SISIFILLEのアイテムに使用する生地は、大きく分けて4つの特徴を兼ね備えています。
ー ORGANIC COTTON
生地に使用する原材料には、タンザニア、ペルー、エジプトといった国々から調達したフェアトレードのオーガニックコットンのみを使用しています。オーガニックではない一般綿やその他の素材は使いません(※1)。フェアトレードとは、その名の通り公正な取引を意味します。サプライチェーンの中で弱い立場になりがちな農家の方々は、相場より安く買い叩かれることがあり、そのような不当な取引を防止するための仕組みがフェアトレードです。
正当な手順で仕入れたオーガニックコットンに、長年培ってきた生地作りのノウハウを注ぐことにより、本当の意味で豊かな風合いの生地を生み出すことができると私たちは考えています。そして、それらの生地を用いることは、シシフィーユの「やわらかいプロダクト」に欠くことはできないとても重要な要素です。
シシフィーユで使用するオーガニックコットンについて、詳しくは「ORGANIC COTTON」をご覧ください。
※1:ストレッチが必要な生地を生産する場合のみ弾性糸を5〜10%程度使用します。
ー TRANSPARENCY/TRACIABILITY
私たちは、「トランスペアレンシー」すなわち「透明性」をとても大切に捉えています。透明性とは、全ての製造プロセスをオープンにするということです。まるで農家の顔が見える野菜のように、「どこからやってきたのか」を詳しく知ることを可能にすること、それを「トレーサビリティ」とも呼びます。一見当たり前のことのようですが、繊維業界は製造プロセスが細かく分かれ、とても複雑であるという理由から、なかなか実現が難しい分野でした。
一方、私たちが考える透明性とは、単に製品の“確からしさ”を示すためだけのものではありません。綿花を摘む農家の方々や、生地をつくる工場の方々との有機的なつながりを感じていただくためのツールとして、シシフィーユの「やわらかなコミュニティ」の一つの側面を表現するものだと考えています。
製造プロセスの情報は、ウェブサイトの商品ページや、商品に付いている「Virtual Travel Ticket(バーチャルトラベルチケット)」を通してオンラインで閲覧いただくことができます。
ー MADE in JAPAN
日本の繊維産業の歴史は古く、その長い年月と日本人の勤勉さに裏打ちされた精緻で高品質なテキスタイルは、イタリアと並び世界的にも高い評価を得ています。実際に世界トップクラスのハイブランドの多くが「ジャパン テキスタイル」を採用し、そのクラフトマンシップを称賛しています。
私たちは自社で生地の企画を行い、国内有数の協力工場に生産を依頼しています。主な産地は、和歌山、大阪、栃木、群馬、兵庫、静岡、新潟、愛媛などです。各々の産地にはそれぞれ特徴があり、企画した生地の特性に最適な産地や工場に生産をお願いしています。
工場には定期的に足を運び、私たちのものづくりの意義を理解していただいています。こうして目の届く範囲でものづくりをすることは品質を担保する上でもとても重要なことです。
また、日本の水質は軟水のため、肌あたりのやわらかい生地に仕上げられる環境に恵まれていることも大きな特徴です。これらの要素もまた、シシフィーユの「やわらかいプロダクト」の一翼を担っています。
ー SAFETY & ENVIRONMENT
生地の製造は、「日本オーガニックコットン流通機構(NOC)」の加工規準と、自社で独自に定める基準に則っています。
オーガニックコットンしか使用しないことはもちろんのこと、ニット生地の編み立てに必要なワックスには天然のミツロウワックスを使用したり、生地の洗浄にドイツSONETT社のオーガニック洗剤を採用したりといった、並々ならぬこだわりを持っています。人体に有害な化学物質を排除し、染色で使用する染料などの廃液は工場で適切に処理することにより、環境負荷を最大限抑える工夫も行なっています。
また、不織布を使用したPERIOD PADやMASK、FACIAL COTTONといった一部のアイテムは、エコテックス(R)スタンダード100の「製品クラスI」を取得しています。エコテックスとは、350種以上の有害物質を対象とした世界最高水準の安全基準で、「クラスⅠ」はその中で最も厳しい基準になっています。
このように細部まで十分に配慮しながら作り上げる生地を用いて、シシフィーユの製品は出来上がっています。
ー BACKSTORY
シシフィーユの母体である(株)パノコトレーディングは、オーガニックコットン専門のメーカーとして30年近くにわたって生地づくりを行なってきました。
その旅路は、世界各地のオーガニックコットンの畑に赴くところから始まり、国内に点在している生地産地、様々な工程を担う工場、そこで働く多くの職人の方々との協業によって成り立っています。
しかし、ここに至るまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。今でこそオーガニックコットンという言葉はすっかり定着していますが、私たちが手がけ始めた1990年代初頭はオーガニックコットンという概念がアメリカで誕生したばかりで、日本では“オーガニック”という言葉すらほとんど知られていなかったのです。
当時、アメリカ産のオーガニックコットンの糸を入手することができた私たちは、それを使って国内で生地を作るために奔走を始めます。ところが、今ほどエコロジーの観点が社会に浸透していない中、繊維の素人だった私たちが日本中の生地産地を訪ね回り、どんなにオーガニックの意義を唱えようとも、門前払いされるのは当然のこと。生地を作るどころか話さえ聞いてもらえない日々が続きました。
それでも粘り強く交渉を重ねていく中で、ようやく幾つかの工場が生産を請け負ってくれることになりましたが、そんなに簡単に事は進みません。当時のオーガニックコットンの糸は品質が低く、生地を編もうとすると糸がぶつぶつ切れたりして全く使い物にならなかったのです。今では考えられませんが、糸の入った箱には枯れ葉や虫が入っていることもしばしばでした。
途方に暮れた私たちでしたが、今さら引き下がるわけにはいきません。工場の職人の方々に無理を言って編機の調整をしたり、編むスピードを限界まで落としたり、つきっきりでトラブルに対処してもらったりしながら、いくつかの生地を何とか編み上げてもらうことができました。
しかし、次の難題は染工所です。一般的な染工所は染色をすることが仕事のため、染料や化学薬品を大量に使用します。そんな中、生地を染めずに石鹸だけで洗って仕上げてほしいという私たちの要望は、当時としては相当異例なものでした。幸運にも協力してくれる工場を見つけることができたため、アメリカから届いたオーガニックコットンの糸はようやく生地に生まれ変わることができましたが、今思えばボソボソとした質感の決して良い出来のものではありませんでした。ですが、その一枚の布地が30年後の今へと続くすべての物語の始まりとなったのです。
時は流れ、オーガニックコットンは市民権を得て、糸の品質も見違えるほどになりました。多くの工場との取り組みも広がり、生地のクオリティもバリエーションも当時とは比べ物にならないほど高まり、今では国内外の多くの著名ブランドに採用されるまでに至っています。30年前のあの日のことを思い返すと、それはまるで夢のようです。
過去の度重なる失敗や、そこから得た教訓のひとつひとつは、シシフィーユの「やわらかなプロダクト」を形づくる上で見逃すことができない、とても貴重な礎になっています。