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美味しい記憶がつくる私の料理 ー人を喜ばせることが私の原動力になるー石川早乙美さん

奈良県にある日本料理屋「万惣」の娘として生まれた石川早乙美さん。ミシュランガイドで星を獲得する名店で、幼い頃から働く両親の姿を見て育ちました。それでも料理を仕事にするとは想像もしていなかったという彼女は、30歳を過ぎて料理の道へ。自分らしい料理のあり方とは何だろう。自問自答を繰り返しながらたどり着いた今の形、そしてこれまでの道のりについて話を聞きました。

父の味、母の味で育った幼少期

奈良で日本料理屋を営む両親のもとに生まれた私。幼少期は、知らないおじさんとゴミ拾いをしたり、カブトムシのゼリーを食べたりと、周囲からは奇想天外と言われるような子どもだったそうです。父は料理人、当時母は女将としてお店に立っていたので、子どもの頃からお店にいることも多く、父とお弟子さんが料理をする様子や母がお客さんに接する姿なんかをじっと見ていました。お客さんには出せない料理の端っこを食べるのがとても楽しみで。父は家では全く料理をしなかったので、家では母がごはんづくりを担当。おかげで、お店の料理から家庭料理まで幅広い味に親しむことができました。

介護職からアパレルに。そしてイタリアへ

これまでの道のりを振り返ると、とにかく好奇心が旺盛で、やりたいことがたくさんあるタイプでした。高校卒業後は、子どもが好きだったこともあり短大の保育学科へ。ところが保育と一緒に社会福祉の勉強をしていくうちに、介護の方にはまっていってしまって。おじいちゃん、おばあちゃんたちからもらうエネルギーがすごかったんです。下のお世話も平気でしたし、お年寄りとの関わりから衝撃を色々受けることがたくさんあって。卒業後は介護の仕事に就いたのですが、実家暮らしだったこともあり、自立したいと思うようになりました。母は大反対したものの、奈良を出て東京へ行こうと決意。ファッションも好きだったので、アパレル会社に入り、念願の一人暮らしが始まりました。

働き始めて3年が経った頃、スタイリストさんと話していると、ふいに「本当は何がやりたいの?」と聞かれたことがありました。その方とはその時が初対面だったのですが、私の顔に覇気がなかったみたいで…。そんなふうに言われて考えてみると、海外に行きたいなと思ったんです。そのスタイリストさんは長年暮らしたイタリアから帰国したばかり。イタリアの魅力ある話を聞いて「じゃあ来年から行ってみます」と。すごく唐突なんですけれど(笑)。それからは必死でお金を貯めて、渡伊しました。イタリアでは語学を学び、仕事もしていたのですが、日本で結婚することになり、27歳の時に帰国しました。

思いもしなかった料理の道を歩み出した30

 料理を仕事にするなんて想像もしていませんでした。きつい仕事だと身に染みてわかっている父も、勧めてきたことは一度もありません。ところが結婚後、フリーランスのPRとして働いていた時、友人のイラストレーターと話す中で「お弁当をつくってみたい」と気づいたら口走っていました。すると、すぐにイベントでお弁当を出す機会を頂いて。もちろん料理の技術なんてないですし、今思うと本当に怖いもの知らずというか…。でも、小さい時から味わってきた料理を舌が覚えていたんですよね。父の料理の所作を思い出しながら、母が作っていたクリームコロッケも入れたいな、なんて試行錯誤しているうちに、自然と父と母の料理を融合したようなスタイルが出来上がっていきました。

どうしてあの時、料理をやりたいと言ったんだろう。ずいぶん思い切ったなと今でも思います。なんとなく思い当たるのは、まだ奈良に居た頃によく立ち寄っていたカウンターだけの餃子屋さんの存在。朝方に行くと、いつもカウンターの端っこで旦那さんが寝ているんです(笑)。常連もご主人だって分かっているから、風邪ひくよって毛布かけてあげたり、好きなお酒を置いてあげたりして。そのお店のあたたかさが大好きで、いつかこんなお店がやりたいなって漠然と思っていたんです。

