ネイリスト歴17年、お客さんとのコミュニケーションを通して創り出す唯一無二のデザインで人気を集めるネイリストの関根祥子さんは、今年の5月、11年間続けてきたご自身主宰のネイルサロン「mojo NAIL(モジョ・ネイル)」を休業しました。日夜、代官山のサロンでお客さまと向き合いながら、その合間を縫って数々の著名な人々との仕事をこなし、精力的に活動してきた中でサロンワークを休止した理由。15年以上ノンストップで駆け抜けてきたこれまでのこと、気持ちの変化と現在地。新たに取り組んでいる「耳ツボ」とこれからについて、お話を聞きました。
ー美容師を志すも、体調不良からネイルの道へ
子供時代を振り返ると、活発な子だったと思います。覚えているのは折り紙とか、手先を使う作業が得意だったこと。クラスメイトから「折り紙博士」って呼ばれていました。(笑) 自分で何か作ったり、それを教えたりするのも好きな子供でしたね。
そんな子供の頃からなりたいものが美容師。小学校のアルバムに「美容師」と書いて以来その夢が変わることはなく、高校を卒業してそのまま美容専門学校へ進学しました。専門学校卒業後も順調にヘアサロンへ就職してアシスタントから始めたんですが、実は学生時代からとても生理痛が重いことが悩みで...。それが二十歳くらいの時にさらにひどくなり、仕事にならないくらい体調が悪化。 子宮内膜症だったことがわかり、サロンと相談をして治療に専念するために実家へ戻り休養することになりました。そしてその期間にネイルとの出合い、というか再会が。実は、専門学校のカリキュラムでネイルも少しだけ教わっていたんです。当時は美容師になることが目標だったのであまり気に留めてなかったんですけど、割と得意だし、好きでした。地元でネイルサロンをやっていた先輩が「体調が良い時に来たら?」と声をかけてくれて、そこから時々遊びに行ってはネイルチップで作品を作って置いてもらっていました。それがお客さんの目に留まって「このネイルをやりたいと言ってる人がいるよ」と。それをきっかけに友達やそのまた友達にネイルをさせてもらうようになりました。そこで自分のお客さんを持てたことが楽しくて、「ネイルって面白いかも!」と思い、ネイリストとしての道にチャレンジすることに。当時は長時間の立ち仕事が難しかったので、座って仕事ができるところも後押しになりました。
ー「mojo NAIL」の立ち上げからコロナ、そして耳ツボとの出合い
決意してからはまず、ネイルの検定資格を取ってサロンワークをしました。表参道で2年、中目黒で3年ほどサロンワークをした後に、独立して「mojo NAIL」を立ち上げたのが12年前ですね。
そこからはありがたいことに順調にお客さんが増えて、モデルさんや俳優さんとの様々な撮影を始め、サロンワーク以外のお仕事も充実していきました。その合間に定期的にまとまったお休みをとっては大好きな旅に出て、休憩とインプットをする生活を楽しんでいました。
そこから変化があったのが4年前のコロナの頃。コロナがピークの時はお店を閉めていましたが、サロンではマンツーマンでネイルをしていたこともあり、お客さまとの信頼関係によってコロナ前と変わらずサロンワークはしていました。でもステイホームが呼びかけられ、国内外への旅行になかなか行くことが出来なくなっていた時期があり、必然的に仕事と向き合う時間が多くなっていました。そんな日々が続き、2年ほど前にガクッと体調の変化を感じて。手や肌が荒れたり、常に疲れが取れない、思うように身体が動かないなど、今までとは違う感覚に戸惑いながらも、これまで向き合ってこなかった身体のことが気になり始めて。そこからいろんなことを勉強したり、試してみたりとしている時期がありました。試行錯誤しながら、自分のケアと仕事のバランスを探す中で、友達が「耳ツボ、いいよ!」って教えてくれたんです。早速耳ツボをしてもらったら、帰りにびっくりするくらい身体が軽くなったんです。その時に「すぐに学びたい!」と思い、耳ツボセラピーを学びに行きました。耳ツボを知る中で中医学のこと、陰陽五行などの勉強を始め、去年、耳ツボセラピーのディプロマを取得。そこから少しずつ、友達やネイルのお客さんに耳ツボを施術するようになりました。
ー12年目を目前にネイルサロンを休止、その経緯とは?
