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COMMUNITY

暮らしの風景を創造できるような麦酒をつくりたい ー里山の原風景を紡ぐ夫婦の物語ー中村レイコさん

長野県・青木村の里山で「麦酒(ビール)」の醸造を行う「Nobara Homestead Brewery(ノバラ・ホームステッド・ブリュワリー)」の中村レイコさん・圭佑さんご夫婦。家族の住居と醸造所を兼ねた4000坪ものフィールドで「暮らしに根ざした酒文化の創造」をテーマに、自然の恵みを活かした麦酒づくりをしています。二人の子どもを育てながら醸造所の運営、フィールドの整備を担うレイコさんに、これまでの歩みと麦酒に込めた思いを聞きました。 (写真)デザイン、広報も自ら一貫して担う ーデザインバックグラウンドを持つふたりの出会い もともと、都内でデザイナーとして活動していた夫と、同じく東京でデザインを基軸とした職場で働いていた私。がむしゃらに目の前のことをこなしていた20代、私の転機になったのは東日本大震災でした。震災後の社会への違和感や働き詰めの日々に疑問を感じて、日本を飛び出し単身スコットランドへ。このままではただ流されて生きていくことになるような気がして、リセットしたいと思ったのです。スコットランドでは、自分と向き合い、デザインというものを改めて捉え直したり、この先どうやって生きていこうかと人生を立ち返ったりすることができました。将来的に自分のブランドを作りたいと思うようになり、ブランドの立ち上げから学ぼうと、2013年の帰国後はブランディング業界で働きました。 夫と出会った時、お互いデザインを職業としていて、同じ関東圏の出身だったり、お酒が大好きだったりと共通点がたくさんありました。また、お互い若い時から順風満帆な道を歩んできたわけではなく、デザインに関しても現場での叩き上げでやってきた、みたいなところにすごく仲間意識を感じたのです。やがて、私のブランドを作りたいという思いや彼のモノづくりに挑戦したいという気持ちが合致して、一緒に麦酒を作ろうという話に。私たちが携わってきたデザインにまつわるあれこれを集結させたらきっと叶えられるだろう。そして、麦酒を作ることは私たちふたりの夢になりました。 (写真)念願の助産院で長女を出産 ー家の道しるべとなったパーマカルチャー 結婚後、2018年に第一子を出産。産後、体重の減少や手の震えなど体調が優れない日々が続き、その後の健康診断でバセドウ病を患っていることが判明。この頃、病気による感情の起伏の激しさや身体の不調、初めての子育て、コロナなど多くのことが重なり、私も夫もお互いにストレスを抱え、夫婦の関係性も悪化していました。お医者さんからは、病気を治すにはストレスをなくすことと言われ、生き方を見直すことを考え始めました。そんな中、神奈川県藤野町にあるパーマカルチャー・センター・ジャパンのデザインコースのことを知り、これで人生が変わるのではないかと直感的に感じました。ここに行けば、病気も家族の関係性も良くなるかもしれない。まだ娘が小さく不安もありましたが、夫と相談し、思い切って月に一度、泊まりがけのプログラムに参加することにしました。(写真)パーマカルチャー・センター・ジャパンでの講義風景 パーマカルチャーとの出合いは、本当に人生を変える出来事でした。私が生きたい世界はこれだ、これなんだ、と心が震えたことを覚えています。1年間受講した後、次は夫にバトンタッチ。夫婦共に学んだことで、これからの暮らし方、麦酒作りへのビジョンを明確に描くことができるようになりました。パーマカルチャーの考えに沿った自然と共にある暮らしを実現することで、これまでうまく運んでいなかった全てのことが解決するだろう。そう確信し、東京ではない場所を探し始め、巡り合ったのがこの地です。大正時代から受け継がれてきた住居と自然豊かなフィールドを抱えたこの場所を初めて訪れた時、幼少期の原風景がふと思い出され、ここで生きていることを感じられるような暮らしをしたいと強く思いました。そして、2021年に移住。居を改修し、フィールドを整備しながら醸造所を作り始めたのです。(写真)既存厩舎を生かし取りして組み上げた客席部の建前(写真)醸造を担当する夫の圭佑さん ー暮らしに寄り添い、命を感じられるような麦酒を作りたい “生きること”をするために何をしていこうか、と考えた時、私たちの答えは“人の身体に入れて出せるものを作る”ということでした。私たちは食を通して命を循環させている生き物です。麦酒は海外で生まれたものですが、原料の麦は、昔から食べ物として日本人の身体に入ってきたもの。私たちは「麦酒」を作っているというより、日本で生まれた「麦酒」という食べ物を作っているという感覚がしっくりきています。食べ物を作っているということは、すなわち命を作っているということ。素材もなるべく自然に寄り添ったもの、この土地にあるもの、季節に寄り添ったものを使い、命を感じられるような麦酒を作っていきたい。美味しいというのはもちろんのこと、飲んでくれた人がここの美しい情景までが浮かぶような麦酒作りを目指して日々真摯に向き合っています。私たち夫婦の幼少期の記憶として、親戚が集まって麦酒を飲んでいた姿が強く印象に残っています。そのせいか、日常にもお祝いの席にもあるお酒というものがすごく好きなんです。麦酒は、人との繋がりを強めてくれるものだと思っていますし、麦酒だけではなく、お酒がつくるコミュニティも醸造していきたいと考えています。人が食と麦酒を囲む暮らしの風景を作っていきたいんです。 ーこの地に生きにきたけれど、死にもきたのだ  移住して初めの年は畑を作って、コンポストを作って、オフグリッドにしてなど、思い描いていたことを様々やってみたのですが、その結果すごく忙しく大変になってしまいました。畑にしても家族だけでは消費できないぐらいの野菜ができてしまって。余剰は分け合うというパーマカルチャーの考えがあるのですが、人に分けてもまだ余るぐらいでした。土に還すこともできるけれど、それもどうだろうとモヤモヤ考えているうちに二人目を妊娠していることがわかり、二年目はお休みしました。すると、地域の方達から家族が生きていけるぐらいの量の野菜が運ばれてきました。野菜はもう十分に地域に循環していたんですね。ということは私たちがこれ以上作る必要はなくて、他にやるべきことがあるんだと考えるようになりました。やがて季節が巡り、庭になった美味しい柿を皆さんに返しました。昔この土地を開拓した人たちが植えた果樹が、今見事に実をつけてくれている。何十年もの月日を経て、今その恵みを私たちがいただいているということ。これこそを循環というのではないだろうか。循環する仕組みというのは、無理をしなくてもアクセスできるものなのかもしれない。これは、この暮らしをもってしか分からないことでした。今も、循環とはどういうことなのか、少しずつ、少しずつ噛み砕いて考えています。(写真)地名に由来する奈良品種の柿が実る  (写真)自生している植物はなるべく使っていきたい 私たち夫婦も人生折り返しに近づき、この地には生きにきたけれど、死にもきたのだということを感じています。生きると死ぬということがグッとつながったのです。生き物と共存した生態系の中では、最期は土に還ります。いつか土に還るために、私たちは何をしていくの?ということを意識するようになりました。近い将来には、敷地内の樹木や、果樹、薬草や穀物といった、生きるために必要な食料の知恵を皆さんに伝えていきたいと思い、ゆくゆくはこの場所をBrew(醸造する)と、Library(図書館)から成り立つ造語「ブリューブラリー」として地域に開き、誰もが立ち入れて学べる場所にしたいと考えています。この暮らしが始まって、まだ三年。やりたいこと、課題は山積みですが、今の私たちの関係性ならば、一緒に思案しながら解決していけると思うんです。 ■ 中村レイコ / Nobara Homestead Brewery フィールド・ファーメンテーション・ディレクター 空間・イベント・グラフィック等、 クリエイティブの分野に広域的に従事。 3.11を機にスコットランド・エディンバラに留学。2021年に長野県青木村へ移住。麦酒醸造所「Nobara Homestead Brewery」を夫とともに営み、パーマカルチャーの概念を基軸としたサスティナブルな麦酒づくりを行う。 2023年4月に実施したクラウドファンディングで資金調達を達成し、来春テイスティングルームのオープン予定。フィールドワークを加えたエクスペリエンスプログラムを準備中。健やかな「食」としての麦酒文化を定着することで、日常にあたりまえの美学を実装するための模索・研究をしている。 HP:...

