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COMMUNITY

食でつながるコミュニティーの環 / 八尋永理子さん

アメリカ西海岸のバークレーに店を構えるレストラン「Chez Panisse シェ・パニーズ」は1971年のオープン以来、ローカルの生産者が育てた新鮮でサステナブルなオーガニックの野菜や果物をメインに調理し消費者へ届ける「Farm to table農場から食卓へ」という考え方を世界中へ広めてきました。シェパニーズで働いて8年になるというペイストリーシェフ八尋永理子さんのお話からは、食と人、そして人と人が豊かにつながる“やわらかな世界”が見えてきました。 ースタッフはシェ・パニーズファミリーとしてお互いに支え合う --永理子さんはアメリカに長く暮らしていますよね。どんな流れでペイストリーシェフという職に辿り着いたのでしょうか? 「英語ができたら世界中の人と話せていいな」という単純な理由で留学したんです。最初は2年ぐらいで日本へ帰るつもりでいたのですが、気がつけばもう28年。料理人になる前は、和紙のお店で働いたり、製本やアパレルでの仕事をしたりしていました。出産を機に仕事を辞めたのですが、娘がプリスクールに行くタイミングでシェ・パニーズで働いていた友達が声をかけてくれてインターンとして働き始め、実際にキッチンに入ってすぐに「これだ!」と思いました。 --お菓子作りのどんなところに魅力を感じたのですか? お菓子作りって、工程がすごく細かいですよね。スイーツが大好きで、家でもよく作る…というタイプではないのですが、やってみたら上手にできたんです。元々細かい作業が好きで、手先も器用なので向いているかもしれないなと。それに、お砂糖が足りなかったり、ミックスの順番を間違えたりとその過程が少しでもずれてしまうと良い完成形にならないというところにすごく面白さを感じました。そのサイエンスな感じが自分に合うんですよね。シェ・パニーズでは毎日旬の果物をメインにデザートを決めるので、季節ごとにレシピを考えるのも楽しくて好きです。 --これほど有名なレストランでありながら、未経験でもチャレンジさせてもらえる環境があるということに驚きました。  もちろん料理学校を卒業した熟練のシェフもいますが、私のようにお菓子作りに興味があるとか、とにかく世界中から様々なバックグラウンドの人が集まってきているんです。きっちりとしたルールはないけれど、やりたいことやパッションを持っている人を受け入れてサポートする体制が整っていて。10代から60代までと幅広い年齢のスタッフがいますが、みんなアリス(※)のフィロソフィーに寄り添っていて、価値観や目標が近いので年齢関係なく共感しあえる。だから仲が良いんですよね。シェ・パニーズではスタッフミールの時間がとても大切にされています。座ってあれこれ話しながら食べる時間をみんなが楽しんでいるので、アリスはスタッフにその時間を大事にし続けてほしいと願っているんです。※シェ・パニーズの創始者・オーナーであるアリス・ウォータース。オーガニック、スローフード、地産地消、食育の大切さなどを提唱する食の革命家。(写真)スタッフの休憩用にと設けられた居心地の良いスペース ―今日永理子さんにレストランやオフィスを案内していただいて、働いている人たちがすごくお互いを尊重し合っているなという印象を受けました。  ここでは、一度働いたらファミリーの一員という考え方があります。メンバーや家族として、人としてすごく大切にしてくれるんです。例えば、病気になって暫くの間仕事ができなくなってしまったスタッフがいたら、その人のためにファンドレイズ(※)しようとか、そうやってお互いを気遣うということがごく普通のこととしてありますね。※活動を支える資金を募ること (写真)オフィスの入り口に飾られたシェ・パニーズファミリーの写真 (写真)レストラン2階から見える景色 ーシェフはファーマーとその作物を惹き立たせるためのヘルパーのような存在  --パンデミックのときには、いち早くテイクアウトを始めて、専属ファーマーたちの暮らしを守っていましたね。 パンデミックになってアリスが一番気にしたのはファーマーたちのことでした。レストランが開かないということは、彼らの収入もゼロになってしまうということ。それで彼らの収入源を絶たないために始めたのがテイクアウトと野菜や果物の詰め合わせボックスの販売です。ボックスは何が入っていても一箱あたりの価格は一定にして、ファームの収入が安定するようにしました。シェ・パニーズは、ファーマーたちがいてこそ成り立っている。そのことはスタッフの共通認識として強くあるので、生産者とのつながりはものすごく深いものがあります。 --レストランで提供される料理からも、ファームへのリスペクトをすごく感じます。 私たちシェフはファームから届いたその日の食材を見てメニューを考えます。いかに食材に手を加えず、どう味を引き出そうか。この食材はどう調理すると一番おいしい形でお客さんに出せるのか。それは私たちの永遠のテーマでもあります。 --シンプルな料理だからこそ、素材そのものの味を楽しむことができて、さらにシェフたちが出し合ったアイディアが引き立っているんですね。  フレンチを基本としていますが、素材にたくさん手を加える料理はほとんどないですね。カリフォルニアの食材はそのものの味がすごく良くて、そのまま食べれるほど美味しいんです。一方、シンプルな料理だからこそ、素材選びには命をかけています。それはシェ・パニーズに入って誰もが一番初めに習うことです。例えばイチゴが100個ある中で、おいしいものをひたすら選ぶというような仕事であるとか。でもそれを続けているとだんだん食材から語りかけてくるようになるんです。 --オーガニック野菜を使ったシンプルな料理や、地産地消の考え方がこのエリアに強く根付いているのを見ると、シェ・パニーズがこれまで地域で実践してきたことの大きさを感じます。 お客さんから料理について「これどうやって作るの?」とか「この食材はどこの?」なんて聞かれることもあるのですが、シェ・パニーズはすごくオープンなので、「塩茹でしただけだよ」とか、「そこのファーマーズマーケットで買えるよ」とか気軽に答えるんですね。そうすると次に来てくれたときに「あれ、やってみたよ」と教えてくれたりして、レストランでの体験が家庭の料理や地域の生産者に還元されていることを実感できて嬉しくなります。また、近隣の人が収穫された野菜などを私たちが料理にして「これはあなたが持ってきてくれたレモンで作ったタルトよ」みたいなこともよくあって、本当にいいコミュニティだなと思います。 ー大好きな人たちと、美味しい食べ物を囲んで、楽しい時間を過ごすことが幸せ --永理子さんは家ではどんな料理を作るのですか? シェ・パニーズで作る料理よりもさらにシンプルです。トマトを輪切りにして塩かけるだけとか、お豆腐にお醤油かけるだけとか。だからこそ旬なもの、素材そのものの味を大事にしています。でも一番ホッとするのは、やっぱりお味噌汁とご飯なんですよね。そんなに頑張って手をかけなくても、そういう安心できるようなご飯を作れたらいいんじゃないかなって思います。 --作物を育て、そのものの味を楽しむということは、アリスさんがエディブルスクールヤード(※)を通じて伝えようとしていることでもありますよね。 そうですね。子どもの頃、鳥取に住む祖母を毎年訪ねていたのですが、つくしや野草を摘んで調理していたんです。今考えるとすごくスペシャルだったなと思うのですが、そこではそれが日常の風景だったんですよね。祖母は野菜もお米も自分で作っていて、彼女の育てていたスイカの味は今でも忘れられません。今ファームで同じような安心感を感じるのは、そういうルーツがあるからなのかなぁ、なんて思ったりもします。※アリス・ウォータースが立ち上げた、校庭の一部を菜園にし、畑から食卓まで繋がるいのちの学びとして、子どもたちが土に触れ、育て、収穫し、料理して、共に食べる場をつくるプロジェクト...

# COMMUNITY# ORGANIC# SOFTNESS#SUSTAINABLE

優しさの連鎖が叶えるポジティブな循環 / 木津明子さん

自身のライフステージの変化をきっかけに、こどもの未来を明るく照らすようなコミュニティーを作りたいと一念発起し、地元である横浜市に「こども食堂 レインボー」をオープンしたスタイリストの木津さん。仕事に育児に、こども食堂の運営にと忙しい日々を送りながらも、彼女の周りはいつも明るくてハッピーなムードで溢れている。そんな木津さんが思い描く地域を巻き込んだ新しい取り組みと、そこで生まれたポジティブな循環の可能性について話をお聞きました。 ー「自分の不安=世の中の不安」と思ったことが行動の始まり --「こども食堂レインボー」を始めたのは、木津さんがシングルマザーになったことがきっかけだとお聞きしました。 木津:はい。区役所で児童手当など子ども関連の説明を受けたとき、なんとなく分かってはいたんですけど、改めてひとり親の過酷な状況を知ってショックを受けたんです。子どものためにも仕事は頑張りたいけれども、頑張るほど負担が大きくなるのが現実なんですよね。あまりにもびっくりし過ぎて「本当にみなさんそれでやっているんですか……!? 」と聞き返してしまったほどです(笑)。それで、その帰り道に「なにか自分にできることはないかな」と思って、こども食堂(※)をやることを決意しました。 ※こども食堂とは、子どもやその保護者、地域の住民に対して無料または低価格で栄養のある食事や温かな団欒の場を提供するために生まれた社会活動。 --自分の生活に不安を感じたタイミングで、逆に視野が広がったという部分が興味深いです。 木津:その時に自分が感じた不安から、子ども達の未来、日々の食事など、今までずっと気になっていたことに向き合う時が来たんだなと思いました。周りからの影響も大きかったですね。今はレギュラースタッフとしてこども食堂の活動を支えてくれているメンバーの話なんですけど、「+IPPO PROJECT」(※)という活動をやっている友達がいて。私はそのプロジェクトの「一歩踏み出す」という姿勢にすごく感化されたんです。昔の自分は怖かったり、悲しかったりするニュースがあると、つい目を逸らしたくなってしまうようなところがあったんですよね。でも「ちゃんと自分の目で見て、進んで行かないといけないよね」と改めて思わせてもらったし、背中を押してもらいました。  ※ファッション業界をベースに活動する女性3人が始めたプロジェクト。児童養護施設などを巣立った人たちのその後を支えるアフターケア相談所と手をとり合い、ファッションの持つポジティブな力をもとに、さまざまな形で社会問題につなげる活動をする。  --様々な選択がある中で、こども食堂を選んだ理由はありますか?木津:私自身、元々料理をしたら多めに作って「食べに来る?」と周りの人に声をかけるようなタイプで。今でも近所に住む両親にはよくご飯を作って持って行きます。私の母はすごく褒め上手で「あっこ(木津)は仕事もこんなに頑張っているのにちゃんと育児もして、ご飯まで作って偉過ぎる〜!」とか、こっちが嬉しくなる言葉をかけてくれるんですよ(笑)。料理も好きだし、人に喜んでもらえるのも好きなので、自然とたどりついた形なのかなと思います。 --ゼロの状態からこども食堂をオープンするまでにはいろいろとあったと思いますが、どのように体制を整えていったのか教えてください。 木津:場所が決まってからは色々と早かったです。私はあまり建設的に物事を考えるタイプではないので、周りの人に助けてもらいつつ、準備を進めていきました。とにかく初めてのことだらけだったので、まずは体当たりじゃないですけど、場所を探すところから始めました。その結果、洋光台の町の窓口「マチマド」さんにレンタルスペースを借りることになり、そこでのやり取りをきっかけに現在のスペースを紹介してくれたUR新都市機構の方ともつながることができました。そして地域ケアプラザの方もこども食堂ができるのを喜んでくれて、近隣の学校に代理で手紙を出してくださったり、いろいろサポート体制を整えてくれましたね。地域の協力体制があったのは大きかったです。あとは友人達の心強い協力に支えてもらいました。みんなそれぞれに仕事や家族のこともあるのに、事前の準備からお店の運営まで喜んで力になってくれて本当にありがたかったです。最初は「全部一人でやるぞ!」と意気込んでいたんですけど、それは到底無理な話でした。 (写真)こども食堂レインボーの様子 --準備期間とオープンしてからで心境の変化などはありましたか? 木津:実際に始めてからの方がいろいろ感じること、分かることが多かったです。初日を終えて、まずは自分の意識をガラッと変えていかないとだめだと痛感しました。最初は「救ってあげたい」という気持ちから始まったんですけど、その考え方自体が大きな間違いでした。本当に必要な人に食べに来てもらいたいという思いがあったので事前にあまりアナウンスをしていなくて、初日はお客さんが少なかったんですよね。チラシを駅前に配りに行った時に感じたことは、楽しくて明るくて、ポジティブな循環が生まれる場所づくりをしていかないと本当に届けたい子どもたちにまで届かないなということ。それに食堂と名前がついているからには活気も必要だなって。今振り返ると、その時の気づきはとても重要でしたね。そこからみんなで方向性をしっかり意識して軌道修正できたことが今のこども食堂に紐づいているんじゃないかと思います。 ー間口を広げることで、あらゆる人につながる場所を作りたい --その意識の部分についてもう少し詳しくお話していただけますか? 木津:こども食堂に対して“後ろめたい”というイメージを持つ人って多いと思うんです。ビラ配りをしている時にもそれをすごく感じました。好意的に受け取ってくれる人ほど「素敵なことですね。でも、うちは大丈夫です」って言うんですよ。「だって、困っている人が利用する場所なんでしょ?」と。そのたびに、きちんと私たちが考えるこども食堂の話をするようにしています。人からちゃんとしているように見られたい、という気持ちは私にもあるし、すごく理解できるんです。でも、ひとり親に限らず、子育てをしている人って毎日すごく大変じゃないですか。だから子どもたちだけではなく育児に関わる全ての人たちにこども食堂に来て少し楽をして笑顔になって欲しいんです。そこで心に余裕が生まれたら周りにも優しくなれるかもしれない。そうやって優しさの循環を作るきっかけになりたいんです。まずは子ども達にお腹いっぱいになって幸せになってもらうのが第一ですが、それに限らずいろんな人が普通に利用して、明るくて楽しい場所として定着していって欲しい。間口が広がることで、少しでも多くの人の気持ちを補うことができればという思いでいます。  --仕事や家庭があっての活動ということで体力面でもかなりハードかと思いますが、原動力はなんですか? 木津:体力の話だけでいったら結構ハードです(笑)。でも、なんか毎回終わった後にすごく元気になっているんですよね。これは私だけではなくスタッフ全員が共通して感じていることみたいです。とにかく終始みんながよく笑っているんですよ。子どもたちからもらうエネルギーは本当にすごくて、どんどん元気になる!慌ただしい日々ですが、みんなそれぞれ意欲的に楽しんでやっています。 --「こども食堂レインボー」はInstagramでの発信も積極的に行なっていますが、反応はどうですか? 木津:発信はできるだけこまめにしようと頑張っていて、その手応えも感じています。私たちはオンラインショップでの支援チケット販売と銀行振込を通じて支援金を集めているんですけど、「SNSで様子を見ていると何をしているか明確に分かるから、支援したくなる」というような声をもらうことが結構あります。なので、引き続き発信することも頑張っていきたいです。ただ、ファッション業界は福祉に対してまだまだ消極的なところが多いなとも感じます。だからこそ両方の立場が分かる自分ができること、ファッションと福祉という一見異なるものを組み合わせることで生み出される新しい可能性についてこれからも考えていきたいです。 --今後の目標はありますか? 木津:近い目標としてあるのは、定期賃貸できるスペースを確保することです。拠点を確保することで食べること以外のコミュニケーションの場が作れるかもしれないし、もっといろんな可能性が広がると思うんです。食事と教育が一緒にできる寺子屋のような場所にすることが理想です。あとは永く続けていきたい。でもこれらを実現するためには、何よりも安定した資金の調達が一番の課題です。急にすごく現実的な話になってしまうんですけど(笑)、これが本当に大真面目な話で! 来てくれる人、手伝ってくれる人、支援する人、みんながもっとフェアになるためにはやっぱり避けては通れない問題だと思います。以前仕事で関わるモデルさんや女優さん、ブランドさんに売上の一部を寄付して頂いたことがあるのですが、もっとこういったタッグをいろんな企業に呼びかけてやっていきたいです。 地域密着型で、こども食堂を中心に地域のコミュニティーみたいなものを作ることができたら、子供を守りながら雇用も生み出せるんじゃないかって思うんです。そんな理想的な循環を可能にするビジネスモデルを作ることができれたら、全国展開だって夢じゃないですよね。そんな未来に備えて組織も法人化しています。夢は大きく!でもまずは今できる目の前のことに向き合って、地元の洋光台で頑張りたいです。  ■ 木津明子 / スタイリスト...

