたね。 道端:試行錯誤を重ねて、ようやく納得のいく形になりましたね。 本田:新しいパッケージフィルムには、全体の75%がさとうきびの搾りかす由来のポリエチレン、5%に廃棄予定の卵殻を採用したけれど、卵殻を使ったバイオマスプラスチックは国内ではまだあまり目にしないですよね。 道端:そうですね。バイオマス由来の製品というと、さとうきびやとうもろこしを使ったものが一般的かと思います。今回私たちが採用したのはさとうきび由来のポリエチレンと卵殻ですが、実は日本は世界で2番目に卵の消費量が多い国で、個数にすると年間約420億個もの卵の殻が国内で産業廃棄物として処理されているそうなんです。 本田:私も今回、国内でそんなに卵が廃棄されているということを初めて知って、有効活用できるのはすごくいいなと思いました。シシフィーユにとってテクスチャーは大事な要素なので、パッケージの手触りにもこだわりましたよね。バイオマス由来といっても原料や配合量によっても質感が全然違うことに驚きました。 道端:米ぬかなど、他の素材を配合したサンプルも検討したのですが、どうしても独特の匂いがしたり、触り心地が良くなかったり。一番しっくりきたのが卵殻でした。卵殻5%配合と聞いて「お気持ち程度じゃないか」と思われてしまわないかと不安はあったのですが、それ以上増やすと表面に粉っぽさが残ってしまったりして。テクスチャーにもこだわると5%というのがベストだったんです。シシフィーユの協力工場さんも、バイオマス由来の原料を使った前例がなかったので、やってみないと何が起きるか分からないという中で、みんなが手探りの日々でした。国内生産の生理用品のパッケージでバイオマス由来のプラスチックが使われた例はほぼないんじゃないでしょうか。 (写真)本田 本田:衛生用品を扱う工場では異物が入らないように安全性を第一優先されているから、バイオマス素材にすることでパッケージとしての耐久性が損なわれてしまうのではないかという懸念がありました。それは今回パッケージを生分解性にしなかった理由の一つ。私が住んでいるサンフランシスコではゴミを焼却するという選択はなくて、コンポストかランドフィル(埋め立てる)かリサイクルで処理されているんです。各家庭でコンポストしているところも多いことから、生分解性プラスチックはすんなりと受け入れられ、どんどん広がってきています。初めはどうにか生分解される資材を選べないだろうかという個人的な思いもあったのですが、それには少しずつ理解を得る必要があるんだということに気がづきました。 道端:前例がなかったこともあって、開発にはとても時間がかかりましたよね。リニューアルに向けて何年もかけて取り組んできたので、いざ新パッケージが完成して手にとった時は、本当に感慨ひとしおでした。「やっとここまで来られた!」って。資材を調達してくださったメーカーさんや工場さん、本当にたくさんの方々にご協力いただきました。私たちだけではとても辿り着けなかったと思います。―従来の使用感を残したまま薄型のナプキンに本田:紙製のスリーブをなくすというのも大きい決断のひとつでしたよね。スリーブがあることでスッキリとした見た目や管理のしやすさが実現できていたということもあるし、あのパッケージがここまでシシフィーユを連れてきてくれたという思いも強かったので。  道端:あのスリーブがシシフィーユのナプキンの良さでもあった一方で、使い終わったらゴミになってしまうということに対してのジレンマがずっとありました。単純にスリーブをなくすことだけでも解決できたと思いますが、今回新しいフィルムにしたことで、シシフィーユのナプキンを進化させることができたと思っています。(写真)道端本田:それから名称もサニタリーパッドからピリオドパッドへと変更して、以前からご要望が多かった23.5cmと29cmのナプキンを薄型に改良しました。薄型と言ってもいわゆる一般的な高分子吸収体をつかった薄型とは違って、ふっくらとしたシシフィーユならではの使用感が損なわれない厚さに調整できたので、より使いやすくなったと感じています。  道端:1パックあたりの入り数を増やしたことで1枚あたりの単価を下げられたことも良かったですよね。シシフィーユのナプキンは他社製品と比べて高価なので、どうしたらお客様が手に取りやすいようできるかというのも悩みのひとつでした。 本田:一回の生理で使うナプキンの個数は、約20枚と言われているので、1パックあれば足りるという個数もこだわったポイントのひとつ。