今年の5月にサロンワークを休業したんですけど、実はそう思い立ったのはそこから3ヶ月前の2月でした。思い返せば10年以上「mojo NAIL」が中心の生活を送っていたんですよね。コロナ禍でさらにそれが加速して、気付けば自分の生活がままならなくなっていました。週に6日から7日、サロンで朝から晩まで働いて、帰ってきたらベッドに倒れ込む。そして朝方4時頃に目を覚ましたら、お風呂に入って少し寝てまた出勤するという日々でした。そんな生活の中で「自分は何をやっているんだろう」と思ってしまって。自分のキャパシティを大きく超えて、心身のバランスが全然取れていない状態でした。そんなある日、夜にボーッとしていたら「辞めてみよう!」って何かが落ちてくるようにストン!!っと思って(笑)。そしたらすごく気持ちが楽になりました。そこからの3ヶ月はよりネイルの楽しさ、サロンワークの楽しさをダイレクトに感じた時間でしたね。
お客さんにそれを伝えた時の反応は「ついにその時が来たか」という感じでした。実は去年、サロンオープン10周年を記念して個展を開催したんです。ネイルをした時に筆を拭いたキッチンペーパーや、ピンときた色合いの廃材、それらと旅先で撮った写真を合わせて作品にしたり、ドローイングしたり、手元だけを映した映像作品を作ったり、ネイルに関する過去のあれこれと何かを合わせて新しいものを作って披露した個展でした。自分にとってはただ節目の年ということを理由に開催したつもりだったんですけど、今思えば変化を求めていたんだろうなと思います。お客さんや友達には「関根さんはいつかサロンワークを辞める時が来るかもしれない」と感じとっていた人もいて。ネイルを通して相手と向き合ってきたからこそ、気づかないうちに私の心の動きも伝わっていたのかもしれないなって思いました。今思い返すと、当時は毎日パンパンに予定を入れて、仕事をこなしていることがステータスだったし、そこに安心感もあった。そうして働いていることが自分の自信になっている自覚もあったし、辞めてしまうと自信まで無くしてしまいそうで怖かったんだと思います。新規のお客さんの受付けをストップしたり、仕事を減らそうとしてみたりしたこともあったんですけど、やっぱりどうしても気持ちが休めなくて…。そうして身体がおかしくなるギリギリのラインに来た時に、自分の意思を超えて「辞めよう!」と思ったんだと思います。辞めてからは、しっかりと休むために1ヶ月くらい海外へ行きました。ヨーロッパ、北欧のエリアをぐるりと。
ー1ヶ月の海外生活、帰ってきた時に感じた東京について
辞めようと決意した後も、海外へ出てからも突発的に不安が込み上げてきたことはありました。これまでは海外で充実した時間を過ごしながら、帰れば仕事があるという安心感があったけど、果たして今回の決断はあっていたのか?みたいな。それでも海外にいる間に少しだけ持っていったネイルの材料を使ってポップアップをやらせてもらったり、気持ちも何段階か経たりしているうちに、不意に「大丈夫、私は間違ってなかった!」って思えるようになりました。ネイルも耳ツボもどこでもできるし、お金がなくなったら働けばいいんだって気楽に考えられるようになった時、一気に不安から抜け出して、自分は進みたい道へ進んでいると感じられたんです。
そんな1ヶ月を過ごした後7月下旬に東京に戻って来て、その時に気づいたのは、私自身が自分の世界観を狭くしていたということ。「mojo NAIL」を自分で始めて、そこには1日にどのくらいお客さんが来て、こんな仕事をして、こういう存在でいなきゃ!って、自分で自分の世界を創り上げていた。でもそれを続けていく中で、いつの間にか東京という場所を窮屈に感じてしまっていたんだと。海外から戻ってきた時、昔なら「世界は広かった、日本は狭い」と感じたと思うんですが、今回は海外も日本も同じというか、どこにいても一緒で世界も日本も東京も広くて自由だと思えたんです。今までは友達に誘われても仕事で予定が埋まっていて動けないことが当たり前だったけど、今は声がかかったらサクッと出かけられるし思いつきで人とも会える。その身軽さ、時には不安とも表裏一体になれる自由を感じられるようになりました。
最近では予定を詰め込まず、不意に出かけた時に寄り道したり、自分の気の向くままに移動したりしていると、いろんなものがきちんとフィットしてきて、気づけば1日にすごくいろんなことが起こっていて、良い出会いがあったり、美味しいものが食べられたり、そんな心地よさを味わえるようになりました。今は、予め決めたわけじゃない場所での出合いが私の人生に必要なことだと思える感覚を楽しんでいます。
ー今取り組む耳ツボと、関根さんのこれからのこと
今現在は、ネイルのお仕事を続けながら、耳ツボを通して人間の持つエネルギーや性質のすばらしさについてより深く勉強している最中です。二十歳の時に体調を崩して病院や薬が苦手になり、サプリやマッサージなど健康に関する様々なことを実践してきましたが、耳ツボをすると胸が開いて楽になったり、身体がポカポカしてきたり、すぐにその良さを体感できるんです。心まで楽にしてくれるところも良いなと思っていて。
(写真)左のペン状のものは耳ツボを押す際に使うフェイスポインター。中央上、アーユルヴェーダにヒントを得て作られたという「Daruma」のイアオイルを使った耳のマッサージを毎日欠かさない。右下には、小さく輝く耳ツボシールたち。
今はやりたいことが頭の少し上のあたりでモクモクしている状態。私の中でそれらがまだはっきりとは繋がっていないんですが、それが降りてくるのを待っています。私にとってはネイルも耳ツボも、個展で披露したようなアートもすべて、アウトプットする形が違うだけで同じことをしている気分。人間には、それぞれ様々な出来事や想いがあると思うんですけど、これからもネイルや耳ツボ、アートを通して人に寄り添えるものを提案したい。私は私を存分に楽しみながら、みんなにとって自分自身を楽しませるきっかけ作りができる人になれるといいなと思っています。
■ 関根祥子 / ネイリスト、「mojo NAIL」主宰
一人ひとりと会話をしながら、その人に寄り添ったパーソナルなデザインネイルで人気を集める。2012年にオープンしたネイルサロン「mojo NAIL」を今年の5月に休業。現在はワークショップやイベントを通してネイルと耳ツボを発信。オンラインショップ「MOJOM(モジョム)」を運営。お米を愛するコミュニティ「BEISUI(ベイスイ)」にも携わる。
HP: mojo NAIL公式サイト
instagram: @mojo_shokosekine
Photo : NISHITANI KUMI(No1-9,11,12) 、Shoko Sekine(No.10)
Interviwe,Text&Edit : Wakako Matsukura
Direction:cumi