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この地球で持続可能な暮らしをしたい ーパーマカルチャーが僕らに教えてくれたことー 木多伸明さん

岡山県で持続可能な暮らしを営んでいるノブ(木多伸明)さん、ケイさん、3歳のテラくん一家。電気は太陽光発電、ガスは引かずに自家製の炭と薪で調理、雨水をろ過して飲み水を作り、お風呂は薪で沸かし、自宅の敷地にある畑では家族が食べるに十分な野菜を育てています。彼らが実践するパーマカルチャーとは、パーマネント(永続性)、アグリカルチャー(農業)、カルチャー(文化)を組み合わせた、人と自然が共存する持続可能な社会をつくるためのデザイン手法のこと。2023年4月に公開されたばかりの映画「TERRA 〜ぼくらと地球のくらし方〜 」は、ノブさん一家が国内外のパーマカルチャー実践者を訪ねた軌跡を自ら記録したものです。パーマカルチャーの基本倫理は、アースケア(地球に配慮する)、ピープルケア(人に配慮する)、そしてフェアシェア(みんなで分かち合う)。その暮らしの先には、循環する豊かな世界が見えてきました。 ー消費者から生産者へ。人生が変わるほどに魅了されたパーマカルチャーの世界 以下語り手 Nobu:ニュージーランドの北端から南端まで3000km続くトレイル “Te Araroa(テ・アラロア)” をハネムーンとして5ヶ月かけてケイと2人で歩いたのは2017年のこと。その後、ケイはニュージーランドに残り、僕は昔から憧れていたアメリカのトレイル “PCT(パシフィック・クレスト・トレイル)” へ。そして4200kmの道のりを1人で歩いていた時、ケイから「共生革命家のソーヤー海くんの “人生が変わるパーマカルチャーツアー”が近くで開催されるから歩き終わったら参加してみたら?」と連絡がきた。そもそもは彼女が行きたがっていたのだけど叶わないので、代わりに僕へ勧めたのだ。ツアーは、西海岸のパーマカルチャーの聖地と呼ばれる場所を2週間ほどかけて巡るもの。その時は正直あまり興味はなかったけれど、せっかくアメリカにいるのだから、と軽い気持ちで参加することにした。 まず訪れたのは、40年以上パーマカルチャーを実践しているワシントン州のブロックス・パーマカルチャー・ホームステッドだ。ちょうど実りの時期ということもあって、食べ物がそこら中になっていて、ナッツや薬草は生い茂り、果樹からは取りきれない実がボトボトと落ちていた。溢れんばかりの収穫物は乾燥させたり、瓶詰めにしたり、ジャムにしたりと、何でも保存食にするらしいが、それでも食べきれないという。だけど、例え欲しいという人がいても余っているフルーツは売らないと聞いて驚いた。収穫された果物を買う人はただの“消費者”にしかなりえないからだ。彼らはナーサリー(育苗園)を営んでいて、そこでは世界中の様々な種類の苗を購入することができる。苗を買い育てれば、“生産者”になることができるというのが彼らの考え。その視点に感銘を受けたし、目の前に広がる楽園のような世界を見て、「僕もこれをやりたい」と強く思った。  (動画)ブロックス・パーマカルチャー・ホームステッドで撮影されたツアー動画 ートライアンドエラーを繰り返して学んでいく開拓の日々 それまでの僕は東京に住んで、映像カメラマンとして仕事をしていた。2018年に日本へ帰ってくると、パーマカルチャーを実践するために僕らは東京を離れることにした。ケイも旅の中で循環する暮らしを営む人たちと過ごすことで、場を育みたいという気持ちが強くなっていたようだ。移住先はいくつか検討したけれど、岡山で僕の祖父母が住んでいた家が空き家になっていて、手っ取り早く始められそうだったのでここに決めた。家の前には畑があって、周囲は少し小高い丘になり雑木林に囲まれている。長年放置されたままだった土地は藪化し、竹林は暴走していた。そこからはひたすら開拓の日々。僕は子どもの頃からモノを作ることが好きだ。今も基本的に何でも自分で作るが、大体は一度失敗する。僕にはこういう暮らしの経験がないから、全てトライアンドエラーで学びながらやっていくしかない。  (写真)↑ 藪化していた頃の様子。↓現在の様子。 現代の暮らしでは自然と人間は完全に分離されていて、例えばトイレで流したものがどこへ行くのか疑問に持つ人は少ない。そういう感覚的なものが失われた暮らしに、それってどうなっているの?とか、それっておかしくない?とか、考えるきっかけを与えてくれるのがパーマカルチャーなのだと思う。汚水をきれいにしてくれるプロダクトを購入するのではなくて、その仕組みをどうやって作ろうかと考える。そして理論を実践していく。その小さな実践の積み重ねが、自然界と人間のつながりを取り戻してくれるのだ。 (写真)温室とお風呂を兼ね備えるジオデシックドーム (写真)伐採された竹で囲われたコンポストトイレ そもそも、パーマカルチャーを取り入れることは決して難しいことではない。コンポストでも、ベランダ菜園でも、できることから始めればいい。もちろん苦労はそれぞれにあるけれど、それ以上に得られるものは大きいし、実際に僕らの暮らしの豊かさはどんどん上がっている。果樹も少しずつ実りが出てきたし、僕たちの暮らしを見にくる人たちも増えてきて、僕が西海岸で受けた影響を今度は僕が人に与えられるようになってきた。僕は今、西海岸で見たあの憧れの暮らしがここ岡山でできつつあることを実感している。 (写真) 屋根の上に備えつけたタンクに、ポンプで井戸水を引き上げてシャワーが出る仕組み。 ーこの映画が、その土地のパーマカルチャーに興味のある人と実践者とをつなぐきっかけになったら 僕らのように田舎でパーマカルチャー的な豊かな暮らしを実現していたとしても、気候変動やエネルギーなどの大きい問題からは逃げることはできない、というのもこの暮らしを始めて気づいたことの一つだ。いくら目の前の風景を豊かにすることができても、僕らだけでは気候変動をどうにかすることはできない。僕が生きている間には大事にはならないかもしれないけれど、じゃあテラは?他の子どもたちはどうなる? 彼らの未来を守るために、今何かアクションを起こすべきなんじゃないかと考えていた。 そんな中、ソーヤ海くんがパーマカルチャーのことを僕に映像化してほしいと考えているという話を聞いた。僕は宅地と畑の開拓に追われてそれどころじゃなかったけれど、ちょうどテラが産まれた後でどうもケイは旅に出たそうだった。初めての子育て、さらに移住とコロナが重なり、外とのつながりが少なかったこともあって、ここでの生活に少し息苦しさを感じていたのかもしれない。それに、パーマカルチャーをより多くの人が実践してくれたら世の中を変えることができるかもしれないという思いもあった。  (写真)烏骨鶏を愛でる子どもたち ケイはDIYで作ったソーラークッカーでよくクッキーを焼いてくれるのだけど、天気がいいとテラは「今日はクッキー焼けるかなー」と言う。3歳ながら、太陽があればクッキーが焼けるんだということを彼はナチュラルに知っているのだ。もし世界中の子どもが同じように言い出したら、将来エネルギー問題は解決できるんじゃないだろうか。 この暮らしを映画にして、この世界をもっと多くの人に知ってもらいたい。ここの開拓作業を止めてしまうことはとても苦しい決断ではあったけど、やっぱりドキュメンタリー映画を撮ろうと決心した。そして家族3人でアメリカと日本各地のパーマカルチャーの実践者を巡る旅が始まった。 (写真)ソーラークッカーでクッキーが焼く様子。そしてそれをじっと待つテラくん。  (写真)電気は太陽光発電のみのオフグリッド。各小屋にソーラーパネルとパッテリーを設置して電気を賄っている。 僕らが知っている人たちを取材するうちに輪が広がっていき、終わってみれば訪ねた場所は40ヶ所以上にも及ぶ。心配だった編集に関しては、支援してくれる人たちと少しずつ進めて完成することができた。この映画は、各地のパーマカルチャーデザイナーや実践者をハブとして自主上映会を開いてほしいと考えている。映画がきっかけとなって、これまでなんとなくパーマカルチャーやこういう暮らしに興味がある人がその土地の実践者とつながることが何より大事だと思うから。話を聞いて現場を見てみたり、実際に始めたいというときにはデザイナーが助けになってくれるだろう。パーマカルチャーでつくるそれぞれの小さな世界は豊かにしかなっていかない。だから、みんな始めようよ。始めなきゃここにはたどり着けないから。  (動画)映画「TERRA...