1パックごとの入数を増やすことで、ゴミの削減にもなりますしね。―私たちもシシフィーユの歩みと共に変化してきた 道端:今回のリニューアルは個人的にもすごく思い入れが強くて。大きく担わせてもらっていたので達成感があったのももちろんですが、シシフィーユの成長を感じると共に、自分自身の変化も実感しました。シシフィーユのチームの一員になって、ブランドの世界観にふれることで、環境問題に対する危機意識をはじめ、物事に対して感じることや、これから自分がどうなりたいのか、どんなことにコミットしていきたいのか、価値観や生活自体もすごく変わりました。シシフィーユが一歩ずつ変わっていくのと一緒に、私自身もアップデートされてきたんだなあ、と。 本田:道端さんの言う通り、みんなの意見を反映しながらシシフィーユは成長してきたし、私たちもシシフィーユの世界から色々学んできましたよね。私はオーガニックコットンに携わりはじめて10年ほどになるけれど、ここで得た経験は衣食住さまざまなものを選択する基準にもすごく影響しています。シシフィーユを立ち上げてから8年の間に自然素材を使った製品が増えてきたのを見てきて、資材もまた同じように環境に配慮されたものになっていくといいなと思います。 道端:シシフィーユのプロダクトがメッセージとなって、これからどんどん変わっていけばいいですよね。私自身がシシフィーユに出合って変わったように、使ってくださる皆様にとっても何かのきっかけになってもらえればいいな。良いものはみんなでシェアして、より良いものづくりをしていきたいです。■ 道端真美 / SISIFILLE MD美術大学を卒業後、設計会社に勤務。退職し、世界26カ国を周遊、その後カナダで暮らす。帰国後、オーガニックコットンを通じた嘘のないものづくりに感銘を受け、2018年シシフィーユの運営会社であるパノコトレーディングに入社。現在はシシフィーユの商品企画開発、PR、WEBサイト運営等に携わる。 ■ 本田久美子 / SISIFILLEブランドコミュニケーター 幼少期をインドネシアで過ごす。大学在学中よりアパレルで販売を経験し、卒業後はPR等として働く。2015年自身の体験をいかし、オーガニックコットンブランド「SISIFILLE」の立ち上げを担う。現在はサンフランシスコベイエリアを拠点に、シシフィーユWebサイト内のリーディングコンテンツ企画やSNS、製品企画を担当している。 Text&Edit : Nao Katagiri

# BACKGROUND# BIORE PROJECT# FAIRTRADE# ORGANIC# ORGANIC COTTON# PERIOD# SOFTNESS#SUSTAINABLE

パーマカルチャーで実現するハッピーな暮らし/ソーヤー海さん

千葉県いすみ市に暮らし、パーマカルチャーや非暴力コミュニケーション(NVC)、禅などのキーワードを通じて、本質的に豊かな暮らしを実現させるための活動を行っているソーヤー海さん。2016年には「パーマカルチャーと平和道場」として、自然とつながり、自分の手で暮らしをつくるための学びの場を立ち上げました。パーマカルチャーが実現された先には、どんな世界が待っているのでしょうか。前編では、パーマカルチャーとの出合い、そしてソーヤー海さんが描く豊かな世界についてお話していただきました。僕は、コスタリカのジャングルで初めて地球と出合った 東京に生まれ、日本とアメリカを行き来しながら育った僕の人生を大きく変えたのは、9.11だ。それはちょうどカリフォルニア州サンタクルーズの大学に入学する直前の出来事だった。平和だと信じていた日々に、急に戦争というものが身近になってやってきた。と同時に、それまで漠然と思い描いていた、大学でいい成績を取って、いい会社に入って…といった未来図がガラガラと崩れていった。この現実を見ないふりなんてできないし、とにかくなんとかしないと。その一心で、反戦運動に加わった。 でもね、反戦運動って文字通り、反対する運動だからエネルギーがものすごく必要なんだ。圧力はかかるし、対立構造になりやすいからね。ピリピリとした活動を6年ほど続けたけれど、どこかでこれは持続可能じゃないぞと感じていた。そんな中で有機農業や自然農と出合って、そのポジティブなエネルギーに惹かれるようになった。そして、一度先進国を離れて生き方を見直したい、地球がどんな場所なのかちゃんと知りたいと思うようになって、コスタリカのジャングルに移住することに決めたんだ。