# BACKGROUND# COMMUNITY#SUSTAINABLE#パーマカルチャー

自然界に存在するわたし達が豊かに生かし合える世界 / ウィーバー佳奈さん

家族で暮らすカリフォルニア州ベイエリアを拠点に、地球上に存在する、多様な植物の種を未来に継いでいくための研究・活動をしているウィーバー佳奈さん。“人間は自然の一部であり、自然自体だ”という感覚を大事にしているという佳奈さんが、自身の出産を通じて思いを強くしたのは、自分が元気でいないと人を幸せにすることはできないということ。“私たちが自分をどう扱うかが世界をどう扱うかに繋がるし、世界をどう扱うかが自分をどう扱うかにもつながる”と語る佳奈さんに、人と自然が支えあって生きること、そして自分を大切するということについて聞きました。 ―五感で自然と世界を体感した子ども時代 幼少期を振り返ると、今の私につながる種があちこちに撒かれていたのだなと感じます。都心に生まれ育ったのですが、都会の中にいながらミクロな世界で自然に触れる機会がたくさんありました。通っていた幼稚園には田んぼや畑があって、みんなでお米や野菜を育てていて。田んぼを裸足で歩くと、足の指の間から土がニュルっと出てくる感覚や土の中からウワっと立ち込める生命の匂いを今でも思い出します。五感に染み付いているんですよね。その幼稚園では、カンボジアで地雷の被害を受けた子どもの支援というような社会活動もしていて、同じ地球の上で私とは全く違う暮らしをしている同い年の子どもがいるということを知り、なんでこんな状況が生まれるのだろうと強い衝撃を受けました。その頃から環境問題や社会問題に関心を持ち始めて、幼いながらに“人間という生き物として、この地球でどう生きていくか“という問いがいつも頭にありました。 ―種というのは、人と大地が紡いできた関係性の結晶なのだ 父の仕事の都合で7歳から10歳までをアメリカで過ごし、その後帰国。中学生の時は学校に馴染めず不登校だった中、9.11が起きたんです。色々調べていくうちに、地球が大変なことになっていることを感じて、“家の中でゴロゴロしている場合じゃない!”と奮起。環境問題に足を踏み入れたいという気持ちが高まり、その後の進路の方向性が定まっていきました。大学では、環境にやさしい農業と食のシステムの在り方を研究テーマとし、アフリカのモザンピークの農業開発調査をするように。現地で伝統的な農業や地域の在来作物の種を守っている女性たちの話を聞くうちに、種というのは、人と大地が紡いできた関係性の結晶なのだと感じました。何世代もの人たちが、その土地で自然と対話しながら、今の形に至るまで紡いできた長い道のりに気づいたとき、それまで個体として見ていた植物や種に対する見方がガラッと変わったんです。そうして、情報や可能性がぎゅっと詰まったカプセルのような種という存在にどんどん惹かれていきました。一方、ここ100年ぐらいの間に地球上の7~9割もの種が絶滅したと言われています。自然の中で生かし合う多様な種子を未来に継いでいきたい。この時に感じたことが今の活動の原点となっています。(写真)佳奈さんの種コレクション(ライ豆, にんじん、ポピー、ホワイトセージ、ジャカランダ等) ―産後の経験から自分を大切にする方法を学んだ、セルフケアの第一歩は耳を傾けること オランダの大学院の研究室で出会ったパートナーと結婚し、妊娠。今後どこに暮らそうかと話し合い、妊娠中に彼の出身地であるカリフォルニアへ引っ越しました。産後、すぐ研究に戻りたい気持ちとは裏腹に、体は思うように動かず…。私は、自分を犠牲にして活動するのではなく、自分を大切にしながら自然界や他の全ての存在を大切にするというのが一番持続的な活動方法だと考えているので、まずは自分の体を最優先させることにしました。ところが、私自身が自分を大切にする方法を知らないことに気がついたんです。私たちの世代は特にかもしれませんが、学校でも社会でもどちらかというと協調性が重んじられて、自分を大切にするということをあまりやってこなかったと思うんです。誰からも強いられていないのに無意識に自分のニーズを我慢して、相手や子供のニーズに応えるという癖がついていたんですね。産後は、それに一つ一つ気づいて、自分に意識を向け直すという作業の繰り返し。そうやって、自分を大切にするということを少しずつ学んでいきました。