# ORGANIC# SOFTNESS# 自分らしく生きる#パーマカルチャー

自分らしく美しく ―からだの中から整える― 新井佑佳さん

自分らしく生きている人を見ると、「美しい」と感じることがあります。美しさの定義は人それぞれに自由であるものですが、“自分らしさ” とはなにかを知ったとき、自分の求める美しさに近づくことができるのかもしれません。セラピスト暦15年目を迎え、食の分野などにも活動の幅を広げられている新井佑佳さんの場合は、身体の内側を整えることがそのきっかけになったと言います。 ―自身の身体の不調から、内側を整えることの大切さを知りました 本田:新井さんは現在、都内でオーガニックサロン「ayuca organic salon」を営んでいらっしゃいますが、どのような想いがあってこのお仕事を選ばれたのですか? 新井:子どもの頃から、美容の仕事についている人は年齢に関係なくずっと美しいと思っていて、その美しさにずっと憧れていたんです。私が通っていた美容学校は、トータルビューティーを学ぶことのできる割と珍しい短期大学。ヘアカットやメイクの授業はもちろん、健康美や精神美、花道や茶道、フィットネスに心理学と幅広い分野に触れる機会がありました。そこで内側まで美しくするセラピストという職業を知ったんです。 本田:当時は身体の外側へのアプローチを目的としたサロンの方が目立っていたような記憶があるのですが、最近では身体の内側、心のケアができる場所も多いですよね。それは世間の関心が身体を中から整えることにも向けられるようになってきたからなのでしょうか? 新井:そうですね。自分がこの仕事に就いているからかもしれませんが、セラピストという言葉を当たり前に聞くようになった実感があります。リラクゼーションサロンの数も増えてきたので、外側だけでなく内側に癒しを求める人が増えているのかなと思いますね。 本田:少し前までは精神的な部分をオープンにすることに対して、ためらいを感じる方も多かったように思うんです。でも今は、いろいろな方法で自分の内側の部分をケアするみたいなことが一般的になりつつありますよね。 新井:私も元々溜め込みやすいタイプで、身体に不調があらわれてしまうことがありました。自律神経が乱れたり、円形脱毛症になったり。一番辛かったのは顔面麻痺になってしまい、薬の副作用で肌もボロボロになってしまったこと。その時に、いくら外側を美しく整えても、身体が元気で健康じゃないと、全部がダメになってしまうんだなと感じたんです。 本田:ご自身の経験が今に大きく関わっているのですね。新井さんはセラピストとして実際にお客様をケアされる時、どのようなことを大切にしていらっしゃいますか? 新井:マッサージに行った時、逆にすごく疲れて帰ってくることってありませんか? 癒しの空間すぎて陰の世界に気持ちが持っていかれてしまうというか。自分のサロンに来ていただいたお客さまには癒しを感じてほしいのはもちろんですが、また頑張ろうと元気になったり、幸せな気分になったり、いい気持ちで帰ってほしいと思っています。サロンの空間を楽しんで欲しいし、特別な空間だと思ってもらいたいので、おもてなしをするように施術することを心がけていますね。 本田:自分にフィットしたサロンかどうかということは重要ですよね。そういった場所や人に出会うことで感じ方や見える景色も変わると思います。自分自身が精神的に癒されると、周りに優しくなれたりも。 新井:そうですね。うちのサロンにはお子さんがいらっしゃるお客さまも多く、子育ても仕事もしていると、みなさんご自身の時間がなくてかなり疲れが溜まっているんです。そんな中サロンに来てくださって、施術を受けると心に余裕が生まれてハッピーになる。家に帰った時に家族にもやさしくなれるから、旦那さんも「行ってよかったね!また行ってきなよ」と言ってくれるみたいで。そういったお話を聞かせてもらうことも多く、とても嬉しく思います。 ―心が求める楽しい方へ向かっていくことが、美しさに繋がっていく 本田:新井さんは畑仕事もされていますよね。そのお話も伺いたいです。新井:以前、体調を崩しやすかった時に2年ほどマクロビオティックを学んでいた時期があって。マクロビ食を取り入れてみたところ、体調だけでなく精神的にもとても安定して驚いたんです。そこから「身土不二(しんどふじ)」とか「一物全体」っていうことばが自分の中でスッと腑に落ちて。私は群馬県の神流町(かんなまち)という、山に囲まれた町で生まれ育ったんですが、地元で父のはじめた畑を手伝うようになったんです。水と緑に恵まれた場所で一から無農薬で作って、野菜や果物の成長する過程を見て学びを受ける。続けていくうちに野菜への愛が膨らんで、月に一度は必ず帰って畑に触れています。 本田:そういった経験を通して、サロンでのお仕事に活かされていることも多いのではないでしょうか。 新井:その通りなんです。自宅ではこういう食事をとった方がいいですよということがアドバイスできるようになったのは大きいですね。より多くの人に食事の大切さや楽しさを広めたくて、田舎暮らしを体験する地元のツアーや料理教室、食に関するセミナーも開催するようになりました。 本田:サロンでは、経営から接客まですべて新井さんお一人でされているのですよね。ご自身のペースで働ける環境があるからこそ、そういった活動にも精力的に取り組めるというところがあるのでしょうか。 新井:そうですね。昨年地元のツアーを開催したときに、自分がやりたかったことが徐々に形になってきていると実感できました。勤めていたころは「次は何時にお客さまが来ちゃう!」とか「施術の時間はオーバーしちゃダメ!」など時間と周りを気にしてしまうところがありましたが、独立して一人で働くようになってからはそういった焦りがなく、お客様一人ひとりにゆっくり寄り添うことができるようになった気がします。お客様が満足して帰ってくれることが一番なので、今の環境やペースは自分に合っているなと感じています。 本田:新井さんのインスタグラムには、おすすめの調味料やおいしそうな料理の数々が並んでいて、とても興味深く拝見しています。サロンでの施術だけでなく「食」に関することも含めてホリスティックにお客さまをケアしていく方向になっていっていますよね。今後はどのようなバランスで活動されていかれるのでしょうか? 新井:基本はセラピストという軸はぶれないようにしたいと思っていますが、色々と挑戦はしていきたいですね。昨年開催した田舎暮らし体験ツアーを通して、地元での活動が仕事につながることが実感できたので、今後はもうちょっと畑に関わる活動も広げていけたらと考えています。東京のカフェに野菜を卸すとか、都内で野菜を販売するとか。そしていずれは地元の群馬と東京でデュアルライフができたらいいなと思っています。 本田:心の声に素直であることは自分をケアすることでもありますよね。そういったことが、自分の「らしさ」や「美しさ」に通じていくのかもしれませんね。 新井:たくさんの情報が溢れている中で、いろいろと試しながら「自分が一番心地良いと思うこと」を選びとっていくことも大切だと思っています。そういったことを積み重ねながら、自分らしさを磨いていくことが一番美しく輝ける秘訣なのかもしれません。これからも内側の幸せや “楽しい、嬉しい” にフォーカスしながら、お客さまや自分も含め、みんなの美しさにつなげていきたいですね。 ■ 新井佑佳 /...

# HEALTH# ORGANIC# 自分らしく生きる

直感に従ってハーブを自由に愉しむ ー国際女性デーを祝して「女性性」を愉しむハーブティーをプレゼント&ブレンドレシピ公開ー

3月8日の「国際女性デー」は、女性の権利を守り、ジェンダー平等を目指すために1975年に国連が定めた記念日です。シシフィーユでは国際女性デーを祝し、SISIFILLEオンラインストアでお買い物いただいた先着50名様に、コミュニティハーバリストPai Miyuki Hiraiさん監修のオーガニックハーブティーをプレゼントします。  「女性デーといっても、性別としての“女性”だけを対象にするものではないと思う」と語るのは、サンフランシスコに暮らすPaiさん。女性たちに感謝の気持ちを表すのと同時に、性の多様性にも目を向ける日だと捉えているのです。「性はグラデーション」と言われるように、性のあり方は人それぞれに違うもの。また、誰しもが男性性、女性性の両方を持ち合わせていて、人を「男だから、女だから」というようなステレオタイプに当てはめることにも無理があります。 「自分の子どもを見ていると、私たちの子どもの頃と違ってジェンダーをニュートラルに捉えていると思う」と言うPaiさん。次世代の子どもたちへジェンダーギャップのない未来を渡すために、わたしたちができることはなんだろう。国際女性デーとは、そんな問いに想いを巡らす日でもあるのかもしれません。 「女性性」をイメージしたPaiさんのハーブティーPaiさんからのメッセージ ーハーブティーに込めた想いー “風の時代”が到来して、女性性のエネルギーが強くなるなんて聞くけれど、家父長制的なシステムは本当に終わりを迎えると思っています。特に日本では、女の人が前へ出たり、自由奔放でいることを嫌う風潮がまだ残っているように感じますが、これからはもっと女性がリードしていく時代。女性性のエネルギーが高まることで、世の中は大きく変わっていくと思うんです。 今回はそんな願いを込め、「女性性」をイメージして精神的にも視覚的にもリラックスできるハーブをセレクトしました。また、手に入れやすいハーブで誰もが再現できるレシピなので、植物の存在を身近に感じるきっかけとしても楽しんでいただけたら嬉しいです。 ーブレンドレシピー -ホーリーバジルヒンドゥー教では女神ラクシュミーの化身とされ、聖なる植物として崇められている。抗菌作用があり、エイジングケアや、免疫機能と新陳代謝の向上に。 -ローズ女性と関わりの深い植物のひとつ。ホルモンバランスを整えてくれるので、PMSや更年期障害など、生殖器系に関わる不調に。抗炎症、鎮静作用がある。 -カレンデュラ代表的な万能薬。月経不順に対する薬として昔から重宝されている。成分のひとつであるフィトステロールは女性ホルモンに良く働きかける作用がある。また免疫を高めてくれるので、風邪の予防にも良い。  -レモングラス疲れた心を癒し、気分をリフレッシュしてくれる。抗菌作用があり、また消化を促進してくれるので胃腸のもたれにも効果的。 -ミント清涼感のある香りで、リラックスさせてくれる。ミネラルが豊富。胃腸の調子を整えてくれる。 ー飲み方ー マグカップで飲みやすいようにティーバッグタイプにしています。あたたかいお湯でも、水出しでも。水出しにするとハーブのエキスがゆっくりと抽出され、まろやかな味わいを楽しむことができます。お湯 or 水の量を調整してお好みの濃度でお召し上がりください。  ※アレルギーをお持ちの方はブレンドしているハーブにご注意ください。※妊娠中・授乳中・お薬を服用中の方は事前にお医者さまにご相談の上お召し上がりください。 (写真)Paiさんが暮らすサンフランシスコベイエリアのコミュニティーガーデン。収穫されたハーブや野菜がドネーション制でシェアされている。 “Herbal medicine for all”「ハーバルメディスンはみんなのもの」 Pai Miyuki Hirai / コミュニティーハーバリスト...