ジャングルの生活は、ココナッツ、バナナやマンゴーが食べ放題。電気も水道もなくて、自分たちが生きるための食べ物を得ることが中心の日々だ。動物ってさ、みんな自然の中で「ただ食い」しているんだよ。お金を払って食べ物を得ているのは人間だけ。ここでの暮らしを通して、僕は初めて「地球と出合った!」と感じたよ。そして僕は生態系の一部なんだということも。だけど現実は、人間だけが自然と切り離された生き方をしている。人間ってなんだろう、生きるってどういうことだろう。そんなことを考えている時に出合ったのが、パーマカルチャーだった。パーマカルチャーとは、ものすごく簡単に言うと、自然の循環を取り入れて、人が豊かに生きていくための暮らしや社会をデザインすること。 その世界観にどっぷりはまった僕は、ジャングルを出てパーマカルチャーの実践地を訪ね歩いた。ニカラグア、キューバ、グアテマラ。各国のお百姓さんから学んだ後、ワシントン州オーカス島にあるフォレストガーデン「ブロックス・パーマカルチャー・ホームステッド」の研修生として2年間を過ごした。ここでは食べ物、水、エネルギーのことなど、暮らしにまつわることは何でも学ぶことができた。とにかく自由で、創造的で、まるで楽園のよう。なんてったってそこらじゅうに食べ物が実っていて、フルーツが降ってくるような場所だからね。この暮らしを実践できれば、お金に依存することなくみんながハッピーになれるじゃん。This is it. 僕の探していた豊かな世界がそこにあった。パーマカルチャーによって実現する豊かな世界は、決してファンタジーなんかじゃない その頃、日本で3.11が起きた。原発事故があり、僕はこのことにどう応えるのか、自問自答した。僕も電力の恩恵を受けて生きているけれど、だからってこの問題を放置することは嫌だ。そして僕の答えは、権力が集中する都会にこそパーマカルチャーの価値を広げるべきだ、ということ。そうでなければ、この大きな問題を解決することは到底できない。そうして日本に帰国することを決めて、2011年に「東京アーバンパーマカルチャー(TUP)」を立ち上げた。屋上菜園を作ったり、空き地や河川敷に種を撒いたり、ワークショップを開いたり、メディアに取り上げてもらったりして、いい活動はできていたのだけど、だんだんと自分自身が都会のパワーに飲み込まれていくのを感じた。 いつの間にか発信することが活動の中心となっていき、パーマカルチャーを体現した生活からは遠ざかってしまっていたのだ。このままでは僕もピラミッドゲームの一部になってしまう。そうではなくて、僕自身がより健全で、自分らしい暮らしをしながら、日本だからこそできる素晴らしいパーマカルチャーの世界を作っていけばいいんじゃないか。パーマカルチャーによって実現する豊かな世界は、決してファンタジーなんかじゃない。そうやって僕が実践する世界をいろんな人に見に来てもらい、リアリティを体感してもらえたら、その波紋はあちこちに広がっていくだろう。そう考えて、2016年に千葉県いすみ市へ移住を決めた。そして、活動の場となる築150年以上の古民家のある2700坪の土地に出合い、グリーンズの鈴木菜央さんと共に、全ての命が大事にされる社会のための実験と実践の場である「パーマカルチャーと平和道場」を立ち上げた。そして実際に本当に多くの人がここへ訪れてくれるようになったのだ。目指すのは、消費者から創造者になるということ 「ヒューマニティを取り戻そう」というのが、平和道場のミッションのひとつだ。それは、人間の本質に添うような文化や暮らしを取り戻していくということ。目指すのは、消費者から創造者になるということだ。僕らが今生きる世界は、何も考えなければ消費者になっていくシステムになっている。子どもの時から学校でそう教育されているからね。消費者というのは、誰かがつくったものを選ぶしかない上に、その何かを手に入れるにはお金が必要になる。今の社会ではより効率化して、より生産性をあげて、より多くのお金を得ることに価値が見出されているよね。だけど、人はその価値では幸せにはなれないんだ。いくら生産性が上がろうと余裕が増えることはないし、さらに余裕がなければ豊かな暮らしを味わうことはできないから。これが今の人類が抱えている残念なパラドックスだと思う。比べて、自然の循環というのは、人間が関わっても関わらなかったとしても勝手に生物多様性が生まれ、勝手に再生され、勝手に循環していく。