(写真)アーバンパーマカルチャー実践者でもあるパートナーのアントニオさんと息子のリオ君 自分を大切にすること、自分を愛するということ。言葉で理解しつつも、いざ行動に移すとなるとどういうことなのだろうと戸惑ってしまう人も多いのではないでしょうか。私にとって、セルフケアの第一歩とは、耳を傾けることです。自分自身との関係、人との関係、植物との関係、どれもそうですが、まずはそこにいる相手に耳を傾けて話を聞いてみる。植物だったら、感じてみる。そうした時にどういう感覚が湧き上がってくるのか、自分の内に耳を澄ましてみる。スマホやパソコンから情報が溢れ出てくる現代の暮らしでは、自分以外のことに意識を向けながら一日を過ごしがちです。だけど、これまで聞く習慣のなかった自分の声を拾い上げて、そういう声があるんだということを受け止めてあげる。地味かもしれませんが、そこがセルフケアの入り口です。たとえば、今コーヒーを飲んでいるけれど、本当はチャイが飲みたかったかもしれないというような内なる小さな声。些細なことだけれど、そういう心の声を意図的に丁寧に感じてあげること。自分に対してそれができないと、人や自然の声にも耳を傾けることができないと思うのです。 ―自分を大事にしながら地球と調和した暮らしをしていきたい 産後の体にパソコン作業が負担に感じたので、種や植物に関する講演会を開くなど、できることから少しずつ仕事を再開しました。ずっと学者の道に行くというビジョンを持って、昨年までカリフォルニア大学サンタクルーズ校の環境学部に在学していたのですが、去年大学を辞めました。きっかけとなったのは、パートナーのおばあちゃんが亡くなったこと。90歳を超えて大往生だったのですが、死を受け入れて過ごすという最期の日々を一緒に過ごさせてもらったんです。自然の死のプロセスを目の当たりにして、残りの人生何かできるかな、もし数年後に死ぬとしたら今何がしたいかなということをすごく考えました。そして出た答えが、自分という素材を使って世界に貢献したいということ。大学は素晴らしい環境だったし、研究も楽しかったけれど、知識がパブリックに広がっていかないということがフラストレーションでもありました。私がこれまでいただいてきた貴重な体験や知識をもっともっと広くシェアしたい。残りの人生で今が一番若いのだから、やりたいことをしようと思うようになったんです。(写真)まだ未熟な花豆 今は種子の保全活動、人同士をつなげる活動や研究をしながら、植物とセルフケアの教室やオンラインスクールを立ち上げてやっています。今アメリカに地域の在来種を集めて、コミュニティで保存していくという取り組みがあるのですが、日本でも同じようなことができたらと考えています。今、自然の循環の中で生きることを体現してきた先人たちが高齢化し、すぐに受け継がないと残せなくなってしまう声がたくさんあります。これからの地球の在り方の一番ヒントになると思うのが、植物や大地と密接に関わって関係を紡いできた人たちの軌跡。アメリカでもネイティブアメリカンの方から生きる知恵を学び直そうというムーブメントがありますが、同じことが世界中で起きています。私たちが今方向転換して、人と大地、自然が互いを生かしあう関係を再構築し、健康な未来を次世代につないでいきたいんです。 ■  Koa Weaver 佳奈 (ウィーバー佳奈)  民族植物学者、薬草専門家、自然療法ウェルネスコーチ。一児の母。世界を旅しながら、各地の植物の美しさ、薬草学、種の多様性、植物にまつわる文化の多様性を次世代に手渡す方法について探究。東京大学大学院修士、オランダエラスムス大学社会科学研究所修士。カリフォルニア大学サンタクルーズ校環境学博士課程単位取得退学。国際民俗生物学会所属。米国自然療法ウェルネスコーチ資格。植物とのつながりを通じて、自分のことも地球のことも大切にする暮らしを実現することに関心がある。植物、ハーブ・薬草、セルフケア、生物文化多様性保全の分野で講座、コンサルティング、執筆、通訳などを行う。米国カリフォルニア州バークレー在住。好きな食べ物はパイナップルグァバ。 instagram: @seedfromearthYoutube: たねチャンネルHP:Seed from Earth公式サイト Text&Edit : Nao KatagiriPhoto : From Koa Weaver KanaInterview&Direction:cumi