# COMMUNITY# ORGANIC

つながる場所があるということが支えになる / 櫻木直美さん

 広島でオーガニックコットンの肌着を展開する「marru(マアル)」。「まあるくつながろう」という願いが込められた名前の通り、ブランドの、そして櫻木さんの想いに心を寄せる人たちがやさしくつながり合いながら営みを続けてきました。「マアルさんの拡がりこそがコミュニティそのものだと思う」と語るSISIFILLE(シシフィーユ)ブランドコミュニケーターのcumiが、マアルを紡いできた想い、そしてコミュニティについて、代表の櫻木直美さんに話を聞きました。 ―母と娘、アトピー性皮膚炎の発症からすべてが始まった cumi:マアルさんは、立ち上げ当時から私たちのプロダクトを取り扱ってくださっていて、長年に渡ってシシフィーユを見守ってくれています。そもそも櫻木さんがマアルを始めるきっかけは何だったのですか?  櫻木:長女が赤ちゃんの時、重度のアトピー性皮膚炎を発症したんです。その数年後、なんと30歳を過ぎて私もアトピーになってしまって…。治したいという気持ち一心で衣食を見直す中、黄砂や花粉などの環境的な要因にも身体が反応していることに気がつきました。では、なぜ黄砂が飛んでくるのかと調べてみると、森林減少や土地の砂漠化といった人為的な影響があることが分かったんです。つまり、地球への配慮が欠けた私たちの行動が、結果的にアレルギーで苦しむ人たちを生んでいる。これって、因果応報ですよね。でも、子どもたちには何の責任もないじゃないですか。素直に申し訳ないなと思いました。 cumi:環境問題だけでなく、食べものや流通の仕組み、自然療法などに関心を持ったのもこの頃ですか? 櫻木:そうですね。アトピーがきっかけとなって、暮らしの根本を見直そうといろんなことに興味が広がっていき、次の世代に負荷がかからない生き方をしたいという思いで友人と始めたのが「エコママン」です。周りのママ友に布ナプキンを配ったり、マイ箸袋を作ってフリマで販売をしたりということをしていました。趣味の延長のような活動でしたが、徐々に忙しくなってきたこともあり仕事にすることにしたんです。それが「マアル」の始まりです。 (写真)マアルの実店舗「素 sou」 ―どうしたって、マアルを続けたくって仕方なかったそれほどまでに何かをしたいと思ったことは人生で初めてのことでした 櫻木:個人事業としてマアルを開業したものの、利益はほとんどなく、数年は自転車操業でした。実はマアルを立ち上げて一年後に離婚をしたんですよ。子どもをふたり抱えているし、周囲は当然就職先を探すだろうと思ったようですが、私には全くそのイメージが湧かなかった。どうしたって、マアルを続けたくて仕方なかったんですね。それほどまでに何かをしたいと思ったのは人生で初めてのことでした。心配する両親には「三年後に食べていけるようになっていなかったら諦めるから」と伝え、実際にちょうど三年ほど経った頃になんとか法人化することができたんです。 cumi:立ち上げ当初からある体を締め付けないマアルのオリジナルショーツは今では看板商品となっていますが、当時はまだ目新しいものでしたよね。なぜショーツをつくろうと思ったのですか? 櫻木:私はかゆみ対策として蒸れないショーツがほしかったし、足の浮腫みに悩んでいたママ友は、ふんどしパンツという締め付けのないものを履くとすごく楽になると言っていて。そういう鼠蹊部やお腹周りを締め付けないパンツがほしいねということでつくったのが、新月ショーツと満月パンツでした。 (写真)マアルの代表的アイテム「新月ショーツ」 cumi:マアルさんのオリジナルプロダクトは、糸に至るまで全て厳選されたオーガニックコットンでつくられているのも特徴ですね。 櫻木:そうなんです。アトピーになって衣類は綿素材のものを選ぶようになりましたが、一口に綿といってもかゆみがでるものがあれば、でないものもあるんです。たとえオーガニックのコットンであっても、生産の過程で化学薬品を使うことがあって、それがかゆみの原因となってしまうことがあるんですね。たくさんの生地を試す中で出合ったのが、製造過程で有害な化学物質を使用していないオーガニックコットンでした。 cumi:櫻木さんご自身の体験や身近な方の声が、気持ちのいいショーツの形や素材選びにつながっているのですね。 櫻木:そうですね。また、気持ちいいパンツであるためには、フェアトレードのコットンであることも大切な要素だと考えています。子どもたちに産地やその背景について聞かれた時に、胸を張って説明できるものでありたい。心地いい生地、心地いい肌着を選ぶことは、原材料を栽培する人々の暮らしともつながっていると思うんです。 (写真)マアルのオリジナル布ナプキン ―そこには心が通う人たちがいるということそういう存在があると知っているだけで支えになる  cumi:マアルさんは、プロダクトだけでなく、人とのつながりが豊かですよね。エコママンでのママたちのコミュニティがマアルにつながり、今もマアルが人と人をつないで拡がっていて。 櫻木:下着を使う人、原料を育てる人、生地を作る人、販売する人…、いろんな人たちの輪の中にマアルはあると考えています。創業から13年が経ちますが、つながっているという実感が伴っていて、マアルという名前にして本当に良かったと思っています。 cumi:私生活で落ち込む時期があっても、ずっとマアルに没頭することができたのはその実感があったからなのでしょうか? 櫻木:その通りだと思います。私はエコママンの時からずっとメルマガを配信しているのですが、たくさんの反応をいただくんですね。私のメルマガは想いが溢れすぎていて少々暑苦しいのですが(笑)、それを受け取ってくださる人たちがいる。お店ではお客さまからリアルなお声をいただきますし、ネットショップでは納品書に書くメッセージに対して、メールでお返事が返ってくることもあります。ネット上のつながりは希薄と言われることもありますが、全くそんなことはない。更年期に突入している同世代の方と励まし合ったり、ママ同士で共感し合ったり、お客さんであってもそういう関係性ができていることはすごくありがたいですよね。だからこそ、今まで続けてこられたんだろうなと思います。  cumi:そのつながりこそが「コミュニティ」ですよね。コミュニティって、一方的な押しつけじゃないというのがいいなと思うんです。売り手、買い手の関係を超えて、共通の価値観でつながることができる。対等になれるんですよね。肌や生理の悩みを持つ人がマアルさんのプロダクトを手にし、その魅力をまた別の人に伝えて、とじわじわとコミュニティの輪が拡がっていく。悩みや想いを共有できるからこそ、強いつながりが生まれるのでしょうね。 櫻木:マアルを始める前、子育ての価値観が近しい人を身近に見つけるのが難しかったんですが、天然のものを大事にしていたり、自然に沿った子育てをしているママたちのコミュニティがあって、そこへ行くとすごく気持ちが楽になりました。離婚やアトピーに苦しんだ時は周りの人たちに支えられたし、共に支え合えるという関係性が楽しかったんです。私はひとりでいることも好きなタイプなので、いつもそこにいたいというわけではないのですが、ふと気が向いて行くとそこには心が通う人たちがいるということ。そういう存在があると知っているだけで支えになるんですよね。 cumi:よく分かります。そのコミュニティの存在があるからこそ、ひとりを楽しむことができる。私もひとりでいることも集うことも好きですが、その心地よいバランスはみんなそれぞれ違うものですよね。リアルな場でもオンラインでも自分のタイミングでふらっと立ち寄る場所があることはすごくありがたいことだなと思います。  櫻木:そうですよね。今、月に一度助産師さんに来ていただいて、「添うの場」という無料個人相談会をやっているのですが、これが最高なんですよ。妊娠、出産のことに限らず、更年期や不正出血などどんな悩みを話してもいいし、どんな世代でもウェルカムな場所。みんなとシェアしたい映画を上映する「マアルシネマ」もそうですが、これからもそういう場所作りを続けていきたいなと思っています。滞在型でリトリートできるような場所をつくれたらいいな、とぼんやり想像してみたり。私、女の人たちがリラックスして楽しそうにしているのを見ることが大好きなんです。みんながほぐれて、元気でいる姿をずっと見ていきたいですね。  ■ 櫻木直美 / マアル代表取締役...

# COMMUNITY# FAIRTRADE# ORGANIC# ORGANIC COTTON# PERIOD# フェムテック

受け取ったバトンをつなぐ ー産地の声をユーザーに伝えていくことー 三保真吾さん

オーガニックコットンのリーディングカンパニーであるパノコトレーディングに身を置いて15年以上になる三保さん。オーガニックコットン業界では世代交代の波が訪れ、三保さん自身もその流れのなかにあります。先代からバトンを受け取って走り出そうとする今、そのバトンを未来へどうつないでいくのか。オーガニックコットンの産地であるペルーやタンザニアを実際に訪れて感じた想いを伺いました。 (写真)見渡す限りオーガニックコットンが広がるタンザニアの畑。 ー産地への訪問で、これからの課題や役割がクリアになりました ー オーガニックコットンを取り扱い始めて30年になるパノコトレーディング。これまでどのようなことにこだわって事業を行ってきましたか。 三保:この事業を始めた1990年代初頭は、“オーガニックコットン” という言葉って日本ではまだほとんど認知されていませんでした。生産量も少なく、クオリティもずっと低かった。でも、その頃から辛抱強く続けてきたからこそ、早い段階でいいサプライヤーに出会うことができたんだと思います。ペルーやインド、タンザニアなどの農家さんからオーガニックコットンを買い付けている私たちのパートナー企業は、業界内においてそれなりのポジションにある。世界中に存在する多くのサプライヤーのなかでも、歴史と信頼のある企業だけからオーガニックコットンを仕入れることが私たちのこだわりであり、強みにも直結しています。 ー ペルーやタンザニアを訪問し、実際に現地を見ることで、どのようなことを感じましたか。 三保:これまでも会社としては定期的に産地訪問を行ってきましたが、私自身がペルーとタンザニアを訪れたのはいずれも今回が初めてでした。実際に行ってみると、現地の人たちの情熱や熱量みたいなものをすごく感じましたね。農家の方々はもちろん、我々が直接やりとりをしているパートナーの現地スタッフもしかり。彼らの姿勢を目の当たりにすると、オーガニックコットンの価値をきちんと伝えて広めていかなければという思いがより強くなりました。そして、このつながりを築いてくれた現社長たちに対して、私たち世代に素晴らしいものを残してくれたという感謝の気持ちが深まりました。 (写真)ジニング(綿から種を取り出す作業を行う)工場にある保管庫に原綿が運びこまれる様子 ー 「世代」というワードが出てきましたが、パートナーであるペルーのBERGMAN RIVERA(バーグマンリベラ)社や、スイスのREMEI(リーメイ)社、そしてインドとタンザニアにいるREMEI社の現地責任者たちもちょうど代替わりをしてきているんですよね。三保さんと同じ世代の方々がそれぞれの責任者になっている。 三保:そうですね。パートナー企業も2代目に世代交代していますし、近い将来、私もこの会社のバトンを受け取る立場にあります。それぞれ、受け取ったバトンを丁寧に持って走り出しているのですが、時代の流れに応じて変えていかなければいけないことや、改善していかなければいけないことが当然出てきていて。今回の訪問で、その課題や私たち世代の役割がよりクリアになったと感じています。 ー産地を訪れるというよりは、仲間に会いにいく感覚です ー ペルーには2019年に訪問したそうですが、SISIFILLE(シシフィーユ)とペルーはどのような関係性なのでしょう。 三保:シシフィーユでサニタリーショーツなどに使用している、やわらかく滑らかな肌ざわりの「ピマコットン」というコットンがあります。コットンにもいろいろな種類があるのですが、繊維長の長い「超長綿」のルーツはペルーにあり、なかでもピマコットンは希少価値の高い、世界最高峰の超長綿なんです。そのピマコットンを扱う現地のパートナー、BERGMAN RIVERA社の社長は、2代目のオーランドさん。先代が立ち上げた南米初のオーガニックコットンプロジェクトを引き継いで運営しています。    Your browser does not support our video. (動画)ペルーの畑でピマコットンを収穫する農家の方 ー...

# BACKGROUND# BIORE PROJECT# COMMUNITY# FAIRTRADE# ORGANIC COTTON# RELATIONSHIP

自分らしく生きる働き方 / 加藤寛子さん

彼女が日本を出て海外での暮らしを始めたのは20歳の時。そこから約26年の間に様々な場所に移り、色々な職種を体験してきました。現在、「HATAGUCHI COLLECTIVE(ハタグチコレクティブ)」という自身のステーショナリーブランドを運営する一方で、アパレルブランドのビジュアルマーチャンダイザー(以降V M D)、スタイリスト、コディネーターと多方面で生き生きと活躍する彼女。その仕事へ向ける情熱や考え方には、『自分らしい生き方』に繋がるヒントがたくさんありました。 ー自分の性格や環境が今の私を作り上げた もともと物を観察したり研究したりする事が好きなんです。一つのものに興味を持ったらとことん突き詰めるタイプ。VMDの仕事でも、他のお店のVMDの仕事を見ながら自分なりに学んできました。またハイブランドのアパレルに勤めていた頃、そのブランドの大御所の方達に叩き込まれたジーンズの畳み方ひとつをはじめ、色々な知識や経験からは多くの学びを得る事ができました。それらは私のビジネスに対する姿勢の基礎となっています。また幼少期の環境も、今の私を作り上げた一つの要因になっていると思います。私の祖母はお茶とお花の先生をしながら暇があれば私の洋服を作ってくれ、母は刺繍がとても上手な人でした。2人とも常に手を動かしている女性でしたね。家にはいつもお花が飾られていたり、成熟したハンドメイドに触れさせてもらえる機会が多かったりした環境で育ったので、自然とハンドメイドやアパレル関係に興味を持つようになったのかもしれません。 ーサンフランコで暮らすまで今までの全てが繋がり、通じている 留学生としてサンフランシスコ・ベイエリアの短期大学へ入学した事が、アメリカに来るきっかけでした。その後バーモンド州の大学へ編入し、卒業してからはニューヨクやカリフォルニア、日本のアパレルで主にV M Dとして14年ほど働いてきました。その後夫の故郷シンガポールに住んでいた期間は、フリーランスとしてインテリアデザイン関係の仕事をしていました。その頃、旅行先のインドで出会った伝統的なハンドメイドのコットンペーパーに心惹かれ「HATAGUCHI COLLECTIVE」というステーショナリーブランドを立ち上げました。※HATAGUCHI COLLECTIVEについての記事ははこちらから そして、シンガポールで時間に余裕のある暮らしをする中で子供を授かりました。永住権があるアメリカ、在住しているシンガポール、そして私の母国日本。どこで子育てをしながら暮らすのが良いのかを夫婦で話し合い、2人ができる限り対等に、近い視野を持てるアメリカに戻って暮らす事に決めました。現在はサンフランシスコベイエリアに戻り「HATAGUCHI COLLECTIVE」を運営しつつ、バークレーにあるアパレルブランド「ERICA TANOV(エリカ・タノヴ)」でVMDとして働いています。また、スタイリストやコーディネーターとしても時々お仕事をいただいています。今まで様々な地に移り色々な職を経験し、現在もパラレルな働き方をしているので、一見バラバラな事をやっている様に見えるかもしれません。しかし、結果的にそれぞれの仕事が他の仕事に通じている部分があると実感しています。VMDでの経験があるからこそスタイリングの仕事でもそのスキルが活かせたり、ブランド運営で培った人との接し方がコーディネーターの時に役立ってくれたりと、それぞれに相乗効果をもたらしてくれています。 ー人との繋がりを大切にして働く ビジネスの上で一番大事にしている事は、一緒に働いてよかったと思ってもらえるような働きをする事です。何かご縁があるから出会えたのだと思いますし、人との繋がりは大切にしたいですね。コーディネーターの仕事でいうと、日本から来た人とアメリカで暮らす人との間に入る際には、いつも両者の立場になって考え、進めて行く事を心がけています。ビジネスの面でも文化の面でも、両者を尊重しどちらにとってもフェアな立場でありたいと思っています。そして、仕事をするという視点ではなく、人として気持ちよく時間を共にするという考え方を持つようにしています。 ー多用的に働くという自由がもたらしてくれるもの自分らしく働くという事 今は日本でも一つの企業に属するだけではなく、副業やフリーランスなど様々な働き方が認められてきていると思います。その風潮は「自分はこんな事が出来るかもしれない!」という可能性を模索するチャンスだと思うので、枠にとらわれずもっと自由に視野を広げてみると良いのではないかと思います。趣味ではじめた陶芸が仕事になった……くらいの自由さやカジュアルさは、フレキシブルな人生観を見せてくれると思います。 私は色々な事を経験して、今になってやっと「自分はプロジェクトマネジメントが得意なのだ。」と気づく事ができました。スケジュール管理の面などで大変な事はありますが、一つの事をコツコツ極めるよりも、仕事でも子育ての面でも、あらゆるプロジェクトに携わってマルチタスクをこなす方が好きです。オフィスでずっと座って働くより、現場で体を動かして働いている方が自分の性に合っていますね。またそんな自分の得意分野を活かした働きの中で、何事にも愛情を込め熱心に取り組んで行きたいと考えています。仕事が増えて外に出る機会が多くなると、子供たちや家族と過ごす時間が少なくなってしまうのが心苦しいですが、軽やかに、バランスが取れた生活ができるといいなと思います。私にとっての自分らしさとは、『好き』の部分を見失わず、自分のペースで働いて行く事なのかなって思います。 ー今できる事を見失わない事が好きに繋がる 「Stay on the same tree.(同じ木に留まりなさい。)」という言葉があります。これには、やっている事が枝分かれするのは良いけれど同じ木の上で行う方が良いというメッセージが込められています。色々と事業を広げたり関心を広げたりしても、同じ木の上であれば最終的に全てが繋がるものだと考えています。 そんな中で色々な仕事をしてきましたが、「今しか出来ない事はなんだろう。自分が本当にやりたい事はなんだろう。」と考えた時に、私の中ではやっぱりVMDの仕事が一番だったんですよね。最近ではVMDの仕事を優先して、今働いている「ERICA TANOV」では、上がってきた商品を販売するまでのあらゆるケアやオペレーションに携わっています。力尽きて外で仕事が出来なくなった時、最後まで自分が好きな事をしていたいという気持ちがあります。やっていて良かった、と思える仕事をしていたいです。そのためにも、『今できる事』を見失わずに同じ木で枝を広げ続ける事が、自ずと自分の『好き』につながって行くのだと思います。 ■ 加藤寛子 / HATAGUCHI...

