「ままならない過去や体や心をほぐしてくれたのは、いつも書くことだった」と語る、文筆家・翻訳家のきくちゆみこさん。昨年出版した初のエッセイ、『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』(twililight)では、シュタイナーの学びを織り込みながら、過去の傷やトラウマに光を当て、「言葉とわたし」が、どう変化してきたのかを綴っています。日々のままならなさに、身も心も硬く押し込められてしまいそうなとき、「言葉」は、どんな力を与えてくれるのでしょう。きくちさんが言葉を通じて手にした、この世界をやわらかく生きるヒントについて伺いました。

ー耳から言葉を得て、表現することが好きだった子ども時代
小学校に上がる前、それまで暮らしていた東京郊外のニュータウンから、縁もゆかりもない神奈川県の港町に移住したんです。大人になった今では故郷の一つとして身近に感じていますが、当時はみんなが知り合いみたいなその土地で、自分だけが、ポツンと入り込んでしまった異物のように思っていました。「しゃんめぇじぇんよー(しょうがないだろう)」とか「けえんべえ(帰ろう)」とか、その土地に根差した言葉を耳にするたび、私はこのコミュニティの中に入れないんだという、拠り所のなさを感じていました。
そんな環境にいたせいか、私は周りの人をよく見ている子どもだったと思います。喋り方や、コミュニケーションの仕方なんかを、じっと観察して模倣するのが得意だったんです。当時の私が自分を解放できる場所といえば、劇表現の世界でした。母が自宅で開いていた英語教室では、プログラムの一つに、世界の名作を英語と日本語で劇表現する「テーマ活動」というものがあり、物語の吹き込まれたCDを耳で覚えて、みんなで劇を作っていくんです。それがすごく楽しくて。舞台の上、自分のファンタジーの世界の中では、別の人間でいられたんです。
ー言葉の響きは、世界との接触。他言語に触れて気づいたこと
子どもの頃から英語が身近だったのもあり、アメリカの大学院に進学したのはごく自然のことでした。当時は、映画字幕の翻訳の仕事がしたいとぼんやり夢見ていて、最初は映画を、その後は英米文学を専攻していました。
留学生活の中で面白みを感じていたのは、同じ英語でも、一人一人話すスピードも、使う言葉も、リズムも全然違うということ。当たり前のことなんですが、意味よりも音が先に入ってくるような第二言語の環境だからこそ、印象に残ったのだと思います。特に思い出すのが、受講していた現代詩の授業の時間です。先生が毎回その日扱う詩を朗々と読み上げてくれるのですが、その声自体が、詩の中で語られている世界を目の前に作り出していく感覚がありました。たとえば「Fire」とか「Smoke」とか、破裂音や摩擦音ではじまる言葉の音が、まるで炎を吹いたり、煙を吐き出したりしているように聞こえてくるんです。発音するときに口の中で生じるエネルギーや、触覚的なインパクトが、実際に空間を震わせるんだ、と興奮しました。
近所の誰もいない野球場。
「この景色を見ると、アメリカに住んでいたときを思い出すんです」
留学中には、韓国人の友達もたくさんできて、「ペゴパー(お腹すいた)」とか、「ピゴネー(疲れた)」といった韓国語の響きは、感情を表すのにピッタリだなと思ったのを覚えています。そうやって、いろんな人のいろんな言葉に触れながら、この豊かな音の響きは、ある意味空気を通じた世界との接触なんじゃないかと気づきました。今も文章を書きながら、つい心地いいリズム、気持ちいい音の並びを探してしまうのは、そんな経験からだと思います。
ー私と夫と子ども。自分だけの世界から外へ連れ出された
その後、当時の恋人との関係に苦しみ、仕事も思うようにできず、結局逃げるように日本に帰ってきた私は、友人の紹介で、今の夫、松樹と出会いました。彼とは同い年ということもあってすぐに打ち解け、これまでうまく言葉にできずに抱えていたこともスルスルと話すことができました。日本語でわかり合えることの安心感もあったのかもしれません。これまで、英語で表現することに必死だったけれど、もう無理しなくていい、安心して、伝えたいことを伝えていいんだと、彼の前では気持ちがすごく楽になりました。
娘のオンが産まれて7年が経ちますが、いまだに子どもがいることに、日々驚きを感じています。私と松樹、そこにオンという3人目の存在ができたことで、初めてそこに社会が生まれたんです。これまで人間関係や仕事から逃げて、自閉的に好き勝手やっていた私が、母親としてとか、家族としてとか、そういうことじゃなくて、一人の人間として、ちゃんと人と向き合わなきゃいけないんだと、初めて目覚めたような感じ。オンは、私のドアをガラガラと無遠慮に開けて、外に連れ出してくれたんです。
ー振り返り、書くことは、固まった世界をほぐすこと
昨年出版した『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』は、そんな3人の暮らしのこと、そこから見える世界、そしてそこへ辿り着くまでの過去を振り返って書きました。
私は、基本的に過去を「振り返って書く」ことが多いのですが、それは“ほぐす”ことだと思っています。例えば、つらい過去というものがあったとして、振り返らなかったら、それはずっと心の中でガチガチに固まったまま、わだかまりのように残り続けてしまう。でも、振り返ることによって光を当てて、こういうふうにも見えるな、こういうことなのかもしれないなと、新たな解釈を与えていくと、そこに新しいものが生まれてくるんです。