# HEALTH# 自分らしく生きる#SUSTAINABLE#パーマカルチャー#ライフステージ

暮らしを真ん中に、寄り添いながら育っていく / 中島デコさん

千葉県いすみ市でBROWN'S FIELD(ブラウンズ・フィールド)を主宰するマクロビオテック料理家の中島デコさん。デコさん一家と寝食を共にするスタッフたちがひとつの大きな家族として、持続可能で、自然に寄り添った暮らしを営んでいます。いつも暮らしを真ん中に置き、人や自然が有機的につながりあって広がってきたブラウンズフィールド。ここに至るまでの道のり、共同生活のこと、これから思い描く未来のことなど、デコさんの思いを語っていただきました。 ―東京を離れ、導かれるようにいすみへ まだ末っ子が歩き始めたばかりの1999年、私と夫は5人の子どもたちと2匹の犬を連れて、東京から千葉県いすみ市に引っ越してきました。何でもお金で解決する都市社会の仕組みに疑問がありましたし、土に触れ、自分たちが育てた季節のものを新鮮なうちにいただくような生活をしたいという思いが強かったんです。私が若い時から実践しているマクロビオティックには、「身土不二」(人間と土は一体で、暮らす土地で採れた旬のものを食べる)という考え方があります。それは、まさに私の思い描いていた形でした。そして、実践できる土地を探し始めたところ、たまたま空き家となっていた古民家を紹介してもらった場所がいすみ市だったんです。本当はもっと水がきれいで、温泉が近くにあるような場所を思い描いていたんですけれどね(笑)。 でも実際にいすみを訪れたら、平地で、海が近くて、日当たりが良くて、すごく気持ちがいい場所で。偶然にも父親のお墓が近くにあったこともあり、なんだか呼ばれているような気がして、すぐに引越しを決めました。あれから24年。東京に帰りたいと思ったことは一度もありません。種を播いて、育て、収穫したものを加工して食べる。そんな暮らしを目指して、子育てと農作業中心の日々が始まりました。私は東京生まれ東京育ちで農の経験はなかったし、まずは小松菜だけでも、大根だけでも採れたらいいな、そんなところからのスタートでした。 (写真)ブラウンズフィールド内にある「ライステラスカフェ」 ―時の流れとともに、少しずつ形を変えてきたブラウンズフィールド 料理研究家としていすみの暮らしを本やメディアで紹介する機会があったことで、いつからかいろんな人が訪ねてくるようになりました。せっかく来てくださっているしと、お話したり、ごはんを出したりしていたんですが、その間作業は止まってしまうわけです。これはなんとかしないとということで、納屋をリフォームして、金土日だけオープンするカフェを開くことにしました。マクロビオティックの教えに基づき、メニューは肉や魚、卵、乳製品、白砂糖、添加物を使用せず、自家製調味料で旬の野菜と穀物を使ったものに。その考えに共感してくださるお客さんがだんだんと増え、手が回らなくなってきたので、今は私の想いを繋いでくれている若いスタッフたちに任せています。 (写真)これまでのデコさんの書籍 さらに、農業体験と交流を目的とする「WWOOF」のメンバーを受け入れたことがきっかけとなり、ここへ学びにくる人、遊びにきた人が宿泊できる施設「慈慈の邸(じじのいえ)」を作りました。「WWOOF」の受け入れをやめた後も、ブラウンズフィールドの一員として私たちと寝食を共にしながら働くという制度は続いています。現在は農、カフェ、宿泊、イベント、物販、母屋など、それぞれの係の分業制になっていて、期間も短期、中期、長期と様々な形態のスタッフがいます。今はこのような形に落ち着いていますけど、その時にいるスタッフによってルールが変わることもあります。引っ越してきた時から、漠然といろんな人が出入りする風通しのいい場所になったらいいなとは考えていたのですが、明確な構想が最初からあったわけではありません。長い年月をかけて、自然と少しずつ今の形になってきたんです。 そうそう、うちのカフェは廃棄が出ないんですよ。もしお客さんが来なかったとしてもスタッフの食事としていただくことができますし、売り切れたとしてもそれはそれで嬉しいこと。料理に使った煮汁、出汁、ドレッシングの余りなんかも全てまかない用にリメイクしています。スタッフがたくさんいてくれるからこそ、廃棄ゼロが実現できる。これって気持ちのいい循環だなと思うんです。(写真)ブラウンズウィールドの農隊が中心になり育てている田んぼ。カフェ、宿泊、賄い、麹の1年分のお米を作っている。 (写真)ワークショップスペース「サグラダコミンカ」にある竈門(かまど)。玄米を1日浸水させてから薪で丁寧に炊いている。 ―笑顔で挨拶ができるように、自分のコンディションは自分で整える 様々なバックグラウンドを持つ人が集った生活ですから、もちろん色々なことがあります。お互いをリスペクトして、労り合わないと共同生活は成り立ちません。すごく基本的なことですが、大事なのは “ほうれんそう”、報告・連絡・相談です。私たちは、毎日ごはんを一緒にいただきながら、「おいしいね」とか「今日どうだった?」とか、お互いの状況を話したり聞いたりしています。人間ですから、落ち込むことがあるのは当然のこと。だけど、誰かひとりでも沈んでいると、全体のエネルギーも下がってしまう。だから、笑顔で挨拶ができるように自分のコンディションを自分で整えるという作業は、共同生活においてとっても必要なことなんです。 たとえば、今みんなの前で笑顔でいられないと思ったらひとりで散歩に行くとか、読書するとか、自分のご機嫌を自分でとって立ち直るためのケアをする。そうすることで、自分だけではなく、みんなが気持ちよく過ごすことができます。つまり、他の人を尊重することにもつながるんですね。もちろん自分だけで抱えずに誰かに話したり、相談したりしてもいい。共に暮らしているとお互い様々な部分が見えますけれど、その分つらいことは分け合えるし、楽しいことは二乗、三乗にもなるのです。(写真)宿泊施設「慈慈の邸」で働くスタッフ ―ブラウンズフィールドの中心にはいつも暮らしがある どうやったら持続可能なコミュニティが作れますか? なんて聞かれたりすることがあるのですが、ブラウンズフィールドの場合はコミュニティにしようとしてコミュニティになっているわけではなくて、家族の生活の続きの場として、みんなで助け合いながら育っていっているという感覚なんです。だから、いつだって中心にあるのは、暮らしのことです。 農的な暮らし、サスティナブルな暮らし、いろいろですが、焦点は常に暮らしにあって、だからこそ続いてきたのかなと思っています。梅の実がなったら収穫して梅干しをつくるとか、かぼすができたら収穫して加工するとか、米が実れば麹にして味噌をつくるとか、大豆を醤油にするとか。何があっても季節は巡ってきて、生活は続いていくものですから。今の季節を謳歌しつつ、来年、再来年でにできるお味噌のこと、それを食べるスタッフや家族、お客様のことまでを考えて、今手を動かしておく。ブラウンズフィールドは、そういうたんたんとした積み重ねの延長線上にあるんです。(写真)ヤギのお絹さんと天日干し中の梅。梅はお庭で採れた無肥料無農薬のもの。 今ブラウンズフィールドに来てくれるのは若い人が多いのですが、ゆくゆくは老若男女、体が不自由な人、どんなバックグランドの人も、みんなが持続可能な形で助け合える場をつくりたいと考えています。もう少し先のことですけれど、自分が入る老人ホームがあって、その隣に保育園があって、そのまた隣に助産所があって、生まれたり死んだりできる場っていうのかな。地域の中で同じ方向を向いている人たちが助け合って生きる、それこそが本当に豊かでサステナブルな暮らしなんじゃないかと思うんです。 パーマカルチャーはオーストラリアで生まれたと言われていますが、昔の日本の村社会はパーマカルチャーそのものだったわけじゃないですか。持ち出しせず、持ち入れもせず、そこで採れるものを循環させて。これからは、私たちなりの新しいパーマカルチャー、持続可能な村社会みたいなのをそれぞれの地域でつくることができたら、その先には豊かな社会が実現できるはずです。誰のことも排除せず、みんながお互いを受け入れて助け合う。それぞれやりがいがあることをして、それがパズルのピースのようにかみ合って全体が豊かになるような、そんな未来をつくれたらいいなと思うんです。 ■  中島デコ / マクロビオティック料理家 16歳でマクロビオティックに出会い、25歳から本格的に学び始める。1999年、千葉県いすみ市に田畑つき古民家スペース「ブラウンズフィールド」を開き、 世界各国から集まる若者たちとともに、持続可能な自給的生活を目指す。サステナブルスクールや各種イベント、ワークショップの企画運営をしつつ、国内外で、講演会やマクロビオティック料理講師として活躍中。2024年1月19日、『中島デコのサステナブルライフ~人も地球も心地よい衣食住・農コミュニティ~』(パルコ)が発売される。instagram: @deco_nakajimaHP:Brown's Field公式サイト Text&Edit :...