このサイクルをうまく暮らしに取り入れることができれば、余裕のある時間はどんどん増え、心身もどんどん健康になって、本当に自分がやりたいこと――例えば、家族と過ごしたり、世の中に貢献したり、そういうことに費やせるハッピーなエネルギーと時間が増えていく。この暮らしの循環をデザインすることがパーマカルチャーなんだ。僕は誰もが創造者になることができると信じている。みんなそのパワーを持っているのに、それを表現する時間や心の余裕が今はないだけだ。でもさ、とにかくやってみようよ。何から始めてもいい。暮らしを変えて、意識を変えて、やがては社会を変える。誰かが始めれば勝手に広がっていくんだよ。そして循環し、ハッピーが増えていく。それが僕がワクワクする未来の世界なんだ。 ■ ソーヤー海 / 共生革命家東京アーバンパーマカルチャー創始者。1983年東京生まれ、新潟、ハワイ、大阪、カリフォルニア育ち。カリフォルニア州立大学サンタクルーズ校で心理学専攻、有機農法を実践的に学ぶ。2004年よりサステナビリティーの研究と活動を始め、同大学で「持続可能な生活の教育法」のコースを主催、講師を務める。元東京大学大学院生。国内外でパーマカルチャー、非暴力コミュニケーション、禅/マインドフルネス、ギフトエコノミーなど、さまざまな活動を行っている。いすみ市に「パーマカルチャーと平和道場」を立ち上げ、共生社会のための実験やトレーニングの場として展開している。二児の父。。。。著書 『Urban Permaculture Guide 都会からはじまる新しい生き方のデザイン』、『みんなのちきゅうカタログ』(英語版 Our Earth Our Home) YouTube:TUPチャンネルHP:東京アーバンパーマカルチャー         パーマカルチャーと平和道場 Text&Edit : Nao KatagiriPhoto:From...

# BACKGROUND# COMMUNITY# ORGANIC# SOFTNESS# 自分らしく生きる#SUSTAINABLE#パーマカルチャー

食でつながるコミュニティーの環/シェ・パニーズ ペイストリーシェフ八尋永理子さん

アメリカ西海岸のバークレーに店を構えるレストラン「Chez Panisse シェ・パニーズ」は1971年のオープン以来、ローカルの生産者が育てた新鮮でサステナブルなオーガニックの野菜や果物をメインに調理し消費者へ届ける「Farm to table農場から食卓へ」という考え方を世界中へ広めてきました。シェパニーズで働いて8年になるというペイストリーシェフ八尋永理子さんのお話からは、食と人、そして人と人が豊かにつながる“やわらかな世界”が見えてきました。 スタッフはシェ・パニーズファミリーとしてお互いに支え合う ―永理子さんはアメリカに長く暮らしていますよね。どんな流れでペイストリーシェフという職に辿り着いたのでしょうか? 「英語ができたら世界中の人と話せていいな」という単純な理由で留学したんです。最初は2年ぐらいで日本へ帰るつもりでいたのですが、気がつけばもう28年。料理人になる前は、和紙のお店で働いたり、製本やアパレルでの仕事をしたりしていました。出産を機に仕事を辞めたのですが、娘がプリスクールに行くタイミングでシェ・パニーズで働いていた友達が声をかけてくれてインターンとして働き始め、実際にキッチンに入ってすぐに「これだ!」と思いました。 ―お菓子作りのどんなところに魅力を感じたのですか? お菓子作りって、工程がすごく細かいですよね。スイーツが大好きで、家でもよく作る…というタイプではないのですが、やってみたら上手にできたんです。元々細かい作業が好きで、手先も器用なので向いているかもしれないなと。それに、お砂糖が足りなかったり、ミックスの順番を間違えたりとその過程が少しでもずれてしまうと良い完成形にならないというところにすごく面白さを感じました。そのサイエンスな感じが自分に合うんですよね。シェ・パニーズでは毎日旬の果物をメインにデザートを決めるので、季節ごとにレシピを考えるのも楽しくて好きです。 ―これほど有名なレストランでありながら、未経験でもチャレンジさせてもらえる環境があるということに驚きました。  もちろん料理学校を卒業した熟練のシェフもいますが、私のようにお菓子作りに興味があるとか、とにかく世界中から様々なバックグラウンドの人が集まってきているんです。