『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』でも、そうやって今の私と過去の私との関係をほぐしながら、書いていくことで、「だめ」としか思えなかったできごとに、少しずつではあるけれど、「だいじょうぶ」と言えるようになってきた。だから「振り返って書く」ことには、治癒的な効果があるとも感じます。
生きていく中で、私たちは、他者からいろんな言葉を学びます。それはすでに社会の中でガチガチに固められてしまった言葉かもしれません。でもそれを、自分の体や心にあうように、ほぐして、変えていくことこそ、「生きる」ということなんじゃないかと思うんです。全てのことは、時間を経て振り返るたびに、また別の光が当たります。そこに生まれる何かとても神秘的なものを、私は、愛しているんです。
ーシュタイナーの学びが教えてくれた、振り返ることの力、歳を重ねる喜び
「振り返る」ことに意識的になったのは、シュタイナー教育の学びも大きかったと感じます。そのきっかけが、記憶や思い出すことの力をテーマにしたZINE『わたしがぜんぶ思い出してあげる』(2019年)です。さまざまな文献にあたるなかで、「シュタイナー教育では、忘れることを大事にしています」という言葉に出会い衝撃を受けました。
きくちさんが28歳の頃からライフワークとして発行してきたZINE。
「あてどないけれど、会いたい人たちがこの先にいると信じて、文章を綴っています」
娘のオンも通うシュタイナーの学校では、「エポック授業」という時間があり、一つの科目だけをおよそ100分間、3〜4週間という時間をかけて集中的に学ぶんです。一つの科目が終わったら、一度それは忘れて新しいことを学ぶ。そして再びタームがやってきたときに思い出せることこそが、自分の中でちゃんと受け取ったもの。他者から詰め込まれたものじゃなく、自分の中でいったん眠らせ、消化させ、再び思い出すことで学びが深まっていくという考え方なんですね。
季節を身近に感じられるようにとテーブルの隅に飾られた、「2月の祭壇」。
それを知って、これまで自分がずっとやってきたことも同じだなと思ったんです。自分のものでしかなかった過去を振り返り、新しく思い出すことで自分のことを深く知ることができるし、そうして思い出した過去は、他の誰かと分かち合えるかもしれない。振り返ることって、思い出すことって、本当にクリエイティブな行為なんだと、気づくことができました。
今は、歳を重ねることが本当に恵みに思えるんです。時を経れば経るほど振り返るチャンスが生まれるということだし、振り返り方にもいろんな方法があるとわかってくる。人生が山だとしたら、ある程度登らないと自分の人生を振り返るって、難しいと思うんですよね。私は今年、42歳になるけれど、よりいろんなものが見えるようになってきた気がします。今、見晴らしのいい場所から自分の人生を眺めながら、「歳をとるって、超いいじゃん!」という気持ちでいます。
ー手触りのいいものは、「ビー・ヒア・ナウ」を、感じさせてくれる
10代や20代の頃は、着るものは自己表現の一つで、自分の自信のなさをカバーしてくれるお洋服を選びがちでしたが、歳を重ねた今、まず大切にするのは、着心地です。使われている素材や、その素材を調達する道のりも含めて、なるべく体も心も締め付けられないものを選びたいと思っています。
以前、オンが通っていた幼稚園の先生から、「着るものは『自己表現』の一つでもあるけれど、他者にとっては『環境』である」という話を聞いたことがあって。つまり、周りの人にとっては、私の着ているものが外部環境になるんですね。そう考えたとき、一番身近な存在であるオンにとって、目でも肌でも、触れて「気持ちいい」ものを選びたいという気持ちになりました。しかも、小さな子どもは全身が感覚器官と言われるほど敏感で、目で、皮膚で、触れるあらゆるものを吸収しているから、できるだけ自然に近いものがいいだろうなと。だから、私もオンもコットンをよく身につけます。
SISIFILLEのアイテムに触れて、
「やわらかさと自然のぬくもりを感じる。太陽の温かさみたいな」ときくちさん
手触りのいいものって、ちゃんと「ビー・ヒア・ナウ(私はここにいる)」と、感じさせてくれる気がします。心が乱れているときって、自分の輪郭がわからなくなりがちで、だから他者に寄りかかったり、依存したりしてしまう。そんなとき、私は小石や貝殻、羊毛のボールなど身近にあるアイテムを握るようにしています。そうすると触覚を通じて「私はここにいる」と、自分の輪郭を取り戻すことができる気がして。触覚は、体にも心にも影響するすごく神秘的なものなんですよね。だからこそ、日々身につけるものも、大切に選びたいなと思っています。
ーきくちゆみこさんにお試しいただいたアイテム
■ きくちゆみこ/文筆家・翻訳家
文章と翻訳。2020年よりパーソナルな語りとフィクションによる救いをテーマにしたzineを定期的に発行。zineをもとにした空間の展示や言葉の作品制作も行う。主な著書に『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』(twililight)、訳書に『人種差別をしない・させないための20のレッスン』(DU BOOKS)などがある。
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WEBサイト:きくちゆみこ公式サイト
Photo:Nishitani Kumi
Interview, Text&Edit:Renna Hata