# COMMUNITY# ORGANIC# RELATIONSHIP#SUSTAINABLE#パーマカルチャー

持続可能な暮らしをデザインする / ソーヤー海さん

千葉県いすみ市でパーマカルチャーや非暴力コミュニケーション(NVC)、禅などのキーワードを通じて、本質的に豊かな暮らしを実現させるための活動を行っているソーヤー海さん。2016年には「パーマカルチャーと平和道場」として、自然とつながり、自分の手で暮らしをつくるための学びの場を立ち上げました。パーマカルチャーが実現された先には、どんな世界が待っているのでしょうか。後編では、ソーヤー海さんにパーマカルチャーの考えに基づいたハッピーな暮らしのつくり方について聞きました。 ―クリエイティブで自由な暮らしを手に入れよう 「楽しい、美味しい、美しい、自分らしい」― これは、活動仲間のフィルとカイルが、パーマカルチャーの原則をシンプルに表したものだ。この4つのキーワードを暮らしの中に取り入れるために、どんな暮らしをデザインしていこうか? そう考えただけで僕はワクワクしてくる。千葉県いすみ市で僕が主宰している「パーマカルチャーと平和道場」は、その実験と実践の場だ。この場所で家族と暮らしながら、日々トライアンドエラーを繰り返している。僕が道場で最初にみんなに教えたいのは、「食べ物を作ること、家を作ること、いい人間関係を作ること」。まずはその3つができれば、安心して自由に暮らすことができる。だって、それより大事なものはないでしょう? ―食べものを作る コスタリカのジャングルで生活をした体験を通して、いつか自分でも食べ物がそこら中になっているような楽園を作りたいと思い描いていた。食べ物はお店で買うものじゃなくて地球の恵みだということを子どもたちにも教えてあげられるしね。そして、当初荒地のようだったこの場所に、今ではパパイヤ、アボカド、レモングラス 、バナナなどが実っている。だけど、僕が目指しているのは100%自給することではない。大事なのは、どうやったら楽しく持続できるかということ。だから「地球って楽しいな!」とワクワクするようなセンスオブワンダーを散りばめたいと考えている。例えば、キッチンのすぐ側にハーブガーデンを作り、バジル、ミント、ニラ、山椒などを育てて、料理中に使いたいものがすぐに手に入るデザインにした。でも効率がいいだけじゃつまらないから、心が喜ぶような花を合間に植えている。人は生産性と効率化を追い求めても幸せにはなれない。だけど、そうやって小さなワクワクを増やしながら続けていくことができれば、いつのまにか循環する暮らしが無理なく実現していくと思うんだ。 (写真)上はバナナの木。下はキッチン横のハーブガーデン。 ―家を作る コロナ禍で時間があるからやってみようと思い立って、家族が暮らすための小屋を作った。かかった金額は、40万円弱。現代の暮らしでは、人は大金を出して家を買うけれど、その他の動物はみんな自分で家を作っているよね。人間だって、誰でも自分で家を建てることができるんだ。一回やってみると構造が分かるし、自信がつくから楽しくなって他にも作ってみたくなる。道具の使い方を覚えて、意識をそこに向けることができれば何だって手作りできるようになっていく。暮らしの技術を学ぶことで、お金に依存せず自由に暮らすことが可能になるんだ。失敗したっていいからまずは一歩踏み出してみよう。   (写真)上の小屋が海さんとパートナーの美紗子さんが初めてセルフビルドしたもの。下はワークショップで20人以上の参加者が建てた小屋。 ―人間をデザインする 僕たちは、一年中外でご飯を食べている。料理を作るのも外だ。そしてアウトドアキッチンには意外な利点がある。室内できれいなキッチンを保つのってすごくエネルギーがかかるよね。ここにはいろんな人が泊まりにくるし、求める清潔さの度合いは人によって違うから、それが時に対立の火種になってしまうことがある。だけど、アウトドアキッチンは動物が来たり、ダストが飛んできたりするから、そもそもきれいに保つことは難しい。そうすると「仕方ないね」ってみんなが納得して対立が起きにくくなるんだ。求める基準値を下げるだけで、グッとみんなのストレスが少なくなる。価値観があわない人を排除するのではなく、どうやったらみんなが心地よく過ごしていけるかを考えること。これが人間関係をデザインするということなんだ。 (写真)手作りの薪ストーブで料理をする美紗子さん ―循環を暮らしに取り入れる 循環しない暮らしには、マイナスの要素が増えていくものだ。例えば、ゴミ。人間以外の動物はゴミを出さないでしょう。自然界にゴミが存在しないのは、全てのものが自然の一部としてサイクルしているからだ。そういう生態系を理解して暮らしに取り入れることができれば、マイナスの要素をプラスに変えることができるようになる。生ゴミはコンポストで堆肥になり、その堆肥を使って作物を育てることができるし、地域で伐採された木や竹、廃材を使って調理した後、炭を使って土壌改良をすることもできる。また、太陽光を使ったソーラーオーブンで調理するとか、身の回りにある資源を使って自らエネルギーを生み出すことができれば、消費を減らすことだってできる。そうやって小さな循環が巡りはじめたら、暮らしは安心感に満たされて、どんどん豊かになっていく。そして、自分自身のパワーを感じるようになる。 ―重要機能をバックアップする パーマカルチャーには重要機能のバックアップという原則がある。何かあったときのために、生活に必要なものの予備を確保しておくということだ。雨水タンクはそのひとつ。天からの恵である雨水を溜めておけば、生活に必要な水を自給することができる。雨水タンクには、ファーストフレッシュフィルターをつけていて、埃や花粉など屋根の汚れがついた最初の汚い雨水をカットしてくれる仕組みになっている。消費生活では全てがブラックボックス化していて、自分の命のベースになっているインフラや食べ物がどういう仕組みで成り立っているのか分からない。だから何かトラブルが起きたら、専門家にお金を払って解決するしかない。生活コストが上がり、お金はもっと必要になる。これが消費者の残念なところだよね。誰も目で見てなんとなく理解して再現ができたり、何か起これば問題が特定できて解決ができたり、そういうシンプルで機能的なシステムがパーマカルチャーなんだ。自分の目の前で、自分が責任をもてるレベルの豊かな循環をつくりたいよね。  ―地球の恵みとつながりながら生きていく 意識が暮らしを変え、暮らしが意識を変える。意識と暮らしはセットで、どちらかだけを変えることはできない。僕たちはみんな自然の一部で、全てはつながっているシステムだと考えるのがパーマカルチャーだ。だからひとつ変えると全部が変わっていく。まずは、自然と自然の神秘を自分の暮らしに合うように少しずつ取り入れてみよう。この“少しずつ”というのが大事なんだ。やっているうちに、だんだんと自然の方から「あれやってみなよ、これもやってみなよ」って誘導してくれるようになる。そうすると自然と豊かな世界ができてくる。ドアを開けて目の前がコンビニだったら、お金がないと生きていけないでしょう。でも僕の世界では、ドアを開けると森なんだよ。だから「地球で生きている!」って感じなの。自然も人間もみんながお互いを生かし合って、地球で生きているんだ。井戸水や天水を飲む。そこにあるフルーツを食べる。そして、僕たちの命は、森に、地球に支えられているということが分かる。そうして僕らはハッピーになっていくんだ。 ■ ソーヤー海 / 共生革命家 東京アーバンパーマカルチャー創始者。1983年東京生まれ、新潟、ハワイ、大阪、カリフォルニア育ち。カリフォルニア州立大学サンタクルーズ校で心理学専攻、有機農法を実践的に学ぶ。2004年よりサステナビリティーの研究と活動を始め、同大学で「持続可能な生活の教育法」のコースを主催、講師を務める。元東京大学大学院生。国内外でパーマカルチャー、非暴力コミュニケーション、禅/マインドフルネス、ギフトエコノミーなど、さまざまな活動を行っている。いすみ市に「パーマカルチャーと平和道場」を立ち上げ、共生社会のための実験やトレーニングの場として展開している。二児の父。。。。著書 『Urban Permaculture Guide 都会からはじまる新しい生き方のデザイン』、『みんなのちきゅうカタログ』(英語版...