きっちりとしたルールはないけれど、やりたいことやパッションを持っている人を受け入れてサポートする体制が整っていて。10代から60代までと幅広い年齢のスタッフがいますが、みんなアリス(※)のフィロソフィーに寄り添っていて、価値観や目標が近いので年齢関係なく共感しあえる。だから仲が良いんですよね。シェ・パニーズではスタッフミールの時間がとても大切にされています。座ってあれこれ話しながら食べる時間をみんなが楽しんでいるので、アリスはスタッフにその時間を大事にし続けてほしいと願っているんです。 ※シェ・パニーズの創始者・オーナーであるアリス・ウォータース。オーガニック、スローフード、地産地消、食育の大切さなどを提唱する食の革命家。 (写真)スタッフの休憩用にと設けられた居心地の良いスペース ―今日永理子さんにレストランやオフィスを案内していただいて、働いている人たちがすごくお互いを尊重し合っているなという印象を受けました。  ここでは、一度働いたらファミリーの一員という考え方があります。メンバーや家族として、人としてすごく大切にしてくれるんです。例えば、病気になって暫くの間仕事ができなくなってしまったスタッフがいたら、その人のためにファンドレイズ(※)しようとか、そうやってお互いを気遣うということがごく普通のこととしてありますね。 ※活動を支える資金を募ること (写真)オフィスの入り口に飾られたシェ・パニーズファミリーの写真 (写真)レストラン2階から見える景色 シェフはファーマーとその作物を惹き立たせるためのヘルパーのような存在  ―パンデミックのときには、いち早くテイクアウトを始めて、専属ファーマーたちの暮らしを守っていましたね。 パンデミックになってアリスが一番気にしたのはファーマーたちのことでした。レストランが開かないということは、彼らの収入もゼロになってしまうということ。それで彼らの収入源を絶たないために始めたのがテイクアウトと野菜や果物の詰め合わせボックスの販売です。ボックスは何が入っていても一箱あたりの価格は一定にして、ファームの収入が安定するようにしました。シェ・パニーズは、ファーマーたちがいてこそ成り立っている。そのことはスタッフの共通認識として強くあるので、生産者とのつながりはものすごく深いものがあります。 ―レストランで提供される料理からも、ファームへのリスペクトをすごく感じます。 私たちシェフはファームから届いたその日の食材を見てメニューを考えます。いかに食材に手を加えず、どう味を引き出そうか。この食材はどう調理すると一番おいしい形でお客さんに出せるのか。それは私たちの永遠のテーマでもあります。 ―シンプルな料理だからこそ、素材そのものの味を楽しむことができて、さらにシェフたちが出し合ったアイディアが引き立っているんですね。  フレンチを基本としていますが、素材にたくさん手を加える料理はほとんどないですね。カリフォルニアの食材はそのものの味がすごく良くて、そのまま食べれるほど美味しいんです。一方、シンプルな料理だからこそ、素材選びには命をかけています。それはシェ・パニーズに入って誰もが一番初めに習うことです。例えばイチゴが100個ある中で、おいしいものをひたすら選ぶというような仕事であるとか。でもそれを続けているとだんだん食材から語りかけてくるようになるんです。 ―オーガニック野菜を使ったシンプルな料理や、地産地消の考え方がこのエリアに強く根付いているのを見ると、シェ・パニーズがこれまで地域で実践してきたことの大きさを感じます。 お客さんから料理について「これどうやって作るの?」とか「この食材はどこの?」なんて聞かれることもあるのですが、シェ・パニーズはすごくオープンなので、「塩茹でしただけだよ」とか、「そこのファーマーズマーケットで買えるよ」とか気軽に答えるんですね。そうすると次に来てくれたときに「あれ、やってみたよ」と教えてくれたりして、レストランでの体験が家庭の料理や地域の生産者に還元されていることを実感できて嬉しくなります。また、近隣の人が収穫された野菜などを私たちが料理にして「これはあなたが持ってきてくれたレモンで作ったタルトよ」みたいなこともよくあって、本当にいいコミュニティだなと思います。 大好きな人たちと、美味しい食べ物を囲んで、楽しい時間を過ごすことが幸せ ―永理子さんは家ではどんな料理を作るのですか?...

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