# 自分らしく生きる

強さこそがやわらかさを生み出してくれる ―グラフィックデザイナーがシシフィーユに宿したものー 田部井美奈さん

―従来の市販品にはない、家でもそのまま置いておきたくなるようなパッケージデザインの生理用ナプキンを作りたいー。2015年のシシフィーユ誕生時、その思いを形にしてくれたのがグラフィックデザイナーの田部井美奈さんでした。リニューアルにあたって一新されたビジュアルもすべて彼女の手によって生み出されたもの。SISIFILLE(シシフィーユ)のフィロソフィーを熟知した田部井さんと、当時企画を担当していたcumi(現ブランドコミュニケーター)がデザインのこと、コミュニティに対する思いなどを語りました。 ―製品のクオリティに自信があるからこそ、パッケージの遊び心は重要だった(cumi)―信頼できる良いプロダクトとして脈々と浸透していると感じた(田部井) cumi:田部井さんには、シシフィーユ立ち上げ時よりブランドロゴをはじめ、プロダクトのパッケージやリーフレット等のデザインをすべてお願いしてきましたが、最初のパッケージは生理用ナプキンでしたよね。 田部井:お話を頂いた時は、本当に良いもの、素敵なものを作りたい、という思いを持って依頼してくださったことが嬉しかったですね。実際のプロダクトも張りぼてではなく、丁寧にこだわって作られていて。これまでにないものを作るんだ、という感覚があったのを覚えています。 cumi:製品のクオリティに自信があるからこそ、パッケージの遊び心は重要だと考えていたんです。実際に、シンプルで洗練されたデザインでありながら存在感のあるパッケージにしていただいて、家ではインテリアの邪魔をしないし、展示会やショップではディスプレーとしても映えるし、「こういうものが欲しかった」と好評の声をたくさんいただきました。 田部井:不要な要素は極力削って、「女性的だけれど、強さがある」、そんなイメージを持ってデザインしました。あれから何年も経ちましたが、いろんなところで製品を見かけるようになりましたよね。信用できる商品として紹介されているSNS投稿や記事を度々目にしながら、良いプロダクトとして脈々とみなさんの中に浸透しているのだなと感じています。 ―誕生から7年が経ち、生まれ変わったシシフィーユ。新たなデザインに込められた思いとは? 2022年、新たな舵を切ったシシフィーユ。ブランドコンセプトのリニューアルに伴い、ビジュアルデザインを一新することになり、田部井さんにはパッケージデザインに加え、Webサイトのデザインも担当して頂きました。cumi:「SOFTEN THE WORLD. 」という言葉と共に新たに掲げたコンセプトをお伝えした時、率直にどのように受け取られましたか? 田部井:7年前のローンチのときに掲げていた女性らしさ、女性であることというよりも、その人自身の強さ、生き方ということにより焦点が向いているのだなという印象を持ちました。 cumi:そうですね。使い手がどう受け取るかはもちろん自由ですが、提案する側があえて対象者を決める必要はないんじゃないかと考えるようになったんです。大事にしたいのは性別ではなく、何かワクワクする気持ちだったり、いいね、かわいいね、っていう気持ちだったり、そういった女性的なマインドの部分。新しいパッケージのデザインではどのようなことを意識されましたか? 田部井:最初は「S」の文字を使って何かできないかと模索していたのですが、だんだんもっと抽象的な表現でいいんじゃないかと考えるようになりました。「多様性」や「ジェンダーレス」というキーワードを噛み砕きながら考えるうちに、少しずつ感覚的になっていって。そして最終的に、「S」を抽象的な形として捉えるというところに行き着いたんです。 cumi:デザインに関してはこういうふうにしてほしいと言葉で細かく伝えたわけではなくて、コンセプトに紐づくキーワードとイメージからこちらの意図を汲み取ってくださって。最終的なデザインを見たときに、「これだね!」ってチーム内ですごく盛り上がったんですよ。やっぱりずっと見てきていただいているので、ブランドのことをよく理解してくださっているんだなと改めて感じて、とても嬉しく思いました。新しいWebサイトの全体的なデザインについては、どのような気持ちで取り組んでくださったのでしょうか? 田部井: Webだからこうしなければいけないという固定概念をできるだけ取り払おうという意識がありました。なので、紙物のグラフィックをやるときに近い感覚でしたね。  cumi:「らしさ」はあえて意識せず、自分のスタイルでやってみるというのは、新しいシシフィーユ像にも通じるところがありますね。 シシフィーユが思い描くコミュニティ作り。―いろんなコミュニティが輪になり、重なりあって自分が形成されている(田部井)―固執せず、柔軟にいたい(cumi) リニューアルにあたってシシフィーユは、オーガニックコットンの「やわらかなプロダクト」として新たにアンダーウエアのラインをローンチ。さらに、シシフィーユの思いに共感を寄せるユーザーの方々と共に「やわらかなコミュニティ」を作っていくことを決めました。cumi:シシフィーユの考えるコミュニティとは、ウェブサイトやSNSを通じて様々な人のストーリーに触れて、その思いを分かち合う場所なんです。たとえば、何か思い悩んだときに覗きにいくとヒントのようなものがもらえたり、元気がでたり、誰かにとってそんな存在になれたらと考えていて。個人的にも、日本からアメリカに引っ越して心細かった時、コミュニティの存在に救われたんです。田部井:人には拠り所が必要ですよね。私自身、仕事でもプライベートでも、価値観が近しい人が自然と周りに増えてきて、それほど会話を重ねなくても考えを共有できる関係性はすごくありがたいなと感じています。一方で、もっと外のコミュニティにも触れるべきだなという思いもあるんです。そうすることで自分が身を置くコミュニティをより理解することにもなるし、外に触れることをしないと、自分自身が閉じていくような気がして。 cumi:固執せず、柔軟にいたいですよね。例えば、生理のようなプライベートな悩みを友達と話さない人もいると思うのですが、普段接しているコミュニティではそうであっても、シシフィーユのコミュニティの中ではそういった会話に参加できる、みたいなこともありますよね。そういう意味では、コミュニティもいくつか持っているといいんでしょうね。そこを行ったり来たりして。田部井:そうですね。みなさんひとつのコミュニティに属しているわけではなくて、いろんなコミュニティが輪になり、重なりあって自分が形成されているのだと思いますが、その輪を柔軟に開いたり閉じたりできるといいなと思っています。長いこと同じ場所に住んで、同じところで働いていると、同じ思考にならざるをえないのですが、いろんなコミュニティを持つことで多くの世界と触れ合うことができますよね。 柔軟でいるために必要なこととは?―強さこそがやわらかさを生み出してくれる(田部井) cumi:「芯がありつつもやわらかく」ということはシシフィーユの立ち上げ時から今も変わらない信念でもあります。田部井:今回、Webサイト内のモデルカットで起用されていたモデルさんも、やわらかさの中に強さを感じる佇まいがあって、すごくいいなと思いました。新しいシシフィーユ像にピッタリとはまっている感じがして。 cumi:私もそう思います。ナチュラルでありながら芯のある雰囲気にすごく惹かれました。 田部井:やわらかさを持つためには、強さも必要だと思うんです。やわらかいという言葉からは、おおらか、やさしい、甘いといったイメージが連想されがちですが、そういうことだけではないですよね。ただ単に全方向にやさしいということではなくて、それぞれが思考し理解した上で相手に接することや、時に言いたいことを率直に伝える強さこそが、やわらかい関係性を築いてくれる。やわらかな世界とはその先にあるのだと思います。 ■ 田部井美奈 / グラフィックデザイナー・アートディレクター ’14年に独立、田部井美奈デザインを設立。広告、パッケージ、書籍などの仕事を中心に活動。主な仕事に『石川直樹 奥能登半島』『(NO) RAISIN SANDWICH』『PARCO...