# COMMUNITY# SOFTNESS#パーマカルチャー

パーマカルチャーで実現するハッピーな暮らし / ソーヤー海さん

千葉県いすみ市に暮らし、パーマカルチャーや非暴力コミュニケーション(NVC)、禅などのキーワードを通じて、本質的に豊かな暮らしを実現させるための活動を行っているソーヤー海さん。2016年には「パーマカルチャーと平和道場」として、自然とつながり、自分の手で暮らしをつくるための学びの場を立ち上げました。パーマカルチャーが実現された先には、どんな世界が待っているのでしょうか。前編では、パーマカルチャーとの出合い、そしてソーヤー海さんが描く豊かな世界についてお話していただきました。 ―僕は、コスタリカのジャングルで初めて地球と出合った 東京に生まれ、日本とアメリカを行き来しながら育った僕の人生を大きく変えたのは、9.11だ。それはちょうどカリフォルニア州サンタクルーズの大学に入学する直前の出来事だった。平和だと信じていた日々に、急に戦争というものが身近になってやってきた。と同時に、それまで漠然と思い描いていた、大学でいい成績を取って、いい会社に入って…といった未来図がガラガラと崩れていった。この現実を見ないふりなんてできないし、とにかくなんとかしないと。その一心で、反戦運動に加わった。 でもね、反戦運動って文字通り、反対する運動だからエネルギーがものすごく必要なんだ。圧力はかかるし、対立構造になりやすいからね。ピリピリとした活動を6年ほど続けたけれど、どこかでこれは持続可能じゃないぞと感じていた。そんな中で有機農業や自然農と出合って、そのポジティブなエネルギーに惹かれるようになった。そして、一度先進国を離れて生き方を見直したい、地球がどんな場所なのかちゃんと知りたいと思うようになって、コスタリカのジャングルに移住することに決めたんだ。ジャングルの生活は、ココナッツ、バナナやマンゴーが食べ放題。電気も水道もなくて、自分たちが生きるための食べ物を得ることが中心の日々だ。動物ってさ、みんな自然の中で「ただ食い」しているんだよ。お金を払って食べ物を得ているのは人間だけ。ここでの暮らしを通して、僕は初めて「地球と出合った!」と感じたよ。そして僕は生態系の一部なんだということも。だけど現実は、人間だけが自然と切り離された生き方をしている。人間ってなんだろう、生きるってどういうことだろう。そんなことを考えている時に出合ったのが、パーマカルチャーだった。パーマカルチャーとは、ものすごく簡単に言うと、自然の循環を取り入れて、人が豊かに生きていくための暮らしや社会をデザインすること。 その世界観にどっぷりはまった僕は、ジャングルを出てパーマカルチャーの実践地を訪ね歩いた。ニカラグア、キューバ、グアテマラ。各国のお百姓さんから学んだ後、ワシントン州オーカス島にあるフォレストガーデン「ブロックス・パーマカルチャー・ホームステッド」の研修生として2年間を過ごした。ここでは食べ物、水、エネルギーのことなど、暮らしにまつわることは何でも学ぶことができた。とにかく自由で、創造的で、まるで楽園のよう。なんてったってそこらじゅうに食べ物が実っていて、フルーツが降ってくるような場所だからね。この暮らしを実践できれば、お金に依存することなくみんながハッピーになれるじゃん。This is it. 僕の探していた豊かな世界がそこにあった。 ―パーマカルチャーによって実現する豊かな世界は、決してファンタジーなんかじゃない その頃、日本で3.11が起きた。原発事故があり、僕はこのことにどう応えるのか、自問自答した。僕も電力の恩恵を受けて生きているけれど、だからってこの問題を放置することは嫌だ。そして僕の答えは、権力が集中する都会にこそパーマカルチャーの価値を広げるべきだ、ということ。そうでなければ、この大きな問題を解決することは到底できない。そうして日本に帰国することを決めて、2011年に「東京アーバンパーマカルチャー(TUP)」を立ち上げた。屋上菜園を作ったり、空き地や河川敷に種を撒いたり、ワークショップを開いたり、メディアに取り上げてもらったりして、いい活動はできていたのだけど、だんだんと自分自身が都会のパワーに飲み込まれていくのを感じた。 いつの間にか発信することが活動の中心となっていき、パーマカルチャーを体現した生活からは遠ざかってしまっていたのだ。このままでは僕もピラミッドゲームの一部になってしまう。そうではなくて、僕自身がより健全で、自分らしい暮らしをしながら、日本だからこそできる素晴らしいパーマカルチャーの世界を作っていけばいいんじゃないか。パーマカルチャーによって実現する豊かな世界は、決してファンタジーなんかじゃない。そうやって僕が実践する世界をいろんな人に見に来てもらい、リアリティを体感してもらえたら、その波紋はあちこちに広がっていくだろう。そう考えて、2016年に千葉県いすみ市へ移住を決めた。そして、活動の場となる築150年以上の古民家のある2700坪の土地に出合い、グリーンズの鈴木菜央さんと共に、全ての命が大事にされる社会のための実験と実践の場である「パーマカルチャーと平和道場」を立ち上げた。そして実際に本当に多くの人がここへ訪れてくれるようになったのだ。 ―目指すのは、消費者から創造者になるということ 「ヒューマニティを取り戻そう」というのが、平和道場のミッションのひとつだ。それは、人間の本質に添うような文化や暮らしを取り戻していくということ。目指すのは、消費者から創造者になるということだ。僕らが今生きる世界は、何も考えなければ消費者になっていくシステムになっている。子どもの時から学校でそう教育されているからね。消費者というのは、誰かがつくったものを選ぶしかない上に、その何かを手に入れるにはお金が必要になる。今の社会ではより効率化して、より生産性をあげて、より多くのお金を得ることに価値が見出されているよね。だけど、人はその価値では幸せにはなれないんだ。いくら生産性が上がろうと余裕が増えることはないし、さらに余裕がなければ豊かな暮らしを味わうことはできないから。これが今の人類が抱えている残念なパラドックスだと思う。比べて、自然の循環というのは、人間が関わっても関わらなかったとしても勝手に生物多様性が生まれ、勝手に再生され、勝手に循環していく。このサイクルをうまく暮らしに取り入れることができれば、余裕のある時間はどんどん増え、心身もどんどん健康になって、本当に自分がやりたいこと――例えば、家族と過ごしたり、世の中に貢献したり、そういうことに費やせるハッピーなエネルギーと時間が増えていく。この暮らしの循環をデザインすることがパーマカルチャーなんだ。僕は誰もが創造者になることができると信じている。みんなそのパワーを持っているのに、それを表現する時間や心の余裕が今はないだけだ。でもさ、とにかくやってみようよ。何から始めてもいい。暮らしを変えて、意識を変えて、やがては社会を変える。誰かが始めれば勝手に広がっていくんだよ。そして循環し、ハッピーが増えていく。それが僕がワクワクする未来の世界なんだ。 ■ ソーヤー海 / 共生革命家 東京アーバンパーマカルチャー創始者。1983年東京生まれ、新潟、ハワイ、大阪、カリフォルニア育ち。カリフォルニア州立大学サンタクルーズ校で心理学専攻、有機農法を実践的に学ぶ。2004年よりサステナビリティーの研究と活動を始め、同大学で「持続可能な生活の教育法」のコースを主催、講師を務める。元東京大学大学院生。国内外でパーマカルチャー、非暴力コミュニケーション、禅/マインドフルネス、ギフトエコノミーなど、さまざまな活動を行っている。いすみ市に「パーマカルチャーと平和道場」を立ち上げ、共生社会のための実験やトレーニングの場として展開している。二児の父。。。。著書 『Urban Permaculture Guide 都会からはじまる新しい生き方のデザイン』、『みんなのちきゅうカタログ』(英語版 Our Earth Our Home)YouTube:TUPチャンネルHP:東京アーバンパーマカルチャー         パーマカルチャーと平和道場 Text&Edit...

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この地球で持続可能な暮らしをしたい ーパーマカルチャーが僕らに教えてくれたことー 木多伸明さん