料理を通して何ができるだろう。自問自答を続けて導きだした答え

2017年、ケータリング事業として「惣々」を立ち上げ、個人で活動を始めましたが、次第にノウハウをちゃんと学びたいと思うようになり、ケータリング事業部がある会社に就職。その頃は子どもが生まれていたので、子育てと仕事の両立を模索していた時期でもあります。その後、飲食店を営む友人に声をかけてもらい、ランチの時間店舗を間借りして定食屋さんを出すことに。メインは、肉吸い定食。私が一番好きな母の料理です。味もしっかり覚えているし、この辺のお店にはない料理だしと肉吸いと日替わりを出す「定食屋惣々」を開店。一年ぐらい続け、お店を閉めてからは知り合いの居酒屋のオーナーに声をかけていただき、そのお店のお惣菜を作らせてもらっていました。

場所を転々としながら考え続けていたのは、料理というツールを使って私は何ができるだろうかということ。私が料理の世界に入ったのは遅かったので、周りの料理人たちはもうすでに一本筋が決まっている人ばかり。そのせいか、すごく焦っていたんです。悩んだ結果、日本料理を一から学ぼうと銀座の高級料亭で修行することに決めました。修行を続ける中で、社長から「将来はどうしたいんだ?」とよく聞かれていました。技術も知識もまだ学ぶことがたくさんある。だけど、本当に私がやりたいのは、高級料理ではなくて、父と母の味、祖母の味、近所のコロッケ屋さんの味、そういう身近な料理だと気づきました。あの味を引き継ぐことが今の私にできることなんじゃないだろうか。立ち返ることができる料理、そういう存在の大切さを感じるようになっていたんです。懐かしさや安心感までが、私にとっての“美味しい”ということ。これからは、私の記憶を料理にしていこう。それを食べた人を笑顔にできたら、そんな幸せなことはないなって。

人を喜ばせることが一番の原動力。私にしかできない料理をつくりたい

そして料亭を辞めて、父親の元で勉強しながら、母の味をたんまり味わおうと実家に1ヶ月帰ることにしました。時間が空いたある日、久々の検診に行ったところ子宮の病気が発覚。今までの人生では、もっとやってみたい、経験したいことがたくさんあった私。でも病気が見つかったことで、本当に好きなことだけを仕事にしたい。料理人という固定概念に囚われずに、私にしかできないことをやりたい。心からそう思うようになりました。今は、「気取らない料理」をテーマにケータリングや出張料理を中心に活動しています。先日は初めて海外へ。旦那が内装・設計デザインした友人の営むオーストラリア・メルボルンのレストランでPOPUPをしました。「どこか懐かしい味。実家を思い出して泣きそう!」「小さな日本を連れてきてくれてありがとう。」と、お土産になる言葉をたくさん頂きました。私の中で、料理と人はセット。私が人に返せるものってやっぱり料理ですし、食べてくれる人がいる限りは、ずっと作り続けたい。お腹が減ったと聞けば、「作るからいっぱい食べな!」という気持ちになります。私の料理が誰かの役に立つならいつでも作るよって。どんなに疲れて帰っても、家族からの「おかわりある?」という言葉がその日の最高のご褒美になり、それがあるからまた次の日も頑張れる。人を喜ばせることが一番の原動力。だから私は料理人っていうより、みんなのお母さんでいたいんですよね(笑)。そしていつか、大好きなあの餃子屋さんみたいな、みんなが集えるあたたかいお店を形にできたらいいなと思うんです。

石川 早乙美 / 料理人、「惣々(そうそう)」主宰

奈良県生まれ。父が日本料理屋「万惣」の料理人であることから、幼少期から食に親しむ環境で育った。介護職、フリーランスPRを経て、料理の世界へ。2017年にケータリング事業「惣々(そうそう)」を始動。定食屋の開業、おばんざい・お惣菜屋の料理長、懐石・割烹料亭での修行などを経て、おもてなしの心を忘れずに、日本食の素晴らしさを伝えていきたいという想いを強くした。現在は出張料理人、ケータリング事業を中心に活動中。
instagram: @soso_souzai
Photo : Nishitani Kumi
Text&Edit : Nao Katagiri
Interview&Direction : cumi

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