ニューヨークを拠点に「neutral lab(ニュートラル・ラボ)/中庸研究所」を主宰する峰田朝恵(ともえ)さん。自然素材で作られたニュートラルラボの衣服には、どんな状態であっても、ありのままの今を祝福したいという願いが込められています。心身を緩ませ、整えることを研究する朝恵さんの人生を大きく変えていったのは「ひえとり」との出合いでした。パンデミックを機に、ニューヨークでお話会などを通じて伝えることを始めた朝恵さんに、「ひえとり」のこと、そしてニュートラルラボを通じて伝えたい想いを聞きました。
―自然の恩恵を暮らしの中に取り入れる豊かさを教えてくれた母の存在
「neutral lab/中庸研究所」という屋号で衣服を作り始め、ちょうど10年が経ちました。紆余曲折を経て、ようやく「ニュートラルラボ」の意味が腑に落ちてきたような気がします。年齢、性別、サイズ、人種、季節、流行…、あらゆる枠を超え、着る人があるがままの今に安心できるような、自由で心地よい服を作りたい。自由自在に何通りにも着回せる服を通して、みなさまにそれぞれの“今”を表現していただけたらと思っています。
北アルプスの麓、自然豊かな長野県安曇野で育ち、長距離を徒歩で通学する子ども時代。主婦であり染織家でもあった母は多趣味で、なんでも手作り。安曇野の自然をこよなく愛し、育てたお蚕さんや綿から糸を紡いで織ったり、スケッチした野草などを布にデザインしては草木で染めたりと、自分の“好き”に夢中な姿を今も思い出すことができます。 自然からの恵を手仕事として大切に伝えてくれた母の存在はとても大きかったと思います。
ーアメリカで“好き”を仕事に。そしてその先に訪れた転機
小さい頃から手芸やものを作ることが好きで、ビンテージの古着や着物を集めたり、自己流で服を作ったりしていたので、服の作り方が学べるなら楽しいかも!と、語学の勉強も兼ね、パターンメイキングのクラスが取れるカリフォルニア州のコミュニティーカレッジに入学しました。
そのうちにもっと本格的に学びたいと思うようになり、ロサンゼルスのファッション専門学校に編入。幸運にもインターン中、パタンナーの師匠と出会い、いくつかの有名ファッションブランドで経験を積む機会に恵まれました。そしてキャリアも熟してきた頃、知人とブランドを立ち上げると、PRの力もあって、あっという間にたくさんのオーダーをいただくようになりました。軌道に乗っていたのも束の間、ビジネスパートナーとのすれ違いやリーマンショックの不況の波と共に解散。人生を注いで育ててきたものがあっという間になくなってしまい、さらに金銭のトラブルもあって不安定な時期でした。その後はロサンゼルスのファッションブランドで働いていたのですが、休暇前になんとか仕事を終わらせて、明日から日本!!というタイミングで、経営不振を理由に解雇のお知らせが…。突然の出来事に、驚きや、怒り、不安など、さまざまな感情が渦を巻いたまま日本へ。それが2010年のことでした。
―「ひえとり」との出合い
その時日本での滞在中、母の紹介で出合ったのが「ひえとり」でした。「ひえとり」とは、上半身と下半身の温度差を“冷え”と捉え、下半身を温めることで血流=氣を巡らせ、温度差を緩和し、自然治癒力を蘇らせることで臓器の機能を正常化し、心身の陰陽を統合するという、医師であった進藤義晴さんが提唱したホリスティックな生活様式です。基本は半身浴なのですが、一日中お風呂に入る代わりに、絹とウール/綿など自然素材の靴下、下衣を交互に重ねることで下半身を温め、半身浴に近い状態を保つことができます。
最初、「ひえとり」を教えてくださった方が靴下を20枚も履いているのを見て、当時ハイヒールばかり履いていた私には到底できないと思ったのですが、話を聞くとシンプルで理にかなっていて、「やってみたい!!」と興奮したのを覚えています。まずは、お風呂を半身浴に変え、ハイヒールは履きながらも、靴下を1枚、2枚と重ねることから始めました。とにかく温かくて心地よくて、『瞑眩(めんげん)』という身体に起こる様々な解毒の好転反応を人体実験として楽しみながら、どんどん夢中になっていきました。心地よさと好奇心に包まれながら日本で過ごしていると、突然ニューヨークに来ないかというお仕事のお誘いが舞い込んできました。それがきっかけで13年過ごしたカリフォルニアを離れ、不安や期待の中、単身でニューヨークへ渡ることになったのです。