岡山県で持続可能な暮らしを営んでいるノブ(木多伸明)さん、ケイさん、3歳のテラくん一家。電気は太陽光発電、ガスは引かずに自家製の炭と薪で調理、雨水をろ過して飲み水を作り、お風呂は薪で沸かし、自宅の敷地にある畑では家族が食べるに十分な野菜を育てています。彼らが実践するパーマカルチャーとは、パーマネント(永続性)、アグリカルチャー(農業)、カルチャー(文化)を組み合わせた、人と自然が共存する持続可能な社会をつくるためのデザイン手法のこと。2023年4月に公開されたばかりの映画「TERRA 〜ぼくらと地球のくらし方〜 」は、ノブさん一家が国内外のパーマカルチャー実践者を訪ねた軌跡を自ら記録したものです。パーマカルチャーの基本倫理は、アースケア(地球に配慮する)、ピープルケア(人に配慮する)、そしてフェアシェア(みんなで分かち合う)。その暮らしの先には、循環する豊かな世界が見えてきました。 SISIFILLEとは…  わたしたち「SISIFILLE(シシフィーユ)」はオーガニックコットンを世界各地の産地から直接仕入れており、どこの畑でどのように育ったか明らかなコットンのみをつかって、アンダーウェアや生理用ナプキンなどをつくっています。 オーガニックコットンの「やわらかさ」は、単なる触感超えた、人々が必要とする新しい価値であると、私たちは考えています。  このインタビューでは、オーガニックコットンと同じように「やわらかい」、人やものの関係、生き方をを実践する方々にその思いを伺います。 ー消費者から生産者へ。人生が変わるほどに魅了されたパーマカルチャーの世界 以下語り手 Nobu:ニュージーランドの北端から南端まで3000km続くトレイル “Te Araroa(テ・アラロア)” をハネムーンとして5ヶ月かけてケイと2人で歩いたのは2017年のこと。その後、ケイはニュージーランドに残り、僕は昔から憧れていたアメリカのトレイル “PCT(パシフィック・クレスト・トレイル)” へ。そして4200kmの道のりを1人で歩いていた時、ケイから「共生革命家のソーヤー海くんの “人生が変わるパーマカルチャーツアー”が近くで開催されるから歩き終わったら参加してみたら?」と連絡がきた。そもそもは彼女が行きたがっていたのだけど叶わないので、代わりに僕へ勧めたのだ。ツアーは、西海岸のパーマカルチャーの聖地と呼ばれる場所を2週間ほどかけて巡るもの。その時は正直あまり興味はなかったけれど、せっかくアメリカにいるのだから、と軽い気持ちで参加することにした。 まず訪れたのは、40年以上パーマカルチャーを実践しているワシントン州のブロックス・パーマカルチャー・ホームステッドだ。ちょうど実りの時期ということもあって、食べ物がそこら中になっていて、ナッツや薬草は生い茂り、果樹からは取りきれない実がボトボトと落ちていた。溢れんばかりの収穫物は乾燥させたり、瓶詰めにしたり、ジャムにしたりと、何でも保存食にするらしいが、それでも食べきれないという。だけど、例え欲しいという人がいても余っているフルーツは売らないと聞いて驚いた。収穫された果物を買う人はただの“消費者”にしかなりえないからだ。彼らはナーサリー(育苗園)を営んでいて、そこでは世界中の様々な種類の苗を購入することができる。苗を買い育てれば、“生産者”になることができるというのが彼らの考え。その視点に感銘を受けたし、目の前に広がる楽園のような世界を見て、「僕もこれをやりたい」と強く思った。  (動画)ブロックス・パーマカルチャー・ホームステッドで撮影されたツアー動画 ートライアンドエラーを繰り返して学んでいく開拓の日々 それまでの僕は東京に住んで、映像カメラマンとして仕事をしていた。2018年に日本へ帰ってくると、パーマカルチャーを実践するために僕らは東京を離れることにした。ケイも旅の中で循環する暮らしを営む人たちと過ごすことで、場を育みたいという気持ちが強くなっていたようだ。移住先はいくつか検討したけれど、岡山で僕の祖父母が住んでいた家が空き家になっていて、手っ取り早く始められそうだったのでここに決めた。家の前には畑があって、周囲は少し小高い丘になり雑木林に囲まれている。長年放置されたままだった土地は藪化し、竹林は暴走していた。そこからはひたすら開拓の日々。僕は子どもの頃からモノを作ることが好きだ。今も基本的に何でも自分で作るが、大体は一度失敗する。僕にはこういう暮らしの経験がないから、全てトライアンドエラーで学びながらやっていくしかない。  (写真)↑ 藪化していた頃の様子。↓現在の様子。 現代の暮らしでは自然と人間は完全に分離されていて、例えばトイレで流したものがどこへ行くのか疑問に持つ人は少ない。そういう感覚的なものが失われた暮らしに、それってどうなっているの?とか、それっておかしくない?とか、考えるきっかけを与えてくれるのがパーマカルチャーなのだと思う。汚水をきれいにしてくれるプロダクトを購入するのではなくて、その仕組みをどうやって作ろうかと考える。そして理論を実践していく。その小さな実践の積み重ねが、自然界と人間のつながりを取り戻してくれるのだ。 (写真)温室とお風呂を兼ね備えるジオデシックドーム (写真)伐採された竹で囲われたコンポストトイレ そもそも、パーマカルチャーを取り入れることは決して難しいことではない。コンポストでも、ベランダ菜園でも、できることから始めればいい。もちろん苦労はそれぞれにあるけれど、それ以上に得られるものは大きいし、実際に僕らの暮らしの豊かさはどんどん上がっている。果樹も少しずつ実りが出てきたし、僕たちの暮らしを見にくる人たちも増えてきて、僕が西海岸で受けた影響を今度は僕が人に与えられるようになってきた。僕は今、西海岸で見たあの憧れの暮らしがここ岡山でできつつあることを実感している。 (写真) 屋根の上に備えつけたタンクに、ポンプで井戸水を引き上げてシャワーが出る仕組み。 ーこの映画が、その土地のパーマカルチャーに興味のある人と実践者とをつなぐきっかけになったら 僕らのように田舎でパーマカルチャー的な豊かな暮らしを実現していたとしても、気候変動やエネルギーなどの大きい問題からは逃げることはできない、というのもこの暮らしを始めて気づいたことの一つだ。いくら目の前の風景を豊かにすることができても、僕らだけでは気候変動をどうにかすることはできない。僕が生きている間には大事にはならないかもしれないけれど、じゃあテラは?他の子どもたちはどうなる? 彼らの未来を守るために、今何かアクションを起こすべきなんじゃないかと考えていた。 そんな中、ソーヤ海くんがパーマカルチャーのことを僕に映像化してほしいと考えているという話を聞いた。僕は宅地と畑の開拓に追われてそれどころじゃなかったけれど、ちょうどテラが産まれた後でどうもケイは旅に出たそうだった。初めての子育て、さらに移住とコロナが重なり、外とのつながりが少なかったこともあって、ここでの生活に少し息苦しさを感じていたのかもしれない。それに、パーマカルチャーをより多くの人が実践してくれたら世の中を変えることができるかもしれないという思いもあった。  (写真)烏骨鶏を愛でる子どもたち ケイはDIYで作ったソーラークッカーでよくクッキーを焼いてくれるのだけど、天気がいいとテラは「今日はクッキー焼けるかなー」と言う。3歳ながら、太陽があればクッキーが焼けるんだということを彼はナチュラルに知っているのだ。もし世界中の子どもが同じように言い出したら、将来エネルギー問題は解決できるんじゃないだろうか。 この暮らしを映画にして、この世界をもっと多くの人に知ってもらいたい。ここの開拓作業を止めてしまうことはとても苦しい決断ではあったけど、やっぱりドキュメンタリー映画を撮ろうと決心した。そして家族3人でアメリカと日本各地のパーマカルチャーの実践者を巡る旅が始まった。 (写真)ソーラークッカーでクッキーが焼く様子。そしてそれをじっと待つテラくん。...

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