# BACKGROUND# COMMUNITY

関係する全ては有機的なつながりでできている ーコットンペーパーブランド「HATAGUCHI COLLECTIVE」ー 加藤寛子さん

ゆったりと穏やかな口調で話し、柔らかな雰囲気を纏う加藤寛子さん。現在アメリカ・サンフランシスコベイエリアに暮らす彼女は、その雰囲気からは想像もできないほど行動派で積極的。20歳で進学の為サンフランシスコ州に渡航し、そこからバーモンド州、ニューヨーク州、日本、シンガポールと「やりたい」と思った事を実現する為に、様々なフィールドに飛びました。そんな彼女が興味本位で行った旅行先のインドで出会ったのは、「HATAGUCHI COLLECTIVE(ハタグチコレクティブ)」というステーショナリーブランドを立ち上げる大きなきっかけとなる、昔ながらの手法で作られたコットンペーパー。繊維工業で廃棄されるコットンをリサイクルして作られるその紙がもたらす有機的なつながりとは、一体どんなものだったのでしょう。 ー運命の地、インドに足を踏み込むまで 初めてアメリカへ渡航したのはサンフランシスコ・ベイエリアの短期大学に入学した20歳の時です。卒業後はバーモンド州の4年制大学に編入し『環境化学』を学んでいました。大学院でサイエンスを極めようとも考えたのですが、『働きたい!世界を見たい!』という漠然とした気持ちが強く、そのまま卒業しました。卒業後はニューヨークに移り、アパレルで販売員として働いていました。ある日、偶然買い物に来ていた某ハイブランドのクリエイティブディレクターに声をかけられ、それをきっかけにそのブランドで3年間ほどビジュアルマーチャンダイザー(以降VMD)として働くことになりました。別のアパレルブランドへ転職した後もしばらくVMDとしての仕事を続けていました。その後2008年のリーマン・ショックを機にパートナーが「大学院で学び直したい。」と、東京の大学院に行く事になりました。私も一緒に東京に行く事を決め、ニューヨークで勤めていた同じアパレルブランドの日本店舗に勤める事になりました。東京での生活を始めて2年ほどたった2011年に東日本大震災が起こります。外国人である私のパートナーは、外国籍枠のビジネスがすっかりなくなってしまった日本で職に就く事が困難な状況になってしまったのです。そんな時に知人が彼の故郷、シンガポールでの仕事を紹介してくれて、彼は先にシンガポールへ帰国することになりました。私は当時の仕事が好きで、すぐに日本を離れるという決断ができず、結局パートナーとは日本とシンガポールで離れた期間を過ごすことに。そこから一年後、私は意を決して仕事を辞め、彼がいるシンガポールに引っ越しました。 シンガポールに移住後はフリーランスとして働いていました。知人が経営するレストランのフラワーアレンジメントや店内に飾る絵を装飾するなど、インテリアデザイン関係の仕事をしていました。 シンガポールは多民族国家で、多くのカルチャーが共存しています。その中でも私は以前より一度訪れてみたいと思っていた、インドの文化に強い興味を持っていました。インド人が多く住んでおり、インド街もあったので日常的にインドカルチャーに触れる事で、更にインドという未知の国に行ってみたいという気持ちが大きくなりました。大学を卒業してから働きっぱなしだった中、ようやく自由な時間ができた時期だったので、2週間ほど北インドへ旅行に行く事を決意。そこで伝統的な手法で紙を作る、インドの職人達に出会ったのです。 ーラフさがある伝統的な紙製品をもっとおもしろく 彼らは衣料品から出た綿の廃棄物を原料に、昔ながらの手法で紙を作っていました。私は彼らのプロダクトを見てすぐに「一緒に物づくりをしたら面白いだろうな。」と思い、その場で彼らにこのプロダクトに携わりたい気持ちを強く伝えました。彼らは私を温かく迎え入れてくれました。その瞬間はとても胸が躍りましたね。物づくりに対して同じ情熱をもつ人達なので、「きっと何をしても上手くいく!」という直感がありました。ただ今ならわかるのですが、インドの方は頼み事に対して「N O」というこたえを持っていない人が多いように思うんです。基本は全部「Y E S」(笑)。でもあの時の「Y E S」は本当に嬉しかったし、紙づくりの経験がない私に一から色々な事を教えてくれるインドの職人の皆さんにはとても感謝しています。 多種多様な紙文化を形成してきた日本に比べ、アメリカの紙文化はそれほど深くありません。インドで彼らが作る紙を見た時、アメリカ暮らしが長い私の心に忘れていた日本の素晴らしい紙文化がわっと一気に思い起こされました。彼らの作る紙は伝統的に引き継がれてきたハンディクラフトではあるものの、日本の伝統文化継承のような『普遍的なきちんとさ』はなく、いい意味で生活に溶け込んでいる「ラフさ」があります。一般的なインドっぽさを連想させるモチーフをプリントしてあるのも素晴らしいのですが、私はそれらをモダンなデザインで展開していったらおもしろいのではないかと思いました。そうしてできたのが「HATAGUCHI COLLECTIVE」です。 ー「HATAGUCHI COLLECTIV」が生み出すサステナブルなコットンペーパー インド北西部にあるラジャスタン地方・ジャイプールでは昔からハンディクラフトが盛んです。代表的なものの一つとして、衣料品メーカーから出る裁断された布の切れ端を原料にして作られた、コットンペーパーがあります。まずは布の切れ端を細かくし水に溶かしてパルプにします。それを擦って乾かし、乾いたものの表面をローラーで滑らかに仕上げていきます。一枚一枚全ての工程を手作業で行なっているのです。色出しについては、細かい色の調整は染色しているのですが、青色の紙を作る時は青い布を選ぶなどして基本はパルプの色を活かしています。柄はスクリーンプリントで刷ってプリントしています。もちろんこれも手作業です。 大きな工場で製造するのではなく手作業が中心なので、モンスーンや雨が続くと紙やプリントの乾きが悪くなり、作業が滞ってしまいます。天候に左右されやすく、納品に遅れがでてしまう事があるのが悩みですね。でも手に取る人たちに、そんな自然環境が関係している事も含めて、一つのプロダクトとして受け入れてもらえると嬉しいです。アパレルの世界にいた時は、そのシーズンに出ているものは数ヶ月後にはセールで扱われる事は当たり前で、すごいスピードで多くの廃棄物が出るのを目にしてきました。今はその廃棄物で新しいものを生み出し、シーズン関係なく長く大事にしてもらえるという事は、「HATAGUCHI COLLECTIVE」で紙を作り続ける理由の一つであり、コンセプトそのものです。 ーパートナーである職人達の人生を抱える覚悟 当初「ブランドを立ち上げよう!」という思いはなくて、気づいたらブランドになっていたといった感覚なんです。でもインドで出会った職人さんたちと一緒にプロダクトを作るビジネスパートナーとしての責任はずっと感じていました。趣味のように始めてしまった「HATAGUCHI COLLECTIVE」ですが、『私の裁量で彼らの仕事量が増え、生活が潤うんだ。』という考えは私の中で強く、仕事への責任感は年々増しますね。 初めてやり取りをした生産パートナーは、発注して仕上がった商品を私の手元に届けてくれるまでに半年以上かかる……なんて事もあり、安定しているとはとても言えない状態でした。アメリカの見本市などにも参加した事があったのですが、納期が不安定な状態だったので、発注を頂いても在庫が確保できずに注文をキャンセルされてしまうといった事が続きました。ブランドを立ち上げて5年ぐらいは存続危機の連続でした!もう「HATAGUCHI COLLECTIVE」を畳んでしまおうかと考えた時もありましたね。 もう一度インドに足を運ぶ事を決めた時、知り合いが「インドを周る時に一度詳しい人に頼ってみては?」とガイドさんを紹介してくれました。ガイドさんは紙を制作する工房、スクリーン印刷版を作る工房、印刷工房が集まった、ペーパービレッジのような場所を案内してくれました。そこで目にしたのは、紙工房で紙を制作後、向かいにある工房で版を作り、その向かいの工房で印刷するという、スピーディに仕事をする職人達でした。私はこの場所で、「HATAGUCHI COLLECTIVE」のプロダクトチームを作ろうと決心しました。職人達の人生を抱える覚悟を再び決めた時でもあります。 ーブランドで人の感情を揺さぶり、地球に有益な立場でありたい  新しいものを見た時に興奮して息が上がったり、わくわくした感情で心揺さぶられたりする様な出会いを、「HATAGUCHI COLLECTIVE」のステーショナリーを手に取った人が感じてもらえたらなと常に思っています。近年紙のリサイクルが増えてきているとはいえ、もっと世界に広まっていく事を願っています。その気持ちはブランドの在り方で変わらないところですね。地球にとって有益な立場でありたいです。また、生産者あってのプロダクトなので、ブランドとしての発信などで気をつけているのは、このブランドは「私自身ではなくWe(私たち)であること」です。私は「HATAGUCHI...

# BACKGROUND# FAIRTRADE# RELATIONSHIP

エネルギー溢れるシャスタの地で得た芯ある心地よい生き方 / 岡本あづささん

古くからネイティブアメリカンの聖地として大切にされてきた、北カリフォルニアにあるマウントシャスタ。その麓に暮らす大切なパートナーであるジュディとリチャードとの運命的な出会いをきっかけに、Mount Shasta Apothecaryをはじめることになった岡本あづささん。シャスタでの出会い、体験、そしてパートナーとの関係性には、健やかな生き方をするためのヒントがたくさんあり、ホリスティックな健康を手に入れる大きな学びが存在しました。 ―シャスタと不思議な人々との出会い 2012年当時、主人の仕事の都合でサンノゼに住んでおり、知人から北に自然豊かなマウントシャスタという場所がある事を教えてもらいました。アウトドア好きの私たち家族は、折角サンノゼにいるのだからシャスタへキャンプをしに行こう!となったのがシャスタの地と出会うきっかけでした。それにあたりシャスタのキャンプ場を検索していたのですが、英語が得意ではない私はサイトに載っている写真を見て場所を選んでいました。その中で、ネイティブアメリカンの住居『ティピ』が集っている写真を掲載しているサイトを見つけ、「面白そう!このキャンプ場ではティピにも泊まれるんだ。」と思い、宿泊したい旨をメールしました。そのキャンプ場は住所がないような荒野のかなり奥地にあり、途中でキャンプ場関係者だろうと思われる、おじさんとおばさんに迎えに来てもらい、ようやく辿り着けるような場所でした。しかし、いざキャンプ場についたら他に誰もお客さんがいなくて……。あれ?今日は貸切なのかな?なんて思っていたら、実はそこはキャンプ場ではなくただの民家だったんです! 迎えに来てくれたおじさんとおばさんは、そこの住人のリチャードとジュディでした。彼らは元々ネイティブアメリカンと交流があり、プライベートエリアでネイティブアメリカンの儀式などをしていたので、そのためにティピがあったのです。私はここが民家だと気づくまで、何かおかしいぞ?という感覚だったのですが、リチャードとジュディは初めから何とも思っていない様子で夕食も振る舞ってくれ、「来るのは分かっていたよ。」と不思議な事を言っていました。 ―シャスタのエネルギーをもつプロダクトを守りたい ジュディはハーブや野菜を育てており、それらでエッシェンシャルオイルやハーブティーなどのプロダクトを作っていました。彼女は滞在中に「これはあなたに必要な野菜よ。」「これはあなたのために育てたハーブよ。」と、初めて会う私におかしな事を言って料理を勧めてくるんです。実際に彼女が作ったハーブティーや野菜を食べてみると、ものすごい衝撃を受けました。今まで口にしたものとは別次元のパンチ力があり、パワフルなエネルギーを身体が吸収するのを感じました。驚いて「これはどうゆう風に作っているの!?」と聞きくと、ジュディは自身の事とプロダクトの事を教えてくれました。彼女はマスターハーバリスト資格、大学院で西洋医学の国家資格を取得していました。しかし彼女の知識のベースは、ネイティブアメリカンのメディスンマンにフィールド上で叩き込まれた薬草学でした。彼女は現代の医学知識と、伝統的な薬草学の2つを合わせてエネルギーあるプロダクトを作っていたのです。  彼女は自身のプロダクトをもっと多くの人の役に立てたいとは思っていました。しかし、住所もなく生活システムも自分達で作る環境に住んでいる彼女は、今の時代にフィットするインターネットなどの知識は持ち合わせておらず、プロダクトを広める手立てが分からずにいました。また、ネイティブアメリカンの薬草学は、伝統的に書物や書類のような形で残すものではなく口承で後世に伝えていくものらしく、彼女が作り上げたプロダクトを残すには、誰かが口伝えしなくてはならない事も話してくれました。「今はインターネットでものを買う時代。だけど自分はそのやり方を習得して販売する程の余力もモチベーションもない。」と言い、彼女はこのままでは自分のプロダクトは自然と消えてしまう、という事実を前に製作への情熱を失いつつある様子でした。 実際に彼女のプロダクトの力を体感しその話を聞いた私は、『この素晴らしいものがなくなってしまうのはまずい!』と思いました。私はハーブの知識はないけど、彼女がネックに思っているネット関連の部分は協力できる事があるかもしれないと思い、「もし手伝えることがあれば手伝いますよ。」と話をしました。この時は彼女を元気づけようと軽い気持ちで言ったのですが、実際にはこの瞬間がこのプロダクトに関わることになったスタートでしたね。今思うと初めて会った時に「来るのは分かっていたよ。」と言われたのも、ジュディのプロダクトが消えてしまわないように引き寄せられたのかもしれない。出会うべくして出会ったのかなと思いますね。 ー植物はポジティブな存在 ブランドを手にかけるならまずは自分を整えること 私はあくまで「ネットでの広め方を手伝うよ」というくらいの気持ちでしたが、彼らは『協力者』ではなく一緒にブランドを立ち上げてほしいという意向でした。そしてパートナーとなるとジュディは「植物はとてもポジティブな存在。ネガティブなものを持つあなたが植物に触れると、植物の最大限のパワーを引き出せない。まずは自分を整えなさい。」と言ってきたのです。また、パートナーとしてプロダクトを理解しようとしたのですが、彼女はハーブの種類や効能などは一切教えてはくれません。「ハーブの知識は後からでもついてくる。まずは人とハーブとの関係性や、ハーブはこの星にとってどんな存在なのかを考えなさい。」という壮大な課題が入り口でした。 教えに従ってハーブ関連の本などは一切読まず、早朝から夕方までハーブの世話と観察をし、自分だけの教科書を作りました。○時ごろにミツバチが来て、その後に朝日が昇り、○時ごろにこの種類の鳥が鳴き始める……といったような観察結果をジュディに毎日報告しました。それを見て彼女が「植物は朝日を浴びる瞬間に光合成を始める、ミツバチはエネルギーが一番高まる時に来ているの。」などと教えてくれました。私はただハーブを観ていたのではなく生態系そのものを学んでおり、彼女のプロダクトの世界観の大きさを知りました。 その後日本に帰国し、ジュディのプロダクトを輸入できるよう手はずを整えました。商品が手元に揃った時、『オーガニックライフTOKYO 2016』というイベントで初めてブランドとしてお披露目させてもらいました。 ―今も続く第二の故郷シャスタとの関係  毎年1回は行っています。コロナ期間は行けなかったので、今年3年ぶりに行くことができました。ジュディ達は私の息子も孫のように接してくれて、本当の家族のようです。私達の第二の故郷ですね。会えない期間や日本にいる時も、頻繁にメールやラインで連絡を取っています。『山に雪が積もったよ。』『月が綺麗だよ。』みたいなたわいも無い会話をしています。血の繋がりがない間柄でこんなに見守ってもらえて、また愛ある厳しさを与えてもらっている事に対してありがたく思いますし、それに応えられる自分でいたいと思います。 ―シャスタで過ごし学んできた自分軸で生きる大切さ ずっと体感させられているのは、『頭を使うな。体と心を使え。』という事です。体で感じて、心で話せという事を今でも伝え続けてもらっています。 また、ビシバシ擦り込まれたのは『他人の反応に反応するな。』という事ですね。人の反応に対して勝手に落ち込んだり、悩んだりするなという事です。私自身の体験を実例としてお伝えすると、毎日リチャードに挨拶していたのですが、目も合っているし、絶対聞こえているはずなんですけど、「モーニン!」と挨拶しても無視されるんです。1回そういった事があると、次から萎縮してしまったり、避けてしまったりして……。でも私の考え方なんてあちらには全てお見通しで、数日後に「君は相手が無視をしたという反応にショックを受けているけど、挨拶は相手が返してくれるからするものなのか?相手の反応に関係なく、君が気持ちよく1日を始められたらそれでいいんじゃないか?」と問われ、自分がいかに相手軸で動いていたかということに気づかされましたね。シャスタでは自分軸を作るレッスンのような教えを日常的にたくさん受け、生きる上での大きな学びにつながっています。 ―日本の女性が自分をリスペクトできるようにサポートしたい  ブランドを通して、体調面・人間関係を含めてホリスティックな健康のサポートをしていきたいです。日本の女性が誰の目も気にせず、誰かの期待に応えるためにではなく、自分のために自立した真の健康の輝きに気づくきっかけを与えられればと思います。ジュディに「先進国なのに日本の女性は傷ついている人が多い。」と言われてドキッとしたんです。それはパートナーシップだったり、まだ社会に男尊女卑な部分があったりと、日本独特の伝統的な『世間体』が自分達を潜在的に傷つけていると思うと、涙が出そうになりましたね。また女性は人生の過程で変化も多く、ホルモンバランスなど健康面でも気にかける事が多いです。それらのバランスを健康面・精神面共に健やかに保ち、自信を持って自分をリスペクトできるような女性を増やしていければと思います。シャスタでの体験は、『人生の盲点』をたくさん気付かせてくれました。ハーブやプロダクトの事はもちろん、私が体験し学んだ事も周りにシェアして誰かの役に立ちたいです。まだ私も日々もがいている最中なので、よりよく健やかな人生を歩めるようなヒントの一つとして捉えていただけると、体験した身としては嬉しいですね。 ■ 岡本あづさ/ Mount Shasta Apothecary主宰 古くからネイティブアメリカンの聖地として大切にされてきた北カリフォルニアにあるシャスタ山。その麓で静かに暮らすマスターハーバリストのジュディとの運命的な出会いから、彼女が作るヘルスケアプロダクトを日本に届ける役割を担う。マウンテンセージやジュニパーに覆われた豊かな土地でジュディが作るオーガニックハーブプロダクトは、シャスタの自然が与えてくれるエネルギーをたっぷりと取り入れている。 instagram: @mountshastaapothecary HP: Mount...