―心から着たいと思える服を作ってみたい。ニュートラルラボのはじまり
ニューヨークでのファッションの仕事はとても刺激的でやり甲斐がありましたが、次から次へと新しい服を作り出していくファッション業界のサイクルに疲弊を感じるようになっていきました。半身浴の時間や、重ねる靴下の枚数が増えると、地下足袋や足元が安定する靴を履くようになり、不思議と白などのニュートラルな色を好むようになっていったのです。また「ひえとり」に対応できる上に、自分自身が着たいと思える服にはなかなか出合えず、「ファッションの概念を超えて、ただ自分が着たい服を作ることは可能だろうか」と考えるように。
働き方をフリーランスに変えると、定期的に帰省する時間も増え、故郷、家族、自分の根源と改めて深くつながることができました。滞在中、大好きな北アルプスを毎日眺めているうちに、ある日、ふと雪形がプリーツとして浮き上がり、お山の服のアイデアが閃きました。上半身は軽く、足元はどっしり末広がりというお山の形はまさに「ひえとり」の基本。気がつけば名字も「峰田」…。私の中ですべてがつながり、自然の恵をいただきながら本来の自分に還れるような衣服を作ろうと決意。最愛の母に草木染めや織りを教えてもらいながら、心から着たいものや、心地良さを追求する実験の場として、「neutral lab/中庸研究所」を立ち上げました。
(写真)螺旋状に縛りあげ、草木で束染めされたウェディングドレス
(写真)暮らしの中にある植物を使ったワークショップ「瞑想のように草木染め」の時の様子
ーパンデミックを機に「ひえとり」を「HIETORI」としてアメリカの地で伝えたいと思うように
当初、ニュートラルラボを通して「冷えとり」を紹介するつもりはありませんでした。靴下など下半身に重ね着するので、独特なシルエットになってしまうことからニュートラルと謳いながらも人との間に垣根をつくってしまうのではと思っていたからです。ところがパンデミックが起き、ロックダウンの最中「私ができることは何だろう」と考えた時に、「ひえとり」を「HIETORI」としてニューヨークで紹介することを思いつきました。そして、私の経験や情報をシェアすることで、誰でも簡単に免疫力を上げられる事を知ってもらい、みんな平等に備わっている自然治癒力を目覚めさせる方法を、ニュートラルラボとして初めて発信しました。
今は必要な人に届いてくれたらいいなという気持ちで、ニューヨークで展示や体験型のお話会をやらせていただいています。やってみて分かったことは、人種にかかわらず、多くの方が「冷え」を感じ、不調を抱えていらっしゃるということ。そしてホリスティックに心身を整えることへの関心が高いことでした。後日「睡眠の質が上がった!」などの報告をいただいて、とても嬉しく感じています。
ーありのまま、不完全な自分を隅々まで愛したい
人生が行き詰まった先で「ひえとり」と出合い、結局は起きていることすべて最善だということを身体で感じ、少しずつ安心できるようになりました。それでも現実に翻弄され、心身を緩ませる研究をしながらも、焦ったり、緊張したりすることがまだまだあります。ただ、そんな私だからこそ、心地よいというだけで「ひえとり」を続けてこられたのだと思うのです。不完全な自分を隅々まで愛し、ありのまま表現し続けることで、一度しかない人生を楽しみ、それが全体の調和に繋がることを願っています。
■ 峰田朝恵/ neutral lab :: 中庸研究所 代表デザイナー
1998年渡米、ロサンゼルスのファッション専門学校卒業。パタンナーとして働いた後、ファッションブランドを立ち上げる。2011年ニューヨークに拠点を移し、故郷安曇野に帰省中、長野のアルプスからインスピレーションを受け、衣服をホリスティックな観点からデザイン。2013年、neutral labを創立。心身が自然にたゆみ、自由自在に着回せる服、自分に還るライフスタイルを提案。現在「 祝い celebration 」「着るウェルネス」をテーマに、受注会、お話会、草木染めワークショップなどを国内外で開催中。
instagram: @neutral_lab
HP:neutral lab公式サイト
Photo : Pratya J.(No.1-6) Tomoe Mineta(No.2-5,7-10)
Text:Tomoe Mineta
Edit : Nao Katagiri
Interview:cumi