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「自分に正直に生きる」 ー女性が心身ともに健康でいるための植物療法とセルフケア 後編ー 須藤愛子さん

自身の出産を期に心身のケアの大切さに気づき、フィトテラピースクールで学びを深めた須藤愛子さん。女性が健康であるためのサポートをしたいと、2022年には「The Little Sunshine」を立ち上げ、フィトテラピスト(植物療法士)としての活動をスタートさせた須藤さんに、植物療法のこと、生理期の過ごし方やデリケートゾーンケアについてお話いただきました。 ―膣に潤いを保つことが免疫力アップにつながる  膣は女性にとって一番大事な場所です。デリケートゾーンと呼ばれる膣、尿道、肛門などはそれぞれ粘膜で覆われていて粘液を出しています。粘膜に潤いがなくなると粘液が出にくくなり、体内に侵入しようとする細菌やウイルスなどの病原体を中に入れないようにブロックしたり、異物を体外に排出したりすることが出来なくなってしまう。さらに、膣の乾燥が続くと、たるんだり萎縮したり、菌が繁殖したり、老化が進んだりと様々なトラブルを引き起こします。つまり、粘膜の潤いを保つことは免疫力アップにもつながるんです。これは私が体感してびっくりしたことでもあるのですが、膣が潤っていれば、不思議と鼻や目など身体の他の粘膜の乾燥も和らいでくるんです。 ―最高のアンチエイジングをもたらしてくれる膣周りのケア 日本人って、顔はきちんと専用のソープや化粧水などでお手入れをするのに、膣周りのケアをするという意識がないですよね。でも自分の膣に触れることは、自分の身体を知ることなんです。いつまでも粘液を分泌できるような、潤っていて弾力がある膣を維持することは最高のアンチエイジングとも言われています。膣のケアが女性の健康につながっていくということを実感しているので、若いときから第二の顔としてケアすることが当たり前になっていってほしいですね。 ―粘膜と馴染みのよい植物オイルでデリケートゾーンケアを アプリコットカーネルオイル、スイートアーモンド、マカダミアナッツオイルなど、実のなる種から抽出された植物オイルは粘膜との馴染みがよくおすすめです。ベタベタするのが苦手だったら乳液のようなミルクタイプのものでもいいと思います。最近「フェムケア」の流行りもあってかいろいろな製品が販売されていますが、粘膜は吸収率がものすごく高いので、天然由来のものを選びたいですね。 ―どんなふうにお手入れするの? デリケートゾーン専用のナチュラルなソープで擦らないように指の腹で優しく洗います。ソープはよく泡立てるかまたは泡タイプのものを使ってください。外陰部のひだには恥垢という垢が溜まりやすいので、ひだの部分も優しく洗います。シャワーで流しタオルで優しく水分を拭き取った後、専用のオイルやミルクなどを膣の粘膜部分から肛門部分まで優しく塗布し、馴染ませながら軽くマッサージします。 (写真)泡タイプで使いやすいデリケートゾーン用のフェミニンシフォンソープ / Pubicare organic。/ デリケートゾーン用のオイル / The Little Sunshine。(全て私物) ―身体が冷える季節には膣のオイルパックを試してみて 冬は、膣や会陰も冷えがちです。そんな時は人肌に温めた植物オイルでヒタヒタにしたコットンを生理用のオーガニックコットンナプキンの上に置いて膣にあてると、膣が潤い、温まるのですごく気持ちがいいんです。オイルパックをしながらそのまま就寝するとぐっすり眠れるのでぜひやってみてください。 ―女性が健康でいることで、明るい社会に須藤さんが世の女性に伝えていきたいこととは? まずは自分の心と身体を大事にして、しんどいときは無理をせず休んでほしい。自己中心的になれということではなくて、自分に正直に生きてほしいですね。女性が心身ともに健康でいることで、パートナーや子ども、周りのみんなが笑顔で元気になれるし、そのエネルギーをみんなが外に持っていけばそれがまた伝染していく。その連鎖が続いていけば、最終的にはとてもいい社会になるんじゃないかなと。女性にはそういう力があると思うんです。 ■ 須藤愛子 / フィトテラピスト・Bonnie &Moss ディレクター 自身の出産を期に心身のケアの大切さに気付き、フィトテラピースクールで学びを深める。2022年に「The  Little Sunshine」を立ち上げ、今後は植物療法士として個人向けホリスティックカウンセリングやフェムケア講座、企業向けセミナーを開催していく予定。そして親子が笑顔になれる場所、コミュニティーを作りたいという思いから2021年よりグラフィックデザイナーの友人と2人で「Bonnie&Moss」というユニットとして活動をはじめる。毎月三軒茶屋にて親子Work Shopを開催。instagram: @sol__luna...

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「自分に正直に生きる」ー女性が心身ともに健康でいるための植物療法とセルフケア 前編ー 須藤愛子さん

自身の出産を期に心身のケアの大切さに気づき、フィトテラピースクールで学びを深めた須藤愛子さん。女性が健康であるためのサポートをしたいと、2022年には「The Little Sunshine」を立ち上げ、フィトテラピスト(植物療法士)としての活動をスタートさせた須藤さんに、植物療法のこと、生理期の過ごし方やデリケートゾーンケアについてお話いただきました。 ―植物療法を日々の暮らしに気軽に取り入れるには?まずは自分の身体を観察してみよう 植物療法とは、植物の力を使って人間が生まれながらに持っている自然治癒力に働きかけ、心身のバランスの乱れを整え、健康な状態へと近づける伝統的な療法です。具体的には、その人の不調の原因を探り、ハーブを飲んだり、薬効がある食材を食べたり、精油などを使ったりしながら、その症状を癒していきます。  植物療法を日常に取り入れるためのファーストステップは、自分の身体を深く観察すること。それは自分の内面と向き合う時間を作ることでもあります。我慢を美徳とする日本特有の古い考えがあるせいか、日本人女性は頑張りすぎている人が多いですよね。特に子育て中のお母さんは自分のケアが後回しになりがちです。調子が悪くても身体の声を無視して頑張り続けた結果、病気を招いてしまうケースもよくあることです。大事なのは、自分を俯瞰して観察し、身体が出すサインをキャッチすること。そうすることで、ケアすべきタイミングやポイントが分かるようになってきます。 (写真)須藤さんが植物療法と出合うきっかけになった書籍、東城百合子さんの「自然療法」。フェムケアのことが知りたい方には森田敦子さんの「潤うからだ」がおすすめ。(共に須藤さん私物) ―ちょっとした身体の変化に気づくことで症状が現れる前のケアが可能に 前回の生理よりお腹が痛くなるのが二日ぐらい早いなとか、なんとなく喉がイガイガするなとか。頭痛などの症状が出てから鎮痛剤を飲むというような対症療法とは違い、植物療法というのは、症状が出る前からケアができるもの。なので、ちょっとした身体の変化に気づくことが大切なんです。日本人は体調を崩すとすぐに病院へ行く人が多いですが、植物療法が根付いているヨーロッパでは、不調を感じたらハーブ薬局へ行き、植物療法士に相談してハーブを処方してもらうなど、まずは自分自身でケアしてみて、それでもだめだったら病院に行くそうです。化学的な医薬と比べると植物の効き目は穏やかなので、例えば、生理の一週間前からPMSをやわらげるハーブを取り入れるといったように早めに対処することで効果が生まれやすくなります。 ―生理期を快適に過ごすために植物の力でセルフケアを 基本は、身体を冷やさないこと。使い捨てのカイロでもいいのですが、私が愛用しているのは、電子レンジで温めて使用するチェリーの種が詰まったチェリーストーンピロー。チェリーの種は中が空洞になっているので、そこに温かい空気が溜まって保温効果があるんです。特に仙骨周辺を温めると血流が良くなり、生理痛を和らげてくれます。他にも、好きな精油を焚いたり、スケジュールを詰めすぎないようにしたりなど、生理期間はできるだけリラックスして過ごすことを心がけてみてください。 (写真)お腹や腰、肩にも乗せて使えるおすすめのチェリーストーンピロー / INATURA。須藤さんが生理時だけでなく毎日摂取しているというピースミント“ENERGY”CBD &CBG +レモンとピースミント“RELAX”CBD+ペパーミント / 共にNUMUN NATURALS(全て須藤さん私物)。 ―生理期に摂りたい栄養素どんなものがいい? 鉄分は生理前からどんどん失われていくので、意識的に摂りたいですね。また、PMSや生理痛にも効果的なγ-リノレン酸。必須脂肪酸の一つで、月見草オイル、ボリジオイル、ヘンプシードオイルなどに含まれています。更年期症状などの緩和にも良いとされているので、サラダにオイルをかけて食べるなど、生理期に限らず日頃から摂取できるといいと思います。 (写真・左から)ホルモンバランスにフォーカスしたオリジナルブレンドハーブティー / The Little Sunshine。オイルカプセル 月見草油、毎日夕方に摂取するのがおすすめと言うオイルカプセル ボリジ油、PMSで気分が沈んだ時に良いというタンチュメール メリッサ / 全てCosme...

# PERIOD# フェムテック# 自分らしく生きる

「誰しもにライフパーパスがある」ーコミュニティーハーバリストが伝えたい想いー Pai Miyuki Hiraiさん

共にサンフランシスコに暮らし、互いにリスペクトし合える友人関係だというコミュニティハーバリストのPaiさんとSISIFILLEブランドコミュニケーターのcumi。幼い子どもを抱えて渡米し、当時心もとない日々を送っていたcumiはPaiさんの存在に救われたのだそう。「Paiちゃんとそのコミュニティに愛をたくさん与えてもらって心が満たされた。私たちにはそういう心を寄せ合う場所、コミュニティが必要だと改めて感じるきっかけを与えてくれた人なんです」(cumi)。その時の気持ちが「SISIFILE COMMUNITY」の立ち上げにもつながっているのだと言います。普段もPaiさんのカウンセリングを受け、ハーブティやメディスンで心体を整えているというcumiが、Paiさんにハーバルメディスンのこと、そしてコミュニティハーバリストとしての想いを聞きました。 ―「ハーバルメディスンはみんなのものなんだよ」っていうことを伝えていきたい cumi:Paiちゃんはフォトグラファーやメッセンジャーを経て、今はコミュニティハーバリストとしての活動が中心になっているけれど、コミュニティハーバリストという言葉自体にあまり馴染みがない人には、どんな存在と言えばわかりやすいかな? Pai:昔でいったらその地域やコミュニティにいたメディスンウーマン(※1)やシャーマンと呼ばれるような人たちのことやね。自然や植物と深くつながって、植物のエネルギーや治癒力を深く理解し、そのお力を貸してもらえる人。患者さんの症状だけを見るのではなく、同じ目線に立って、その人の感情やトラウマなども深く近親的に診断する。その上で、必要な植物を煎じたりしてメディスンを作る。イメージ的には、近所にいる魔女さんみたいな感じかな。 ※1メディスンウーマン: 自然と調和した人間本来の生き方を人々に取り戻す術や知恵を受け継いだ人々のこと   cumi:メディスンがもたらす効果だけでなく、コミュニティハーバリストが心や体の状態に寄り添ってくれるということやその存在自体に意義があるなって感じる。何かあった時にすぐに相談に乗ってもらえるというのは、心身が弱った時にとても支えになるよね。私自身、パンデミック中は特にPaiちゃんのカウンセリングやメディスンにすごく救われたし、これからの時代にコミュニティハーバリストのような存在は絶対に必要だなって肌で感じた。そもそもハーブやメディスンにはどうやって出合ったの? Pai:写真を勉強するためにニューヨークに住んでた時、私ビーガンやったんよね。それはなぜかというと、ラスタの人たちと出合って、ラスタファリア二ズム(※2)のこと、彼らの生き方、政治や食べ物、地球、宇宙に対する姿勢にすごく共感できたから彼らと同じビーガンになったの。その時期にハーブを取り入れたりする、ヘルスコンシャスな生活に目覚めた。私はハーブのことって世の中で起きていることとつながっていると考えていて、そこまで深く理解して扱うべきだと思ってるの。 ※2ラスタファリア二ズム: 1930年代に起こったアフリカ回帰などを唱えるジャマイカの黒人による宗教・政治運動。ラスタファリアニズム思想をもつ人たちを「ラスタファリアン」「ラスタ」と呼び、彼らの多くは、菜食主義・自然回帰的 cumi:世の中で起きていることとつながっているというのは、具体的にはどういうこと? Pai:例えば、システム化されたレイシズムのことをシステマティック・レイシズムっていうねんけど。女性や黒人、先住民などが社会的に不平等な立場になるようなシステムが社会的な構造に組み込まれてしまっているということ。世の中が一部の人しか稼げない仕組みになっていて、お金がないと良い学校に入れなかったり、良い医療が受けられなかったりとかね。私は、階級の差や貧困、差別の問題があることを子どもの学校を通じて目の当たりにしたんよ。そういう現実に直面して、自分なりに何かできないかと考えている時に、ハーバルメディスンに出合ってん。ハーバルメディスンっていうのは、植物から作られている薬のことで、病気を予防・治療したり、健康を増進したりするために使われているもの。日本でいったら漢方のイメージと近いんかな。お金がないと受けられないような今の医療システムは限られた人のものだけど、ハーバルメディスンはみんなのものなんよ。まだそのことを知らない人たちに伝えていきたいと思ったし、人間の本来の力を引き出す植物の力に魅力を感じて、学校に通ってコミュニティハーバリストの資格を取得したの。 cumi:知識は必要だけれど、ハーバルメディスンは身近なもので作ることができるから、みんなに開かれているものだよね。ギバー(人へ惜しみなく与える人)であるPaiちゃんがハーバルメディスンにたどり着いたのは自然の流れだったのだと思う。 ―なんで生まれてきたのか、ひとりひとり目的がある  Pai:ハーバリストというのは、その土地のご先祖様たちにもリスペクトを持ち、植物やその土地の魂にお願いして力を貸してもらう許可を取るの。むやみやたらに採集しないことをきちんと理解している人やねん。資源をみんなでシェアして生きていたネイティブアメリカンの時代と同じ精神。でも今の世の中は、分け合いたくない一部の人たちが社会のシステムをつくって多くの人たちを従わせる構造になっているやんか。でも最近、パンデミックになったことで自分のアイデンティティに目覚めて、世の中の仕組みがおかしいと気づき始めた人が増えてきたよね。だからこそ資源をシェアをしていた頃のように戻して、そこからまた新しい世界を始めたらいいと思う。 cumi:Paiちゃんはこれから先、メディスンを通してどういうことをやっていきたい? Pai:もっともっとメディスンを追求していきたい。人生楽しいことが多すぎて、勉強も写真もそうやけど、全うできなかった気がするんよね。でもメディスンのことは生まれ変わってもまたやると思う。みんながなんで生まれてきたのか、ひとりひとりに目的、ライフパーパスがあるの。メディスンを通して、自分が誰なのか、何のために存在しているのか、気づく助けになることを自分の命がある限りやりたいと思っている。それが私の今のライフパーパスやな。全てはエネルギーだと私は思っているから、自分がやりたいと思ったらそうなるし。行きたい方向、ビジョンさえしっかりあれば叶うんよ。 cumi:うん、本当にそう思う。心の声に正直に進むことは、自分にとってだけではなくて、実は周りにも良い影響を与えることになるんだよね。Paiちゃんはそれを体現しているし、伝えていく人だと思う。 cumi:Paiちゃんの思い描いている未来は?どういう暮らしを想像している? Pai:自分たちのコミュニティをつくって、助け合って生きていきたい。政府に頼らずに生きていける術を持ちたいと考えてる。この先は政府に頼る時代じゃなくなるよ。自分で食べるもの、ハーブを育てて、電気も自家発電して、誰にも頼らない生活をしたいねって旦那と話している。未来はそういうことだと思う。理想と今の生活とはまだほど遠いけど、全てのことには理由があるんよ。だから今私がここに置かれているのは、ユニバースが決めたことなんだと思う。 cumi:最後にPaiちゃんにとって「やわらかい世界」とは? Pai:英語で言ったら、レジリエントってことやろ? パンデミックのときによく聞いたワードやね。これからは柔軟性の時代になるよ。想像して、自分が描いたことは必ず形になるの。日々、邪念を抱くこともあるけど、それをはらいながら自分を磨いていくこと。そして自分を知ること。その先にあるのがやわらかい世界なんやと思う。 ■ Pai Miyuki Hirai / コミュニティーハーバリスト 1997年渡米。ニューヨークを拠点にフォトグラファーとしての活動を始める。2001年に帰国し、中目黒にあった「gas-experiment!(後の大図実験)」を拠点に写真家として活動。その後自らもメッセンジャーとして働きながら仲間たちの写真をドキュメントする。2012年に再渡米。現在は母であり、サンフランシスコにて植物と宇宙のエネルギーとつながりながら、コミュニティーハーバリストという肩書きでみんながより良い生活を送るお手伝いをしている。instagram:...

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「気持ちいい」にとことん偏っていきたい / 山藤陽子さん

  SISIFILLE(シシフィーユ)立ち上げ時にアドバイザーとしてチームに参加してくださった、ライフスタイルコーディネーターで「YORK. 」代表の山藤陽子さんと、「山藤さんの独創的な視点にいつも魅了されていた」という当時企画を担当していたcumi(現ブランドコミュニケーター)。ローンチから7年が経ち、久しぶりに顔をあわせたふたりが当時の、そして今の想いを語り合いました。 ―そういえばオーガニックのナプキンって日本にないな、                       ほしいなと思っていた(山藤) cumi:シシフィーユが誕生した2015年は、ちょうど南青山のサロン「HEIGHTS(ハイツ)」の立ち上げとも重なっていたんですよね。 山藤:そうでしたね。ハイツを始める前、オーガニックセレクトショップのディレクションを任せていただいていて、海外にバイイングに行く中でそういえばオーガニックのナプキンって日本にないな、ほしいなって思っていたんです。 cumi:最近でこそ日本でも浸透し始めましたけれど、当時国内生産の製品としてはなくて。 山藤:そうそう。なので、輸入できないかなって考えていたところに、オーガニックコットンを使ったナプキンをこれからつくるんだっていうお話を聞いたんです。それでアドバイザーとしてのポジションでお声がけいただいたのが始まりでした。 cumi:私はキャリアの大半をアパレル業界で過ごしてきて、洋服以外のカテゴリー、しかも生理用ナプキンでブランドを立ち上げることになるなんて思ってもいなかったんです。生理事情は人それぞれだし、チームに女性が私ひとりだったこともあって、山藤さんとあれこれ意見を交わして、共感し合いながら進めていける環境があったことはとても心強くて。あのときの話し合いが、シシフィーユを進むべき方向に導いてくれたなと思っています。 山藤:「私たちは女の子だから、生理のときぐらいは自分をいたわる気持ちを持ちたいね」という想いがブランドの軸となって、ブランド名、ロゴ、色も全部一緒に決めて。デザインも、下着みたいにお店で飾っていても遜色ないものにしたいねっていうことで、ああいう形に行き着いついた。試行錯誤を重ねて、世の中に出せたことは本当に良かったよね。シシフィーユのナプキンは私にとって、今の仕事につながる第一作目といえる存在なんです。 ―「感覚の偏り」をどう表現するのか、ということをずっと考えているんです(山藤) ― 山藤さんは、飛び抜けて偏っているからこそ伝わりやすい(cumi) cumi:私、山藤さんに教えていただいたことで、すごく印象に残っていることがあって。化粧水をつける前の「拭き取り習慣」のことなんですが、化粧水を染み込ませたコットンで顔やデコルテ、最後は耳の裏や手のひらまでも拭き取るとおっしゃっていて。いざやってみたらとても気持ちが良くて、1日の始まりや終わりの心の切り替えに最適だし、何より自分をいたわっているっていうことが実感できてすごく感動したんです。 山藤:何も特別なことをしているわけじゃなくて、あたりまえのことなんですけれどね。肌は古い角質がたまらないように、拭いてやわらかくしておくとどんどん栄養も入ってくるけど、かたいと入っていかないの。「心も体もやわらかく」とよく言っているんだけれど、肌と一緒で心と体もやわらかくないと新しい情報が入ってこないし、人の話も聞くことができないんです。  cumi:その「拭き取り習慣」の話を聞いて、まさに山藤さんが発信されていることってそこに集約されているような気がしました。かゆいところに手が届くというか、本当にささいなところの感性を刺激してくれるような。 山藤:結局自分を気持ちよくさせてあげられないと人にもやさしくできないし、仕事のパフォーマンスもあがらないと思っていて。私は、「気持ちいいことフェチのライフスタイルコーディネーター」という肩書きを持って、とにかく気持ちいいことに偏るっていうことだけに集中してきた。あたりまえな、すごくベーシックなものを人と違った視点で紹介したい、人をハッとさせたい、というのが私自身の人生のテーマのひとつでもあるんですよ。だからその「感覚の偏り」をどう表現するのか、ということをずっと考えているんです。 cumi:山藤さんは、飛び抜けて偏っているからこそ伝わりやすいんだと思います。話していると、実はとても大切であったこと、必要であったこと、忙しい日々の中でこぼれ落ちてしまっていたことに気づかせてもらえるような感覚があるんですよね。 ―パンデミックを経験して、ものを“買わない”のではなく、“選べる”ようになってきた(山藤)ーみんなそれぞれ自分の中にある感覚の部分を信じるようになってきているのかな(cumi) cumi:気持ちいいいことフェチ、偏愛とかって、7年前にも山藤さんが語られていたなと強く印象に残っています。今となってはそういう言葉を見聞きするようになりましたが、当時はそうではなかったですよね。そう考えると、やっと時代が追いついてきたんだなと感じます。  山藤:そうなんですよね。今でこそコマーシャルのキャッチコピーとかで「気持ちいい」みたいな言葉が出てくる時代ですけれど、当時は気持ちいいっていう感覚でものを選ぶっていうことがなかったんですね。今は「ものを買わない時代」なんて言われたりするけれど、自分にとって価値があって必要なものはみなさん買われている。だから“買わない”のではなく、“選べる”ようになってきたのだろうと思っています。パンデミックを経験したことで、みなさん時間の余裕ができて、自分に向き合う時間が増えたから、もの選びに対する感覚も変わってきたんじゃないかな。 cumi:日本は、みんなと同じものをほしがる傾向がありますよね。だけど、「こう思っているのは自分だけなのかも?」 っていう、みんなそれぞれ自分の中にある感覚の部分を少しずつ信じるようになってきているのかなって思います。 山藤:そうだね。そこはシシフィーユの「自分を大事にする」っていうブランドコンセプトとも通じると思っていて。もちろんトレンドみたいなものはあるけど、ただ上質だから買うとかそういうもの選びではなくて、自分への投資の仕方っていうのが成熟してきたのかな。そういう意味ではパンデミックがもたらした良い側面と言えるのかもしれないね。 ―「偏るけれど、こだわらない」。こだわらないけれど、気持ちいいっていう感覚にはとことん偏っていっていきたい(山藤) cumi:今日話を聞いていて、やっぱり山藤さんはブレないなと思いました。7年前からずっと変わらずに自分の感性を信じているじゃないですか。どこの枠にもあてはまらない、そのするどい感性の源はどこにあるんですか?  山藤:子どもの頃からわりと真面目で人に迷惑をかけないように普通に育ってきたんですけれど(笑)。でも普通の会社員だった私がフリーランスになって、その当時は決められた肩書きもなかったから、それだったら一層「◯◯の人ね」って言われないようにしようっていう気持ちはありました。そもそも枠にはめられる要素もなかったから、それだったら何にもカテゴライズされずに、ただただ自分の感性を信じて、気持ちいいことに偏っていこうと決めて。 cumi:いい子でいた反動みたいなものはあったんですか? 山藤:それは全然ないんです。型にはまっていたときがあるからこそ、逆にその良さが分かっているので。反骨精神があるっていうわけじゃないんだよね。あたりまえの肩書きであたりまえのことをするのはつまらないなって、ちょっとへそまがりなんです(笑)。 cumi:枠にとらわれないっていう、ものの選び方にもその考えが反映されていますよね。 山藤:いつも言っているのは「偏るけれど、こだわらない」。日本製じゃないと、とか、オーガニックじゃないとってこだわった時点で枠にはまっちゃいますよね。そういうカテゴライズされた情報をとっぱらって気持ちいいなって感じるものは、結果地球にも気持ちいいものだったりするんですよ。だからこだわることはしないけれど、気持ちいいっていう感覚にはとことん偏っていって、自分をとりまく日常は、できる限り自分にとって気持ちいいものにしたいと思っているんです。...

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